第四話「そうなんだ」
「本当に異世界転移ってやつでしたか……!」
目の前に広がる景色が、それを何よりも雄弁に告げている。
雪。
巨大な山々。
どこまでも広がる青い空。
それだけなら北の大地というだけで終われる。
しかし、全くと言っていいほど見知らぬ生物まで見える。
そして遠くに見える、巨大な樹。
天にも届くその巨大な樹は、どう考えても地球のものではない。
夢で見たことすらない景色だった。
ついさっきまで、自分は日本にいた。
それなのに今は、見知らぬ大地の上に立っている。
異世界。
そんな言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
「って違う! 英紀たちは!?」
自分だけが異世界へ来たという事実に気付いた瞬間、陽翔の頭へ三人の姿が浮かんだ。
英紀。
鷹也。
癒美。
あの光に包まれる直前まで、一緒にいた。
なら、当然ここにもいるはずだ。
陽翔は隣にいる白髪の少女へ振り向いた。
少女は不思議そうな顔をしている。
「その、さっきの遺跡に俺以外の人はいなかった? 男が二人、女が一人……いや、二人の計四人! 見なかった?」
少女は少し考えるようにしてから、首を横に振った。
「あそこにほかのひとはいなかったよ」
「そ、そうか……なら良かった……、のか?」
胸の奥にあった不安が、少しだけ薄れる。
少なくとも、あの遺跡には四人はいなかった。
ということは。
陽翔はそこで、ふと気付いた。
「……ちょっと待って。俺の言葉、分かるの?」
さっきまで、何を言っても言葉が通じなかった。
英語を使っても、身振り手振りを交えても駄目だった。
それなのに今は、普通に会話が成立している。
少女は不思議そうに首を傾げる。
「……? なにをいってるかわからない」
「え……そ、そうだよね。何言ってんだって話だよね。ってそうじゃなくて! なんで急に分かるようになった!?」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
さっきまでは分からなかった。
なのに、今は分かる。
理由はまったく分からない。
少女はそんな陽翔を見ながら、ぽつりと呟いた。
「んー? あなた、へん」
「変でしょうとも……! 最近変な夢を見るようになって、突然変なとこに飛ばされて、挙句の果てにはさっきまで分からなかった言葉も、分かるようになってるんですから……!」
叫んだところで、当然答えが返ってくるわけではない。
そもそも、自分でも状況を整理できていないのだ。
ただ、一つだけ分かったことがある。
今なら、この少女と話ができる。
それなら。
聞くべきことは山ほどある。
陽翔は一度深く息を吸った。
「本当に嫌になっちゃうなぁ……! いやまて、まずは落ち着こう。せっかく意思疎通出来るようになったんだから、この際色々聞くべきだ」
まずは、今までのことを説明する。
今日の朝。
いつも通り学校へ向かったこと。
英紀たちと合流したこと。
桃色の髪をした少女と出会ったこと。
そして、その直後に突然光へ包まれたこと。
気付いた時には、あの祭壇のある遺跡へ飛ばされていたこと。
陽翔は順番に説明していった。
「えっと、それでさっきの質問なんだけど。実は突然あの祭壇がある部屋に飛ばされたんだ」
一息入れて。
「それで飛ばされる前に、他にも三人……あ、いや、四人居たはずなんだけど、その人たちはあの遺跡には居なかったんだよね?」
念のため、もう一度確認する。
少女は小さく頷いた。
「うん。あそこ、わたしたちいがいのひと、いなかった」
「さっき魔法陣の上に乗って、別の遺跡に……えっと、転移? したよね。事故が起きて他の人と転移先がバラける事ってあるの?」
転移。
異世界転移。
どういう理屈か分からないが、日本から月、そして月から雪山へ飛んだのは同じ現象なのだろう。
もし、何かしらの事故で転移先が別れるような可能性があるならば。
英紀たちも、この世界に来てしまっている事になる。
探さなければ。
けど、どうやって。
不安が尽きない陽翔だが、その疑問はすぐに解消された。
「ないよ。みんなおなじばしょにでる」
それを聞いて、陽翔はほっと胸を撫で下ろした。
少女いわく、あの遺跡に四人はいなかった。
そして転移先がバラける事は無いらしい。
それだけでも、少し安心した。
「良かった……。けどそうなると飛ばされたのは俺だけってことになるけど、なんでだよ……」
そう呟いたところで、ふと思い出す。
まだ、自分の名前すら伝えていない。
こんな状況なのに、随分と間の抜けた話だった。
陽翔は少女へ向き直る。
「そうだ、自己紹介してなかったな。俺は陽翔。──君の、名前は?」
英紀たちが無事だと分かって、一安心したせいだろうか。
ほんの少しだけ余裕が出てきたらしい。
少しくらい格好をつけてもいいような気がして、陽翔はわざとらしく名乗ってみた。
しかし少女は首を傾げた。
「しらないの?」
「いや知らないよ……。俺たちさっきがはじめましてだったでしょうに」
どうやら、話が噛み合っていない。
少女は少し不思議そうな顔をしたあと、何でもないことのように口を開いた。
「そうなんだ。わたしのなまえ、ルナ」
ルナ。
月の遺跡に封印されていた少女。
その名前を聞いて、陽翔は妙な感覚を覚えた。
なんとも風情のある名前だ。
目の前の少女には、不思議とよく似合っている。
「いい名前だね」
「でしょ」
そう言うと、ルナはふんす、と胸を張った。
先ほどまで命の危機に晒されていたというのに。
なんだか妙に緊張感がない。
その光景がおかしくて、陽翔は思わず笑ってしまった。
「む、なんでわらう?」
「ちょっと気が抜けちゃって……。他にも聞きたいことは山積みだけど、とにかく──」
月の遺跡のこと。
なぜ自分だけが飛ばされたのか。
あのケルベロスのこと。
そして、ルナのこと。
気になることは山ほどある。
けれど、今すぐ答えを出せるようなものではない。
眼前には、アルプス山脈と見紛うほどの雪山がいくつも連なっていた。
どこを見ても雪。
「──俺たち、これからどうするの?」
陽翔は思わず遠い目をした。
───
「さぶい……しんじゃう……」
異世界へ来た。
それは理解した。
けれど、異世界へ来たところで、生活の問題が消えるわけではない。
むしろ食料もない。
住む場所もない。
地図もない。
そして、ここがどこなのかすら分からない。
あるのは雪山と極寒。
そんな状態だった。
「朝飲んだ味噌汁が恋しい……豚汁でもいい……コンポタ、コンポタはどこ……」
こんな雪山では母が作ってくれた暖かい味噌汁も、豚汁も、ましてやコーンポタージュなんてあるわけが無い。
しかし願わずにはいられない。
とりあえずひとりでに歩き始めたルナと、はぐれないように追いかけた陽翔。
そうして二人は、雪山の中を歩いていた。
少し歩いたところで、陽翔は隣を鼻歌混じりに歩くルナへ声を掛ける。
「ちょっとー、ルナさーん? 本当にこっちで合ってるんですかねー?」
「たぶん」
「そっかー、たぶんかー。多分で雪山を宛もなく歩いていい訳ないでしょうが!!」
遭難してる。
そうなんだ。
ははっ。
ただでさえ低い気温が、さらに下がった気がした。
けれどそれも仕方がない。
雪山で遭難した際は、恐らく救助を待つべきなのだろう。
そう頭では分かってても、サバイバル術の知識が無い陽翔は焦りが出始める。
そんな少年を知ってか知らずか、マイペースに前を歩く少女に、思わず声が大きくなる。
ルナは相変わらず平然としている。
少し会話して分かったことがある。
この子。
超のつく天然だ。
というより。
「一応は命の恩人だし……。あんまり言いたくは無いけど……」
陽翔はちらりとルナを見る。
おバカ、なのかもしれない。
もちろん、口には出していない。
出したらまた怒られそうだ。
そんなことを考えていると、突然鼻歌を中断したルナが立ち止まった。
「あっ」
「えっなにこわい」
こういう、のほほんとした人が突然ハッとする時というのは、大抵いいイメージがない。
何か見つけたのか。
魔物か。
それとも崖か。
陽翔が身構えていると、ルナは遠くを指差した。
「まち、みえた」
「本当に!?」
陽翔も慌ててそちらを見る。
かなり遠くに、街らしきものが見える。
建物が集まっている。
煙のようなものも見える。
人がいるかもしれない。
ようやく、文明らしきものを見つけた。
陽翔の胸に安堵が広がる。
「良かった……。あとは焦らずゆっくり確実にあの街を目指して──」
「あっ」
その時だった。
トテトテと走り出したルナの足が雪へ取られた。
身体が傾く。
その先には崖。
「──焦らずゆっくり確実にって言ったぁ!!?」
反射的に手を伸ばした。
ルナの腕を掴む。
しかし。
勢いは止まらなかった。
「うわっ!?」
身体が引っ張られる。
二人まとめて、崖下へ転がり落ちた。
雪が舞う。
視界がぐるぐる回る。
そのまますぐに地面へ叩きつけられた。
幸い、高さはそこまでなかったらしい。
陽翔は身体を起こす。
全身が痛い。
雪が服の中へ入り込んでいる。
それでも、生きている。
「痛って……。大丈夫か、ル、ナ……」
顔を上げる。
そこで初めて、陽翔は自分たち以外の人間がいることに気付いた。
目の前に立っているのは、二人の大人だった。
どちらもローブ姿で見慣れない服装をしている。
手には杖のようなものを持っている。
そして、こちらを警戒するように見つめていた。
片方が口を開く。
「きさまら……なにものだ?」
陽翔は一瞬固まった。
ようやく大人に会えた。
助かった。
そう思った。
しかしどうやら、そう簡単な話ではないらしい。
陽翔は恐る恐る笑みを浮かべる。
「あー……、どうもコンチワー……、ハハ……」
返ってきたのは、当然ながら警戒の視線だった。
もう一人の魔法使いが問い掛けてくる。
「なにものなんだと、きいている」
陽翔は慌てて手を上げる。
敵意はない。
そう伝えなければならない。
「えっと、僕たち遭難してしまって……上から見えた街に向かって進んでたところ、足を滑らせてしまったんです」
嘘は言っていない。
全くもって真実でしかない。
魔法使いの一人が眉を寄せた。
「ソウナンだと? ありえないな、ここはキタのイセキグン。ブガイシャがカッテにはいれるバショじゃない」
陽翔は思わず眉を寄せる。
なんか、すっごく聞きにくい。
ルナもそうだった。
ただ、彼女の場合は発音の問題なのかと思っていた。
どうやら、そういう問題ではないらしい。
聞き取りづらい。
それでも、意思疎通ができるだけ御の字だ。
陽翔は言葉を選びながら答える。
「その、僕もよく分かってないんです。気が付いたら上の遺跡にいて、外に出たらこんな氷山の一角だったんです」
魔法使いの視線がルナへ向く。
「なら、そっちのオンナは?」
陽翔もルナを見る。
ずっと無言だった。
さっきまであれだけ自由に動き回っていたのに、こういう場面になると黙り込んでいる。
嫌な予感がする。
「おいルナ、なにか喋れって」
「……」
やっぱり喋らない。
「あららまたダンマリモード。じゃなくってぇ……ややこしい事になるからぁ……」
もう既になっているが。
そんな陽翔の心配など知らないように、ルナは目の前の二人を見つめてようやく口を開いた。
「あなたたち、だれ」
陽翔の背筋が冷たくなる。
「ケンカ吹っかけてる訳では無いよね? そうだよね?」
恐ろしい。
何を仕出かすか分からない。
この少女には、独特の雰囲気がある。
天然なのか。
大物なのか。
陽翔には判断できない。
そんな二人を見ていた大人の後ろから、さらに一人の人物が歩いてきた。
老齢の男性だった。
長い年月を生きてきたことが一目で分かる。
それでも、その瞳には強い光が宿っている。
男性は二人の横へ並ぶと、陽翔とルナをじっと見つめた。
「ふむ、それはワシらがきいてたハズじゃが……。よいじゃろう」
どうやら、先ほどからのやり取りを聞いていたらしい。
男性は杖を手にしたまま、ゆっくりと口を開いた。
「ワシらはヴィッセンベルクのものじゃ」
──いやどこだよ。
心の中でそう思わざるを得なかった陽翔。
だが、もちろん口には出さない。
ここで余計なことを言えば、さらに面倒なことになりそうだった。
「……そう、ですか。ヴィッセンベルク……の人たちだったんですね」
ヴィッセンベルク。
当然、聞き覚えはない。
けれど固有名だけを伝えてきたということは、この世界にとっては、それほど有名な場所あるいは組織なのだろうか。
ならば賭けに出るべきかもしれない。
陽翔は少しだけ表情を明るくした。
「それなら安心です! 僕たち本当に記憶が曖昧で、ここがどこかも全く──」
「そんなとこしらない」
「──知らないんかい!」
思わず頭を雪へ突っ込んだ。
結局、振り出しに戻ってしまった。
この少女、本当に大丈夫なのだろうか。
そう思わざるに居られない。
どうやらヴィッセンベルクはそこまで有名ではないのだろうか。
あるいは、ルナが世間知らずなのか。
雪まみれになった頭を振りながら、どうしたものかと考え始める。
その時だった。
陽翔たちがいる足元に、大きな影が落ちた。
「……は?」
反射的に空を見上げる。
巨大な何かが、頭上を通り過ぎていく。
大きな翼。
長い身体。
そして、光を反射する美しい鱗。
雪原へ差し込む光を受け、その身体の一部がまるで結晶のように煌めいていた。
陽翔は呆然とその姿を追う。
ドラゴン。
それ以外の言葉が出てこなかった。
あまりにも巨大だった。
翼を広げて空を飛ぶその姿は、地球で知っているどんな生物よりも大きい。
全員の動きが止まった。
一人を除いて。
間髪入れずに、ルナが陽翔の手を引いた。
「ルナ!? 何するつもりだ!?」
突然、ルナの身体が光り輝く。
あの時と同じだ。
ケルベロスから逃げた時にも見た光。
身体の周囲へ力が集まっている。
そんな印象を受けた。
ルナは陽翔の手を握ったまま、短く告げる。
「つかまってて」
「え? ちょっ──」
世界が歪んだ。
一瞬。
本当に、一瞬だった。
視界が揺らぐ。
身体が浮く。
次の瞬間。
「──ブファッ!?」
陽翔の顔面が、何かへ激突した。
目の前にあったのは、立派な木。
鼻へ強烈な痛みが走る。
「いってぇ……!」
雪の上へ転がり落ち、鼻を押さえる。
ルナも少し離れた場所へ着地していた。
「……あれ。しっぱい、した?」
どうやら、ケルベロス相手にやったことと同じように、この人たちから逃げようとしたらしい。
だがどうやら今回は、上手くいかなかったようだ。
背後から声が飛んでくる。
「なんだ、いまの……おい、まて!」
続いて、もう一人の大人が驚いたように叫ぶ。
「いまの、マホウなの……? でもあのかんじ、まさかシンキュウ……」
陽翔は鼻を押さえながら立ち上がった。
痛い。
ものすごく痛い。
鼻血まで出ている。
それでも、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「グッ……痛すぎる、けどこの際もうどうにでもなれ……! 逃げるぞ、ルナ!」
ルナが頷く。
「がってん」
どこでそんな言葉を覚えた。
いや、待て。
そんな馬鹿なことを考えている場合ではない。
ルナも知らないというヴィッセンベルク。
そして、そこから来たというローブ姿の大人たち。
ここへ来てから、怪しいことが多すぎる。
とにかく、逃げる。
鼻血まみれの顔を晒しながら、陽翔は走り出そうとした。
しかし。
「ちょっと待てい、"土壁"」
「なっ!?」
目の前の地面が盛り上がり足を取られる。
次の瞬間。
地面から壁がせり上がり、陽翔たちの退路を塞ぐ。
「くそっ……なんだよコレ……! おいルナ、さっきのもう一回できないのか?」
ルナは少し考えるようにしてから答えた。
「つかれた、むり」
「ずいぶん燃費が悪いこと……!」
逃げられない。
目の前には壁。
後ろには杖を構えた謎の大人たち。
どうすればいい。
陽翔が必死に考えていると、先ほどの老人がゆっくりと近付いてきた。
その顔には、どこか不気味な笑みが浮かんでいる。
「おじょうちゃん、いまのオソロシクはやいイドウ、ワシじゃなければ……、あとナターリアじゃなければ……、それとメイオウじゃなければミノガシてたかもしらんが、シンキュウマホウじゃな?」
何を言っているのか、完全には理解できない。
ただその老人が、ルナの使った魔法へ強い興味を示していることだけは分かった。
老人はルナを見つめ、それから陽翔へ視線を移した。
「どれ、おまえさんら、ヴィッセンベルクまほうだいがくに来んか?」
陽翔は固まった。
ヴィッセンベルク。
先ほどから何度も聞いている名前。
そして今。
その名前に続いて、初めて具体的な言葉が出てきた。
その言葉を聞いた瞬間、陽翔の頭の中にいくつもの疑問が浮かぶ。
魔法。
大学。
この世界には、そんなものが存在しているのか。
陽翔は鼻血の流れる鼻を押さえながら、老人を見つめた。
「……魔法大学?」




