第九話「住居」
「つまり、出ていけということですか?」
魔力量を増やすための特訓を始めた陽翔。
しかしその初日は見るも無惨な結果に終わってしまった。
歯を食いしばり、それでも日本へ帰るためだと意気込んだ陽翔であったが。
翌日、またもや陽翔の身に苦難が降りかかる。
「いえ、そこまでは言っていませんが……、しかし、そうですね、つまりそういう事になってしまいます」
学長室。
そこには部屋の主である副学長、ナターリアと、大事な話があると呼び出された陽翔の姿があった。
二人はついこの間、ナターリアが取り寄せた茶葉から作られた紅茶を飲みながら、向かい合わせに座っていた。
仰々しく大事な話としか聞かされていなかった陽翔は、戦々恐々としながら詳細を聞いていた。
しかし。
「突然、明日には空き部屋の本来の主が戻ってくるから、出ていけと言われましても……」
空き部屋とは。
そう返したくなった陽翔。
陽翔とルナの仮住まいとして与えられていた部屋には、本来の主がいた。
けれどその主は現在大学を留守にしてどこかで旅をしていると。
確かに、部屋を貸してもらった時にそんなことを聞かされた気はするが、あまりにも急すぎる。
「確認を急いでいますが、もし本当だった場合、それまで何も動かない訳にもいかないので……。申し訳ございません」
そう言って頭を下げるナターリアの言うことは、実際一理ある。
仮にこのまま静観し、明日部屋主が本当に戻ってきてしまったら、それはもう大変気まずいことになるだろう。
けれどもっとこう、それこそ前もって連絡とか、あっても良かったんじゃないか。
前日に帰ってくると知らされても、別の住まいや荷物をまとめる準備を間に合わせるのも骨が折れる。
不満はあるが、ただでさえ無かった空き部屋を貸してくれて、今日まで不自由なく過ごせたのも事実。
あまり恩を仇で返す訳にもいかない。
「分かりました。それでは僕たちは、下町のヴィッセンで宿を借りようと思います」
「お言葉ですが、ハルトさん。あなた、お金を持っていないでしょう……。もちろん、ルナさんも」
今頃セレフィアにお菓子を作らせて、片っ端から食べているのであろう雪団子を思い浮かべる。
痛いところを突かれた。
それもそうだ。
陽翔たちは自分たちを子供扱いするナターリアに甘えて、一銭も払わずに今日まで衣食住を享受していた。
良くない事とは頭で思いつつも、未だに日本の学生気分が完全に抜けきっていない陽翔は断れずにいた。
あまつさえ、ナターリアを聖母だなんだと持ち上げて。
その結果、こうして住居を失いかけた際の保険に入っていなかったという訳だ。
どうする。
働くか。
ヴィッセンの街には酒場が沢山あると聞いた。
そこでバイトしよう。
なに、居酒屋アルバイトみたいなものだろう。
不安と期待でいっぱいだが、何とかなるさ。
まだ仕事をした経験は無いが、もし日本へ帰るのが二十歳以降になってしまっても、この世界で職場体験を済ませておけば社会復帰も早かろう。
ところで履歴書は必要なのだろうか。
というか、履歴書って何を書けばいいんだ。
なるべく冷静に、そしてポジティブに考えながらも不安が尽きない陽翔。
そんな彼を前に、ナターリアが口を開く。
「私が代わりにお金を出して宿を借りましょうか。大して使わない給料が有り余っていますので」
アンタって人は!
どうしてそんなに聖母ムーブが出来るの!
いかん、落ち着け。
「ありがたいですが、既に沢山のことをしていただけた手前、さすがに申し訳なさが勝っちゃいますね……」
「ですがハルトさん。あなたも魔法を学び始めたと聞きました。けれどもしご自身で働くとなったら、そんな時間は取れなくなってしまいますよ」
働いて宿代を稼ぐ。
それも、二人分。
ルナのことなぞ、知らぬと突き放してしまうのは簡単だが、当然そんな冷酷な事は出来ない。
それにルナが働ける保証も、イメージも無い。
であれば、自分がルナの分まで稼ぐのが当然と考える。
しかしそんなことをし始めたら、いよいよ魔法の特訓は出来なくなる。
ましてや今の自分は、魔法を使おうとするだけで倒れるミジンコ級魔法使い。
八方塞がり。
やはり聖母に甘えるしかないのか。
ルナはそういったことを気にしなさそうだが。
何なら彼女、家が無くなったとしても、その辺で野宿でもし始めるのではないだろうか。
天然だが、あれでいて案外たくましい一面もあるからな。
「じゃなくて……。お気持ちは嬉しいのですが、これ以上の恩はどう返せばいいのやら……」
「そんなのお気になさらずとも良いのですが……。そうですね、ではこうしましょう」
相変わらず見返りを求めない聖母ムーブに、そろそろ平伏した方がいいのではと考え始めた陽翔を他所に、何やら手紙を書き始めるナターリア。
少しして、手紙を書き終え高そうな封筒にまとめたナターリアは、それを陽翔に渡した。
「これを、ある人物に渡してください。彼なら助けになってくれることでしょう」
───
「本当にここにいるのか……?」
ナターリアから手紙を受け取り、ルナと一緒に向かった先。
大学南方にある北方都市ヴィッセンの酒場だった。
石造りの街並みに溶け込むように、これまた冷たい石で建てられた立派な店。
木で作られた扉を前に、躊躇するように陽翔は伸ばしかけた手を止める。
彼ならどうせ、その店に居ることでしょう。
「って聖母様は仰ってたけど……。大丈夫か?」
気になる。
特に、"どうせ"の部分。
何をどう協力してくれるのか、全く見当が付かないが、勇気を振り絞って聖母様のお導きのもと扉を開く。
するとそこには。
「オイ、アイアス! 俺の店で寝んなって何度言ったら分かんだ!」
「アァ……? うるせぇなぁ、いいじゃねぇかよ何処で寝たって」
茶色い髪と、年季の入った髭をぶら下げたドワーフ。
その人に怒鳴られながらも、カウンターに突っ伏して眠りこける男。
「おぅ……我が聖母様の加護があらんことを……」
とてつもなく嫌な予感がした。
一縷の望みをかけて、この酒場のマスターであろうドワーフの元へ行く。
「あの、すみません。ヴィッセンベルク魔法大学から来た陽翔と申します。こちらの手紙を……えっと、あなたに渡してくれ、と副学長さんが」
「おお、なんだボウズ。大学の生徒か、俺はこの酒場の店主だ。どれどれ……、ってこれ宛先俺じゃねえぞ。オイ、アイアス。お前さん宛ての手紙だ」
外れた。
何もかも。
「チッ……手紙だァ? ……寄越せ」
ナターリアから聞いていた人物像。
そこにドワーフなんて言葉は無かった。
人族で、金髪で、濁った青い眼をした四十代の男。
個人的な願望から見ないふりをしていたが、店主自ら宛先が違うと希望を打ち砕かれた。
であるなら、どう見ても酒に人生を捧げたような飲んだくれのオッサン。
彼こそが、例の協力してくれる人物なのだろう。
だが、少々認めるのに時間がかかる。
ナターリアの事はもちろん信用している。
けれど彼女が信用している人物を、こちらが信用出来るかは別の話だ。
アイアスと呼ばれた男は、睨むように手紙を読み進め、終わったと同時に今度はこちらを睨む。
「……テメェら」
「は、はい!」
獰猛な獣の様な眼に睨まれて、勝手に背筋が張ってしまった。
幾度もの死線をくぐり抜けた猛者。
そんな恐ろしさを感じた。
「名前は」
「は、陽翔と申します! それと、こちらはルナです」
「……」
無言で男を見つめるルナ。
「おい、ルナ。なにか言えって……ん?」
流石に失礼だろうと、口を開かせようとするが。
いや待て、前にも似たようなことがなかったか。
そんなデジャブを感じた時には、もう遅かった。
「おじさん、ヒドイ顔」
「何言ってんのォ!?」
いやマジで何言ってんの!?
ケンカを吹っかけてる、なんてもんじゃない!
これは、もはやゴングを鳴らしている!
「アァ……?」
どこからともなく聴こえてきた鐘の音に、焦りと緊張が最高潮に達して固まった陽翔を他所に。
飲んだくれの男性は、視線だけで人を殺せるのではとすら錯覚するほどの眼差しを、ルナに向けた。
出会って早々、遠回しにブスと言われたようなものだ。
彼が怒るのは必然だろう。
「いやホントすみません! この子ちょっと、いや超がつく天然でして! アハ、アハハハ! ほらルナちゃん、早くごめんなさいしなさい!」
「なんで? 私間違ったこと言ってないよ。このおじさんヒドイ顔してるもん」
「アンタって子は何を言ってらっしゃいますのオホホホ!」
マズイ。
非常にマズイ。
止めたいのに止められない。
むしろ酷くなっていく。
テンパりにテンパる陽翔を他所に、この光景を見ていたドワーフの店主が豪快に笑い出した。
「ガァッハッハッハッ! 嬢ちゃん面白い娘だなあ! そうだろ、ひでえツラしてるだろ、コイツ!」
爆笑。
そんな言葉が綺麗にハマるほどドワーフの店主は、それはもう激しく爆笑した。
機嫌を良くしたのか、サービスだと言って陽翔とルナの二人にジュースを用意してくれた。
「チッ、どいつもこいつも、うるせぇな。マスター、もう一杯寄越せ」
店主の豪快な笑い声に、怒る気が失せたのか、男は酒を飲み直すつもりのようだ。
嵐は去ったのか。
突然訳は分かるが怒り出して、突然訳も分からず鎮まった男性に、ひとまず胸をなでおろす。
「どれどれ、手紙にはなんて書いてあったんだ、見してみろ」
酒を提供しながらそういうと、曲がりなりにも他人宛の手紙を掻っ攫い読み進める店主。
「……ふむ、なるほどな。オイ、ボウズ。お前さんはこの手紙の内容を知ってんのか?」
読み終えた店主がヒラヒラと手紙を振りながら、縮こまっていた陽翔に質問を投げかける。
「いえ……、僕は副学長さんから、手紙を渡せとしか……」
「ったく、あの女狐め。ちったあ丸くなったと思ったがそうはいかんらしい」
陽翔の返事を聞き、訝しむように目を細めて手紙を眺めるドワーフの店主。
そんな彼の言葉に、違和感を覚えた。
女狐?
聖母様が?
このドワーフ、何を言っているんだ。
危うく冷静さを欠いてしまいそうになったところで、推定アイアスが口を開く。
「あの女がガキ以外に優しいとこなんざ、見た事ねぇだろ。冥王もそれにビビって帰ってこねぇんだろうよ」
「ガッハッハッ! 違いねえ! してアイアス、お前さんこの頼み、聞き入れるのか?」
大人の会話に入れない。
この感覚、あれだ。
父と外出してる際に、偶然父の知り合いと出会って、そこが話し込んでた時に感じた疎外感だ。
けれど会話に入れないのと、会話を聞けないのは別。
二人の話から、自分が知らない情報をまとめあげる。
ナターリアが女狐。
子供以外には厳しい。
冥王はそれを恐れて帰ってこない。
そして手紙の内容。
まとめたところでさっぱりな、陽翔たちが知りえない話題で盛り上がる二人。
ルナはというと、貰ったジュースを小動物のようにちびちび飲んでいた。
マイペースだねぇ。
思わずしみじみしてしまう。
「当然受けるつもりなんざねぇ、と言いてぇところだが、あの女には借りがある。こっちが断れねぇのをいい事に、こんなこと頼んでんだよ、アイツは」
「ふむ、そうか。このボウズらにも事情があんだろう、仲良くしてやれよ」
「チッ、どぉだか」
はい?
何やらこちらの知らないところで話が進んだらしい。
仲良く?
このオッサンと、俺たちが?
疑問が尽きないまま、酒を一気に飲み干した男は告げる。
「テメェら、黙って着いてこい」
人攫いではなくて?
───
「ここだ」
男に連れられて歩くこと数分。
辿り着いたのは一軒家だった。
黙って着いてこい、と言われた手前なにか喋りでもしたら、返事として拳が飛んでくるのではと恐れて結局一言も会話は無く到着した。
けれど到着したということは、その縛りは無くなったも同然だろう。
顔色を伺いながら、恐る恐る確認を取る。
「えっと、この家は?」
「オレの家だ」
オレの家。
そう言われて、再度建物へ視線を向ける。
街の少し外れにポツンと建つ、立派な木造の一軒家。
屋根には雪が積もり、同じく雪が積もった広い庭まで敷地にある。
一人暮らしするには大きすぎるくらいだ。
けれどこの飲んだくれのオッサンは、ここが自身の家だと言う。
「それと手紙の内容、なんの関係があるんです?」
「アァ? テメェら、本当にあの女からなんも聞いてねぇのか?」
頷く。
あまり刺激をしないよう気をつけたいが、一体何が彼の逆鱗に触れるか分からない。
「チッ、あの女いわく、ここが今日からテメェらの家だとよ」
「え? ですがここは、あなたの家では?」
「当たり前だ」
「その、だけど、僕たちの家と?」
「だからそう言ってんだろ」
理解が追いつかない。
ここは彼の家で、今日から俺とルナの家で、だけど変わらず彼の家で。
それは、つまり。
「い、一緒に住む……ということですか……?」
「チッ」
舌打ちひとつの返事。
それが答えだった。
───
どうやら本当に一緒に住むことになった同居人の名は、アイアス・クラーゼルというらしい。
手紙を見せてくれと頼んだが、断られる代わりに名前だけは教えてくれた。
第一印象は最悪だった彼とは違い、今日から陽翔とルナの住まいとなる家は立派な一軒家だった。
外見は。
中に入った途端、鼻を突き刺すような悪臭。
一体いつのかも分からない空の酒瓶やゴミで溢れかえっていた。
完全なる汚部屋に住む飲んだくれ。
それが彼、アイアスに対する第二印象となった。
そこからの行動は早かった。
まず大前提、陽翔に拒否する選択肢はなかった。
自分のことだけならまだしも、ルナの住居も確保しなければならない。
そしてどういう理屈か、ここに住むなら働かなくとも良いらしい。
家賃とか取られないのか、とも思ったが必要ないとの事。
総合的に見ればタダで雨風を凌げる一軒家に住まわせてもらえる。
それも、ルナも一緒に。
であるなら断ろうにも断れない。
何しろ、断れば自分は日本へ帰るという目標から遠ざかるのだから。
結果的に甘える先がナターリアからアイアスになったわけだが、蜜は吸えるうちに吸っておこう。
自分でも酷いとは思うが、聖母様と比較したら飲んだくれ相手の方が罪悪感は薄い。
そうして正式に住むことになった二人。
しかし汚部屋だけは受け入れ難い。
そこで陽翔はまず掃除から始めることにした。
「ゲホッゴホッ、とんでもない埃だなぁ……。ルナ、そこの雑巾を取ってくれ」
「ハルトぉ……、ここきたないぃ……」
「だから綺麗にするために掃除してるんでしょ……、ゴホッゴホッ、……あぁ本当に嫌になっちゃう……」
涙目になりながらも手伝ってくれてるルナと、埃による状態異常ダメージを受け続ける陽翔。
掃除を始めてから既に二時間といったところか。
それでもまだ全体の半分も終わってない。
それもそうだ、少年少女二人だけで一軒家を掃除してるのだから。
本来であれば一人の大人の力もあったはず。
どうしてか。
「……まだ飲んでるよ」
横目で木製の椅子に座り、テーブルに足を乗せた男を見る。
アイアスは室内に入るなり、新しい酒瓶を開けて飲み始めていた。
他に何かをする訳でもなく。
ただ、ずっと、酒を飲んでいた。
アル中にも程があるだろ。
というか、そんなに飲んでよく無事でいられるな。
一周まわって感心してしまう陽翔。
酒のことはよく分からない。
何しろ日本では当然、未成年飲酒になってしまうから、陽翔に酒の知識は皆無だった。
だがそんな子供でも、酒の飲みすぎは体に毒だなんていう話は知ってる。
なのに、彼は止まらずに酒を飲み続ける。
もはや狂気的な何かすら感じるほどに。
「まぁいいけどさ……。ってなんだコレ」
棚の中を掃除していると、ひとつの薄い板を見つけた。
「いや、写真立てか? っておいおい、汚れで何も見えないじゃないか」
この世界にも写真なんてあるのか。
そう思いながら、それを手に取る陽翔。
ビッシリとこびり付いた埃と汚れを落として何が入れられてるのか確認しようとする。
だが。
「触んじゃねぇ!!」
「ひっ!?」
背後から怒号が聞こえ、思わず写真立てを落としてしまう。
恐る恐る振り返ると、そこには鬼の形相をしたアイアスが立っていた。
「……! ……触んじゃねぇって言ってんだ、寄越せ」
完全に萎縮してしまった陽翔を見てか、少し目を見開くアイアス。
語気こそ弱まったものの、それでも圧を感じる彼に、陽翔は落としてしまった写真立てを、直ぐに拾い手渡した。
「その、す、すみません……。大事なものとは知らず……」
「……。そりゃそうだろ。テメェらは今日初めてオレに会って、初めてここに来たんだからな」
それでも、人様の写真を勝手に見ようとしたのは行儀が悪かったと反省する陽翔。
しかしアイアスも、先程とは打って変わってバツが悪そうな顔をする。
「……クソが。悪かったな、デケェ声出して。だがテメェもそんなんで、いちいちビビってんじゃねぇ。男だろ」
大人げなかった、と謝罪するアイアス。
それにしても男なら簡単にビビるな、と説教のようなことも言う。
「いえ、その……僕も行儀が悪かったです。すみません」
「ハァ……。白いの、テメェも分かったろ。仲直りだ」
大きなため息をついたアイアスは、続けざまに両手を上げながら告げた。
白いの。
そう言われて思い浮かぶのはルナの事だが。
そういえば隣にいたはずのルナが居なくなってる。
どこに行ったのかと辺りを見渡すと、彼女はアイアスの背後から出てきた。
それもナイフを持って。
「ちょっ!? ルナ、何持ってんだよ、そんな物騒なモン……!」
「ごしんよーの武器。何かあってからじゃ、おそい」
護身用の武器。
それを恐らくアイアスに背後から向けていた。
もしかして彼女は、自分を守ろうとしてくれたのだろうか。
それは、なんとも、むず痒い気分になってしまう。
だがそれと同時に疑問も湧いた。
何故そんなに判断が速いのか。
動きが速いのは分かる。
ルナは神級魔法使いで、瞬間移動の使い手。
こと動きの速さで言えば、世界に並ぶものはいないだろう。
けれどそれはあくまで動きであって、判断ではない。
瞬間移動の魔法があろうと脳の働きまで速くなるわけではないだろう。
慣れている。
そんな考えが浮かんだ。
だが何故慣れている。
新しい疑問も湧く。
「ハッ。ガキ相手を殺そうとするような、クソみてぇな大人にでも見えんのか?」
「うん、見える」
「あー……、そうかよ。だが白いの、テメェなかなかいい腕してんな、名前なんつった?」
「ルナだよ、おじさん」
「オレはおじさんじゃねぇ、アイアスだ」
「わかった、おじさん」
なにやら和気あいあいとした雰囲気を感じる。
先程まで額に血管を浮かばせてた男と、その男に刃物を向けていた少女の会話とは到底思えない。
初めて見るルナの意外な一面と、初めて向けられた人からの殺気に腰が抜けてしまった。
それと同時に気付く。
どうやらこの世界は。
自分が思う以上に殺伐としているのかもしれない。
──
陽翔たちが新しい住居の掃除をしている頃。
ヴィッセンベルク魔法大学の学長室では、ふたつの人影があった。
片や灰白の髪を揺らし、怪しく光る緑の眼差しをしている老齢の女性。
片や黒い髪と眼鏡越しに、茶色い瞳を震わせている挙動不審な男性。
女性の名はナターリア。
魔法大学の副学長兼学長代理。
そして男性は、陽翔とルナが雪山で遭難していた時に出会った、教授とは別の一人だった。
「……それで、何故このような回りくどいことをしたのか、お聞きしてもよろしいですか?」
老齢の女性が口を開く。
それと同時に、部屋の温度も下がる。
「ぐっ……、その、ですが副学長、彼らは魔法の魔の字も知らない田舎者です!」
まるで蛇に睨まれた蛙のように、震えながらも言葉を紡ぐ男性。
彼はそのまま続ける。
「神級魔法が扱えても、それ以外の魔法は全く扱おうとしない女と、穀潰しのように毎日ただ本を読むだけの男は、ここに居るべきではありません! 彼らはこの大学の格を下げます!」
「だから、わざわざ私にまで嘘をついて彼らの住居を取り上げようと?」
住居を取り上げるための嘘。
今朝方陽翔がナターリアから告げられた、部屋の主が明日戻ってくるから、部屋を明け渡して欲しい。
それはつまり、この男性が陽翔たちを追い出すための方便だったと。
ナターリアが何を考えているかは分からない。
騙された事に憤怒しているのか。
見抜けずに陽翔たちを追い出す形になってしまったのを悔やんでいるのか。
「……私はあなたの事を信頼していたのですが。このようなくだらない嘘で、右も左も分からない子供たちを外に放り出そうなど、恥を知りなさい」
「しかし……、副学長……!」
「幸い、私と仲のいい方が彼らを住まわせてくれることになりましたので、今後も彼らはこの大学の生徒として過ごせることでしょう」
そういうと女性はカップに入った紅茶を一口飲む。
まるで男性の企みは無駄に終わった、と口に出さず告げているようだった。
「詰めが甘いですね。そのようですと、本日からひと月ほどは自室で過ごしてもらうとしましょうか」
「なっ……、それはなりません! あと一歩で北の遺跡から、世紀の発見ができそうだと言うのに……!」
懇願する男性だが、裏では女狐と呼ばれている相手には響いていないようだった。
「決定事項です。二度は言いません。これ以上、あなたが敬愛するロード教授の顔に泥を塗らないことです」
冷たく言い放つ女性。
それを受けて顔が白くなっていく男性。
「あなたは……! ここが魔法大学だというのをお忘れですか……!?」
「魔法大学だろうと、魔術都市だろうと、子供は庇護するべき対象です。まだご理解頂けていないようですので、ひと月とは言わずもっと長い期間でもよろしいのですよ」
そうまで言われて、男は遂に引き下がることを選択した。
苦虫を噛み潰したような表情で、ズレた眼鏡を直しながら学長室を後にする男性。
階段をゆっくりと降りながら、恨み言を呟いた。
「ここは魔法大学だぞ……、託児所じゃないんだ……、魔法をろくに学ぼうとしない奴らがいていい場所じゃない……!」
そう呟いたあと、何かに気づいたような動きを見せた男性。
階段を降り切る頃には、歯ぎしりは止まり、代わりにその顔には笑みが浮かんでいた。




