第25話
管理者の名を聞いた瞬間、九のことが脳裏に浮かんだ。漆黒の壁を操る、あの得体の知れない男が転移者を監視しているのか。考えただけでぞっとする。
「ああ、違う違う。あの迷惑な男じゃないよ。あれも管理者だけど、他に協力してくれそうな存在を知ってるの。まあ、そっちもまともではないかもしれないけど、九よりは全然まし」
九に遭遇して以来、俺の姉の沙綾さんの行動が明らかに変わった。外出が増え、家に帰ってくる時間も不規則になった。何をしているのか気になるが、忙しそうにしている姉に尋ねるタイミングを掴めずにいる。
市島先輩は箸荷さんから行方不明の刺殺師の詳細を聞き出しながら、せっせとスマホに情報を入力している。さっきまで殴る側と、殴られる側だったとは思えない穏やかさだ。
「これでよし。管理者にDM送っといたからね」
「なあ、さっきから話してるオペレーターってのは誰だ?」
箸荷さんの疑問は当然だ。いきなり管理者という単語を聞かされても、初めての人間には何のことかわからないだろう。俺たちが彼女の言う捕殺師という存在に戸惑ったのと同様。まあ、正直なところ捕殺師については今も半信半疑だが。
「世界を管理している者たちのことだよ。特殊な能力を持っていて、観測して介入する」
「それは敵なのか? 味方なのか?」
殺るか殺られるかの世界で生きてきた箸荷さんの関心事は、実にシンプルだった。
「管理者個人個人が何を考えているかはわからないけれど、少なくとも敵ではないと思うよ。世界の崩壊を防ぐのが目的なんだし」
「アタシがいた前の世界にも、世界を統べようとする組織があった。彼らは基本的には味方だったが、時として強大な敵に回ることもあった」
「管理者はそこまでの力は持っていないと思う。世界を統べるなんてとてもとても。せいぜい学校……」
学校? この匣庭高校のことか?
そう言えば、市島先輩は学校側から依頼を受けて、転移者のケアに当たっていたはずだ。オルタナティ部も、その流れで公式に設立された。顧問の曽我井先生だって転移者だ。だとすれば、学校と管理者とは何らかの関係があるということか。
「まあ、そのうちわかることだから言っちゃうけど、この学校の校長は管理者——つまり、わたしたちは学校の監視下で活動しているんだよね。学校外部とネットワークを作りたがっているのは本当で、既に何人かの管理者とは協力関係にあるみたい」
「そういや、部長のお姉さんも管理者でしたよね。そのネットワークに入ってるんですか?」
関係ないかもしれないが、前から聞いてみたかったことを聞く。市島先輩の姉、管理者・Zが今どうしているかを先輩の口から聞いたことがなかったからだ。
「うん。姉は今、別の場所にいるの。わたしも簡単に連絡取ったりできないから、何をしているのかはわからない。それでも、校長とは繋がってるって聞いた」
この学校の管理者——校長は入学式の時から強烈な印象を残した若い女性だ。最年少で校長に就任したという肩書きを持つが、正確な年齢は謎に包まれている。凜とした佇まいの中に、どこか人智を超えた存在感を漂わせていたが、今となっては説明がついた気がする。
部室の扉が開き、白衣姿の曽我井先生が姿を現した。プリントアウトされたばかりと思われる、数枚の紙を手にしている。
「箸荷、渚沙さんが見つかった。今は、みのり園にいる」
曽我井先生は間違いなく校長の指示で伝えに来たのだろう。管理者である校長が転移者の捜索に動くと、これだけ早くに結果が出るのか。
「みのり園? 先生、どこにある?」
「場所は教えられるが会いには行けないぞ。みのり園へ行く道が封鎖されている。一般人には通行できない」
「何度も死の淵から生還してきたアタシが、そんな障害に怯むとでも?……いや、そういう意味か……」
「察しがいいな。管理者以外は物理的に通行できない、という意味だ」
苦々しい表情を浮かべる箸荷さんに、曽我井先生は急に砕けた口調で話し始めた。
「もう少し待ってれば、たぶん会いに行けると思うで。どうも別の管理者が道をめちゃくちゃにしてしもうたらしいねん」
九だ——と思った。おそらくオルタナティ部の全員がそう思った。
「通行できるようになったら、私も様子見てきてほしいって言われてるからね。視察せんとあかんねん」
曽我井先生の「視察」という言葉に、箸荷さんがピクリと反応した。視て察する方だよ、刺して殺す方じゃねえよ。
——とにかく。箸荷さんは、みのり園への道が修復されるまでの間、待つことになった。
成り行きで箸荷さんのオルタナティ部への入部が決まり、市島部長は上機嫌になっている。
浮かれすぎた部長がまた箸荷さんに抱きつこうとし、鋭いローキックを受け、膝から崩れ落ちた。
八木先輩はそれを見て、またけらけらと笑っている。
日吉先輩はスマホをいじっている。
ひとはおろおろしている。
るるはもう帰りたそうにしている。
俺はそんなみんなを見て——急に意識が途切れそうになった——世界のスイッチがあるのだとしたら、オフになって、またすぐにオンに戻ったような——足下の床が虚無に変わり、真っ暗な空間へと落下する感覚に襲われた——そんな奇妙な体験をした。一瞬、ほんの一瞬——
(了)




