第二十一話
俺は楠先生にきっちり文句を書き残した後、学校に登校したのだが、教室に入ったときのあのアウェー感は、少し和らいだとはいえ、まだまだ色濃く残っていた。
俺はそれをできるだけ気にしないようにしつつ、自分の席に着く。
「お、おはよう、ございます。斎藤君」
俺が席に着くと、隣にはもう片桐が座っていた。
「おはよっすー、片桐」
俺も片桐に挨拶を返す。
ああ、片桐は俺の学校生活の清涼剤だなぁ。
「今日は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、問題ない」
俺は、片桐が何を大丈夫かと言っているのかわからずに、とりあえず勢いで答える。
「なぜでしょう。その言葉からすごく不安な雰囲気を感じます」
片桐は苦笑を浮かべて首を傾げる。
「大丈夫だってー。で、何が大丈夫だって?」
俺が真顔で聞くと、片桐は一瞬ぽかんとしてから、何かを諦めたように溜息を吐いて、俺のことをジト目で睨みながら言う。
「昨日は教科書全部忘れていましたけど、今日は大丈夫ですかって意味です」
そう言われて俺は初めて片桐の発言の意味を悟る。
「あー、なるほど。そういうことな。ふっ、大丈夫だ、問題ない」
俺は全力でドヤ顔を浮かべながら言う。
それを見て片桐は、ジト目を続行したまま、訝し気に俺に問う。
「私の不安は、晴れないのですが?では、証拠がてらに、一時限目の教科書を見せていただいても?」
「ふっ、いいぜ、見せてやるぜ、俺の教科書を」
俺は自分の鞄を手に取り、中から教科書を探す。一時限目の教科は数学だ。
片桐よ、残念だが、俺はちゃんと昨日のうちに今日の準備を済ませているのだよ。いつまでも教科書を忘れる俺で、は、ない。はずだった。
俺は探すのをやめて片桐の目をまっすぐに見つめて囁く。
「......大丈夫だ、問題ない」
「なかったんですね」
「なぁ、片桐」
「なんでしょう」
「なんで今日は、明日じゃないんだろうな」
「準備する曜日を間違えたんですね」
この会話の間、俺たちは視線を外さずに話していた。
俺がまっすぐに見つめる片桐の目は呆れで凍り付くほどに冷たくなっていた。
「...ごめんなさい、見せてください」
「しょうがない人ですね」
片桐は溜息をひとつ吐いて、苦笑を浮かべながら自分の教科書を出し、机を俺の机とつける。
「忝いでござる」
「明日はちゃんと持ってきてくださいね」
片桐のからかうような視線を真っ向から受けて、俺はきりっと表情を引き締めて言う。
「大丈夫だ、問題ない」
「すごく、不安です」
俺の登校二日目は、教科書忘れからスタートしたのだった。
*********
「こんちわー。今日も来ましたよ、楠先生ー」
俺は今日も放課後に、研究所に来ていた。
「いらっしゃい、祐司君。先生は機体のところにいるからね」
下に降りると、高嶋さんが、資料の挟まったファイルを持って、入れ替わりに上に上がっていく。
「はーい、っと」
俺は正座の姿勢で鎮座する機体の前で、喜々としてキーボードをたたく楠先生の後ろに立つ。
「君、俺の背後に立つと危ないよ」
「あなたはどこの殺し屋ですか」
そんな掛け合いをしながらも、楠先生はキーボードを叩く手を止めて、振り返る。
「さて、今日も張り切っていこうか」
ニヤリとしながら楠先生は言う。
「それよりも、今日の朝は俺、大変だったんですけど?」
「そのことに関しては、君の方から何とか言いくるめといて。あ、これ、上司としての命令だから」
楠先生は興味なさげにさらっと言う。
いや、上司の命令って、横暴すぎないか。うそっ、俺の職場、ブラックすぎ...?
「さすがに何とかするのは難しいと思います。涼子さん超おこでしたよ。かなり怖かったんですよ?」
「知ってるよ。少なくとも君よりかは付き合い長いからね」
楠先生はそう言って、またキーボードを叩き始める。
「だから君には、早急に閣下の怒りを鎮めてほしいんだよ」
何のことはない。ただの保身だった。
「無理ですよ。おとなしく怒られてください」
俺がそういうと、楠先生の肩がかくんと落ちる。
「その件に関しては、もういいや。シミュレーターの準備をしてくれるかい?今日もあのスーツを着てもらうから」
「はーい」
俺は返事をしながら着替えに行く。
研究室の奥にある更衣室に入り、自分のロッカーを開けると、そこには全身タイツのようなアシストスーツと、一通の封筒が入っていた。
「なんだこれ、新手のラブレターにしては、ずいぶんと飾り気がないな」
俺は、心中では思ってもいないことを考えながら、封筒を開ける。
その中には、一枚のA4用紙が折りたたまれて入っていた。
「カミソリとか入ってねえよな」
俺は封筒をひっくり返してみたり、光にかざしたりしてほかに中身がないことを確認する。
「ないか。さて、どれどれ」
俺は封筒を確認することに満足すると、次はA4用紙のの方を広げてみる。
そこには、おそらくパソコンなどを用いたであろう機械の筆跡で、短い文章が書かれていた。
「【君の機体はいまだ狙われている。気を付けろ】か」
そこに書かれているのはそれだけだった。あるいは炙り出したりしたら何か出てくるかもしれないが、そこまでする必要性も感じられないので、たぶんないだろう。
「いや、それよりも、これ、どうやってここに入れたんだ?」
昨日帰る時点ではなかった。ここに入るためには、研究室を通ってくる必要がある。だが、今日の朝にここに来た時に、楠先生が研究室で寝袋に入って寝ていたことから、昨日の夜から朝の犯行は不可能。俺の中にある犯人最有力候補の東雲は、授業の全部に出席していたし、昼の休みには俺に絡んできたし、違うのか。いや、よく考えてみれば、楠先生は俺が入ってきて、声をかけたのに起きなかった。だから忍び込めれば、あるいは可能か?
考え出すとなんだか怖くなった来て、知らず知らずのうちに体をぶるりと震わせる。
セキュリティェ。ちゃんと仕事しろよ。
俺はできるだけ深く考えないようにして、着替えてシミュレーションに向かった。
その後、次の犯行はなく、同じような日々を繰り返して、気づけば二週間が過ぎていった。




