第十九話
俺は寮に帰る道すがら、話があるという北島から事情を聴いていた。
「まず、君は自分の立場をきちんと理解している必要がある」
北島はそう言って話し出した。
「君にはいまだスパイ容疑がかかっている。これは現状ではどうしようもないことだが、それによって君には監視が複数ついている」
歩調を緩めず、ただ淡々と話す内容は、思っていたよりも重かったが、知らない内容ではなかった。
「ああ、知ってるよ、それくらい」
俺はこっちに来るとき、楠先生からある程度の監視は着くだろうと言われて知っていた。本人に言っていいのかはともかくとして。
「そうか、まあ、私もそうなのだが」
「それは知らなかった!」
ああ、そうか。よくよく考えてみるとこいつも軍人だったな。
「ってことは、学校に来てする任務って」
俺はその情報から推察する。たぶんそういうことだろう。
「そうだ。私は君を監視する任務を軍から拝命している」
ほとんど一日中、間近で監視ですか。効率よさそうですね。
「だが、これは私だけが受けた任務ではない」
北島は一度立ち止まる。
俺は北島が立ち止まるとは思わず、ワンテンポ遅れて立ち止まったので、少し北島の方を向くために振り返る。
「ほかにも数人の監視役が学校内に存在している。これは軍からの公式な命令だけでもだ。個人的な任務も含めればもっといるだろう」
「なんだよ、それ。それじゃあ、俺は......」
俺は不安に駆られる。学校内で多くのはっきりとしない。しかし、確実に俺のことをじっと監視する視線を想像して背筋が凍える感覚を覚える。
「それじゃあ、俺は、ほかの女子とイチャイチャできないじゃないかっ!」
ああ、これは、死活問題だ。
「まったく、有名人は辛いな...」
俺はアンニュイな表情を浮かべて、そう言う。
そんな俺に北島は、頭が痛いと言わんばかりに片手で目を覆う。
「君は何も理解していないようだな」
北島はまた歩き出し、そのまままた話し出す。
「いいか、これは君の行動、一挙手一投足が監視され、上に報告される。つまりは君が何の気なしにした行動が、監視役によって疑わしい行動とされて報告される可能性が、普通よりも格段に大きいということだ。分かっているのか?」
北島の声音には、はっきりとしたいら立ちが感じられた。
「そりゃそうだけど、実際に疑わしいとしても、証拠やらがそろわないことには、俺のことをスパイとして引っ張ってくることはできないんだろ?」
なら安心じゃないか、俺は何もしていないんだからと、俺は北島に言うが、北島は眉間にしわを寄せて否定する。
「いや、それは違う。確かに先月の件で君は、証拠不十分で何の処罰もされなかった」
ある意味ここに強引に連れてこさせられたのが、罰と言っても過言ではない気がするが、ここは黙って北島の話を聞く。
「だが、それは君のことを調べた人間が何もしなかったからだ」
俺は北島の言葉を聞いて嫌な予感がして、現実逃避気味に問う。
「え?いや、ちゃんと俺の背後関係とかいろいろしていらっしゃいましたよ?勤勉にお仕事されていましたよね?何もしてないことないですよね?」
北島は俺の予想していることに気づいたのか、俺の目を見て残念そうに首を振る。
「君も気づいているだろうが、私が言いたいのはそういうことじゃない。私の言っているのは、尋問官も調査官も何も証拠偽装などを行わなかったと言っているんだ」
俺は今度こそ、本当に背筋が凍る。
「つまり、なにか?場合によっちゃぁ、証拠も動機も偽装する用意はあると?」
俺は顔を引きつらせながらも北島に言う。
北島は俺の言葉に少し顔をうつむけて、申し訳なさそうに話す。
「軍内部には、こういった案件に対して過敏な反応を示す派閥も存在する。その派閥内部では『疑わしきは罰せよ』という風潮もある。残念なことだがな」
怖っ!やばい、やばい。ちょーやばい。一刻も早く退役したい。
「だから、君には行動を律してほしい」
北島はうつむけていた顔をあげ、俺の目をしっかりと見て言う。
俺はそんな真剣な北島の眼差しをみてふと疑問に思ったことを聞く。
「それは、あんまり監視対象の俺には言うべきじゃねぇだろ?なんでわざわざ言う?そこにはお前にメリットなんかねぇだろ」
北島は俺の言葉を聞いてから、噛みしめるように黙り込み、そして口を開く。
「そうだろうな、君がもしスパイ容疑で捕まり、テストパイロットの座が開けば、私はまた返り咲ける」
北島の表情には苦悩の色が見える。
クラスのやつらが言っていた、北島は努力してこのテストパイロットという栄誉を得た。
なのに、俺という存在が出てきたせいで、その座から引きずり降ろされてしまった。それは俺が思っている以上に、彼女にとって屈辱だったのだろう。
「だが、そんな風に他人を蹴落としてまで、私はその座に就きたいと思わない。私は私の実力と価値でその座を得たい」
北島は俺をじっと見つめ返しそう言う。その表情は硬い決意と揺るがない思いを感じさせた。
「それに君は、一応軍属になったとはいえ、その本質は一般人と変わらない。一般人を守るのは軍人の務めだからな」
北島はそう言って柔らかに微笑んだ。
俺はそんな格好いいセリフを整った顔で、しかも微笑み付きで言われ、不覚にもちょっとドキッとしてしまった。
「ははっ、さすが北島さん。格好いいなぁ」
俺が北島の微笑みに見惚れていると、俺たちが行こうとしていた方向から急に声をかけられる。
咄嗟のことに俺と北島は身構える。
「そんなに警戒しないでおくれよ。ちょっと気づいちゃうじゃないか」
街灯と街灯の間の暗闇から光の下に現れたのは、見覚えのあるイケメン野郎だった。
「こんばんわ、斎藤君に北島さん。デート?」
ふわりと微笑みを浮かべながらイケメン野郎、東雲は言った。
「ちげぇよ。ってか、お前こそこんな夜に何してんだよ」
俺は相手が東雲だとわかると警戒を解く。
「いやね、ちょっとアイスが無性に食べたくなってね。コンビニまで買いに行くところさ」
東雲はむかつくイケメンスマイルでそう言った。
「ああそうかい。ってか、この近くにコンビニあったんだな」
「うん、結構近いよ?一緒に行く?」
東雲は俺にそう聞いてくるが、今はまだ北島の話が終わってないし、それにイケメンと横並びになると顔面偏差値の差を思い知らされて敗北感が半端じゃなさそうなので遠慮させてもらう。
「いや、やめとく」
俺が断ると東雲は眉を片方だけわずかに上げ、俺の横の北島を見てから納得したようにうなずく。
「ごめん、よく考えたらデートの途中だったね。これは馬に蹴られてしまいそうだ、あっはっは」
東雲は胡散臭い笑い方をして俺たちの横を通り過ぎる。
「だから、ちげぇって言ってるだろうが」
俺は通り過ぎた東雲の背中に文句を言う。
隣にいた北島を見ると、なぜかいまだに警戒していた。
「なに警戒してるんだ?もしかしてお前も東雲のこと嫌いなのか?仲間なのか?」
俺は少しおどけながら言う。実際東雲のことが嫌いなのなら、強力な協力者を得たことになるから、それはそれでいい。
だが、北島は真剣な顔で俺を見る。
「斎藤、私は監視しているのは複数いるといったな?」
俺は北島の問いに頷いて答える。
「ああ、軍からの公式な命令以外にも、監視している人間はいるって...おい、まさか」
俺は途中から北島の言わんとしていることに気づく。
「ああ、おそらくだが、あいつもその一人だろう」
「じゃあ、東雲は『疑わしきは罰せよ』ってやつなのか?」
俺はちょっとだけあいつに暴言を吐き散らしたことを後悔した。まぁ、ほんのちょっとだが。
「いや、それよりも厄介だ。あいつのいる派閥は、いわゆる、鷹派。積極的自衛手段を主張する主戦論派なんだ」
「主戦論派って、つまり戦争したい奴らってことかよ」
つまり東雲の観察理由は、戦争のタネになりそうな俺を観察してるのか。
「だけど、なんでそんなに戦争したがるんだよ」
俺が聞くと北島は苦虫を噛んだような表情を浮かべて逆に俺に聞き返す。
「君は東雲という苗字に聞き覚えはないか?」
俺は自分の記憶の中から情報を引き出してから、その情報の真偽を疑う。
「まさかとは思うけど、東雲ってあの東雲グループの関係者?」
東雲グループ。
それは日本国内において最大規模を誇るグループ企業。その手がける事業は幅広く、第一次産業から第三次産業に至るまでに至る。その中でも力を入れているのは、造船、航空事業である。
「そう、彼は今の東雲グループの会長の孫で、彼の父は軍の上層部の人間。鷹派の中核の人物だ」
「うへぇ。マジかよ。でも、なんでそんな企業が自分の息子や孫まで使って戦争を?」
俺の問いに北島は目を閉じて、何かを我慢するように言葉を発する。
「東雲グループは軍の兵器製造を多くを引き受けている。実際に配備されている兵器の半分以上は東雲グループ傘下の企業製だ」
何となく東雲グループの目的が見えてきた。これはまた腹黒いな。
「つまり戦争によって起きる特需狙い?」
無言でうなずく北島の言葉に俺は呆れを感じる。
これはやってられないな。
「面倒なことになったなぁ」
俺は深く溜息はこぼす。
「軍とて一枚岩ではない。すべての人間がそう言った動機で動いているわけではない。ちゃんと国民を守ろうとしている軍人も多い。むしろ、ほとんどがそうだ」
北島は取り繕うように早口でそう言う。
だが、俺の心は冷え切ったままだった。
「だけど、一部には私欲のために動く人間もいるんだろう?」
北島は俺の言葉にうっと詰まる。
「はぁ、本当に面倒くさい」
俺はまた大きなため息をついて歩き出す。
その後は俺たちの間には会話はなく、そのまま学校の女子寮に着く。
「じゃ、ここまでだな」
俺がそう言うと、北島は俺を男子寮まで送っていくと言うが、俺はそれを断る。
「いいよ、別に。女子に送られるとかそれはどうよ?それにいろいろと考え事もあるし、遠慮させてもらうよ」
北島はその時、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。
おそらく北島自身は普通に真面目なんだろう。軍の中ではまだ信じられそうだ。
「じゃ、また明日」
そう言って俺は振り返らずに帰路に着く。
徹頭徹尾、面倒な雰囲気を纏っていた俺の前途はさらに濃い霧が立ち込め、進む海路は暗礁領域に突入したようだ。
「本当に面倒くさい」
俺は一人愚痴をこぼす。
今はただただ、これ以上面倒ごとが増えないことを祈る俺だった。
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「あ、そういえば、斎藤君に言うの忘れてた」
研究室の中、データ解析がひと段落した楠がぽつりとこぼす。
「なんですか、祐司君に言い忘れてたことって」
一段落したところを見計らってお茶を給湯室から持ってきた高嶋が問う。
「いやね、この機体の操縦には、パイロット自身の運動能力や格闘技術が深くかかわってくるから、明日の朝から閣下に彼の訓練をお願いしてたんだよねー」
楠はぐたっと全身の力を抜いて椅子に座り、興味なさげに言う。
「先生が閣下と呼ばれる方というと、涼子さんですか」
高嶋はお茶を机の上に置き、お盆の抱えて持ちながら言う。
「そうそう、その人だよ。まぁ、武道関連は閣下に任せていたほうが万事上手くいくから。紗英ちゃんのお師匠様だし。ちょうど今は男子寮の寮母さんしてるからねー」
そう言って楠はお茶をごくごくと飲み始める。
「そういえば、先生はなんで涼子さんを閣下と呼ばれるんですか?」
高嶋は楠が飲み干したコップを受け取りながら聞く。
「ん?知らないのかい?閣下はね、女性で最年少で陸将になって、その後防衛省に上がって現場を知る官僚として辣腕を振るった才女なんだよ?」
楠がさらっと言った経歴に高嶋は固まる。
「本物の傑物ですね」
「そだねー。まぁ頭もいいけど、それ以上に閣下は、多くの武術の師範の資格を持つ武道の達人だからねぇ」
楠は何でもないように言うが、高嶋はその発言の数々に不安を感じていた。
「祐司君は大丈夫でしょうか」
高嶋にはとても斎藤の前途は多難に見えていた。




