第二話:眼窩の胞子収穫と脳髄の泥化神事
POV: 犬神 江戸(医師・32歳)
胸腔を開かれ、肺の上で黒い真菌の花を咲かせた男は、まだ死ねずにいる。
男の眼球は、内側から増殖した黒い菌糸の圧力によって、眼窩から「ぎち、ぎち」と音を立てて外側へ押し出されていた。白目の隙間からは、ドロドロとした黒い脂汁と、植物の根のような細い肉糸が何本も這い出ている。
俺は湾曲した細い解剖用の匙を握り、男の左の眼窩の隙間へと容赦なく深く突き刺した。グちゅり、べちゃ……っ!
視神経が引きちぎれ、眼球の裏側に張り付いていた黄色い脂肪組織と、黒真菌のネバついた粘液が混ざり合った生温かい泥汁が、男の頬を伝って温室の泥床へドロドロと溢れ出す。男は声を失った喉を限界まで震わせ、肺の黒い花をピクピクと波打たせながら全身の筋肉を激しく痙攣させた。だが、俺の特製栄養剤が、男の脳髄に『死の拒絶』を命令し続けている。男の意識は、己の眼球が抉り取られ、真菌の根が脳へと侵入していく『感覚』を、完璧な鮮明さで処理し続けているのだ。
「次は、脳髄の収穫だ。植物の根が一番好む、最高の最高級の栄養土壌だからな」
俺は細い穿頭ドリルを握り、男の額の真ん中に垂直に当てて、一気に手動のハンドルを回した。
ギチギチギチ……ボキィッ!
頭蓋骨が砕け、中に固まった生生しい骨髄の臭いが凍った空気の中に充満する。
ドリルを引き抜いた穴から、特製の太い金属管を男の脳の深部へと突き刺した。
俺がポンプのレバーを引くたびに、ズ、ズズズ……グチャ、ドロリという、肉の繊維と脳組織がドロドロに融解して吸い上げられていく最悪の粘着音が温室に響き渡る。管を通ってガラスの広口瓶へと流れ落ちていくのは、男の薄っぺらな記憶や知性が詰まっていた脳髄が、真菌の分泌液によって完全に泥化した、赤黒くて黄色い脂混じりの「脳の泥」だ。
脳を半分以上すり潰され、吸い上げられてなお、男の右の眼球は恐怖で狂ったように激しく泳ぎ、指先はピクピクと痙攣し続けていた。これこそが、現実の肉体が持つ極限の脆さであり、犬神家の植物神事だ。
俺は収穫した「脳の泥」を霧吹きに詰め、温室の熱帯植物の根元へと贅沢に吹きかけた。男の脳の栄養を吸った緑の葉が、生き物のように妖しく、瑞々しく輝き始める。
外では新潟の冬霧がさらに深くガラス屋根を包み込み、温室の中の甘ったるい腐臭を完全に閉じ込めていた。俺は、生きたまま『肥料』へと還元されていく素材の最後の痙攣を見つめながら、次の『播種計画』のページをめくることにした。




