第一話:肺胞の開花と肉糸の収穫
POV: 犬神 江戸(医師・32歳)
生体温室の温度は、真菌の増殖に最適な二十八度に固定されている。
解剖台の泥床の上で、男の胸腔はすでに異様な形に膨れ上がっていた。俺は鋭利な肋骨鋸を握り、男の胸骨の正中線に沿って、一気に刃を引いた。
ギチギチギチ……パキィッ!
骨が割れる生々しい音と共に胸を開くと、そこには赤黒い血液の代わりに、漆黒の菌糸の網がびっしりと張り巡らされた「肺」が露出した。
男の肺胞の一つ一つが、胞子を吸って肥大化し、まるで肉で作られた黒い百合の花のように不気味に開花している。男は声を失ったまま、剥き出しの眼球を激しく狂わせ、全身の筋肉を波打たせていた。
「これほど美しい植物の苗床が、かつてあっただろうか」
俺は素手を男の胸腔の奥へと滑り込ませ、まだ微かに拍動を続ける心臓の周囲から、細い「肉糸」――真菌が男の動脈を喰らい尽くして作り出した、粘ついた植物の根を一本ずつピンセットで引き抜いていった。
ブチ、ブチリ……
根が引きちぎれるたびに、男の肉の繊維から黄色い皮下脂肪と黒い脂汁がじわじわと溢れ出し、温室の泥を汚していく。男の脳髄は、己の内臓が内側から植物の根によって侵食され、引き裂かれていく『感覚』を、完璧な鮮明さで処理し続けているのだ。
俺は収穫した黒い肉糸をガラスのシャーレに並べ、男の開かれた胸腔に向かって、新しい栄養剤を霧吹きで静かに吹き付けた。湿気を得た黒い肉の花が、男の肺の上でピクピクと生き物のように波打つ。
外では新潟の冬霧がすべてを白く塗りつぶしている。俺は、言葉を失った素材の肉体が放つ極上の腐臭を呼吸しながら、次の『収穫の神事』の記録をノートに刻み続けることにした。




