8.登校と、幼馴染
俺と小春は朝食を済ませた後、玄関を出た。そして扉に鍵をかけ、気付く。
そう言えば鍵、一つだけだった。
「小春って今日はバイト休みだったよね?」
「そうだけど……陸、どうかした?」
小春が小首を傾げると、寝ぐせを直したサラサラの髪が頬にかかる。首元にリボンを付けたブレザータイプの制服を着こなした今の小春は、まさしく学校一の美少女そのもので、何気ない仕草一つ一つに「かわいい」が介在していた。
学校の男子たちが見れば一瞬で恋してしまうような小春の仕草。けれど、小春のことを実の妹だと思い込んでいる俺は、癒されるなぁ……なんて思いながら普通に会話を続ける。
「今、うちの鍵一つしかないんだよね。だから放課後、鍵屋に寄って合鍵を作ろうと思ってたんだけど……小春は授業が終わったらすぐ帰るの?」
「うん。だいたいすぐ帰るよ。たまにクラスの子に頼み事されたりしたら残ることもあるけど、今日は今のところ予定はないよ」
「そう……なら一旦家に戻って、小春が帰ってきてから鍵屋に行こうかな」
鍵屋は高校から見て、俺たちのマンションの反対側にある。高校までは歩いて二十分くらいだから、それより遠くにある鍵屋までは往復で一時間くらいかかるだろうが、まあ仕方ない。
「それだと大変じゃない? あっ、そうだ! 放課後わたしも一緒に鍵屋に行くよ!」
「いいの?」
「うん! だってわたしのための合鍵なんだよねっ? 陸に任せっきりは悪いよ」
「そう……だったら放課後また学校の外で合流しようか。場所は……」
うーん……学校の向こう側ってあんまり行かないから、ちょうどいい人目のつかない場所がわからないな……。
「……場所は放課後、どこか人目のつかないいい場所を見つけよう。見つかったらライムで知らせるようにして」
「おっけー!」
「だから小春、ライム繋いでいい?」
「もちろんいいよー!」
二つ返事で頷く小春は、親にべったりとくっついて歩く子どもみたいでかわいかった。
そうして小春とライムを繋いだ後。しばらく歩くと、俺たちが通う風北高校が遠くに見え始めた。俺は近くの電柱の影に入り、足を止める。
「小春。そろそろ別れて歩こう」
「あー、そっか。わたしたちが一緒に住んでることは隠すんだもんね」
「そういうこと。小春、また放課後ね」
俺は小春に手を振って、先に歩き出す。すると急に小春が俺の前に躍り出て、小悪魔的に微笑んだ。
「わたしは別に、陸と一緒に住んでることバレてもいいんだけどなー?」
小春の、肩にかかるかどうかといった長さの髪と制服のスカートがヒラヒラと風に揺られる。まさに天使といったかわいさを醸し出す彼女にニヤニヤとした上目遣いで見つめられ、ゾクッと背筋に悪寒が走った。
「じょ、冗談だよね……? もしバレたら俺、学校中の男子たちに殺されるよ?」
「おっ! やったぁ! 初めて陸をドキドキさせられたー!」
謎の理由で喜び、そのまま学校に向かおうとする小春。
え……!? このまま別れるの……!?
「小春今の、本当に冗談だよね!?」
「あははっ! 冗談、冗談だって。慌てすぎだよ陸」
よかった……今の冗談は怖すぎるって……寿命が三秒縮んだよ……。
俺は無邪気な小春の笑顔を見て、ホッと胸を撫でおろす。昨日今日といろいろあったけれど、何はともあれこれから俺と小春、二人の秘密の関係が始ま──。
「ねぇあんた、心矢さんと付き合い始めたん?」
「はっ!?」
もうバレた!? どういうこと!?
昼休み。自分の机で弁当を食べていた俺に話しかけてきたのは寺川栞──クラスメイトで、俺の幼馴染のうちの一人だった。
栞はクールギャルっぽい、公序良俗には配慮している程度に崩した制服の着こなしをしていて近寄り難いオーラを放っている。ちなみにこれでも彼女には仲のいい友達がクラスに二人いるし、好きな相手だっている。俺目線では相思相愛に見えるから早く付き合ってしまえと思う。
「栞は……どうしてそう思ったの?」
限界まで粘ってみようと、俺は笑顔で聞き返す。でもたぶん、俺の笑顔は引き攣っていたと思う。
「いやバレバレだっての。あんた自分で気付いてないん? 今日ずっとチラチラチラチラ心矢さんの方見てたっしょ。あと弁当の中身同じだし」
「うぐっ……」
元々目つきが鋭くて身長も高く、長い銀髪の髪も相まってキツい印象の栞が、さらに目を冷たく細めて問い詰めてくる。
もう隠しきれない……。
「でも、俺と小春は付き合ってはないよ」
「ハッ……名前呼びでよく言うわ。そんで、あんたと心矢さんから同じシャンプーの匂いすんのはどう言いわけすんの?」
鼻を鳴らし、俺の机の上に座る栞。背中を反って俺を見下ろしてくるから、着崩した胸元が強調されて目のやり場に困る──なんてことはなく、俺は苦い顔をして栞の顔を見上げることしかできなかった。
「うぐっ……なんで栞は普段バカなのにこういう時だけ鋭いんだよ……!」
「バカって言うなバカ陸。あんたの足りない脳みそでも、もういいわけできないことくらいわかってるんだろ? さっさと吐きなよ」
「わかった……でも一応小春に、打ち明けていいか確認させてほしい」
「ふぅん。まあそのくらいはいいけど、誤魔化すんじゃないわよ?」
「わかってる! わかってるから睨まないでよ……」
俺は、教室の中心で女子たちに囲まれている小春をチラッと見る。それからライムに今の状況と、栞に俺たちが同棲していることを打ち明けていいか確認するメッセージを打ち込み、送信した。
間髪置かずに女子たちに囲まれた小春がスマホを取り出し画面を見る。すると小春は慌ててスマホの画面を太ももに押し付け背筋を伸ばした。
「みんなごめんっ! わたしちょっとトイレ行ってくるっ!」
そう言って小春は勢いよく椅子から立ち上がり、早歩きで教室の外に出ていった。すると、さっきまで小春の周りで笑っていた女子たちの様子が急変する。
「え? なに心矢さん。急にどうしたの?」
「ちょー慌ててるじゃん。ダッサ! うけるっ!」
「はぁ……待つのめんど」
嘲笑と失望が、女子たちの間に流れた。
小春を蔑む空気が嫌で俯いているだけの女子もいる。が、大半は小春を蔑んで嗤っていた──さっきまで小春に勉強を教えてもらったり、相談に乗ってもらっていたりした女子たちがだ。
やっぱり、小春を取り巻く環境は歪だ。小春は誰かに頼られるのが嬉しいって言っていたけど、これじゃ頼られているんじゃなくて利用されているだけだ。
けれど、俺はこの問題に口を挟めない──もちろん、小春が助けを求めてくれたなら俺だって全力で対処する。しかし小春はたぶん、誰かに勝手に助けられるのを嫌うタイプだ。自分の問題は自分で解決するし、小春自身、この歪な現状を嬉々として受け入れている節がある。
でもやっぱり見ていることしかできないなんて、悔しい……。
苦虫を噛み潰したような気分になっていると、ピロンっとスマホが鳴った。見ると、小春からの返信が来ていた。
『わたしは全然おっけーだよっ! っていうか朝もそう言ったじゃん!』
同棲を打ち明けることへの了承メッセージ。その下には「ガンガン行こうぜ!」と書かれた、パンチを繰り出す猫のスタンプが表示されていた。
……やっぱりすごいな。小春は。
クラスの女子たちの歪な期待に応え続けてなお太陽のように明るくあり続ける小春の姿に、俺は痛々しくも微笑んだ。




