5.一人暮らしの理由②、名前呼び
「今のわたしのお母さんね、継母なんだ」
俺と向かい合って食卓に座る心矢さんは高校生で一人暮らししている理由を説明するため、まずは彼女自身の家庭事情について語りだした。
「お父さんが前のお母さん──わたしの生みの親と別れたのは、わたしがまだ幼稚園に通っていた時でね、お父さんはずっと一人でわたしを育ててくれたんだよ。そんなお父さんにようやくいい人が見つかって、今年の一月にようやくお義母さんと結婚したの」
そう話す心矢さんは静かに、嬉しさと寂しさが混ざったような表情ではにかむ。
「それでね、お父さんとお義母さんがいい雰囲気になったところを何度かわたしが邪魔しちゃったんだよ。それに二人とも、わたしに遠慮して新婚旅行とかいちゃつくだとか、そういう新婚夫婦が当たり前にすることをしないの。だから、わたしがいるとお父さんの幸せを壊しちゃいそうだなって思って、一人暮らしすることにしたんだ」
「そう、だったんだね……」
本当にこれ、俺が聞いてもいい話だったのかな……。
思っていた以上に複雑な事情だった。心矢さんになんて声をかければいいのか、正直部外者の俺にはわからない。けれど一つだけ、自分勝手かもしれないけど、確認したいことがある。
「それ、心矢さんは寂しくないの?」
「ううん大丈夫。慣れてるから」
そう……だよね。男で一つで育てられたのなら、父親が仕事に行っている間家には誰もいなくなる。小さい頃から一人で家にいる時間が多かったことは、容易に想像がつく。
でも、本当に慣れているならそんな寂しそうな顔しないでしょ。
今にも泣き出しそうな弱々しい笑顔を浮かべる心矢さんを黙って見ているなんて、俺にはできない。俺は一つ一つ言葉を選びながら、唇を動かす。
「俺には心矢さんの気持ちがわかるなんて言えないけど……」
俺は一度言葉を切り、椅子に座る心矢さんの横に膝立ちになる。そして、彼女の頭を撫でた。
「寂しいなら、俺にはいくらでも甘えていいからね」
俺がそう言うと、心矢さんの目がゆっくりとした動きで見開かれた。彼女は大きく見開いた目で数秒俺を見つめる。すると、彼女の目には一雫の涙が浮かび上がった。
「それは……ずるいよ……!」
絞り出したような声を出し、潤んだ目を細める心矢さん。彼女は椅子から崩れ落ちるようにして俺の胸に顔をうずめた。俺は心矢さんの重みを受け止め、そっと抱きしめる。
服越しに伝わってくる彼女の温もりと、抱きしめる腕から伝わってくる震えと柔らかさを感じていると、俺にそんな権利はないとわかっていても、余計に彼女を支えてあげたくなってくる。
心矢さんは学校だと頼れる存在というイメージが定着している。だから、もしかすると今まで一人も本音を打ち明けられる相手がいなかったのかもしれない。
そうしてしばらくの間、俺は胸の中で静かに泣く心矢さんの頭をそっと撫で続けた。
「落ち着いた?」
五分ほどして、心矢さんは顔を上げる。目元には涙の跡が残っているが、もう彼女は震えていなかった。
「うん……ごめんね。情けないとこ見せて。幻滅……したよね」
「ううん。むしろ心矢さんの本音が聞けて嬉しかったよ」
そう言って俺が微笑んで見せると、心矢さんは数秒俺をじっと見つめる。そして──。
「そっかぁ……」
と、大きく息を吐き、目を閉じた。それから三秒後、心矢さんは急に元気を取り戻しニヤリと口角を持ち上げた。
「そんなこと言ってー、志喜屋くん、実はわたしのこのパーフェクトボディーを抱きしめる柔らかい感触に夢中になってただけなんじゃないのー?」
心矢さんはおどけた口調でそう言って、俺の肩をつついてくる。彼女なりに、しんみりとしてしまったムードを元に戻そうとしてくれているのかもしれない。
本当に、心矢さんはすごいなぁ……。
俺はもう一度心矢さんのサラサラ髪を撫で、微笑んだ。
「はいはい。心矢さんの体はとっても魅力的だよ」
おどけた口調でそう言うと、心矢さんはプクッと頬を膨らませる。
「もぉ……! ちょっとくらいドキドキしてくれてもいいじゃん!」
そんなくだらないやり取りを楽しんでから、俺たちは残りのご飯を食べた。それから俺は食器洗い、心矢さんは歯磨きを始める。
あ、そうだ。
「心矢さん。一つ提案があるんだけど、聞いてもらってもいい?」
「ん? なにー?」
俺は洗い終わった食器を拭きながら、ソファーに座って歯を磨いている心矢さんを見る。
「心矢さんのこと、『小春』って呼んでいい?」
「な、なななななんでっ!?」
驚きのあまり、咥えていた歯ブラシを落としそうになる心矢さん。何をそんなに驚いているのだろうか? 俺、変なこと言ったかな……?
「お互い苗字呼びだとなんだか堅苦しいでしょ? 家の中まで堅苦しいのは嫌だなって思ったんだけど……心矢さんは嫌だった?」
「う、ううん。嫌じゃない……けど」
「そう? それならよかった。小春も、俺のことも陸って呼んでいいからね」
「むぅ……志喜屋く──り、陸って平然とそういうことするよね」
「ん? そういうことって何?」
「ううん。なんでもなーい」
プイっとそっぽを向き、小春は洗面台の方に歩いていった。
なんだったんだ?
そうして俺はモヤモヤした気持ちのまま、残りの食器を拭いた。
***
「小春。今日はバタバタして疲れたでしょ? 少し早いけどもう寝る?」
午後十時前。俺も歯を磨いてから小春に聞いた。けれど小春は首を横に振る。
「ううん。勉強してから寝るよ」
そう言って食卓に勉強道具を広げる小春。彼女のひた向きな姿勢に、小春の頭を撫でたい欲求を押さえることができなかった。
「小春は努力家なんだね」
「もぉ……からかわないでよー」
口ではそう抗議するけれど、小春は俺の手を払おうとはしない。代わりに口をすぼませ、頬をほんのりと赤らめていた。
小春かわいい! えらい! 俺も頑張ろう。
そう思って俺は、パソコンと勉強道具が置かれた自分の机に座る。そして、IT関連の資格の問題集を開いた。
俺は将来、IT系に就職しようと決めている。大した理由ではないが、自分でも少し変わっていると自覚している理由があって、俺は大手に就職したい。だから俺は高校に入学してからこの半年、取れるIT系の資格を片っ端から取得しているのだ。
そうして集中すること二時間。時計の針が頂上で重なったタイミングで、俺と小春がペンを置く音が重なった。
「小春も終了?」
俺は小春を見ながら左肩に右手を当て、凝った首や肩を回す。
「うん。陸ももう寝るの?」
小春は背もたれに寄りかかり伸びをしていた。その際小春の胸が強調されて、ダボダボのTシャツからは脇も覗く。これ、妹じゃなかったら速攻目を逸らしてドギマギしてた。
「そのつもり」
平然とそう答えて、俺は机の上を片付け始める。そこでふと、見逃していた問題が脳裏をよぎる。
あれ……? 俺たち、どうやって寝ればいいんだろう……?
いや、一応俺の部屋のベッドはセミダブルだから二人寝れないことはない。けれど俺たちは高校生だ。いくら妹とはいえ、流石に高校生にもなって同じベッドで寝るわけにはいかないだろう。
今、小春の部屋に合ったベッドはこの部屋に置かれていない。理由は単純──扉を通らなかったから。元々組み立て式のベッドだったから分解することはできたのだが、組み立て方法が記された説明書を失くしたらしく処分することにしたのだ。
うーん……本当にどうしよう……。
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