4.夕飯と、一人暮らしの理由①
「この匂いはっ! もしかして焼きそば?」
夕食の準備中、風呂から出てきた心矢さんが餌を前にした子犬のように明るい声を飛ばしてきた。
「ううん違う。肉野菜炒め」
「あーそっちか!」
心矢さんの頬は紅潮していて息も湿っぽく、髪にも風呂上がり特有の艶がある。彼女の服装は、英字が印字されたダボダボ半そで白Tシャツに、太ももが露わになるほど短い薄灰色のショートパンツと、露出多めのラフなものになっていた。
そんな心矢さんの目が、ニヤニヤといたずらっぽく細められる。
「ところで志喜屋さん。汗も滴るいい女なわたしの無防備な姿に見惚れてもいいんだぞ?」
モデルみたいに腰と首に手を当て、からかい口調でそう言う心矢さん。対する俺は、チラリと心矢さんを見てなお、食器を食卓に並べる手は止めなかった。
「ちょ……何平然と食器並べてるのよー!」
そんなこと言われても、妹の無防備な姿を見て発情する兄なんていないでしょ……。
「ほら、バカなこと言ってないでご飯食べよう?」
「むぅ……初戦は負けかー……」
「心矢さんは何と戦ってるんだよ……」
謎に落ち込む心矢さんに呆れながら、俺は食卓に着く。心矢さんも席に座ると、二人で手を合わせてから箸を持った。そうして心矢さんが肉野菜炒めを口に入れた瞬間、彼女は大きく目を見開いた。
「んっ!?」
「おいしい?」
肉野菜炒めを口に含んだまま、心矢さんはブンブンと首を縦に振る。
心矢さんの口に合ってよかった。
そう胸を撫でおろしていると、ゴクンと口の中の物を飲み込んだ心矢さんが前のめりになって聞いてくる。
「志喜屋くんの料理、薄味なのになんでこんなにおいしいのっ!?」
驚きながらも夢中で箸を動かす心矢さん。肉野菜炒めと米を交互に食べ、時々みそ汁を織り交ぜる。彼女が心底幸せそうに目元と口元をとろけさせるから、見ているこっちまで嬉しくなってくる。
フフッ……かわいいなぁ。
心矢さんを眺めながら食べていると、肉野菜炒めのソースの香ばしさとか、豚肉の弾力とかが際立って、料理がいつも以上においしく感じる。
「ふぉういへば」
「うん……飲み込んでから話そうね」
俺が聞き返すと、心矢さんは口の中の物をゴクンと飲み込んでから言い直す。
「そう言えば、志喜屋くんはどうして一人暮らししてるの?」
「本当につまらない理由だよ? それでもいい?」
「うん。聞きたい」
「要するに、ちょっとした反抗期なんだよね。姉さんはよくウザ絡みしてくるし、親はどっちも過保護でね。それにちょうどやりたいこともできたから、静かに集中できる時間が欲しかったんだよね」
「へぇー。けどそれならやっぱりわたしは迷惑だったよね……一人の時間が減っちゃうし」
シュンと目線を落とす心矢さん。俺は慌てず、昼間生活リズムについて話し合った時のことを思い出す。
「それは大丈夫だよ。そのことは昼に話し合ったでしょ? 夜にお互い集中してやることをやろうって。それに心矢さんがバイトに行ってる時だって時間あるしね」
「ほんとにいいの? 志喜屋くん無理してない?」
「大丈夫だよ。だからこの話はもうお終い」
俺はパンっと手を叩いてから米を口に運ぶ。すると心矢さんも食事を再開してくれた。が、よく見ると心矢さんの皿にはニンジンとピーマンばかりが残っている。
「……心矢さん、その残りに残った二ンジンとピーマン、ちゃんと最後に食べるよね?」
「へっ……!? あーいやぁ……どうだろうねー……」
目を逸らして頬をかく心矢さん。その仕草はいたずらがバレた子どものように無邪気でかわいい。衝動的に許してあげたくなる。
でもここは兄として厳しくいこう。甘やかすだけが優しさじゃないからね。
箸を握る手に力をこめ、俺は心を鬼にして心矢さんに告げる。
「せめて半分は食べよう? 残りは俺が食べるから」
……うん。ちょっと甘やかしちゃったかもしれないけど、俺にはこれが限界だ。
「うえぇ……せめて、せめて四分の一にしてくださいっ!」
そう言って心矢さんは両手を食卓について、勢い任せに頭を下げる。心矢さん、半分冗談でやってるよねとは思いつつ、俺はそれを手で制し、鋼の意思を示す。
「最低半分。これ絶対」
「むぅ……」
心矢さんは頬を膨らませて俺を見つめてくる。
そんな顔しても野菜食べてあげないよ? すごく食べてあげたくなるけど……本当に食べてあげたいなぁ……いやいやダメだから。
俺が心の中で葛藤を繰り広げている最中、心矢さんは苦い顔をしながら野菜を口元に近づける。とその時、心矢さんは「あっ……」と小さく声を漏らした。
「ねぇねぇ志喜屋くん」
ニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべて猫なで声を出す心矢さん。コワかわいい……。
「な、何? 心矢さん……」
「そこまで言うならさ、志喜屋くんが食べさせてよ?」
「はいっ?」
「だから、わたしにあーんして?」
そう言って箸を差し出し、口を大きく開けた心矢さんは、なぜだか勝ち誇った笑みを浮かべている。
え……? そんなこと? なんで心矢さんは「これで野菜を食べなくてもいい」みたいな顔してるの?
「わかった」
俺は小首を傾げつつも箸を受け取る。
「へっ……?」
間の抜けた声を出す心矢さんに構わず、俺は彼女の皿にあるニンジンとピーマンを摘まんだ。
「ほら、ちゃんと口開けててね」
「へっ!? なんでなんで!?」
俺が心矢さんの口に箸を近づけた途端、急に頬を赤くして目を白黒させる心矢さん。彼女が何に動揺しているのかよくわからないけれど、とにかく彼女の口に箸を近づける。すると彼女はゴクリと喉を鳴らし、一瞬ためらってから野菜を口にした。
「はむっ……!」
目を強く閉じて口を動かす心矢さん。その健気な姿はなんだが微笑ましくて、自然と笑みがこぼれた。
「フフッ……心矢さん、次いくよ?」
「うぅ……志喜屋くんの鬼ー!」
そうして涙目になった心矢さんにニンジンとピーマンを食べさせ終わると、心矢さんは水を一気に流し込み、ジトっと俺を睨みつけてきた。
「……っふぅ……ねぇ志喜屋くん。わたし、志喜屋くんの苦手な食べ物を教えて欲しいなー?」
「怖い怖いから……その目はやめて」
苦笑いでそう言っても、心矢さんは全くジト目をやめようとはしない。
これは……許してくれそうにないなぁ……。
いじらしく怒る心矢さんに観念して、俺は肩をすくめた。
「俺が苦手なのは辛い物だよ。カレーの中辛がギリギリ食べられるライン」
「そっかぁ! そうなんだ。なるほどなるほどー……」
大袈裟に頷くと、心矢さんはニヤリと口元を緩め、上目遣いで俺を見る。
「じゃあ明後日──わたしの料理当番の日、楽しみにしててね!」
「ハハハ……」
俺、何食べさせられるんだろう……。
明後日のご飯に恐怖を抱きながら苦笑いを浮かべていると、心矢さんはみそ汁を啜る。俺もつられて自分のみそ汁を啜ると、みその塩味と風味が舌を突き体を温めてくれる。
「そう言えばわたしたち、何の話してたっけ?」
「一人暮らしの理由だね。そうそう、心矢さんはどうして一人暮らしをしているの?」
何気なくそう聞くと、心矢さんは眉をしかめ、自嘲的な笑みを浮かべた。
……あ、そうだった……心矢さんは親とうまくいってないみたいなこと言ってたな。
「ごめん心矢さん。話したくなかったら言わなくてもいいよ」
「ううん。そんな大したことじゃないから、気を遣わなくても大丈夫だよ」
そう言って心矢さんは、声のトーンを一つ下げて、彼女の家庭事情について語りだした。




