36.小春の挑戦、ざまぁ
翌日の昼休み。二人の女子が小春の席に行き、不安げに胸に手を当てたままノートを差し出した。
「こ、心矢さん。ここの問題、どうやって解いたらいいのかわからなくて……」
「おっけー! この問題なら──」
小春は迷うことなく二人に解説を始めた。すると二人は安堵のため息を吐き、小春の解説に耳を傾ける。
作戦開始だね。
実はあの二人──上野さんと百合川さんには、俺が今朝小春に勉強を見てもらうように頼んでおいたのだ。二人は小春の現状に心を痛めてくれていたから、すぐに頷いてくれた。
これで小春に頼みごとをしずらい雰囲気はなくなる。そうなれば──。
俺は長澤さんたちの方に目を向ける。
あの三人は、クラスの雰囲気を壊してまで小春に面倒ごとを押し付けたら自分たちがクラスの攻撃の的になるってわかってる。だから、様子を見ていたんだよね? 小春に頼みごとをしてもいいっていう雰囲気を作ったらまた小春を利用しようとするよね?
「……やっぱり、そうだよね」
不意に長澤さんたちの口元に小悪党のような冷笑が浮かぶ。そして三人は立ち上がり、小春の席へと歩き出す。
俺が小春に視線を向けると、小春と目が合った。
「下準備はうまくいったよ。ここからは小春の番。頑張ってね」
アイコンタクトでそう伝える。微笑んでみたけれど、俺の心臓はバクバクだった。
小春、本当に大丈夫……? 何かあったらすぐに助けないと──。
「うん。任せてっ!」
俺の不安を振り払ったのは、小春のリラックスした笑顔と、一切の不安を感じさせないサムズアップだった。
……フフッ。小春は強いなぁ……。
両親の過保護が嫌で一人暮らししたのに、俺が小春に過保護になっていた。妹の真剣勝負を後ろで見守るのも、兄の役目だよね。
俺はゆっくりと息を吐き、背筋を伸ばす。
「ありがとう心矢さん。心矢さんの説明、とってもわかりやすかった」
「うん。またわからないことがあったらいつでも聞いてねっ!」
上野さんと百合川さんがお礼を言って小春の元を去る。そして二人と入れ替わるように、長澤さん、安藤さん、塚田さんの三人が小春の机を取り囲んだ。
「心矢。私たちもあんたにお願いあるんだけど」
「お願いって?」
普段と何も変わらない様子で返事をした小春に、長澤さんたちは小春を見下した笑みを浮かべた。
「この宿題、写させてよ。今日部活でさー。やる時間ないんだよねー」
白々しいな……。
うちの高校の部活は遅くても七時まで。家に帰って宿題をやる時間くらいはある。そしてそれは小春もわかっているから──小春は真っすぐに長澤さんの目を見据えて、言い切った。
「そのお願いは聞けないよ。長澤さん」
「……はっ?」
小春が頼みごとを断るわけがないと高を括っていた長澤さんたちは、小春の鋭い視線に見つめられて言葉を失った。直後、我に返った長澤さんが髪を振り乱す。
「はぁ? さっき上野に勉強教えてたでしょうが! 心矢、差別すんの?」
「差別じゃないよ。だけど、よくない頼みごとは断るって決めたの」
睨んでくる長澤さんを真っすぐに見返す小春。二人のやり取りに、クラスメイトたちの視線が集まってくる。
「ふざけないでよ! それで私たちの成績下がったら心矢責任とれるの!?」
安藤さんは身勝手な理由で小春を責める。それに塚田さんも続いた。
「心矢、一昨日あの後志喜屋に何か言われた? そのせいでそんな乗り悪くなったんでしょ。あんな陰キャぼっちの言うことなんて聞く必要ないって」
小春は一呼吸置いて話し出す。
「……わたしだって人間なんだよ? 今までずっと我慢してきたけど、わたしにだって嫌だって気持ちはあるし傷つきもするの」
「……っ! それがど──」
奥歯を噛み締める長澤さんたち。けれど怒りに任せて「それがどうしたのよ!」とは言わなかった。
そう言ってくれたら、クラスは完全に長澤さんたちが悪者だという雰囲気に包まれたのに。今はまだみんな心の中でそう思うだけ。声に出して長澤さんたちを責めてもらうにはあと一押し足りない。
だから、俺は小春と長澤さんたちの間に割り込む。
「長澤さん」
「なに? 志喜屋。元はと言えばあれもこれもあんたが心矢に変なこと吹き込んだせいじゃんか!」
俺は、掴みかかってくる一歩手前の長澤さんたちに、心の底からの怒りと軽蔑を込めた視線を送った。
「これ以上小春をいじめるなよ。最近の小春は、ずっと辛そうに疲れた顔で笑ってたんだ」
自分でも驚くほど低く落ち着いた声。それは教室にいるクラスメイト全員の耳に届いた。
これでクラスの雰囲気は完全に傾いたよね? 後は勝手に全部終わるはず……。
「はぁ? 志喜屋、適当なこと言って──」
直後、長澤さんの反論をかき消すように、クラス中から一斉に声が上がった。
「志喜屋の言う通りだ! おまえらがやってたのは誰がどう見てもいじめなんだよ!」
「見てて気分悪いよなーほんと」
男子は、昨日俺と小春の仲を認めてくれた生徒たちを中心に俺に同調してくれる。
「はっ? どうなってるのよこれぇ……!」
「ちょっ……ヤバくない?」
安藤さんと塚田さんは余裕のない情けない声を出し、味方を探すように教室中を見回す。しかし当然、二人の味方なんていない。
長澤さんは頬を引きつらせ、苦しそうに息を荒げていた。
「平気で人に宿題やら仕事やら押し付けるとか、人間性疑うわー」
栞の友達が、三人に追い討ちをかける。女子は栞のグループが中心となって長澤さんたちを責めることで、他の女子たちも長澤さんたちを責める雰囲気に乗りやすくしている。
声を出していないクラスメイトたちも、長澤さんたちに軽蔑や嫌悪の視線を突き刺している。
「……っ! 私たちはなにも悪いことしてないのに!」
「どうしてみんなあたしたちだけを責めるのよ!」
安藤さんと塚田さんは捨て台詞を残し、走って教室から逃げ出す。
残された長澤さんは、地面に崩れ落ち奥歯をギリギリと噛み締めた。けれど、彼女に同情の視線を向ける人は誰もいなかった。
これでもう、長澤さんたちは小春に手出ししないでしょ。それにクラスからは見放されるわけだから、長澤さんたちの後追いで小春をこき使おうとする人たちもいなくなる。
見ると、クラス中が長澤さんたちを責める陰で、小春に無理強いをしていた他の女子たちは顔を青ざめさせ、いつ自分に矛先が向くかわからない恐怖に肩を震わせていた。
小春自身が現状を変えたいって思ってくれたから、現状を打開するのは簡単だったなぁ。小春が一度断りさえすれば、どう見ても長澤さんたちが悪者の構図になるもんね。
作戦の成功を確信していると、不意に小春が俺の制服の袖を引いてくる。
「陸。これで終わり、だよね?」
「うん。終わりだよ。小春、すごくよく頑張ったね」
俺は微笑み、小春の小さな頭をポンポンと撫でた。すると小春は、頭の上に置かれた俺の手を、温もりを確かめるようにそっと両手で覆う。そして肩の力をそっと抜き、口元を緩めた。
「よかったぁー。ありがとね陸」
「ううん。小春が頑張ったから成功したんだよ? 俺はちょっと下準備をしただけだからね」
「そんなことないと思うけどなぁー」
「それより、今日はお祝いにケーキでも食べようか」
「おっ! それいいねぇー! わたしガトーショコラ食べたい!」
そんな何気ないやり取りも、今はどんなことよりも楽しくて──。俺たちは達成感と開放感に浮かされながら、昼休みが終わるまでずっと何気ない会話に夢中になった──周りには多くのクラスメイトがいるということも忘れて。
言うまでもなく、後で俺は小春と一緒に、クラスメイトたちからめちゃくちゃ問い詰められた。
***
その後、長澤さんたちを始め、小春を利用してきた女子たちは例外なく次の定期テストの成績が落ちた。小春に頼りっきりで何もしてこなかった長澤さんたちは数教科赤点を取り、補修に追試までくらったらしい。
さらに、陸上部に入っている長澤さんたち三人が部活に遅れた際──。
「遅いぞ長澤! 安藤! 塚田!」
「す、すみません。今日掃除で……」
「じゃあなんで今までは一度も遅れてこなかったんだ? 俺は友達に掃除当番交代してもらえって言ったよな? その代わり、その友達が掃除の時に代わってやるようにと」
「それは……」
後ろめたそうに下を向き、監督──生徒指導の先生から目を逸らす三人。その態度で、長年生徒を見てきた監督は気付く。
「まさかおまえたち、今まで何のお返しもせずただただ掃除を押し付けてたのか?」
「「「…………っ!」」」
「そうなんだな?」
監督のドスの効いた低い声に、三人の肩がビクッと跳ねる。
「長澤、安藤、塚田。今すぐ生徒指導室に来い! おまえたちには今から説教だ」
「……っ。はい……」
なんてやり取りもあったらしい。これらはもう少し先の話だ。
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