1-09 宰相に報告、殺意と刺客
「グラスからほんのり漂ってきた匂いは、以前厨房で嗅いだことがあったものなの。でもそれは⋯⋯栄養ではないのはわかっていたし、頭と顔にかかった時ひりっとしたけれど、大丈夫だと思って」
宰相のサルヴァドールはただ頷く。四日前の襲撃されたときの状況を知るために、ララの言い分を全て聞いていた。
ララのシーク設定に時間がかかったため、レオーネ、フロリアン両王子との面会が先になった。これはこれで質問攻めに合い、思っていたより長引く。ララとは空の光がもう少しで沈む今の時間になってしまった。
護衛隊長と特命部の見張りはレオーネ兄弟と一緒に出て行ったが、まだ質問されているかもしれない。
今、宰相の部屋にはサルヴァドールとララの二人だけ、向かい合ってグランタス帝国より贈られたソファに腰を下ろしている。植物柄の張り布はたくさんの葉と実が彩り鮮やかに織られていた。王の部屋で使われるはずだったものを宰相が『私の就任百年祝いに』と、奪い取るように譲ってもらったものだ。あの時は王もなかなか頭を縦に振らなかった。今までに無い素晴らしい座り心地だったからだ。
この感動を覚えるソファのせいか、宰相を含めて話す時は、会議室でなくこの宰相の部屋を指定して皆がやって来る。そんな大人気の四人掛けソファの上に、早速シークのドレスを着たララがちょこんと座っている。
四日前に頭と顔を火傷し、腹部を撃たれて亡くなっていても不思議ではないのに当日に完治したララは、大したことはなかったように泰然と当時の状況を話した。
「以前厨房で嗅いだことがあるといっても、ずっと前、私がよちよち歩きの頃だと思うの。それ以来、厨房に入らせてもらえなかったから」
ララは記憶力がいい。何かその時にやらかしでもしたのだろうか──宰相は今は特に尋ねない。
その〝栄養ではないもの〟は、はるか昔から無味無臭の毒として扱われている。飲めば具合が悪くなるのはもちろん、身体に触れたのなら炎症を起こすような刺激の強いものだ。ララもこの毒で火傷をしたはずだが、彼女なら瞬時に肌が回復する。
グラスからの匂いも普通の人間では何も感じないはずなのに、ララだから感じ取れるレベルの〝無臭〟。本来は味も無いといわれるが、ララなら口に入れた時に違いがわかる。
「銃は私、使っているところを見たことや聞いたことがなかったから。音や火薬の匂いはしても、銃だと気づけなかったの。コーレイは私のことを撃ったけれど、彼は我慢をしていた。銃を持った右手は大きく震えていたし、空いている手で私を押したり殴ったりすることは一切無かったわ」
少し言葉を詰まらせ、目線を落とすララ。そのときコーレイの右手が大きく震えていたのは銃を撃った反動かもしれない。サルヴァドールは話の腰を折らないようにしていたが、ララの喋りに変化が出てきたことに気づく。彼は立ち上がると、ララの座っている芸術的なカーブを描くソファの木枠に手を掛け、彼女の隣に座った。
「撃たれた時は、お母様とルナはまだ同じ部屋にいたわ。でも消えてしまったの。私二人に心配かけてしまった⋯⋯。ルナも初めに私を庇って、背中に剣を受けて怪我を負った⋯⋯」
この四日間笑顔を絶やさなかった少女は、襲撃から初めて目を潤ませた。
「ララ、無理しなくていい、もう言わなくていい。ルナ様もリリアーナ様がいるから大丈夫。国一番の治療の能力を持っているのだから」
サルヴァドールはララの背中を撫でるようにさする。
少女は常に周りを優先していた。自分の身体が傷ついたときの衝撃はまるで何も感じていなかったように、あの時は痛かっただの怖かっただの一度も発することはなかった。
王レベルの身体になると、強い痛みが発生した場合一瞬で鈍麻するとサルヴァドールは聞いている。宰相もなかなかの肉体と五感を持っているので、その感覚がわかる。
医療班からも、今回ララからは王と同レベルで瞬時に脳内麻薬や鎮静物質が大量に分泌されたはずだと報告を受けている。
「トーレは本当におまるの部屋に行きたそうにしていたし、銃と花瓶の音に駆けつけて、自分のお兄さんなのにコーレイを倒したの。私が倒さなかったから、彼にそんなことさせちゃった⋯⋯」
ララの溜まっていた涙が一粒落ちていく。ララは普段簡単には泣かない。
サルヴァドールが一度だけ見たことのあるララの涙は、父親が西の大陸へ一年ほど行くことになった時だろうか。笑顔で送り出した後、三歳だったララは別邸の裏の木に高く登り、人目を忍んで悲しい顔で一筋の涙を流していた。
しかし父の二回目の遠出からは全く泣かず、けろっと笑顔で見送っていた。本人曰く、いざ父のいない生活を送ってみたら寂しくなかったので泣くに値しないと、父親に聞かせたくない言葉を発していた。
そのように滅多に泣かないララは今、泣くのを我慢しようと顔の筋肉を固め、少し──不細工な顔になっている。
「ララは笑った顔のほうがかわいいよ」
宰相は自分のポケットからハンカチを出し、ララに渡す。
ララは首を横に振りおもむろに自分のドレスで鼻をかんだ。シークが清潔にしてくれる、洗わなくていいと聞いたからだ。本当に一瞬でドレスの汚れが消えた。そして何もなかったように膝の上できれいなフリルが波打っている。タバサにハンカチシークも用意するように指導しよう──宰相は新しい予定を入れる。
「さて⋯⋯もう二度とこんなことは起きて欲しくはないが、対処方法も考えなくてはいけないな」
各国大使の武器の所持は最低限を許可していた。コーレイがなぜ武器を持っていたのか、出入国の荷物検査担当にも問い合わせ中だ。
もともとララの住む別館は、出入りができる人物は限られている。王子たちの他はララの家族と管理人のマナくらい、使用人は少なくしていた。
本館と別館を移動するララに護衛は一人も付かない。平和と安定の王国アイスタニアでは、暴漢に襲われることはまずないからだ。
「ララもいろんな武器を知ったほうがよいのだろうか。対策にはなるが、我が国に武器はない。その場合は外国から来ている大使に見せてもらうことになるだろう」
「私が武器を見せてってお願いをしに行けばいいの?」
悲しみが早くも落ち着いたララに、無邪気さが戻ってきた。可愛い顔に戻ってサルヴァドールは安心する。
「いや、これは私の仕事だ。それにお願いをすると、こちらも何かお願いされるかもしれない」
「私にできることがあればするわ!」
今まで箱入り娘として育ってきたララが、自ら外と関わろうとしている。外交の仕事を始めようとしていたルナの行方がわからない今、ララに代わりをしてもらったらどうか──宰相は王に提案を考える。
「そういえばトーレは今どうしているの? 助けてもらってからまだお礼を言えてないの」
「ララの話が聞けるまではトーレの行動範囲を限定させていた。もちろんこちらの調査では無実であり、ララを助けた人物と認識している。ただ兄のコーレイのほうがまだはっきりしない部分が多い。この国で王族の私室に剣、毒、銃を持ち込むのは殺害の意思が強すぎる」
彼の膝の上に置いてある片手をララはぎゅっと掴んだ。
しっかりと伝えないといけない、なぜかはわからないけれど大切な気がする。考えることを拒否するかのように頭がぼやっとするが──。
「トーレは本当に大丈夫よ! お兄さんのコーレイが初めに剣で襲ってきたのも、きっと私が原因だわ。私が現れたからコーレイがああなったと思うの。ずっと私を見てたわ。お母様でもルナでもなく、私なの。それにこんなことをしたくないって彼は自分の中で思っているように感じた。マナとレオーネにも同じことを伝えたわ」
ララはこの三人に伝えれば、きっとコーレイのことをちゃんと調べてくれるはずと強く思っていた。
ララの背中をゆっくりとさすっていたサルヴァドールの手の動きが止まる。ララはあんな目に合ってもコーレイから殺意を感じていないようだった。
コーレイの狙いは決まっていた、だが本人の殺意がなくとも確実に亡き者にしようとしている。これだと暴漢ではなく刺客の可能性も強くなる──。
ララに自分の手をにぎにぎされていることに気づかないほど、サルヴァドールは少しの間呼吸を忘れていた。




