2-22 ララ釣られる
「ララちゃん」
近づいた三つの人影はララを警戒させることはなかった。
自分の名前が呼ばれたララは道端の白い花に手を伸ばすと「押し花にしたいの。一本もらうわね」と花に話し掛け、髪にすっと差し、立ち上がりながら振り返る。
その、花と喋る様子を見ていたうちの一人は帽子を被り口髭が生え、もう一人は長身でがっちりとした体つき、そして三人目は巻き毛の商人風の服を着た男性だった。上質な生地で仕立てられた上着は体にぴったりなラインで、立襟と袖には控えめなフリルがついている。今日の畑には何人もの男性が参加しているが、この三人は畑仕事をするような服装ではない。
自分に向かって立つ男たちを順番に見渡すと、ララの視線は真ん中の背の高い男性に戻った。
「タモ網⋯⋯」
真ん中のがっちりとした男性はなんとタモ網を握っていた。
昨日も今日もこの三人は畑作業には参加していなかったことをララは一瞬で見抜いていた。なぜ畑にこれを持って来ているのかわからない。虫でもつかまえるのだろうか。いや、やはり網の中に肥料か何かを入れて遠くに投げるのだろうか。
「ララちゃん、これで遊ばないかい?」
「タモ網⋯⋯遊ぶ⋯⋯?!」
ララの目元にぎゅんと力が入る。
網を持った男性に続き、帽子を被り商人の服を着た男性もララを誘う。
「これからこの網を持って魚釣りに行くんです。一緒に行きませんか?」
タモ網の男から、上品に整えた口髭の男性へララの視線が移動する。
「⋯⋯魚釣り? 魚を捕まえるってこと? 何のために?」
ララはゆっくり理解しようとした。グランタス帝国の訓練のように網に物を入れて投げ当てるのではないらしい。変に駄々をこねるとまたタモ網が遠ざかってしまうといけない、雑貨店の二の舞にならないよう頭はすんと冷静になった。
しかしララは池や川、海にも行ったことがないため、魚釣りというものが全く分からない。
「(ば、ばかっ! アイスタニア王国民は魚を食べないんだぞ!)」
「(そうだった!)」
タモ網を持った長身の男が慌てて帽子の男に小声で注意すると、反対側に立つ巻き毛の男が言葉を補った。
「ああ〜あのね、魚さんと遊んだりお話しするんだよ。この網があれば一緒に行動できるからね。えーと、散歩? この網に魚がこんにちはーって入ってくれれば、一緒に川沿いを歩けるだろう?」
ララは想像した。水にそっと網を突っ込み、中に魚がすっと入ってくる。そしてお互い顔を合わせ、あはははと笑顔で歩く光景が描かれる。
「タモ網が魚と一緒に散歩できる道具だったなんて、私知らなかったわ⋯⋯なんて⋯⋯なんてすてきなの!」
まるで金色に輝いた世界に自分が立っているかのように身体中がぶるぶるっと震えたララは、巻き毛の男の手を取り、包み込むように握った。そして尊敬の眼差しで見つめる。
巻き毛の男は自分でもめちゃくちゃなことを言っていると思ったが、目の前の姫の顔は最高に輝いていた。一瞬で虜だ、今日の仕事は最高に上手くいった──そんなクリティカルヒットな達成感がじゅわっと頭から全身を一気に纏っていくのが自分でわかり、男は悦に入った表情となる。ララもその顔とそっくりになった。
「魚と遊べる⋯⋯話せるのね! ええ、ぜひ行きたいわ! ありがとう私を誘ってくれて!」
三人の顔を順に見ながらララは感謝を述べた。
花に気持ちがあることを知っているララは、それと同等に魚とも通じあえると信じて疑わない。
まさか〝魚と遊んで話す〟という言葉でララが引っかかるとは、この三人のうち一人も思わなかっただろう。この網さえあれば姫は何でも言うことを聞くのではないかと今後の作戦の勝ち筋が見えたような気さえした。
タモ網を持った長身の男がララを仲間に引き入れるように、ピンクの髪の上から肩の後ろに手を当てる。
「はっはっ。じゃあ僕のお馬さんに乗って行こうか。馬は怖くないかな?」
「一回だけ乗ったことがあるわ! とてもおもしろかったの!」
「それはいい、じゃあ今から行こうか」
長身のがっちりした男がララに肩に置いた手に意志を出す。ララと共に馬のいる林のほうへ歩を進めた。
「ああ、でもジェレミーとトーレも一緒じゃなくちゃ。ジェレミーも魚とお話ししたいと思うでしょうし、トーレは私たちと一緒に行動しているの」
クリティカルヒットを叩き出した巻き毛の男がララの前に出た。そして生まれて初めてと思うくらい優しい声で話しかける。
「ああ、あの二人なら分かるから俺が伝えに行くよ。ララちゃんは先に楽しい馬で行くといい。待っていたら遅くなっちゃうよ」
「ありがとう! あなたとあなた、アデルーンギャザリングに居た人よね」
帽子口髭男と巻き毛男は笑顔のまま表情が固まった。店の中ではチラ見で顔を隠し、声も発していない。なんなら買い物に夢中のララに見られたとも思っていなかった。しかし二人はすっかりバレていた。
だがララは雲で覆われた空を確認すると、そんな三人に変わりない笑顔で促した。
「そうよ雨が降りそうだもの、こういうときはさっと行動しなくちゃ! ね?」
「⋯⋯そうだね。テオ、頼んだぞ」
「よろしくね」
「任せてくれ。すぐに追いつくから」
テオという名の巻き毛の男を見送り、ララたちは林の陰に待たせている馬まで移動する。
ララは長身の男と手を繋いで歩いていた、ララはすっかり心を許している。しかし、雑貨屋にいたと気づかれ、男たちは気が引き締まっていた。
「そしてあなたもニルラ大使館の隊員でしょう? この前パレスの武器見学会でとっても長い槍を持ってたのを覚えているわ」
「えっ」
手を繋いでいるタモ網の男の動きが一瞬止まるが、ララはにこにこしながら話し掛けてきている。ここで時間を費やしてはいけない、男は否定せずすぐに返事をした。
「⋯⋯そ、そうです。マルクと申します。なので⋯⋯私がいればララ姫も安心ですよね?」
マルクは急に言葉遣いが丁寧になった。姫とは知らない体で普通の女の子として接していたが、自分までバレてしまった。頭の中は〝姫が相手〟なんだと一瞬で切り替わってしまう。
「安心? 元々不安なんかないわ。どういうこと?」
「いえいえ不安も危険もありませんよ。箱車よりも揺れる馬で移動しますので、ちょっと口に出てしまっただけです。では行きましょうか」
「ええ、早く行きましょう!」
ララは居ても立ってもいられない感じで一緒に馬に乗せてもらった。
『アイスタニアには悪い奴がいない。いや、いるいないというより、人の命を脅かすことはしないし、皆が大らかなので細かいことに反応しないだけなのかもしれない』という絵空事な国民性の説明がされてはいたが、やはり人を警戒するような民ではないらしい。それともただこの姫が世間知らずなだけなのだろうか──マルクはそんなことを考えて始めていた。
マルクとララと乗せた馬は町へ続く道を歩き進む。しばらく行くと隣の馬の騎手にララは尋ねた。
「あなたの名前は?」
「⋯⋯はい、私はユーゴです」
「ねえ、二人ともさっきみたいにララちゃんって呼んで」
ユーゴが一瞬返事が遅れたため、マルクが話し出す。
「⋯⋯ララちゃんは馬に乗るのが上手だね。バランスがしっかりとれているから一緒に乗っていても支える必要が全くない」
「よかった。馬が走りやすいように座っているの」
ユーゴも頑張って笑顔を作るが、少し帽子で顔を隠したくなった。せめて口髭でも笑っていたらいい。
「そうだ、着いたらララちゃんの知っている人がもう二人いるんです」
テオが追いついて来たのが分かった──ちょうどここは分かれ道だ。
「えっ誰かしら」
「それは着いてからのお楽しみですよ」
ララを乗せた馬は町から少しずれた方向へ走っていった。




