2-20 種蒔きは鼻の下が伸びるらしい
今年は高気圧に覆われて晴れの続く日が多かった。
暖かい季節に変わるこの時期は例年雨が多いが、ここアデルーンでは四日前に雨が降ったきり。作物の生育のためにも、もう少し雨が欲しいところだ。
昨夕畑に行ったララは風向きが北寄りに変わったことに気づき、身体に感じる気圧の変化からもうすぐ雨になるだろうと予測をしていた。高気圧が東や北に抜けたのかもしれない。今日もその感覚は続き、明日の午後には降雨が濃厚となる。一緒にいる王族のジェレミーも高い確率で明日は雨が降りそうだと分かり始めていた。
畑に到着し箱車から降りたトーレが少年少女と女性たちが詰まった後ろの箱車へ移動すると、ララとジェレミーは内緒話を始めた。
「昨日フランツの畑に来た時、雨が降りそうな空気に変わってきたから種を撒ける状態にしたいと思って畝を一気に作ったの」
「僕なんか昨晩はぐっすりだったよ。この広さだよ、もしララに誘われてたらきっと渋ってたと思う」
昼に見る畑は明るく照らされ、昨晩より堂々として広く見えた。ララの作った盛り上がった土の列がまるで織物の模様のように端から端まで綺麗に並んでいる。
「私も疲れていたけれど、帰りはシークに乗って戻ればいいと思って」
「え、空飛ぶマットに乗ったの? いいなあ、次に使うときは本当、僕も乗せてよ! アリー、もったいぶってシークに全然乗せてくれなかったんだ。まあ僕も別に乗らなくていいって強がってたんだけどね」
ジェレミーは兄がいない場所ではつい本音が出る。歳の近い同性の兄弟だ、口喧嘩がきつくないだけでも十分かもしれない。お互い憎まれ口がほんの少し出るだけで殴り合いには至らないが、ルナとララの姉妹と混ざっても一番年下のジェレミーはいつも割を食っていた。
「おいジェレミー、ララ、始まるぞ」
まだ箱車のそばから離れない二人をトーレが呼ぶ。説明を聞くために町から移動してきた参加者はフランツのほうに集まっていた。追加で参加が決まったのは皆、ララたち三人に惹かれた者ばかりだ。ジェレミーやララをちらちら見ている。
「ララ、わかっているな?」
「種ならいいでしょう? 農具は使わないわ」
ララは種が入っている袋をひょいっと持った。
三つのチームに分かれて作業することとなり、それぞれの畑へ移動する。
「ジェレミーくん、あっちの畑まで一緒に行きましょう!」
「ジェレミー様、私初めてなの。いろいろ教えてね」
女の子たちに両腕を掴まれたジェレミーは目尻を下げる。
「さあ交流、交流! ではララくん、さらばだ」
ララに挨拶をすると、王子は南側の畑へぐいぐいと連れていかれた。
そして一人残されたララにはすぐに男子たちが群がってくる。
ララは昨晩の畑で土だらけになったため、タバサが考えてくれた長袖長ズボンの作業着に加え、帽子に手袋の完全防備姿にシークを変えていた。それでも溢れ出た可愛らしさが男子たちを酔わせる。
ララは道具を触れないので、男子たちに種を入れる穴を掘ることはすでに話がついているようだった。挨拶代わりに彼らはぐいぐい近寄ってくる。
「僕がしっかり穴を掘るよ!」
「俺は穴を掘るのが得意なんだ」
「俺は一番大きな穴を掘るぞ!」
「いやいや、この種は小さな穴で十分なんだ⋯⋯この棒を使うか、土に指を突っ込んだ第一関節くらいの深さと大きさでお願いできるかな、はは⋯⋯」
作物ごとに種蒔きの仕方が違うのだが、ララの前でつい競争心が出てしまう男子たちに棒を渡して、優しく伝える畑の主フランツ。
「じゃあここから穴を作ろうか。穴同士は手のひらの長さ分、離して開けてね」
フランツが指でちょんちょんと土に穴を開けていく。
昨晩の畝立てでは『丈夫に育ってね』とララは土に声を掛けていた。自分が植物だった時の記憶がしぜんとそうさせてしまうようだ。植物にも、土にも、感情があるのをララは知っている。
そして今日はたくさんの人と一緒に作業できるのが、ララは嬉しかった。
男子がつんつんと棒で土に穴を開けた後「大きくなあれ、美味しくなあれ」と言いながらララは種を蒔き始める。
その柔らかく愛くるしい声は一帯の空気をピンク色に染め、種を蒔く時のしゃがむ体勢は女性の甘い匂いを醸し出す。種をつまむ指は繊細で、その手で自分にも触れてほしいと男子たちに思わせるものがあった。
そう、彼らは一様に鼻の下を伸ばしていた⋯⋯。
「ふわ⋯⋯か、可愛い⋯⋯」
だがララの種蒔きと土被せのスピードが尋常ではなく、しまいには男子たちはララに追われるように土に穴を開けるだけで精一杯となり、会話もろくにできなくなってしまうことをまだ彼らは知らないでいる。
一方トーレはもう一つのチームに居た。停めてある箱車から一番近い畑だ。
「トーレ、畑仕事はまだだめよ」
「種の袋を運ぶぐらいならいいだろう?」
「だめだめ! 背中に力が入っちゃうじゃない!」
ロングのストレートヘアで唇がぷっくりしているアリーチェ、胸元がたぷんとしたクラリッサがトーレに絡んでくる。この保全部医療班の女性二人も畑の種まきを手伝うメンバーに入っていたが、結局トーレが畑仕事を行わないように見張ると言って、トーレの両脇にぴったりくっついていた。
種蒔きの説明に来た流通部長のウォルターが、二十歳の美青年チームのメンバーに食いつかれるように質問を受ける。不機嫌な顔をしている女性たちが、手に種を蒔く穴を開けるための棒を握りながら文句を言ってくるので何となく、怖い。
「なぜトーレは畑に出てこないの? 保全部に囲まれちゃってるわ!」
「ほらステージの挨拶の時、密猟者を捕らえたって言ったのは覚えているか? トーレは密猟者からとげとげの棍棒で背中を殴られたんだ。だから無理をさせたくない」
「なんてこと! 私たちのために!」
「背中を撫でてあげたいわ!」
「いや、触らないほうがいいと思うが⋯⋯。というか、私たちのためにって?」
ウォルターが真面目な顔でつっこむが誰も相手にしない。
「アイスタニアでそんなことがあるなんて、物語の主人公みたい!」
そんなきゃっきゃしながらしっかり手は動かすアデルーンの女性たちに感心しながら、トーレはジェレミーの居る畑やララの畑のほうを見る。
ぎりぎり見通せる距離だ、何かあればすぐに気づけるだろう──。
「トーレ! 私頑張ってるから、ちゃんと見ててねー!」
「ちゃんと見てるぞ、ジリアン」
「私のことも見てトーレ!」
「昼の踊りといい、頑張っているなカロリーナ」
文化部の踊り子たちも畑仕事に参加していた。
◇ ◇ ◇
「ララちゃんたちは畑かぁ。ねえお父さん、明日はアラステアたちも畑に行くんですって。私も行っていい?」
「今日咳がおさまったとしても、明日は念の為休んだほうがいいんじゃないか? 身体を使う作業だろう」
「そうよね⋯⋯」
パティは今朝は何ともなかった喉が、今は痛くなってきていることが気になっていた。
軽く食事を終えソファで休んでいたパティは、ララに貰った生花のカチューシャをまだ頭に着けたまま、テーブルに掛けていたクリーム色の薄い布をじっと見る。毎日目にしている物なのに、今頃気づいてしまった。
「お父さん、このカバーレース、ララちゃんが着ていた服と似てるかも!」
ソファからぴょんと立ち上がり、テーブルの上に置きっぱなしだった父親の本をずらし、何気ないレース布だったものを引っ張って宝物のように手元に集める。
布を広げて羽織ってみると、あのララみたいだ。ぎゅんと音がなるようにパティの心が躍る。
じっとしていられない──あのステージの上で羽ばたいていたララを真似して、二本の腕を空で泳がせてみた。
「ねえ、お母さんたちはまだ帰ってこないの? 花が萎れたら困るわ。ちょっとだけ外を歩いてきてもいい? この格好で迎えにいくの」
ララたちが帰ってからかなりの時間が過ぎていた。花のカチューシャが枯れないうちに見てもらいたい。
「咳が出ているからララたちが送ってくれたんだろう? それにもう外が暗くなってきた」
「じゃあ玄関の外階段まで! 今咳は出ていないし、道は歩かないわ。誰かに見せたいの!」
父親は娘の逸る気持ちを止められない姿が、可愛いて仕方がない。外から帰ってきた近所の人に見てもらえるだけでも満足してくれるかもしれない。
赤みの消えた空が町の色を消す頃、父に許しをもらい女の子は表の玄関から飛び出す。あの時の不思議なララの足さばきを真似るように、爪先立ちで膝を伸ばしながら階段を降りていた。
背伸びをすると少し高い目線、たったこれだけでいつもと違う世界、ララになった気分だ。
建物の壁も地面も暗くなってきたため、遠目から見た人がララと見間違えてくれないかとパティは期待してしまう。
しかしこの家の前の道は生活道路で細い。歩く者は一人もいないし、そろそろ外を歩くにも灯りが必要になるくらい夕闇が町を覆ってきた。母と弟もさすがにもう家の近くまで戻って来ているのではないだろうか。
パティは伸ばした腕を羽ばたくようにゆっくり動かし、今度は階段を三段登る。あの宙にとどまるようなララのジャンプはどうすればできるのだろうか。振り返って道のほうを向き、ぴょんと地面まで飛び降りてみる。
玄関へ繋がる階段に座り、暗くなった空を見る。誰にも見てもらえないのが残念だが、咳がおさまればララに歌を教えてもらえることを思い出し、ふと笑顔になる。
馬が歩いてくる音が聞こえ、やっと誰かに見てもらえると笑顔で立ち上がりながら横を見たその瞬間──、
反対側からパティの口が塞がれた。




