2-18 王族の特別な歌声
期待した顔つきのジェレミーがステージの陰に捌けていった。
ステージの中央に一人残ったララは空と地面に身体が繋がるように感じながら息を吸い、これから出す第一声が観衆の一番後ろまで聞こえるように意識を整える。
初めに発したのは、母のリリアーナがルナとララに教えてくれた歌だった。
ララの祖母ロンヤから百七十年以上前に継がれたものだと聞いている。
♪
──風のように現れては消え
──雨のように染み込んでいく
語りかけるような低く静かな音からララの歌は始まった。
並外れた肉体から奏でられる声は、ずっと後ろの観客まで空気を揺らすように響いていく。パレスで一人歌うのとは違い、大勢の王国民の前で歌うと、ララは会ったことのない祖母の気持ちが少し理解できそうな気がした。
──空のように全てを見通し 大地のように私を包み込む
──悠久の時間を生きるあなた
今までは溢れる愛の歌だと思っていたが、祖父ジーンとの寿命の違いを知っていたのだろうか、とても切ない気持ちが心に溢れてくる。
──遠い町を歩き たくさん出会った
──違う時間を生き たくさん別れた
ララは歌いながら涙が一粒ぽろっとこぼれてしまった。
別邸に閉じこもっていたときは感情が平坦で泣くことがなかったが、襲撃に遭ってまだ二十日も立たない短い期間で、これまでの涙が出た回数を超えてしまったかもしれない。
──命は芽生え 育まれる 私の足跡は 消えていく
ララは王族特有の高音と低音の二つの声を同時に出して歌っていた。
そして、密猟者と遭遇した後にほんのり思い出したバレエの動きを使い、いつの間にか歌いながら踊っていた。
──そばにいて 私が光に戻っても
──覚えている またあなたを見つけよう
踊りのほうも歌と同様に常人の域を超えた動きをしていた。
骨がしなるため驚くほど身体が曲がる。筋肉も効率良く使われるため、人より勢いがついてしまう。ララは高くジャンプしないように、そして早く走らないようにしていたが、身体の可動域の違いが厳密に分かっていないようだった。
「(人前で曲げていいのはこのくらいかしら)」
背中を反り、顔は空から後ろへ向き、両腕を泳がす。
──溶けても あなたの頬に当たる風になりたい
──混ざっても あなたを気づける私になりたい
身体を戻すように捻ると、すぐにぴょんと軽く飛ぶ。まるで宙に留まっているように帯空時間が長い。ララの軽やかな動きは魅惑の塊だった。
文化部芸能班の踊り子たちは圧倒的な表現に目を奪われ、自分たちが真似をできる範疇を超えていることも同時に気づく。
ジャンプの次に披露したのは回転だった。途中で地面を蹴ったり勢いを追加することもせず、ゆっくりと不思議なほど回り続ける。
短い歌が終わりを迎え、ララはまた同じ歌を繰り返し歌い始めた。
長い回転の次は両腕を羽ばたくように高く滑らかに動かし、膝を伸ばした足を高く上げ、軽くその場で跳ぶと本当に空を飛んでいるように着地するまでが長かった。
踊りの名残を表現するかのように、ゆったりと両腕を広げながら床の上を大きく8の字に移動する。タバサデザインの花びらスカートは、花が開花するように一枚一枚がふんわり広がっていき、ララのジャンプとも相性が良い。
踊り子たちは見たことのない動きに言葉を失っていた。文化部長のシモネッタはただ見ていたいのに、心が震え黙っていてはいけないと、なんとか声を搾り出す。
「護衛隊に入隊した時は王族の並外れた身体の動きに十分驚いたけれど、この姫は動きに加え、芸術性も高すぎる⋯⋯ララ、いえララ様、なんて優雅に輝いているのかしら! アイスタニアの宝石だわ!」
歌声だけでなくララの一挙手一投足にアデルーンの町民も魅せられている。
姫の全身から発するエネルギーと、身体中を楽器にしたような遠くまで響き渡る歌声。指先足先まで細かく表現した芸術的な舞いは、観客の心を鷲掴みにした。
最後はその場で独楽のように回転し、すっと止まると場を締めるようにバレエのレヴェランスのような挨拶をする。ララは両腕を広げ前後に開いた足の膝を曲げて、アデルーンの皆の前で身体全体を使った幻想的なお辞儀をした。
会場には呼吸二回分の沈黙が流れる。
「わっ⋯⋯」
「えっ⋯⋯」
「あぁ⋯⋯」
「わー!」
「うわー! 何なんだ!」
「すごいわー!」
観衆の爆発したような歓声がモール全体に轟き渡り、町長のハサンも一人言では済ますことができないようにステージの隅で大きく叫ぶ。
「これほどの歓声はアデルーンでは初めてかもしれん! これは伝説になるぞ!」
ララはアデルーンの人たちの大喝采を浴びると、これまでパレスで何も行動できず無力を感じていた心にエネルギーが湧いてくるのがわかった。頭のカチューシャとは違う花びらが、ひらひらと自分の周りに舞っているような感覚を初めて覚える。
「嬉しい⋯⋯嬉しいわ⋯⋯」
実際舞台の端から観ているジェレミーにも、ララの身体を纏うように幻の花びらが三枚ゆったりと踊っているのがわかり、目元がじわっとしていた。
「ララ⋯⋯よかったね⋯⋯」
ララはステージの上手から下手へと、歓声のやまない観客に向かって麗しくレヴェランスをしていく。
「すばらしい!」
「もっと! もっと!」
バレエのような挨拶の仕草でも観客は喜んでくれる。彼らには見慣れない新しい表現の筈だが、受け入れてもらえたようだ。
「もう一曲だけ歌わせてもらおうかしら。それでは! 国歌を歌います!」
手を上げて宣言した姫の二曲目を聞くために、賑やかだった会場がしんと静けさを取り戻す。馴染みの歌がララからどう発せられるのか、見逃さないように一同は釘付けになった。
もともと国歌は行事の締めに歌われているので、合唱隊と楽器隊がララに加わろうかと身体が動いたが、ララの独唱を邪魔せずに聞いてみたいという気持ちが上回り誰もその場を動けずお互いに首を振った。
ララは伸びやかに通る声で歌う。
パレスのガゼボで王ベンジャミンがうたってくれたように、また高音と低音を同時に出した。
──雨よ降れ 恵の雫よ
──大地よ染まれ 命色に
──咲き誇れ アイスタニアよ
誰も真似できない高音と低音で歌われた国歌はすぐに終わってしまう。
一度歌い終えると、ララは観客に向かって両手を差し出し、手のひらをクイクイッと動かす。
「一緒に歌って!」
二回目は、アデルーンの町民も歌ってくれた。ララが後を追うように輪唱する。
──雨よ降れ (雨よ降れ) 恵の雫よ (恵の雫よ)
──大地よ染まれ (大地よ染まれ) 命色に (命色に)
──咲き誇れ (咲き誇れ) アイスタニアよ (アイスタニアよ)
合唱隊と楽器隊も加わりさらにもう一度繰り返されると、ララは歌に合わせて空に二本の腕を振り上げたり、地面を撫でるような軽く屈んだ体勢でステージを大きく回る。
最後、ララはタンッと上に飛んだ。高くなりすぎないように気をつけながら後方にゆっくり宙返りをした。そう、ゆっくり、驚くほど滞空時間が長いジャンプを。
いかに観衆を巻き込むと盛り上がるか、わずかなアイドルライブの記憶が役に立った。よかった、思い出して──。
「わー!」
「ララー!」
歓声の中ジェレミーのほうへ戻ろうと、ララは満足げな顔でくるっと向きを変えたが、すでにジェレミーのほうがステージの真ん中へ来てくれていた。
「ララのあの動き初めて見たよ! いつ練習していたの? それにあの声の出しかた、お父様みたいだった。二つの音が同時に出ていたよ!」
やはりあの発声は王族でも難しいみたいだ。同じ王族でも、寿命の違いで肉体の使える程度が違う。
自分と同じように二つの音を同時に出すことが簡単にできないのだ。
「ララの身体はこういう使い方ができるんだね。とっても素敵だよ」
ジェレミーが一番に褒めてくれた。嬉しいララはジェレミーを自分からぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうジェレミー!」ララには花びらがまだ一枚落ちずに舞っていた。
二人の抱擁で会場はまた最後の盛り上がりを見せた。
「ジェレミー、一歩リードだな!」
「あっはっは!」
チェンバロ奏者が興奮しながらララに近寄ってくる。観客の皆にも同意を求めるように大声で訴え始めた。
「初めて聞いた! 心が震える、なんて素敵な歌なんだ。明かに何かが違うのに、今は頭が考えることを拒否している! なんてこった、新しい扉が開かれたみたいだ」
「おー!」
「本当に良かったぞー!」
シモネッタもステージ中央へやって来てララを抱きしめる。
「ララ様、すてきな歌と踊りをありがとう!」
「わー! ララー!」
「素晴らしい!」
「もう一度!」
「もっと!」
お互いの声をかき消すほどの大歓声に応え、ララはその場数歩前へ移動しぴょんと軽く後方宙返りをすると、ぴしっと手を上げて決めポーズをとった。
「わー!」
「きゃー!」
「そうだわ! みんな、明日の昼には洗濯を終わらせておいてね! 雨雲が来るわよ!」
「わかったー!」
「ララー!」
観衆がララに向かって手を振っている。
最後に保全部長のマーカスと流通部長のウォルターが畑仕事を手伝える人を呼び掛けて、ステージは締めくくられた。ジェレミーたち三人も種まきをすると言ったため、人が集まってくれるかもしれない。
ステージから降りる時、ララは観客の顔を全員見るように満遍なく視線を動かした。観衆の中には昨日トーレを連れて行った医療班の女性二人、箱車の荷揚げの人たち、タウン・クライヤーの少年少女、さっき雑貨屋でララの醜態を見ていた外国商人たちも居た。




