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2-14 寝ぼけ姫と周年記念アイテム

「畑に畝(うね)が立てられているんです! 昨日お見せした畑の全て、隅から隅まで!」


 昨日とは違いフランツの言葉遣いは少し丁寧だった。


 トーレが立ち上がると、寝起きでシャツがはだけているジェレミーが部屋からゆっくり出てくる。もう外からは町人の仕事を始める音や声が聞こえてきていたが、ジェレミーは興奮した男の声でやっと目を覚ましたようだ。昨晩お風呂に入ってすぐに寝たせいか、かき上げた髪の寝癖は小鳥が止まりそうなほどにひどい。


「畑が⋯⋯出来上がったってこと?」

 ジェレミーは目をこすっている。元気な寝癖にはまだ気づいていない。


「そうです! 種の袋は保管されているままだったので、きっとあとは種を蒔くだけです! あの畑全部の畝(うね)立てを、一晩でできる訳ありません。百人以上が休憩なしで働いたとしてもできるかどうか! しかも真っ暗な夜に!」


「あ〜、そうだよね⋯⋯暗かったら普通の人は見えないよね」

 まだぼんやりしている王族のジェレミーにも思い当たる事がある、がっつりと。


「ララはまだ寝ているぞ」


「ちょっと見てくるね」


「いや、俺が見る」


 嫌な予感がしたトーレがララの部屋を開ける。

 さっき覗いた時と同じ体制でララはベッドで寝ていた。深い眠りで男たちの賑やかな声が響き渡っていてもぴくりともしない。


 その時二人の隙間から覗いたフランツが言葉にならない声を出した。


「あ⋯⋯あぁ⋯⋯」


 ベッドの上で深く寝ているお姫様──。


 服からはみ出した足と手、そして顔にはたくさんの土が付いていた──。



「も〜、爪の中の土、きっともう一回お風呂に入らないと取れないよ。素人は手袋着けないからー。そういえばパレスの庭の手入れのときも着けていなかったね、まあララは傷もかぶれも心配ないけどさ」


 土の妖精ララをお風呂に入れた終えたジェレミーは、まだ寝ぼけている妖精の濡れ髪をがしがしと拭いている。

 リビングのソファに座ったまま瞼を閉じて動かないお姫様を、フランツは目に涙を溜めて胸いっぱいの表情で見つめていた。


 宿屋の主人が使いを出し、町長のハサンと保全部長のマーカスもララたちの部屋へ到着。廊下に人が居ないのを確認するとマーカスは部屋の扉を閉めた。


「畑が畝(うね)立てされたのは分かったが、被害は何かあったか?」とフランツに尋ねると、言うのが申し訳ないように「鍬(くわ)が五本壊れていた」と返ってきた。広大な土地を耕したのだ、疲労破壊だろうか。スピードとパワーの力任せな作業がうかがい知れる。


 ララは頭がほぼ寝ている状態で会話がろくにできないので、まだフランツの言い分しかはっきりしていない。壊れた原因が身内にあるような気がしたトーレは鍬(くわ)を弁償するとすぐに申し出た。予算は出ている。


 だがトーレは困っていた。

 ララに農具を握らせてはいけなかったからだ。幸いなことに誰もララがやったところを見てはいない。半醒半睡の本人もまだ何も声を発していない。


 パレスで御者の仕事を任されたとき、管理人のマナからは『ララたちが自分と違う判断をしても、怒らずに慣れろ』と言われた。しかしサルヴァドールからは『おかしいところがあれば、迷わず注意すること』と言われている。


「怒るな、慣れろ、そして注意しろか⋯⋯」


 集まった全員の顔を見回し、トーレは結論を出す。


「ララがやったとは限らない、誰も見ていないんだ。俺も見ていないし、ララが昨夜この部屋から出たとは考えていない」

「状況証拠あるけどねー」


「汚れているだけだ。宰相からララに道具を持たせてはいけないと言われている。だからララではない」

「〝だから〟の使い方が変だけどー」


 ジェレミーが突っ込んでくるが、皆の代弁をしているだけ、代表質問だ。トーレは流す。


「ハサン、マーカス、この件はそっとしておいてくれるか?」

「サルヴァドール様の指示ならしょうがない。たまらんなこのお姫様は、ふっふっ」


 嬉しそうな顔の町長が首を縦に振り、保全部長も楽しいイベントに参加した後のように満足げな顔をしている。

「これまで王族との付き合いで驚くことはあったが、今回のは痛快だ。トーレもよく側近に選ばれたな、帰国したばかりなんだろう? 王族でもないのによほどのことだぞ」


 初めに御者と言ったつもりだが、側近と脳内変換されたのだろうか。一応貴族とジェレミーが言っていたかもしれない。


「お父さんがアイスタニア大使だったから外国では本物の貴族として過ごしていたんだ。それにトーレはララの命を救ったんだよ」


「おお⋯⋯」

 ジェレミーの説明に男性たちは驚いたあと、納得の顔になる。


 トーレの注意はまだ終わらない。

「ララ、やったやらないも口に出すなよ。フランツも気をつけてくれ」


「はい、もちろんです。でも今だけ言わせてください。ララ様、本当にありがとうございました!」

 涙が本気で流れ始めてきているフランツ。


「あ、ララに『様』が付いた」ジェレミーが指摘する。


 うとうと顔のララは頑張って半分ほどの笑顔をつくり、やっと声を少し出す。


「ねえ、今日のステージで人集めしようとしてたでしょう? 種を蒔く人を募集すればいいわ⋯⋯あと私、休耕地の雑草は抜いていないの⋯⋯」


「くぅっ! そこまで気にしてもらえてたなんて!」

 疲れ果てた身体でまだ優しいことを言ってくれるお姫様に、フランツがどばどば涙を流している。もう涙腺崩壊だ。

「これなら夏野菜が間に合いますぅ」


 ララはまだ力が入らない。「あともう少しだけ寝かせて」とみんなにお願いし、トーレが寝室に運んでいった。



 寝直す前にララはぼやけた頭で「鍬のお店に行く時は私も連れて行ってね」と言ったため、昼に行われる文化部のステージ前に雑貨屋へ行くことにした。町長ハサンの話ではアデルーンの雑貨屋には農具も置いてあるらしい。


 三人を送ったまま少し外に出ていたトーレが宿に戻ると、ジェレミーがぐっすり寝ているララを起こそうと試みる。まだ寝足りないだろうが、豆が柔らかく煮えるほどの時間は寝かせることができたので、「お店に行くよ」と声を掛けるとララはぱっちりと目覚めた。



「ねえ、それは戻ってきてからでもいいでしょう? 雑貨屋へ行きましょう!」

 飛び起きて身支度も済んだララは今ジェレミーの寝癖を直しながら、テーブルで書き物をしているトーレを急かす。


「そんなに鍬(くわ)を買いに行きたいのか」

「〝買う〟じゃないよ、〝交換〟だよ」

 ノートに記録をしているトーレがジェレミーに訂正される。


「新しい土地に訪ねた時は情報量が多いんだ。こまめに記録しておかないと。ララが寝ている間にステージの準備をしている文化部長に挨拶をしに行ったらいきなり十三人も紹介されたんだ。覚えているうちに書いておかないと」


「そういうものなの?」記憶力のいい王族にはちょっと分からないようだった。


「あともう少しで書き終える」


 ララはトーレの横に移動し、ノートを覗きこむ。日にち、滞在地、出会った人たちの名前と役職、どんな会話をしたか。簡単な似顔絵にはしっかりほくろまで描かれている。紹介された十三人は全員女性だったらしい。


 その前の記録を見てみると、今朝の騒動の要点が書かれていた。『ベッドで寝ているララの手、足、顔が泥だらけ』『畑の畝立て作業は真夜中で誰も見ていない』──。


 一緒にノートを覗いていたジェレミーも突っかかってくる。

「トーレは宰相にでもなりたいの? なんでそんなに真面目なのさ、仕事に真っ直ぐすぎない?」


「俺は非難されているのか?」


 美青年トーレは罵(ののし)りもしっかり受け止める。ほんの少し眉間に寄った皺からも女を惹きつける何かが出ているようだった。しかしそんな大人の魅力に気づくことがまだできない箱入り娘のララは、トーレの顔をじっと見つめる。


「ジェレミーは責めているわけじゃないのよ。自分がしないことをしているトーレが不思議でならないの。でもね、今は鍬(くわ)を手に入れるために雑貨屋へ行くことが最重要事項なの、わかる?」


 ララもちょっとおかしいことを言っている。鍬(くわ)と雑貨屋という二大アトラクションに冷静さを失っているようだ。


「ハクラスカにいるとき、アイスタニアの文字で毎日ノートに記録していたんだ。一日の終わりに、祖国の言葉を忘れないようにな。父親に書いた字を見てもらっていたから、他人が見ても理解できる報告書のような書き方が身についてしまった」


「それ、とてもいい習慣ね。私もノートが欲しくなってきたわ。そういえば私、最後に字を書いたのは何年前かしら」


 今最後にララのとんでもない告白を聞いたような気がしたが、今は触れずに希望通り早く切り上げ、ぱたんと豪華な装丁のノートを閉じた。

「よし、終わった」


 すぐに行きたいのに、ララはトーレのノートが気になった。アイスタニアではあまり見ない柄だった。


「そのノートはハクラスカ帝国の? 持っているだけで嬉しくなりそうな装丁ね」


「ああ、これは帰国する時に向こうの親友から贈られたノートなんだ」


 トーレが二人に見せたノートの表紙には豪華な装飾がされていた。銀縁の中に星が輝き、崖の上で遠吠えをしている狼が描かれている。


「装丁が凝ってるわね。狼の柄かしら」


「星と狼なんだがあっちの大陸で狼というと、グランタス帝国の皇帝を連想する人が多い。あの皇帝には『グランタスの狼』という異名がついているんだ。ちなみに今俺がはいているズボンもグランタス皇帝がはいている形だ」


 ジェレミーが興味深く、立てた指を三回動かした。

「アイスタニア王国生まれで、ハクラスカ帝国育ちのトーレが、グランタス帝国のファンってこと?」


「はは、そうなんだ。このズボンは去年グランタス帝国建国二十五周年で限定発売された、皇帝着用の複製品だぞ」


 ズボンの太ももの布を外側にぴっぴっと引っ張る。太ももはゆったりしてポケットが外側に付いているカーゴタイプ、ひざ下のあたりからはスキニーのようにシュッと細くなっていた。


 トーレがこんなにしぜんな笑顔をしているのを初めて見るかもしれない。


「皇帝と同じ形の服なんて、身分の差がある外国なら普通着られないよね。でもそのズボンは許可が下りて皆もはける、特別なんだね」


 ジェレミーがちょっと興味を示す。確かに動きやすそうで、なんだかトーレがはいていると強さが存分に表現された形に見えてくる。兄のフロリアンに似たものを作ってもらおうかとちらっと考える。


「ハクラスカ帝国に居たら、表立ってグランタスの皇帝の支持者とは大きな声で言えないから、この限定複製品もグランタスにいるアイスタニア大使にお願いして手に入れたものだ。馬に乗るにも身体を動かすにもよく考えられている形で、さすが領土を増やし続ける皇帝の服だ」


「そんなに好きなのね」


「そうだな。惹かれるというか気になるというか⋯⋯ハクラスカとグランタスの国境付近で姿を遠目に見たたことがある。向こう側の河岸にいたんだが、それがきっかけでグランタスのことも外国の一つとして勉強し始めた」


「私はグランタス帝国のことあまりよく知らないけれど、トーレがその国へアイスタニア大使として行くことになったら、喜ぶ顔が目に見えるようだわ」


「なるほど⋯⋯」


 トーレはまんざらでもない様子だったが、兄コーレイの件が引っかかっているのかすぐに表情を失くすと、ララはトーレの腕に自分の腕を絡ませた。


「でもね遠くのグランタスより、まずは近くの雑貨屋よ」

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