2-13王子と姫と貴族のサイトビジット
「もうすぐ空の光が落ちるのに、行くのかい?」
「ええ、現状を見にいくわ」
「僕が御者をするから、ララとトーレは後ろねー」
空にオレンジ色が差し始めたころ、箱車にララたち三人とフランツが乗り込んだ。この時分に遠出を始める王国民は稀だった。よほど急ぎでなければ止めるところだが、少し涼しい風を受けながら町長は嬉しそうに頷き、箱車の出発を見送った。
「レオーネ王太子もあんな感じだったな。時間を問わず、町民の悩み事に付き添ってくれた」
麦わら帽子を手に持ったフランツの話で畑仕事が遅れて困っていると聞き、ララたちは箱車でフランツを家まで送ることにした。
前列にはジェレミー、隣にはフランツが座っている。
ララは二列目三列目の座席だけ倒し、トーレを斜めに寝かせ、自分はまた背中に手を当てていた。医者では治せない深い場所に治れ治れと集中している。自分が原因のけがだ、劇的な変化は起きていなさそうだが、少しでも早く回復することを願っていた。
トーレはうつ伏せのまま会話に参加する。
「フランツ、会ったばかりで悪いが、護衛隊長からこの二人には農具を触らせてはいけないと言われているんだ。宰相からも厳重注意を受けている。だから畑の手伝いについては、俺にできることだけで我慢してくれ」
「ああ、ジェレミーに聞いている。ただでさえ王族が視察してくれて希望に繋がっているんだ。明日、臨時のステージが開催されるのも楽しみだよ」
保全部長のマーカスに『とりあえず人手を集めよう。足りなければ明日文化部のステージがあるから、その時に観客へ声を掛けてみようか』と提案され、フランツは安心から笑みがこぼれていた。
トーレが医療班で過ごしている間に、フランツはララたちと友好的な関係になっていたようだ。
「人が集まりすぎて箱車が足りなくなったら、僕たちがパレスから持ってきた大型三台もあるからね。あ、椅子は付いてないけれど。それよりさ、トーレだってけがしているんだから、手伝いするって簡単に言っちゃだめだよ。棍棒で殴られたのは今日なんだよ」
「こっ棍棒!? 一生味わうことがないものじゃないか⋯⋯! アイスタニアの平和がトーレに守られたんだね⋯⋯」
フランツはアイスタニアブルーの箱車に乗せてもらい気分が上がっていたが、詳細は分からずとも大変な状況だったことを理解し、すぐに引き締めた。
「いつもは時間をかけて徒歩でここを移動するんだ。やっぱり箱車だと早いね。今横に見える畑は休耕地、もう少し寝かせるんだ。問題の畑はこの先。土作りや収穫時には親族総出で作業をするんだよ。それこそ姉や妹が嫁いだ先の家族もここに泊まりにきて手伝ってもらうんだ」
すでに広々とした土地が始まっている。人手が足りないと言っていたが、これまで定期的に手が加えられていたであろうこの休耕地にも、雑草が育ち始めてしまっていた。
「トーレがアイスタニアのことを知りたいと言ってたけど、これは知っているかな。護衛隊の話なんだけど」
「俺は帰国してから護衛隊に五日間だけ参加して、今はもう御者なんだ」
「私もときどき護衛隊の訓練に参加していたわ」
「僕は護衛隊の一番軽いグループに入っていたんだ。護衛隊は門徒が広くて王国民が希望すれば期間限定で入隊できるから、家族五人で参加していた人もいたよ。少なくても三ヶ月間訓練に参加すると、アイスタニアポイントがその後一年間多めにもらえるんだ。パレスまでの送迎箱車はもちろん、期間中は毎日の食事から宿泊施設まで全て用意してもらえるし、健康診断も無料、訓練に参加した日はポイントも貰える。モールもたくさんのお店があるからね、王国内中の物が集まっているから見ているだけでも楽しいんだ! 家族で参加していた人たちは帰る時にはたくさんの日用品や食料品、服を買い込んでいたよ。でもそうか、ララも訓練していたんだね。僕のグループには女性が居なかったな」
この男も王族に対して初めからフレンドリーだと思いながら、トーレはフランツの横顔を凝視していた。二十代後半だろうか、話し振りから人当たりがよさそうなのは伝わってくる。
「護衛隊の訓練は畑仕事にも役に立つのか?」
「それもあるし、畑の作業が少ない時期は他の仕事をすることもあって、護衛隊訓練の経験がある人は他の職業も選びやすくなるんだ。あ、あの林の向こうが畑だよ」
フランツは後ろの座席に振り向いたが、二人は怪我人と手当てをする人のように下の方を向いてじっとしていた。隣ではジェレミーが箱車から出ている光の先の風景を興味深そうに見ている。
「実はこっちの集落で護衛隊の訓練に参加する人が増えちゃって。『護衛隊に可愛い女の子が参加していた』って噂が入ってきたんだ。まだ護衛隊経験がなかった弟や、自分もできるかもと思った末妹、そして僕の妻も子供を産む前に護衛隊に入ってみたいと今パレスに行っている。あと十日もすれば帰って来るんだけどね。家は五人兄弟でちょっと人の少ない場所に住んでいるから『自分の足で相手を見つけにいかないと出会いがないぞ』といつも父に酸っぱく言われているんだ。畑よりも出会いを優先しろって」
「へえー、護衛隊に可愛い女の子って、ララのことかな?」
ジェレミーが振り返る。
「ん⋯⋯? 他の練習場とは少し離れているし、私は移動できなかったから他グループと交流したことがないわ」
「俺もまだ自分の居たグループのメンバーしか覚えていない。練習場は三つあるし広いからな」
ララはトーレの背中を、トーレはうつ伏せのまま床を見ながら思い出す。
「でも畑の作業が遅れた原因はそれだけじゃないんだ。姉さんも毎年嫁ぎ先から家族連れで手伝いに来てくれるんだけど、今年は上の子供二人が流行病になってしまったから来るのが遅れるって。妹家族もお腹に赤ちゃんがいるんだけど体調がよくないと連絡がきたんだ。さらに僕が同居している父親も足を骨折して母と一緒に医療班の施設で泊まっている。なんと今は僕の一人暮らしさ!」
「ああそれは⋯⋯なかなかない事が重なってしまったんだな」
弱り目に祟り目のような状況にトーレは同情する。
「護衛隊はそんなに人気なのね。私パレスに戻ったら他の練習場を覗いてみようかしら。もう移動できるようになったし」
ララはこれまで別邸と隣接している練習場だけで、ノリスタンがいる時しか参加する事ができなかった。そして頭の中がまだ護衛隊の話で止まっていた。
「着いたよ」
四人が箱車から降りると、外はもう空の光が落ちる手前だった。
赤く色づいたすじ状の雲の下、オレンジ色に畑一帯が幻想的に照らされている。
遮るものがない畑の上を吹く風の音は、聞いた事がなかった。一緒に土の匂いが運ばれてくるが、音も匂いもパレスとは違うことに気づく。
それは抜け出して来たばかりの姫には十分すぎる光景だった。
「すてき⋯⋯」
箱車の中ではトーレの背中に集中していて、外を全く見ていなかった。
「私、本当にパレスから出られたのね。なんてすてきな風景なの⋯⋯しかもここに種を蒔けば、命溢れる土地になるのね⋯⋯」
ララが少し涙ぐみ、周りには幻の花びらが一枚踊るように漂っている。
「ララ、土だけの場所なのにそんなに思ってくれるなんて」フランツが驚いている。
ジェレミーはララの佇む姿に吸い込まれるように引き寄せられ、頭を寄せると頬に小さくキスをした。
「ぇぅっ!」
その瞬間ジェレミーの中にララの想いがぎゅんっと入ってくる。詳細まではまだ読み取る事ができないが、ざっくりとした感情がララからだだ漏れしていた。
「ん〜!」
これまでララのことを不憫に思っていたジェレミー自身の想いが、今流れてきたララの感情を深く理解し、相乗効果で強烈な刺激となる。しだいに涙と鼻水がだらだらと垂れてきた。
「ねえジェレミー、私これまで泣いたことほとんど無いのに、最近涙ぐむことが多いのは何故かしら⋯⋯」
すでにフロリアン特製のハンカチを、自分の顔に押さえつけているジェレミー。
「ぐっ、えっぐ⋯⋯当たり前だよ。ララは普通の人が人生で一度も経験しないようなこと、最近いくつもあったんだ。そして今は、皆が当たり前に経験していることに初めて向き合っているんだから。うっ、うぐー!」
「や、やだ⋯⋯ジェレミー、感動が台無しよ⋯⋯」
暖かい色の沈みゆく光が、泣いているのか笑っているのか区別がつかないララに当たり輝いている。溜まった涙がぽとっと地面に染み込んでいった。
トーレも二人の涙を目の前にすると胸に響くものががあった。
しかしふと昨夕のことを思い出す。
一日前の空の光が落ちる時間は露天休憩所にいたので、ララはすでに広々とした荒野で荘厳な光景を味わえていた筈だ。トーレ自身は箱車酔いでぐったりしていたため、どんな景色だったか全く覚えていない。だがララの優しい手に、自分の頭や耳が包まれていたのは覚えていた。
きっと光が沈む時、ララはずっとトーレのことを介抱していた。
ララにとって初めての感動の風景を奪ってしまっていたことに気がつき、トーレの奥にしまっていた暗い感情が蠢いてくる。
悪かった⋯⋯と言いかけた言葉を飲み込んだトーレは、ララの背後から肩に手を置く。二人の邪魔にならないように⋯⋯。
フランツは空の光が沈む方向に両腕を伸ばす。
「この辺りの畑は全て僕の家が担当なんだ。北側のほうは見れば分かると思うけど、もう作物は育ち始めている。困っているのはこれらの畑」
ララが密猟者の時に思い出した記憶、アイドルのスタジアムライブ会場の二倍はありそうな広大な畑が目の前に広がっている。
「前に作った作物の根っこや葉っぱはもう片付けてある。肥料も入れて土づくりはしたんだけど、あの端の方にある三列の盛り上がっている畝、あの畝立てっていうのが大変でね。水捌けが良くなるように土を盛り上げるんだ。あれがここの畑を埋め尽くすように全部できれば、新しい種が蒔けるんだけど、次の雨が降る前にそこまで終わらせたかったんだよね⋯⋯」
残念な顔をしていたが、思い出したように表情が明るくなるフランツ。
「そうそう、ここの土づくりは以前レオーネ王太子に教わったんだ。ふふ、あの時レオーネ様、土を口に入れてたんだよ。どの栄養が足りないのか、他の土との違いを探るために。僕には全く分からなかった⋯⋯あっ!」
フランツが振り向くと、ララはしゃがんで早速土を口に入れていた。しかも、がばっと。
「なっ! 入れすぎだよ! 食べたり飲み込むとかじゃなくて、ほんの少し、味の違いをみていたんだ!」
鬼の形相のトーレがララを引っ張って立ち上がらせると、口に指を突っ込み、土を吐き出させる。
まるで幼児が砂遊び中に口に入れてしまったのと、大きな鬼がいるような二つの情景が、オレンジ色に映える。
今しがたの感動が一瞬で引くような二人の姿を見て、やっと涙と鼻水が落ち着いたジェレミー。
口の周りが土だらけになったララは、無邪気な笑顔でトーレに笑って見せた。そして何かに気づいたような顔で、口元をぬぐいながらじっと遠くを見つめていた。
空の光が完全に隠れ、フランツを家に送った後、寄り道をせずに箱車を走らせる。夜空に浮かぶ小さな光の数は普段より少なく、明るい光だけが見える程度だった。
三人が宿屋に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていて、歩いている人も全くいない。
町長から話は聞いていた宿屋の主人は、労をねぎらうように飲み物とドライフルーツのサービスを用意してくれていた。
案内された部屋は少し特別な作りで、三人は入口のささやかなリビングスペースを見渡し、奥につながる扉五つを見る。三つの寝室があるこの部屋にはお風呂が付いているそうだ。リビングの片隅のテーブルに荷物を置くトーレ。さっきお店でもらった袋の一つはフランツに渡してきた。パンに野菜が挟まれたものと、豆の煮物が入っている。
「ララ、覚悟していた痛みと腫れが不思議とひどくなっていないんだ。あとは一晩寝て、明朝起きた時に動くか様子を見てみる。今日は本当にありがとう」
「ええ、そしたら私、今日は休むわ⋯⋯」
「ララ、今日は何度もトーレの背中を見てたから能力を使ってたのかな、もう瞼がくっつきそうだね。そうだ寝室、どれにする?」
「私、寝坊するかもしれないから朝日が入る部屋がいいわ⋯⋯」
「わかった、じゃあ僕は隣。トーレはそこね。ふあぁ」
ジェレミーもあくびが出てきた。
翌朝、起き上がる時に適度な痛みを感じつつ、予想よりも落ち着いている背中に安心したトーレはリビングに移動した。二人の部屋を細く開け、寝ている姿を確認する。まだ起こさなくていい。
テーブルの上でノートを開き、昨日の出来事をペンで記録していく。
密猟者、荷揚げ、町長部長との挨拶、そして畑のこと・・そうだ医療班の女性二人の名前も書いておこうと頭に浮かんだその時、どたどたと階段を駆け上る音が聞こえてくる。
「おはようございます! フランツです!」と大きな声が宿屋に響く。
アイスタニアなのでもちろんノックなどはない。すぐに扉が勢いよく開けられる。
「皆さんいますか? 大変です! 畑が大変なんです!」
ずっと走って来たのだろうか、かなりの距離はあるはずだ。汗を流し息を切らしながら、フランツが飛び込んできた。




