1-04 マナと暗闇での特別授業
ララは本邸にある防音のしっかりした部屋に案内された。部屋の鍵を内側から閉めた管理人のマナは、窓も鎧戸で閉じ始める。上から下まで並んでいる横長の羽根板が、遅い朝の光を部屋へ漏らすはずが、部屋は真っ暗になる。見た目とは違う〝加工〟がされているようだった。
しかしララは紫外線や赤外線も知覚できるほど視覚が発達しているため、光量が少なくても目が順応する。
そんな暗闇の密室に男女二人きり。ララは自分の太ももにへばりついていた銀色ナマコのシークをスカートの中からもぎ取った。
「昨晩は寝られなかったわ、今日のことが楽しみすぎて。だからシークをずっとむにむに触っていたの。かなり伸ばせたけど全く千切れなかったわ」
管理人は口を小さく開けて笑った。ララは熱い飴をこねて伸ばす飴職人のように、あの銀色ナマコをびよーんとしていたのだろうか。とにかくシークと楽しい一夜を過ごせたようだ。
マナは相手が王子や姫、外国からの大使でも、対等な口調で話しかける。不躾と言われようが、特に王の近くで働く者は身分の差を無くすよう率先してタメ口、親戚のような親密さで会話をする。ごく一部の者は会話の中に丁寧語や尊敬語がときどき顔を出すが、もちろん咎められるわけでもない。
「シークの説明と設定が終われば、ララも外に出られるようになるかもしれないね」
これまで別邸の敷地内だけで過ごし、母親に守られてきたララ。もし外に出たら生活ががらりと変わることになるだろう。マナのたった一言で希望が溢れ出てきた少女は、真っ暗な部屋の中、手を広げ、花がたくさん開いたような喜びの表情になる。
「楽しみしかないわ! それなら私にもそのうち護衛がつくのかしら! 私の知っている人かしら!」
きゃっきゃしているお姫様を管理人は微笑みながら見つめている。二人は暗闇の中、椅子の横に立っているが、つまずいたりぶつかることはない。
「きっとララのほうが強いだろうから、護衛というより付添人かもね。教育係かもしれないし。そこはサルヴァドールが考えてくれるよ」
二十代半ばの管理人マナは王国の宰相サルヴァドールも呼び捨てだ。
「ではララ、シークを登録しよう。『シーク』と呼びかけて、『登録』と命令する。そして自分の『名』だ。その時シークに触っている部分がちくっとして、ララの身体の一部を取り込む」
「シーク、登録。ララ」
手のひらに載せた銀色ナマコに話しかけると、ちくっと痛みを感じた。きゅうんと微細な振動がシークの銀色の体に行き渡る。
「シークはララの身体を守ることに特化しているから、外敵からの保護だけでなく、水を出したり清潔を保ったりしてくれる。そう、下着を取り替えなくていいんだ! 下着や身体に触れるものの説明は、この後タバサを呼んでいるから聞いて。僕は特別な機能を教えてあげよう」
管理人のマナはここから秘密の話を始めるような、引き締まったまっすぐな声色になる。
「ララは王族の中でもかなり速く身体を動かしたり、特殊な動きをすることができる。そういう歴然とした差は王国民の前ではもちろん隠しておいて欲しいんだけど、シークに助けてもらうことができる」
ララにしか見えない真っ暗な部屋でマナはにやっとした。
「ということで、特別な機能その一! 身体の特殊な動きを見せたくない時は、姿を消せる」
「姿を消せる?!」
なんと素敵な響きだろうかと、心の声がだだ漏れになったララの顔は最高に輝いていた。
頭の中ではアイドルのトンチキソングが流れる。『♪隠密(隠密)、潜伏(潜伏)、君の前では軟弱ぅ!』──昨日少し思い出したばかりの〝別の生の記憶〟だ。
マナは可愛いララの顔につられて、にこにこしながら説明する。
「さっきと同じ。シークと呼びかけてから命令ね。姿を消しても見えにくくしている程度だから、王子レベルならララの動きに気づける筈だよ」
そこでララは早速シークに話しかけてみる。
「シーク、〝隠密〟のワードでも姿を消せるようにしてね」
きゅいんとわずかな音が聞こえ、ほんの少し光る。暗く静かな部屋だから気づける音と光だった。
隠密はアイドルの歌に出てきたワードだ。満足そうにララが頷く。
「うんうん」
「初めてなのに、なんでそんな使い方ができるんだ⋯⋯」
管理人は驚いている。まだ姿を消すという紹介しかしていないのにララはシークへの指示の出し方を心得ているようだった。
ララは〝別の生〟で便利な四角い『スマートフォン』を持っていた。断片的な記憶なのに操作方法がふんわり理解できていたので、そんな感じに指示を出したらいけてしまった。
「数日前だったらこんなこと出来なかったと思うわ。頭の打ちどころが良かったのかもね」
「いやいやいや⋯⋯ん、頭打ってたの?」
「知らないけど。ゴツン、くらいじゃない?」
話がずれそうだったが、ララの身体が大丈夫なのはもうはっきりしている。マナは心配することをやめた。
「せっかくだけど、姿を消すのは後で試して。シークをこき使った後はクーリングタイムが必要なんだ。次にタバサの説明があるし、今日はシークがたくさん頑張らないといけない」
苦瓜を握るように銀色ナマコを持っているララは、今隠密を試せなくて残念だが我慢した。マナは話を続ける。
「さて特別な機能、その二!」
「その二!」
「飛べます」
「ん?」
「空飛ぶマット、と命令してごらん」
「⋯⋯シーク、空飛ぶマット」
きゅいんとごくわずかな音を出し、銀色のナマコは平べったい四角に変わる。マットはそれほど大きくはない。部屋の扉の幅より少し狭いくらいだ。
「もっと薄く伸ばせば四人ほど乗れるが、重いとその分移動が遅くなる。徒歩ぐらいかな。二人で乗るなら騎馬ぐらい。一人ならもっと早い。少しだけ一緒に乗ってみようか」
「ええ!」
二人は床から階段一段ほど浮いている銀色マットの上に乗った。掴まる棒もないので、布のようなマットの上に立ったまま飛べば、普通なら身体は不安定になるだろう。でもララのハイスペックな身体なら問題にならない。
「座って移動したいときは、シークに形を変えて貰えばいい」
「シーク、二人で座れるような形になって」
マットの端が左右から寄せられ、真ん中になだらかな山が作られる。人が跨ぐだけのシンプルな凸型だ。
「重さも関係あるけど、地面に近いほうがスピードが出る。この空飛ぶマットも周りに人がいない時に使ってね」
マナも後ろに座ってもらい、ララは部屋の中を壁に沿うように飛んでみる。シークは安全運転だった。
「面白い! 面白いわ! シーク、テーブルの上にも行けるかしら」
シークは二人を乗せたままテーブルを超える高さまで上がる。
「シーク、天井まで上がって、今度は部屋の中をもっと早く回って!」
勢いで斜めになった身体のララは、ふふふと笑いながらシークの空中飛行を楽しむ。
勢いのついたマットシークの上で、マナはララに掴まるように後ろからお腹に手を回す。
「はいララ、今はこの辺でおしまい。空飛ぶマットはシークが疲れやすいから、使うのは具合が悪い時とか本当に困った時にして。普段のララならマットより走ったほうが早いと思うけどね」
マナはララの実力がよくわかっている。ララのお腹に回した腕に二回力を入れ、ほらほらっと終了を促した。
「シーク止まって。降りたらマット解除ね」
ララは暗闇での秘め事に興奮していた。そして早くもシークを使いこなしている。
もう細かく教えなくても感覚で試していけるだろう──そんなことを思いながらマナは動きの止まった空飛ぶマットシークから降り、ララに手を差し出す。マナはこういうとき紳士だ、自然にエスコートしてくれる。ララはマナの手を取りシークから降りた。
「特別な機能、その三。これは今は試せない。ララが肉体的にピンチになった時に作動する」
管理人は苦いものを口に入れたような顔になる。
「シークは守るためのものだから、人を攻撃しないし、武器にもならない。異常に応じた形に勝手に変わるから、指示はいらない。たとえばララが海で溺れてしまったら、包まれるなり浮かび上がるなり、状況に合わせて最善の動きをしてくれる。救命措置もする。その時は異質なシークが周りにばれるかもしれない。でも命のほうが大切だ」
廊下から人が歩く音が聞こえてきた。防音の部屋でもララなら二人近づいてくるのがわかる。シークはナマコ状に戻り、ララの肩まで登ってきた。マナはシークを見た後、ララを見つめる。
「いくらララの護衛でも、王の血族でなければシークのことは内緒だからね。アイスタニア王国では普段の生活で身分の差をとっぱらっているが、〝区別〟をするとしたら、王と同じ長寿の血が入っているか否かだ」
暗闇の中のマナは少し寂しそうに言い、片手でララの肩を抱き寄せると、その手でぽんぽんと肩を叩いた。ララはこのひとときがずっと忘れられないような気がした。




