2-06 保護地域からやってくる血の匂い
「もーうるさいなー。もしかして天窓が開くことも聞いてないの?」
ジェレミーが顔をしかめながら御者席の男に言う。
「箱車に乗る直前に、マナに行き先の登録と走れ停まれを説明してもらったくらいだ!」
「うわー本当に箱車のことをろくに知らないぞこの御者はー」
ララとタバサがシークの設定していたときのことを思い出す。あの時もマナは最重要事項以外は教えていなかった。
ララと違ってトーレは知識を得ても、自分の常識とかけ離れていることは、素直には信じ難いタイプのようだった。仕方がない、今度はジェレミーくんが教える番だ──。
「ララの傷が治るのが早かったでしょ、身体の特異なところはあれだけじゃないんだ。安心して見ていてごらん」
「安心できるか! あんな不安定なところに風を受けて立ってたら落ちるぞ!」
「だから大丈夫なの!」
「俺も上に行く」
ジェレミーとの押し問答になりそうなところを、トーレが身をよじりながら二列目の座席に移り、腕力で天窓から出ようと「よっ!」と力を入れたとき──、
「邪魔」
「ぐっ!」
全神経を集中させ箱車の屋根に立つララが、飛び出したトーレを最適な角度で蹴り落とすように踏み、車内にガッと押し戻した。トーレは座席の足元に勢いよく上半身から斜めに倒れ込む。さっと端に寄ったジェレミーは口を押さえ、顔は尋常じゃないほどタレ目になっている。
風を全身で受け、可愛いおでこの見えるララが前方を睨みながら言う。
「血の匂いがする⋯⋯」
今は進行方向が風上だった。
「人と馬の音が聞こえる。でもおかしい⋯⋯馬以外の獣の匂いがいくつもするの」
「どこだ? まだ全然見えないぞ」
御者の美青年は屋根から顔だけ出した。
きっと外から見れば、ララの開いた足元から顔が生えているように見えるだろう。
「外国の商人じゃないみたい⋯⋯荷馬車の音はしないわ」
ジェレミーは頭だけバフバフと風を受けているトーレに聞こえるくらいの声で喋る。
「馬なんて外国の要人周辺と商人くらいだよね。王国民は普段使わない」
「駐留大使の騎兵か?」
「四騎⋯⋯まだこっちに気づいてないと思う。なぜ血と複数の獣の匂いがするのかしら⋯⋯」
「獣に追われているのか?」
「そうじゃないみたい⋯⋯」
向こうとこの箱車はお互いに近づいている。
ララなら音をはっきりと拾えるような距離となった。ララはしゃがみ、天窓から箱車の中に顔だけ突っ込み話しかける。トーレが邪魔だ。
「箱車、一番近くの保全部に連絡して。密猟の可能性、容疑者は四騎、応援の手配を」
ぴちょん。水のようなお知らせ音と共に、操作板に連絡完了の手書き文字が浮かび上がる。
「密猟? 見えてもいないのに何で分かるんだ」
「王族の五感が鋭敏なことを聞いたでしょ? ララは王様レベルに耳も鼻もいいんだよ」
ジェレミーは大きな情報をぶっ込んだつもりだったが、トーレは反応が薄い。王がどんな人なのかも分かっていないようだった。さすが『ジーンの冒険』を作り話と思っているだけはある。
「とにかく目視してから行動じゃ遅いのよ」
そのうちトーレも分かるわよと、逆さ頭のララはジェレミーに目配せをする。ジェレミーも頭の後ろに手を組みながら話を戻す。
「密猟? パレスへ向かうのかな」
ララはまた天窓の外から中の操作板に指示を出す。
「箱車、後ろの三台も使って道を塞ぐように止まって」
「俺このやり方聞いてないぞ。手を操作板に置かなくてもいいのか?」
トーレは理解が追いつかず、頭の中が謎だらけになっている。
でもララは返事をせず前方に集中していた。
そんなララを見て、護衛の役目を全うし注意力を戻すため、トーレは疑問の蓋を閉じる。さすが切り替えは早い、周りを警戒し始めた。
ララたちの乗る箱車はスピードを落としていく。後ろには荷物だけを載せた三台の箱車が付いてきている。すぐ後ろの一台目は左後ろ、二台目は右後ろに移動。三台目は隙間を塞ぐように、ララたちのすぐ後ろの真ん中でゆっくり止まった。合計四台で凸型になっている。
「ジェレミー、椅子の後ろに紐があったでしょう。四人分、縛れるくらいに切っておいて」
「荷造り用の細い麻紐だねー」
ジェレミーからは緊張が感じられない。ララほどではないかもしれないが、ジェレミーも王族だけあって脚力や腕力は王国民以上にある。全く鍛えてはいないが。
「見えてきた」
トーレが二列目の座席からフロント窓のほうに顔を近づけた。向こうも気づいたようだ。馬に乗った四人は歩度を詰め、ゆっくりとこちらに近寄って来る。
「駄目だ、あいつら全員武器を隠し持っている」
武器は剥き出しにこそなってはいなかったが、トーレはマントの下の異物に気づいた。
「おかしいな、うちの国、帯剣は外国の大使と護衛一人までのはずなんだけど」
ジェレミーは麻紐を切りながら外を見ずに言う。
トーレはまた天窓から身体を出し、ララに声をかける。
「おいっ! 恐怖心が行方不明なのか?!」
「邪魔ってば」
「んぐっ!」
さっきよりも強く踏まれ、首が曲がった。
ジェレミーのツボに入ったようで、身体が強く揺れている。
「本当に四騎だ⋯⋯」
首の曲がった美青年が前の座席の背もたれに身体を寄せる。
「ジェレミー切れた? ちょうだい」
ララは麻紐を受け取ると、邪魔にならないようスカートの後ろに挟み入れる。
そして腰に手を当て正面を見据えた。
特別な身体能力を持つ王族の中でもトップレベルの運動能力を持つララが今、青い箱車の上に立ちはばかる。
王国内の女性の中では間違いなく一番のララ。
『いくらララの護衛でも王の血族でなければ、シークのことは内緒だ』
マナに言われたことを思い出す。
トーレはもちろん、密猟者にもばれないようにしなければならない。
大型箱車が三台並べるほどの広い道が、その箱車で完全に塞がっている。前から来る男たちはその光景を見れば当然警戒するだろう。
とうとう騎馬はトーレにも声が届くところまでやって来た。
先頭の男は馬を止める。アイスタニアの服を着ているが、外国に多い濃いめのサークル髭をしていた。
箱車の屋根の上にいるララを見た後、カーテンを少し下ろしたうす暗い箱車の中をじっと見つめる。確認が終わったようにまた少し上を見てにやりとした。
「こんにちはぁ、お嬢さん。そんなところに立ってたら危ないよぉ」




