2-04 箱車の中で密着の三人
泡だらけのトーレは多少の呆れを抱いた表情でララに近寄って来る。
大丈夫、泡で見えない。
「何? 着替えもないのか」
「着替えはあるの。だから何とかなるわ」
濡れ髪が顔にべったり付いて、ほぼ隠れてはいるが、ララはきらっきらの笑顔だった。
小さな頃から担当の使用人などはいない。身体を拭く布さえ持ってきていないお姫様は、雪山に肌着で居たとしてもきっと風邪を引かない身体だ。ララはシークの服があればどこにでも行ける気がしていた。
トーレは自分の布を手に取り、ララのびしょびしょ頭にぽんと置く。
「使え」
結局、足りないものがあれば、町で手に入れようということになった。
夜空に雲が少し浮かび、昼間とは違う肌寒い風が吹いてきた。
でも箱車の中は居心地がいい。
箱車の椅子は、背を倒したら簡易ベッドになる。よく考えられた作りだ、寝返りが打てないほどぎちぎちだが、三人並んで横になれるスペースがそこにある。
ララが「外で寝る」と言ったが、トーレが断固拒否をした。「それなら御者の自分が外で寝る」と申し出ると、ララとジェレミーは「だったら自分たちも外で寝たい」と言う。
この露天休憩所は〝守られている〟ので、縁台のほか、地面に布を敷いて寝る人が多いが、トーレはまだララたちの言葉を信じる経験が足りなかった。何せ銃で打たれても大丈夫と言い、毒と分かっていても口に含むようなお姫様だ。大丈夫のラインが手の届かない高さにある。
宰相やマナ、特命部から事前にこの話を聞いていればトーレは少しは考慮してくれたかもしれない。
ジェレミーはアデルーンに着いたら町の皆に説得してもらおうと考え、今晩はトーレの主張を受け入れた。
椅子の背を倒して平らな床にした箱車の中に、三人がくっついて横一列に座る。
「こんなものがあるのを子供の時に知っていたら、俺は騎士にならなかったかもしれない。勝手に目的地まで走ってくれるし、何かが近づいてくれば音と文字で知らせてくれる。しかし何が一番すごいと言えば、箱車を王国民のために使うというところだ」
ララとジェレミーは、そういう視点を持っているトーレを嬉しく思った。
トーレは箱車内の空気が冷えてきたことに気づく。
「もう気持ちは悪くないから窓を細くするぞ。ここは夜になるとずいぶん気温が下がるな」
「この地域は昼間は暑くて夜になると気温が低くなる気候なんだ。一日の寒暖差が激しいからトーレには寒く感じるだろうけど、王族の身体は暑さ寒さに対応できるんだ。とくにララは」
三人同じ向きに床に座っていたが、トーレはちらりと誰もいない後ろに振り向き、王子に問う。
「そうか。ところで収納にあのふにゃふにゃの剣が入っていたのだが、持ってきたのはジェレミーか?」
「もう寝るねー! ララ、眠くなくても一緒に横になろー」
「もちろんよ」
少年少女二人が勢いよくごろんとなり箱車が揺れた。ララが真ん中、ジェレミーはララの左手側に横になる。
トーレが二人にブランケットをかけてやった。
「もしかしてこれが今日初めての仕事じゃない?」
「寝ろ」
「ふふ」
ジェレミーの冷やかしにララが笑った。やりとりが面白かったので、小声でまだ喋りたくなる。
「(ふにゃ剣を掠むとは、ジェレミーくんも悪よのう)」
「(いえいえ旅に手ぶらで来るお姫様には敵いませんとも)」
ジェレミーはララと向き合って横になっている。腕を上から腰に回してきた。
「あの剣はトーレのために作られたものだから、トーレが持っていていいんだ。ご主人様について来ただけさ」
「私はトーレの剣技を見たいわ」
この会話はトーレに聞こえたようで、闇の中少し優しい目になった。
夕方、ララはトーレの乗り物酔いを治すために能力をつかったのだろうか。とろんと眠そうな目になっている。ララの腰に回したジェレミーの手は、ララの呼吸が静かに規則的になってきたことを感じ取った。
「温かい⋯⋯安心する」
ジェレミーは小さく声に出した。
襲撃されたララの傷がもう治ったと分かってはいるが、新たな心配が寝しなに顔を出してくる。
ずっと別邸で淋しく過ごしていたララは、これから初めての町でたくさんの人間と接することになる。
遠くの音を拾い、離れた場所の匂いに気づき、人が見えないものを見ることができるララ。生き物に触ったならば内部構造が把握でき、誰よりも味の違いが判る。
別邸で五感のコントロールを養ってきたが、パレスの町にさえ出たことがなかった。
これからは情報の洪水の世界だ、ララは耐えられるのだろうか──。
「心配だな⋯⋯」ふと気持ちが漏れる。
「いつもの元気なジェレミーじゃないわね」
うとうとしていたララが優しく囁いた。
「悪いな、私のせいだ。今日はせっかくの旅立ちなのに暗いことばかり言ってしまった。憂きことのみ申してしまひぬってやつだ⋯⋯明日は切り替える」
小さな声でトーレが本当に申し訳なさそうにしている。
「トーレって喋りかたが少し古いときがあるわよね。今では使わない言葉よ、どこで覚えたの?」
「ララも人のこと言えないけどね。まあ周りが結構歳いってる人ばかりだから影響受けるよね、くくっ」
中身が十六歳のピュアなジェレミーは、少し気分が軽くなり顔を綻ばせる。
見た目と実年齢が全く違う王族たちの顔を、しぜんとと思い浮かべてしまっていた。ジェレミーの父親も二十代に見えるが三百歳を超えている。サルヴァドールも二百歳超えだ。
トーレがよくぞ聞いてくれたと嬉しそうな声色で話を続ける。
「『ジーンの冒険』というアイスタニア建国の物語を読んでいたんだ。いろいろ脚色されているのだが、世界を回る冒険活劇になっていておもしろいんだ、何回も読んだぞ」
「ぶっ」ジェレミーが吹き出した。
「(ララ、あれお祖父様が自分で書いた話だよ。もう千歳だもん、だから古いのか)」
「(それにあれは実話の筈よ)」
顔がくっつきそうなほど近い二人がひそひそ話す。
「トーレ、それ現代語訳版じゃないほうかも。難しかったでしょう、よく読めたよね」
「そういえば父親は古語に詳しかった⋯⋯父親に尋ねながら読んでいたのだが、そうだったのか!」
「私もその本を持っているわ。グランタス帝国ができる前の話が載っていておもしろいわよね。現代語訳版ではジーンのドジ話が削られているらしいから、トーレ、貴重なほうを読んでいたのね」
「あはは」
「ふふふ」
ハグをしたまま王子と姫は暗い箱車の中、笑顔で笑った。
箱車の中はカーテンを下ろしている。三人ともそのまま目を瞑りしぜんと無言になる。
ほんの少し開けてある窓のカーテンが微かに揺れていた。
寝たか──トーレは二人が安定した寝息に変わったのを確認した。自分も眠りに誘われているようだ。
寝ている間に盗賊が攻めてきたらどうすればいいのか。夜は起きて外を見張り、昼に箱車で休むのもいいかもしれない。
朝からララの父親と対面し情緒が不安定になったりしたが、今、狭い箱車の中で身体がララに触れていると、安心と何か心を満たすものが生まれてくるようだった。
ハクラスカの騎馬移動での休憩では、もう少し個人空間が保たれていた。
こんな肉◯団のように人と身体を密着して休むのは初めてだ。しかも王子と姫と共に。
好きだった女性とも朝を迎えたことはなかった──。
わずかに開いた窓から、鳥のさえずり声が聞こえてくる。
誰かに触れているカーテンが引っ張られて、隙間から眩しい光がトーレの顔に当たっていた。
まだ起きるには少し早いかもしれない。しかし夜に見張りをするつもりだったトーレは自分が寝てしまったことにすぐに気づいた。
侵入者がいないか、周囲の音を拾いつつ目だけ動かし、二人の王族が無事かどうかを確認する。
隣にいる筈のララの場所からは、少し捲れたネグリジェから膝が一つ見える。反対側の自分の肩には頭上から誰かの温かい手が置かれていた。
そして頭の下がやけに柔らかい。
「うわっ!」
トーレは飛び起きた。
8月24日(月)は朝から複数回臨時投稿します。




