2-01 旅路の入り口で待つ人
本邸からパレスの外へと続くこの道を、早朝のこの時間に歩いている者はほんのわずかだった。
遠くにはララたちの箱車とは違う、緑色に塗られた大型箱車が別の町へ走り去っていくのが見える。あれもどこかの町へ荷物を運送するのだろう、御者の後に四台連なって走り去って行った。
今日ララたちの乗った箱車の後ろには大型の箱車が三台、連結設定がされており、中には王族の作った大型の道具が積み込まれていた。
何故誰も乗っていない箱車が後ろを付いて来るのか。マナから箱車の説明を受け驚くだけ驚いたトーレは、思考を停止させ現実をただ受けとめることを学んだ。自分がアイスタニアに慣れればそのうち分かるかもしれない。今はララたちと国の貴重な道具を運ぶ──ただ護衛の隊列が付かないのだけが心配だった。
「あっ! トーレ箱車を停めて!」
窓の外を見ていたララが狭い箱車の中で立ち上がり、斜め前の御者席に座ったトーレの左肩をぶんぶん揺らすが、そのまま箱車は外を歩く三人とすれ違い、進んでいく。
「手綱が無い! 違う、停めかたは確か⋯⋯」
「『箱車、停まれ』って言えばいいだけ! 走っている最中は扉が開かないのよ」
「ええっと、箱車、停⋯⋯! あれ、停まった?」
「先にララの声に反応したんだろうね。僕とララも御者登録してあるから」
ジェレミーは椅子に身を預けていた体勢から、外へ出ようと身体を前に傾ける。
ララは止まったばかりの箱車からぴょんと飛び出した。
「お父様!」
パレスに向かっていた三人は箱車のほうを向いて待っていた。大きな荷物を載せた板車と一緒に。
「ララ!」
父のルークはララに高く手を上げた。肩までの白っぽいピンクの髪はウエーブで、ララはこの遺伝子をしっかり受け継いでいる。なにより雰囲気がほんわかしているところがそっくりだ。遠くまで見通しそうなぱっちりした目だが、実は何も考えてなさそうにも見える。
すると急にのほほん笑顔の父の目から、噴水のように涙が溢れ出た。
「よかったぁ、出発前に会えて⋯⋯ララにあんなことがあったのに戻るのが遅くなってごめんねぇ⋯⋯うぐっ、うぐっ」
ルークは駆け寄って来た娘を強く抱きしめた。
数歩後ろでは板車に載った大きな荷物に手を置いたランドールが二人の抱擁を見守っている。
耳が隠れるあたりで外向きにはねた髪は、光に当たると白っぽいがほんのり紫色だ。素直そうで品のある目の青年はララの元気な姿を見られて目が潤んでいた。
そしてその横にはジェン爺と呼ばれる青い髪の男性がじっとララを見つめている。ここ数年はルークやランドールと一緒に行動することが多い。周りに人がいる時は寡黙で、護衛や従者に見られることが多いが、特命部の一線から退いたこの男は仲間内ではペラペラよく喋る。口ひげと顎ひげが少し生えてはいるが爺と呼ばれるにはまだ若く、見た目は五十歳前後だ。しかし言葉遣いが少々古臭く、実際孫もいるので爺さんと言われるがままだった。
「元気そうだな、もう大丈夫か?」
泣いて喋れないルークの代わりにジェン爺はララに声を掛け、身体にもちらっと視線を送る。父に強く包まれ身動きが取れないララはなんとか顔だけ見せた。
「ええ、本当にすぐに治ったから安心して。もう傷痕もないわ」
ララは身体だけではなく服も見られた気がした。
父たちがシークに関わっているのかもしれない──でもシークのことは機密で、マナからの説明も最低限だった。ここには血族ではないトーレもいる。今は口に出さないほうがいいと判断したララは、自分のお腹と服に視線をゆっくり送り、ジェン爺の目をじっと見つめた。
父ルークは長く包んでいたララをゆっくり離したが、涙を拭きながら名残惜しそうにララの肩の後ろをぽんぽんと撫でるように叩く。
一方、その二人の光景を少し離れて見ていたトーレは、また心に犯罪者の弟という感覚がずんと復活してしまった。
箱車からは降りたが、どうしても一定以上近づけない自分がここにいる。
リリアーナ様、ルナ様、ララ様を大変な目に遭わせてしまった──。
その夫であり父であるルークが目の前に現れ号泣している。自分からは、歩を進めることができない。
察したのかルークはトーレにゆっくり近寄っていく。その顔は穏やかで、怒りも哀しみも浮かんではいなかった。
「トーレくんだね」
トーレは目を合わせるのがつらかった。初対面では凝視で相手の顔を記憶に刻むハクラスカの流儀をこのときは封印し、伏し目がちになる。
「ララを守ってくれて本当にありがとう。リリアーナとルナのことは心配しないで、なんとかするから。これからもよろしく頼むね」
ランドールとジェン爺も穏やかな顔で頷いている。
苦渋の表情をしたトーレは兄のことが頭に浮かび、次の言葉が出てこない。
「私は⋯⋯私は⋯⋯」
まさか自分にこんな優しい言葉をかけてくるとは⋯⋯妻と娘二人が被害に遭ったのに、アイスタニアの王族はこうも違うものなのか。トーレの目がだんだんと潤ってくる。手の力も少し抜けてきた。
「いいんだよ。ララを助けてくれたんだ。いいんだ」
また少し涙が出たルークがさらにトーレへ歩み寄ると、自分の心を伝えるように大きな身体を抱きしめた。安心させるために少し強めに力を入れた、長いハグだった。
ジェレミーもジェン爺とランドールの傍へ行き、順番にハグを始める。
トーレ、ジェレミー、それぞれの抱擁を見ているララは、ふとこれまで母と姉は安全な場所にテレポートしたはずと、勝手に安閑していたことに気づく。
姉は離れた場所と連絡できる能力を持っている。守りの能力に長けた母も一緒だ。
しかし連絡はこれまでなかった。その能力を使わない理由を考えたことがなかった。
ララの思考を察知したのか、ジェン爺は目をしっかり見つめて口を開く。
「ララ、大丈夫だ」
それ以上のことは言わなかったが、ララはふわっと心のつかえが取れた気がした。ジェン爺はララが信頼をおく人物だった。それこそマナと同じように。
ジェン爺が大丈夫といえば大丈夫。ジェン爺もマナも、裏付けのない気休めを言うことはこれまでになかった。
ララは胸元のシークの服を握りながらお礼を言い、頷く。
「ありがとう⋯⋯」
ルークもトーレとの抱擁を終え、目元をこすりながらまたララに近寄る。
「でもララ、わざと毒を飲むのは駄目だ。もうしないでね」
お披露目会の話を聞いたのだろうか。いつもより父の口調は芯がしっかりしていた。吐き出したものの口に入れたせいか毒の耐性がついた気がすると、頭に浮かんだが言えなかった。
「心配を掛けてごめんなさい」
ララの身体からぽろんと幻の花の蕾が一つ出て来る。ジェン爺はじっとそれを見つめた。
ルークの横からランドールが近寄り、ララとジェレミーの正面に立つ。
「ジェレミー、ララのことよろしく。ジェレミーと一緒ならララも楽しくパレスの外を過ごせるだろうね」
「もちろんだよ。僕も楽しいからね」
「ランドール、いつか一緒に旅ができるといいわね」
「ララが結婚してからにするよ。今だと誰かさんに睨まれそうな気がするから」
兄妹のように過ごしてきたランドールが、両腕で二人をぎゅっと抱きしめる。
ララの二つ年上、今年十九歳になるランドールはルナと過ごすことが多かった。ララに近づくとアリーとジェレミーの兄弟から睨まれることが多かったのも要因の一つではあったが、もともとルナ、ララ相手に恋愛感情を持つことはなかった。ララと結婚することはないのに光栄にも王子たちからライバル扱いをしてもらい、そういったやりとりが楽しくもあった。
そんな楽しい旅行に行くような空気を引き締めるかのように、ジェン爺は二人に言葉を発する。
「ジェレミー、ララ、町に着いたら人だけじゃない、畑にも行って感謝するんじゃぞ。栄養粒を作るのにたくさんの作物を使っている。特にララの栄養粒は二十人分の食料を使う高濃度だ。栄養粒を作る研究所がなければ皆と同じ食事をとることになる」
「はっ! 謎が解けた! だから栄養粒にお腹を膨らませる成分が入ってたんだ。不思議だったんだよ」
ジェレミーがすっきりした顔になる。
「ジェレミー、そうじゃなくて! ジェン爺ありがとう、私、何も分かっていなかったわ! 大切なことを見逃すところだった。そうよね、本当にそう」
ララがジェン爺の前まで進むと、彼の引き締まった身体をぎゅっと抱きしめた。ジェン爺もララの頭に顔をくっつけるようにしっかりと抱き返した。口では言わないがとても心配していたのがララに伝わってくる。
トーレは王族ハグを学ぶように、その光景を観察していた。
やはりララは相手の身体をゆっくり撫で回している。抱きしめかたにも個性があるようだった。共通することといえば、やはり抱きしめている時間が長い。
やっとララの父親の顔を見る心が、トーレに小さく湧いてくる。ララは父親似なのがよく分かった。髪や目の色、四十歳ほどだろうか、目もぱっちりしていてララのあどけない笑顔とそっくりだった。
やはりこっちの影武者ララは双子の妹なのかもしれない──ララの父親と対面し、認識を強固にした。
ランドールは下に小さな車輪がついた板車に振り返る。載せていた荷物からかすかな音が聞こえたので注意を向けた。それが皆のあいさつ終了のきっかけとなった。
朝の鳥のさえずりがやさしい会話に聞こえる。今日は風もほとんど吹いていなく、暑くなりそうだ。
静かに動き始めた箱車の中から、ララは後部の収納スペースに身を乗り出し、外の三人に手を振っていた。
それをルークたち三人は微笑んで手を上げて返す。ランドールが不思議そうに板車の大きな箱を触り、ジェン爺は眉を片方上げた。
板車は板の下に小さな車輪が四つ付いた王族製作星印の運搬用道具だ。これも箱車と同様、御者の指示で動いてくれるので、重い荷物を運ぶのに使われている。
「トーレくんは元気がなかったね」
「そりゃそうだ。肉親がおまえさんの家族に問題を起こしてしまったのだからな。生真面目な性分なのだろう、王族を守るのが当然のようで自分がララを救ったとは全く自負していなかったぞ。ところであやつは思い違いをしていたな」
「思い違い?」
「ララを影武者だと勘違いしていた」
「はあ? どうしてそうなるの」
「うわー何それ。ララの影武者がララ本人? あはは」
ルークは身を前に乗り出して驚き、ランドールは少し上を向いて楽しそうな顔に変わる。
三人は遠く離れていく箱車を見つめた。ラピスラズリの顔料で作られたアイスタニアブルーの壁は、群青の深い色ながらも空の光が反射し、鮮やかな青となって高貴に輝いていた。
とうとう出発となった箱車の中では、ジェレミーが右側の日差し避けカーテンを、窓ガラスの三分の一ほど隠すように下げていた。北の町といっても少し東寄りで、まだ低い空の光が眩しい。
御者席のトーレが振り向き、躊躇いながらララに尋ねる。
「⋯⋯兄の掛けた毒の水が口に入ったのか?」
さっきルークの言った『わざと毒を飲むのは駄目だ』という言葉がトーレの心に刺さっていた。
「違うわ。フレメルデン大陸の大使たちといるときなの。グラスの水に毒が入っていて、飲む前に気がついたけど、飲んだ振りをしようとして一口だけ含んだの。飲み込まずにすぐに出したわ」
トーレがびっくりする。普通は毒と気づいたら口に含むことはまずしない、絶対に。
「大丈夫⋯⋯そうだな」
「ええ!」
ララはほんわかした父親と同じように、何も考えていなさそうな顔でにっこりとした。
命を狙われる姫か⋯⋯たった一人での護衛はやはり気を抜けない。本物の姫は今別邸で休んでいるのだろうか──。
「トーレ、ララは常識が無いというか、皆の普通という感覚が分からないと思うんだ。だからハクラスカ帝国から帰ってきた少々頭の固いトーレなら、ララを指導するのにちょうどいいような気がするんだよね、両極端でさ。何か気づいたら気後れせずにララのことしっかり注意してくれる?」
「もちろんだ。頭の固い俺が目を離さないようにするぞ」
「うふふ」
「あははは」
ジェレミーの言葉に早くもトーレは冗談で返せるようになっていた。そして笑顔がほんのり戻ってきた。
しかしその日の午後には自分の笑顔が消えることを、トーレは想像だにしなかった。




