1-29 プロジェクトメンバーにアサイン
「箱車?」
ハクラスカ帝国で暮らしていたトーレは箱車を知らなかった。王国民ならば誰もが一度は乗ったことがある。王族の住む本邸と別邸の管理をしているマナが「ああ、そこからか⋯⋯」という顔になった。
「あれトーレくん、帰国した時パレスまで箱車に乗ってきたんじゃないの?」
「ハクラスカの皇帝より馬二頭を下賜され、私と兄はそれに乗って後から帰ってきた」
「ああー、あの馬か。パレスでは使わないから、どっかの大使にあげちゃおうと思ってたんだけど、それならやめたほうがよさそうだね」
「なっ⋯⋯!」トーレが絶句する。
今朝初めて管理人のマナ会ったときは、まだ人となりが分からなかった。眼鏡のような板で目元を隠してはいるが、うっすらと瞳が見える。だが凝視してもよく記憶に残らない。特命部の見張りの男も同じものを着けていた。
マナは箱車の説明はほどほどに、自分の言いたいことを優先する。
「箱車は荷馬車みたいなものなんだ。トーレくんは御者席に座って、ララと一緒に国からの物資を北の町アデルーンに運送して欲しい。ララはこの敷地から出るのは初めての箱入り娘でね。君もアイスタニアを知りたいだろう? 長距離移動の心得もあるだろうし御者には申し分ない」
「俺は荷馬車の御者か」
王族の側で働ける仕事があるだけでも十分だと思いながらトーレはララのほうを見る。ララのことはもう敬称も付けずに同等に会話をするように言われたが、相手は影武者だ、すぐに慣れるだろう。
しかしこれまで外にも出ずにまったり過ごしていた姫を、初めての地へほっぽり出すなんて王国は一体何を考えているんだ。護衛もろくに付けずに、自分だけではないか。そうかやはり自分は御者といえども護衛なのか──トーレは自己完結した。
「まあねぁ、可愛い子には旅をさせるんだよ。まんまだね! あっはっは」
マナはトーレの考えていることが分かっているかのようにわざと悠長な返事をする。
「ふふトーレ、私とっても楽しみだわ! いろいろ教えてね」
ララもつられて笑う。花が後ろに咲いているように可愛い。
「子供にそんな仕事、危ないだろう」
仕方がないことだが、トーレにはララがあどけない十四歳の少女に見える。
今二十歳のトーレが五歳の時に二歳のララと会ったことがあるはずだが、覚えていないようだった。
「荷揚げ作業は町の人にやってもらうからね。ララは町民と世間話をしていればいい。国民はみんな優しいからさ、どちらかというと外国から来た人が文化の違いをゴリ押してくるから面倒を起こすんだけどね。あ、トーレくんの兄弟のことじゃないからね」
「いや、もう十分面倒をかけている。かなり⋯⋯」
弟のほうはマナに向けた顔を曇らせる。
「仕事といっても見守りみたいなものだから。騎士団の端くれだったんだろう? それに比べたらずっと楽だから」
その言葉に気色を害したトーレは怫然とした雰囲気に変わる。
『騎士といえばハクラスカ』と言われるハクラスカ帝国の騎士学校を、主席ではないが好成績で卒業し、ハクラスカ騎士隊に三年間入隊していた自分をこの管理人風情に〝端くれ〟と揶揄された。この人は私の兄が襲撃者だったことを知っていて失礼なことを言ってくるのか。曲がりなりにもこれまで十五年間ハクラスカ帝国でアイスタニア大使を務めたわが家を見下されてたまるか──!
目元に力が入り、睨みそうになる自分を押さえる。
しかし薄い透明の板のような覆いを目元に付けた男は、実はとてつもなく美男であることを気づかせるようなやさしい表情で、二十歳の騎士に向かって言った。
「うん、自信が戻ってきたようだね」
はっとする一言だった。
「⋯⋯確かに⋯⋯兄のことがあってからは自分のことを一兵卒と卑下していた⋯⋯」
マナのからかいの真意は自分の背中を押すためだったのかと、好意的に解釈したトーレは一回深い呼吸をし、心を落ち着かせることに決めた。
ソファに座っているトーレの脇の下にララの腕がくぐってきた。ララなりの愛情表現だということが伝わってきて、組んだ腕から安心が生まれる。
ハクラスカ帰りのきつい目と心、そして帰国してからの憂苦を穏やかに溶かし始める。
「遠距離なら一度に運ぶ荷物の量はかなりのものだろう。馬車は全部で何台になるんだ?」
「箱車ね。物資が多い時はぎっちぎちに詰め込んで、後ろに五台かな。あ、御者は先頭に一人いればいいだけだから」
「ん⋯⋯?」
ちょっと何言ってるかわからない。
心を落ち着かせようとしたらこれだ、この人と話していると調子が狂う。トーレの横にくっついて座っている姫は対照的に、無邪気で愛らしく微笑んでいる。
「私はアイスタニアで物資を運ぶ仕事は初めてだが、通常はどのくらいの規模の隊を組んで移動しているんだ?」
自分の質問がうまく伝わらなかったときは、少し言葉を変えて問い質すのがトーレの基本だ。
マナはレモネードのグラスを持ち上げ少し口にした。
「うちの国は安全だから君たちだけだよ。その後ろに荷物だけを乗せた箱車が三台から五台付いてくる。移動も座ってるだけだから話し相手がいるといいだろう」
さっきと同じような返事だった。
ハクラスカ帝国での生活では考えられない無防備さだ。これまで物資を運んでいた人物が無双だったのか? もし盗賊が現れたら、私はこの姫を守りながら戦うことができるのだろうか。与えられた仕事をやるしかない──。
「⋯⋯わかった。二人で行くのはいつだろうか?」
「明朝ね」
「急だな」
「それと、二人じゃない。もう一人いるよ」
本邸の窓際にいる人物に管理人は右手の指をわしゃわしゃして合図を送った。
建物の中は暗くてよく見えないが、人が動いたのは分かった。エミリーが見えた気がしたが、姫の従者が同行するのは当然だとトーレは納得する。
ガゼボに十四歳くらいの男の子と、スカートが少し短いメイド服のエミリーが近づいてきた。
「ん⋯⋯どっちだ⋯⋯?」
途中から男の子はメイドから離れ、笑顔でララに向かって走って来る。
「やった! ララ、一緒だね! 僕も行っていいって!」
薄く開いたトーレの口からは、自分にしか聞こえない疑問が漏れ出る。
「ララの従者か」
「こっちの男の子もよろしくね。これでも王位継承者だから」
マナが楽しそうな声で紹介する。
「王位継承順位四位のジェレミーでーす。くんちゃん様はつけなくていいよ。ちなみにそっちのララは王子たちの妃候補だからね」
自分の失言は誰にも聞こえないと思っていた。だが、こっちとかそっちとか軽めの言葉の後に、王子と未来の妃という上位レンジのワードがトーレの頭をがつんと殴る。
「王子! ⋯⋯大変失礼いたしました⋯⋯!」
思わず曲げた右腕を胸の下に置き、ハクラスカ流のしぐさで謝ってしまう。
「なんだかトーレ、『犯罪者の弟と言うレッテルを貼られ、これから子守りしながらの運送が始まるのか。俺は戯曲の主人公か? どん底から這い上がる英雄か?』みたいな顔をしてるよ」
ジェレミーは親身になって喋っているが、内容は茶化しているようにも聞こえる。
「結構図星みたい」
ララがトーレの顔を覗き込む。
「とっとんでもございません!」
姫と王子の顔をトーレの視線が慌てて往復する。
「そんなことはない! だよ。口調気をつけてね」
「そんなことは⋯⋯ない⋯⋯」
自称・残りカスの王子が、自分より不幸に見える男へ人生を諭す。
「僕たちと一緒に居るときは悩まなくていいんだ。いろいろあったけど未来は明るいんだから! トーレだってララと結婚できる可能性はあるんだよ」
「ふふ、まだ相手は決まってないの。でも百歳までには結婚したいと思っているわ」
悩みどころはそこじゃない、そして数字がおかしいと声を大にして突っ込みたかったが、トーレは大人なので我慢できた。
「トーレは血の通った兄弟を躊躇なく倒し、会ったばかりのララの命を助ける行動をしたって聞いてるよ。咄嗟の時にそういう行動を取れるのって信頼できるよね。うん合格ー」
状況を知らない人が聞いたら逆に信頼を無くしそうな言いかただが、王子にそう言ってもらえ、また心の穴が少し塞がれていく二十歳の青年だった。
「まあどっちにしてもこの子たちには家族のように接して」
マナはニコニコしながらトーレに念を押す。
ジェレミーと一緒に歩いて来たエミリーはお菓子の入ったお皿をテーブルに置くと、次の役目を待つようにガゼボの端へ移動した。
「そもそもこういうのは、宰相や護衛隊長から命を受けるのではないか?」
「あー、うちそんな大袈裟なことしないの。『これあの人の仕事だから説明しといて〜』『は〜い』ってね。あはは」
「というか、あなたはどんな権限があって私に指示をするんだ。さぞかし大層なご身分なんだろう?」
トーレはマナに向かって混乱した感情をぶつける。
「権限とか身分とか外国の感覚だよね。堅苦しいな」
マナは帽子の後ろを少し持ち上げ、後頭部をぽりぽり掻いた。
流石にジェレミーも呆れてくる。
「トーレ、対等! 対等! マナにも家族のように接してよ」
まだトーレの腕を掴んだままのララは、嬉しそうにマナの仕事を紹介する。
「マナは管理人で、何でも屋さんなの。敷地を出入りする人のチェックとか、設備のメンテナンスとか。言付けを預かったり、わからない人には説明したりね」
「そう、わからないことはマナに聞くのが一番だよ。サルヴァドールに聞けないこととかもね」
ジェレミーは外国製のお菓子をじっと見て、どれを最初に食べようか迷っている。
「あちこちウロウロしているから、ここのことは自分が一番知っていると自負しているよ」
マナはピッと指二本を顔に近づけてポーズをとった。トーレはうんざりしたが、憎しみというわけでもない。
「次の用事があるからそろそろ離脱するけど、何か聞いておきたいことはある?」
「アイスタニア流の御者の仕事は、出立までに指導してもらえるか。移動は騎馬だけだったんだ」
「ああ箱車ね。目的地まで勝手に動いてくれるけど、設定の仕方とかあるよね」
わからない単語が出てきた。短い言葉なのにトーレの理解が追いついていない。
「じゃあそれは明日出発前に教えるから」
マナはソファから立ち上がりガゼボの外へ出ると、一回立ち止まった。
目元を隠しているので表情はよく分からないが、ふざけてはいない声が発せられる。
「それとね、トーレくん、命の危険があることも心得ておいてね。ララの周りでは何が起こるかわからない。そのときはララを放って、自分の命を守ってね。あ、ジェレミーもだよ、ララを置いて逃げるんだ。ララが一番強いからね」
「兄のことがあって、我が家は全員処刑されると思っていた。救ってもらった命を差し出してでもララ⋯⋯とジェレミーを守る」
「おおー、すべり込みで僕の名前入れてもらえたよ! ていうか話、聞いてた?」
「この二人を守ってくれるのもありがたいけどさ、トーレくんの命が一番、なんかこう脆いというか⋯⋯まあそのうち分かるかな。ということで、明朝出発だからね。じゃあよろしく!」
マナが去って数歩でまた振り返った。
「そうだ、トーレくん」
「ああ?」
「君、貴族ね」
「⋯⋯は? はい?」
青年は思わず丁寧な言葉で聞き返してしまった。
「親の爵位が継げないのは聞いてるでしょ。だから新しい叙爵、君のお父さんのと同じのでいいって。爵位、何だったのかな? ジェレミーやララがこれから外国のプリンスと会う機会があるからさ、国内だけど一人貴族をつけておいたほうがいいって。特に式はないから今から貴族ね。口約束だからよろしく」
マナは一方的に言い終わるとメイドの横を通って去っていった。
いつの間にかトーレは立ち上がっていた。
ずっと影を潜めて話を聞いていたエミリーが、目に涙を浮かべて嬉しそうに小さく頷いている。
トーレは目が点になっている。
「は⋯⋯は⋯⋯はあ〜?」
「くしゃみじゃないんだ」ジェレミーは口の中にお菓子が入っているので一言だけにした。
エミリーは湧き上がる感情のまま小走りでトーレに抱きつき、胸の中で快哉を上げる。
「トーレすごいわ! 自分で爵位を掴んだのよ!」
「おい、これこそ王から賜るようなものだろう? なんでマナが、しかも言い忘れて戻ってきて⋯⋯なんだ? なんなんだ?」
ジェレミーは二つ目のお菓子を選んでいる。
「そんなちっぽけなことはどうでもいいじゃない」
「どうでもって⋯⋯」
「ふふトーレ、こんな感じなのよ、ここは」
納得いかないトーレを見て、笑いだすララ。
エミリーがトーレに顔をうずめながら言う。
「これがアイスタニアなのよ」
ララもうんうん頷いている。
「これがアイスタニアか⋯⋯」
トーレは限りなく目を細めて、眩しい空を見上げながら呟いた。




