1-28 ララ出発前のあいさつ回り
新しいおもちゃのように、ララは自分を守るシークを早くも使いこなしていた。
見せてはいけないので人前で使う機会がない。初めは銀色のナマコのように擬態していたが、今では下着や服に姿を変え毎日一緒に過ごしている。
寝る前にはシークを服から空飛ぶマットに変化させ、一人乗るのが最近の習慣だ。今では逆さまの状態でマットシークを操作することができる。
「やっぱりパンツスタイルにしたほうがいいのかしら。でも使う時は誰にも見られないし⋯⋯」
肌着のスカートが捲れてしまうのが気になるが、気にすることはないという結論に毎回至る。
マットの次は隠密モードで鏡の前を行ったり来たりする。自分の姿を隠した状態は、どのくらいの時間有効なのか、感覚で掴めるようになった。大きな鍋の水が沸騰するくらいの時間は消えていられるが、空飛ぶマットで遊んだあとでは、使えるのは小さい鍋の水が沸騰するくらい短い時間だった。
朝起きるとシークをネグリジェからその日の服に変える。
ララには元々着替えの使用人は付いていない。一人で服を用意し着ていたので、とても楽になった。服を洗わなくていいし、汚れもすぐ落とせる。触れている肌の清潔も保ってくれ、至れり尽くせりだ。
今は一人きりとなった別邸の窓から外を見渡し、誰もいないのを確かめると、ララは二階の部屋から芝生へふわっと飛び降りた。
昨日は特命部の帽子を深く被ったハートリーと、メガネのようなものを目元につけているロドニーから指導を受けていた。二人とも普段は見せない目元を珍しく隠さずに、ララと向き合っていた。
記憶がよい王族はひとまずがっと大量に知識をいれるのが基本だ。外へ出るための箱車の使いかた、町での過ごしかた、お店で商品を交換する方法などを一気に説明する。全て座学の詰め込み学習だ。なにしろララがパレスを出発するのは明日なのだから。
芝生の上をくるっと回転しながら踊るように本邸へ進んでいくと、本邸へ入っていく使用人たちに遭遇する。その中にいたシンシアとハンナがララに気づき、早足で近寄って来た。
「ララ、良かったわねと言いたいのに、私は心配なの。アイスタニアの人たちは本当に親切で犯罪もまずないわ。でもララにはときどきびっくりするようなことが起こるから⋯⋯」
ぎゅうっと抱きしめて顔が見えないが、シンシアが涙ぐんでいるのが伝わってくる。
ララを我が子のように、そしてララはシンシアを母のように慕っていた。リリアーナと見た目の年齢が同じ三十代半ばで、ララが小さい頃から本邸で仕事をしている。
心配させてしまったのは当然だ。この短期間で生活に大きな変化があった。
横にいるハンナも涙を我慢している表情になっている。でもこちらは嬉し涙のようだった。ララがずっとここから出られずに、淋しい顔をしていたことをよく分かっている。
「ララ様おめでとう。外の町が楽しすぎてもパレスにちゃんと帰って来てくださいね」
ハンナは抱き合ったままのシンシアとララの両方に腕を回し、感情を分かち合う。ララの額にキスをするように顔を寄せ、外での無事を願うと、涙がぽろぽろと溢れ出た。
ララは本邸内を一歩一歩踏みしめて、くまなく皆へあいさつすると、次に見学会で許可された研究棟へ笑顔のまま移動した。けがをしたときはここの個室や皆の寝車の部屋で過ごしていたが、自由に棟内を歩けるようになったのは今回からだ。
研究所の寝車の人たちに会いたかった。
皆寝たきりの状態なのに、ララに撫でられると元気が出るらしい。
そのうちの一人、身体が動かせず声も出せないカミルは、ララが額をくっつけたとき、頭を触ってくれとねだった。
「わかったわ」
カミルはテレパシーの能力を使える。カミルも王族なので回復力は王国民よりずっと高いが、ララのような驚異的なものではない。打ちどころが悪かったのと、外国の海にいたため、アイスタニアの治療を開始するまでに時間がかかってしまった。
この前ララの手で頭を包んでもらったあとから、身体にちりちりとした感覚がうっすらと生まれたらしい。動かせはしないが、明らかな変化だった。
カミルとテレパシーのやり取りをしていれば、自分もできるようになるかしら──今はカミルに読み取ってもらったり、カミルの思考を送ってもらったりと受け身だ。ララは自分の騒動のときに、断片的ながらも自分が花だったこと、そして種たちとテレパシーで繋がっていたことを思い出していた。
ララはカミルの感覚が戻るように、心を込めて腕や足もマッサージをした。何度も、ずっと。
他の人たちにもマッサージを頼まれ、ララは王族ハグのように感じ取りながらていねいに摩っていった。
午後の休憩に入る人がちらほら出て来てやっと気がついた。研究棟に長居をしてしまったらしい。寝車の皆にあいさつをすると、「町への配達から帰ってきたら必ずここに来て」と、皆に念を押された。
「あとはカルメロにあいさつね」
研究棟から出たララは、また芝生を歩いていた。庭師のカルメロとガゼボの周りに植えたラベンダーの苗が目に入り、ララは自然と足を向ける。
三日間寝込んだときに思い出した記憶──自分が植物であったその経験をここで活かしてみる。
ララはガゼボの周りに植えられたラベンダーをしゃがんで観察した。
たくさんの紫色の丸い蕾からは、通常では見えない、でもララだから見える小さな粒がもやもやと漂っていた。そのもやもやのあたりの空気の動きや匂いも繊細に感じ取り、ラベンダーと同調する。
目の前のラベンダーがじわじわと膨らんでいくのが伝わってくる。
──もう我慢できない、開きそう──
自分も花を咲かせる時、開くぞーという物質を出していたのを思い出し、ララは胸がいっぱいになった。
「ララ」
手に大袋と道具袋を持ったカルメロが大股で力強く歩いて来る。今は雑草がたくさん生える季節だ。ずっと腰をかがめて抜いていたのだろう。今日は暑さもあり、少し汗をかいて疲れた顔をしている。
「明日出発するんだって?」
「ええ、王国内の町とパレスを行ったり来たりだから、長く留守にすることはないわ。でもいざ出られるとなると少し淋しいものね。庭のお仕事、私が手伝わなくても大丈夫かしら」
「まあ人手が欲しくなったら、マナに相談してみるさ。パレスで働きたい人はたくさんいるだろう、きっとすぐに見つかる。それに私の娘も庭師に興味があるんだ」
「それなら安心だわ」
ララは庭師に微笑みを向けた。
気持ちのいい風が芝生をくすぐっている。自分が居なくても大丈夫なのは心悲しくもあるが、ここから飛び出していいとも感じる。
「ねえカルメロ、このラベンダーたちはもうすぐ開きそうね。もう我慢できないって言っているわ」
「はっはっもう我慢できないか! そんなことに気づけるのはララくらいだろう」
庭師はまだ小さかったララとの出会いを思い出す。
この姫はこれまでずっと暇を持て余していた。ぼーっと松ぼっくりや枯れ枝を投げて、一人つまらなさそうに過ごす毎日。そんなララに声を掛け、植物いじりを手伝わせたところが二人の関係の始まりだった。
それがこの前大変な目に遭ってからララの雰囲気が少し変わったと、カルメロはなんとなく感じていた。
表情が豊かになり、笑顔が明るい。
そしてまさに今、花に対してそんな目線を持てるようになったのかと、ララの感性の広がりに気づいたカルメロだった。
「いま花に感じたように、ここから出たらララにしか分からないことにいろいろと気づくかもしれない。それを活かしてみるといい。ところでララの護衛は決まったのかい?」
「ふふ、護衛係なのか教育係なのかもまだ分からないわ」
「はっはっ、教育係か!」
「おーい、ララ」
反対側から芝生に入って来たマナが、ピッチャーとグラスを載せたトレーを持ってこっちへ歩いてくる。管理人は庭師にさきほど入手したばかりの情報を伝える。
「カルメロ、今日のおやつはパヌルーで採れたはちみつを使っているって」
「おおそうか! あそこはそばの花だからきっとコクがある。じゃあララ、頑張るんだぞ」
庭師は休憩に入るため、鼻歌混じりに本邸の裏のほうへ歩いていった。
マナとララの二人はガゼボに入ると、トレーをテーブルに置き、一つのソファに並んで座った。
はちみつとレモンの香りがする飲み物と、グラスが四脚、ピッチャーはきんきんに冷えているようで、結露が付いている。
ずっと別邸の敷地内に住み、町を歩いたこともない少女。
町の民とは全く喋ったことがない。明日からは世間とのズレを学ぶことになる。一般常識はわかっているつもりだったが、大使たちとの外交の際にはサルヴァドールやノリスタンにしっかり叱られてしまった。
ララはハイスペックゆえに民衆の悩みが理解できないかもしれないし、心無いことを言って傷つけてしまう可能性だってある。
「人や自然、全てを観察してごらん。ララには気づける才能がある」
マナはグラス二つにレモネードを同量注ぐ。
「〝異質さ〟は命を狙われる。ララだけじゃない、国単位で潰しにやってくる。だから町にいる間は突出せず周りに染まるんだ。いいかい?」
「マナ⋯⋯私が生まれる前にそういうことがあったの?」
メガネのような板で彼の目は隠れていたが、にやっと笑った口になった。表情だけでなく空間まで歪んだようにも感じ、ララはそれ以上聞くのはやめておいた。
「各地に国からの物資を箱車で送るから、ララはそれに乗っていってね。物資は触らなくていいよ、ララの役目はあくまで交流だから」
「〝仕事〟とは言わないのね。なぜ〝役目〟なの?」
「そうだね。使命の手前だから〝役目〟かな。自分で気づいてほしいんだ。仕事と託けないで、行った先の人々と話をして感じとってごらん、自分は何ができるかを。今まで別邸に籠っていたからね。人に接するとエネルギーのやりとりが生まれるし、本に書いていなかったことにも気づくだろう。未来の仲間に出会えるかもしれない。それこそ結婚相手にも、ね」
ララの首の根元にくっつけたマナの手が温かい。その手がララの肩に移動する。
「そして、自分のやりたいことが鮮明になっていくと思うよ。時間はある、気づきの旅だ」
マナはやさしい、そしてよく分かっている。
「よく染まり、よく観察して、よく交流するんだね」
練習場のほうから話し声が風に乗ってくる。護衛隊の練習が終わったようで、一人が訓練道具を全て持って、よろよろと後ろから付いてきているのが見える。
「エルンストったら、負けちゃったのね。そういえばエルンストがルナのことを好きって本当なのかしら⋯⋯」
ララがハクラスカの武器訓練見学会で聞いたことを、ふと思い出す。
その言葉にマナがララをちらっと見たが、隊員たちのほうへ視線を戻した。本邸へ戻ってくる隊員たちの中にトーレの姿もある。
「おーい、トーレ! こっち!」
管理人がガゼボの外に数歩出て、ぶんぶんと大きく手を振り美青年をこちらに呼んだ。
「そうだわ、トーレにもあいさつをしなくちゃ」
ララはソファから立ち上がると、マナが制止するように手の平を突き出した。
近寄ってきたトーレのほうへ自ら迎えに行くマナ。
帽子と目元の板で隠れている部分は多いが、口元は愛想を浮かべている。
「護衛隊の訓練はどうだい? ハクラスカと全然違うんじゃないかな。ノリスタン意地悪してない?」
マナがトーレと並んで肩をがしっと組むと、そのままの体勢でガゼボまでトーレを連れていく。二人は同じくらいの身長だが、トーレが少しがっちりしているように見える。マナはトーレの肩を品定めするように軽くもみもみしながらガゼボに入ってきた。
「まあここに座ってさ、話でもしようよ。のどが渇いただろう、冷えたレモネードがあるんだ。お代わりもたくさんあるからね。はいララの隣に座って」
マナはグラスにいい香りのする飲み物をとくとく注ぐと、さあ飲みたまえと訓練後の美男子に渡す。
「これは⋯⋯初めての味だ。甘さと酸っぱさが何とも言えないうまさだな」
ララがにっこりとうんうん頷いている。マナも満足そうな顔をして、向かい合ったソファに腰を下ろした。
「そうそう、トーレくんにお願いがあるんだ。厭わないでくれるといいんだけど」
中身が減ったトーレのグラスにまたレモネードを注ぎ足したマナは、手の平を差し出し、ちょいちょいと指先を動かして飲んで飲んでと促した。トーレは訝しげな表情で管理人を見る。マナとは今朝訓練前に初めて声を交わしたばかりだ。
「実はララが北の町へ行くことになってね。君に箱車の御者をお願いしたいんだ」
ララはきょとんとした顔になった。




