1-27 困惑のトーレとララの影武者
紺青の髪を持つ美青年は、護衛隊長のノリスタンから訓練に参加するよう誘われた。
護衛隊への所属が決まった訳ではないが、トーレの次の仕事のためにも、アイスタニアの訓練を学ぶようにとのことだった。
次の仕事などあるのだろうか、罪人の家族に──と揺るぎなく、物憂いが継続中のトーレ。すでに自由に外を歩くこともできているのに、幼少期からハクラスカ帝国で受けた教育が彼をがんじがらめにしていた。
訓練初日はノリスタンから剣のようなものを渡される。平べったい木の剣は真っ直ぐで、先は尖っていない。残念ではあったが、トーレはアイスタニアでは武器を使わないと聞いている。この剣のようなものでハクラスカ仕込みの剣術を披露すると、隊員たちからは歓声が上がった。
休憩時間にはわざと切りつけてくれと隊員たちにせがまれ、こいつらは頭がおかしいとトーレは思った。しかしこの剣の不思議な性質を知らなかったのは彼一人だけで、隊員はそんな彼の驚く顔が見たかったらしい。
所詮は尖っていない板なので、ゆっくりと前から隊員の腹に当ててみると、それはぐにゃんと木ではない曲がりかたをした。
トーレは口が開いたままで驚きが隠せない。
剣もどきを振っているときにはなぜか鋼でできた重さを感じ、剣そのもので曲がる感覚は一切なかった。
しかし前に突いて何かにぶつかれば、波打つ蛇のように曲がり、横から切りつけるとぶつかった物の形に沿って形が変わる。痛みや怪我は全くない。
最初は皆で大笑いをしていたが、そのうちトーレが突くと隊員は素早くよける練習となった。この不思議な剣もどきのおかげで、盛り上がった隊員たちがトーレへ声を掛けてくれてくれるようになり、初日から自分の新しい居場所が生まれた。
そして訓練四日目の今日、トーレはへとへとになってベンチで水を飲んでいる。
これまでの肉体の使いかたとは違うため、身体が悲鳴をあげているが第二小隊よりもセンスが上だと褒められた。ハクラスカでは訓練中に褒められることはまずなかったので素直に嬉しい。このままノリスタン直属に混じって、動きに慣れていけばいいと励まされた。
しかしトーレはまだ、戸惑っている。
十五年振りの祖国で、兄は殺人未遂を働いた。しかも被害者は王の妹家族だ。うち二人は行方不明となり、命がどうなったかも分からない。
その場に居合わせたトーレは、兄の暴挙を止めることを選んだ。
本来このような状況であれば、長年過ごしてきたハクラスカ帝国では、最初の一突きで致命傷を負わせるよう訓練を受けている。だができなかった。女子供に手をかけた兄に容赦をしてしまった。
自分が目にしたのは状況証拠だけだ。落ちていた銃、そして倒れていたララ姫。
先日宰相のサルヴァドールとの会話で、兄は銃で打つ前に剣でルナ姫を切りつけ、毒の入った水をララ姫に掛けたと知った。
「剣、毒、銃⋯⋯罪が増えた。一体コーレイはどうしたんだ⋯⋯」
リリアーナ様、ルナ様、ララ様、生きていて欲しい──トーレは毎日心配していた。
護衛隊訓練に参加すると、ひとときでも忘れられるのが救いだった。身体を動かすのはいい。
水を飲み終えると何か視線を感じる。練習場の隣の芝生からスカート姿の少女がこちらを見ていた。
「あれは⋯⋯」
たたたたたたっ!
その少女は信じられない速さで向かって来る。
それはずっと頭から離れなかったララ姫で、いきなりびしゅっと自分の前に現れたため、トーレの身体はベンチに座ったままのけぞってしまった。
「よかった! やっと会えたわ、トーレ!」
ララが満面の笑みを浮かべ、トーレの両手を取り、ブンブン上下に振る。速すぎて手の動きが見えない。
トーレは失った言葉を、さらに手探りで探している状態だ。死んでもおかしくなかったはずの姫は、目の前で元気に立っている。
「何故⋯⋯だ?」
何故生きているんだ? みたいな言葉が出てしまった。
ハクラスカ帝国では銃弾で命を落とした同僚を何人か見ていたからだ。そう、皆亡くなっていた。
トーレは会う人会う人に「ララ様はもう大丈夫。王族は何でもあり」と言われ続けたが、それでも頭の中ではベッドに横たわる衰弱した姫を思い浮かべていた。
身体が打ち震えるほど気が動転したトーレはゆっくりとベンチから腰を上げ、焦点の合わない目で一人言のようにぶつぶつと言葉を発した。
「⋯⋯いや⋯⋯私はハクラスカで育ったから人の話すことが信じられないのかもしれない。ハクラスカ帝国民は嘘が本当に多かった。兄弟の構成から女性遍歴の数、昨日食べた料理、どうでもいいことまで息を吐くように嘘をつく。自分は嘘のつかないアイスタニア人でいようと何百回考えたことか⋯⋯しかしこの姫の治りの早さは普通ではない。銃で撃たれたのなら⋯⋯普通なら⋯⋯」
ああ、そうか──。
トーレは腑に落ちる。
目の前の姫は〝影武者〟なのだ。
だから「大丈夫、王族は何でもあり」だったのか。でもハクラスカ仕込みの真贋を見抜く観察眼でも、違いがわからないほどそっくりだ──。
「私、回復力が高いの。あんなことは初めてだから、どのくらいで治るかは分からなかったけど。ほらっ」
ララはぺろんと肌着ごとシャツををめくった。
引き締まったお腹を見せた姫に何も言葉がでなかった。包帯は巻いていない。本当に傷のない、つるっつるのお腹だった。
やはり影武者だ──!
傷のないかわいいお腹を見せてくれたのに、トーレは逆に確信してしまった。あの日から十三日経っているが、傷跡まで消えるのはさすがに早すぎる。
「あと精神面のほうも問題ないから安心してね。心身共に健康よ」
ララはストレス耐性がかなり高いことを特に説明はしなかった。
トーレは〝このララは襲撃されていないほうだから〟となんとなく納得した。
「コーレイのことも、皆に『自分の意思でやったことではないと思う』って何度も言ってあるのよ。だからその方向で調べてもらえていると思うわ」
「な⋯⋯」
トーレは出そうと努力した言葉をさらに失ってしまった。
コーレイがやったことは事実だ。なのにこの姫の偽物は何を言っているのだろうか。まるで無かったことにしたいように⋯⋯そうか、王族は何でもありというのはこういうことか──。
「これで物憂さも吹き飛んだでしょう?」
もしかしたらララ姫は双子なのかもしれない。でもこれは最重要機密であろう──トーレは演者に合わせることにする。
「それよりも、トーレ、私を助けてくれてありがとう」
やっとララはトーレにお礼を言えた。ずっと伝えたかった感謝の気持ち。
そして姫は、笑顔から感情を抑えた表情に変わる。
「身内を相手に冷静に判断して行動することには、勇気もいるし困惑もあったと思う。そんなことをさせてしまってごめんなさい」
「な⋯⋯なぜ謝るのですか? ララ様はコーレイに対して無抵抗だったとお聞きしています」
「私に会ったせいで、コーレイがあんなことになってしまったような気がしたの⋯⋯」
目の前の姫が力なさげに俯いている。
トーレはアイスタニア王族の言葉の意味を理解できない自分にショックを受けた。これはアイスタニアの民族性だろうか──。
「ララ様、謝ってはいけません」
影武者であっても姫にこれ以上言わせてはいけない、そんな思いを込めてトーレは調理場の休憩で覚えた強く長いハグをララに披露した。喋らせないように自分の身体にララの顔を押し付ける。
むぎゅうとララは顔をつぶされた。
トーレの腕の中にしばらくいると、ララも王族ハグでトーレの身体の状態を読み取るようにゆっくりさわさわし始める。
トーレは筋肉がしっかりついているが、脂肪もある程度ついていた。背が高いからか見た目ではよく分からない。この少々厚めのウエストに抱きつきながら、ララは思わず声が漏れ出る。
「あ⋯⋯好きかも⋯⋯」
トーレがぴくっとしたので、ララは訂正する。
「違うの、身体のことだから」
「違う⋯⋯? 身体⋯⋯ですか?」
「トーレ、話しかたを対等にして欲しいの、ララって呼んで。私はずっとここに籠もっていてまだ役に立っていない人間なの。逆にトーレはアイスタニアを代表してハクラスカ帝国に行っていた大使家族なのよ。とても誇らしいわ。何よりトーレがこんな私を助けてくれた。ほんとうにありがとう」
トーレは謝られたり褒められたりと、全く飲み込めない。
そういえばアイスタニアに帰国してからは、誰にも責められていない。あの銀色の手枷を付けられたときも、外すときに宰相と護衛隊長から謝られた。本邸の使用人や護衛隊も皆親しげに接してくれている。
「なぜ、この国の者は誰も責めないのでしょうか⋯⋯」
「あなた自身は悪いことなんて何もしていないでしょう? 守ってくれたのだもの。逆にいいことをしたのよ」
影武者に言われたが、本物の姫がそう思ってくれているとは限らない。
渋い顔のトーレに腕の中のララが「言葉」といいながら頭で胸にこつんと小突く。
アイスタニア風に砕けてしゃべるのがまだ難しい。十五年間書物や貴族の言い回しで学んできたため、平民のような日常会話がよく分からない。しかし目の前の姫が偽物ならば、対等に喋るのも苦ではない気がした。
「アイスタニアのハグは肉体を確かめるように撫でる⋯⋯のだろうか?」
トーレはまだ抱き合ったまのララに疑問を投げる。使用人のエミリーに抱き締められたときとも違う。ララの抱き締めは強くなかったが、軽い力で撫で回されるのが少しくすぐったい。
「私はいつもそうされてるわ。性別は気にしないで遠慮なく触るのがコツよ。病気や怪我がないか、筋肉のつきかたや骨の状態も確認するの。でもわかる範囲でいいのよ」
特殊な五感のことは詳しく言わないほうがいいとララは思い、ただ手順を教えた。
ララは別邸のある敷地から出たことがない。今でこそ同敷地内の研究棟へ見学ができるようになったが、これまでは王族同士とのハグがほとんどだった。
「こんな感じか?」
トーレは覚えるためにすぐに実行した。彼の手はララの頭から肩に移り優しく撫でる。そして背中から腰へ向かった。
アイスタニアを異国に感じてしまったのが残念だった。早く祖国に馴染みたい一心だった。
「そう、そんな感じよ」
ララの世間は、めちゃくちゃ狭い。そして、偏っている。
美青年トーレにはまた一つ、勘違いのハグ知識が加わった。
◇ ◇ ◇
午後も少し過ぎ、休憩に入る者、飲食のサービスワゴンを押していく者と、本邸内は人の出入りが多い時間帯となった。
調理場近くの廊下では、眼鏡のような板を目元につけた特命部の男が、シンシアと喋っている。
男はトーレに見られていることを察し会話を切り上げた。憂いに満ちていたトーレの顔が和らいでいることに気づいたシンシアは、特命部の男に笑みを見せて嬉しそうにしている。
「サルヴァドール様とお会いしたい」
トーレの手には、装飾の入った一冊のノートがあった。




