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1-20 すごい研究員の分厚い説明

 見学会は早くも困難な局面を迎えていた。


 見学者がガラス張りの研究室に一歩踏み込むと、自国の研究道具と見比べるところから始まった。


「まず顕微鏡が違いますからね。倍率が比べ物になりません。ウイルスが見えますから」


 アイスタニアの研究員ダニエルが本筋ではない顕微鏡の説明を始めてしまったのが事の始まりだった。


「ウイルスとは何だ」

「初めて聞く言葉です」

 ハクラスカ大使と学者は何一つ理解できていない。


「えっでは微小生物なら⋯⋯」


「何のことを申されているのか」

「トビムシやダニのことかもしれません」

 サーラン大使と博学者も顔を見合わせている。


「おい、ちゃんと皆がわかる言葉を使うんだ!」

 ハクラスカ大使が皆の気持ちを代弁する。四か国会合では小難しい言葉の連続だったが、このアイスタニアの研究は根本的に違うものを感じとり、プライドより理解を選んだ。


「ダニエルー、病原菌の説明はまだ早いよ。そんなこと言い出したらこの部屋だけで今日一日終わっちゃうから。ほら、あの絵本を帰りにあげようよ」


「病原菌とは何だ?」

「⋯⋯絵本?」


 失礼の塊セレソの言葉で、明らかに怪訝な顔になるハクラスカ大使。


「いえ、図版が大きく描かれて子供でも理解しやすいテキストなんです」


「子供でも理解しやすい⋯⋯」


 ダニエルはフォローしたつもりだったが、大使をさらに不愉快な顔へと変化させた。



「ララ様、あの顕微鏡はどれほど良く見えるのでしょうか。我が国のものとどう違うのか分かりづらいのです」


 ニルラの研究者ガスパルが質問を投げかけてくる。ガスパルは祖国の顕微鏡でトビムシを観察したことがあった。少量の土の中に数えきれないほどの小さな虫がもぞもぞと動く、そんな経験知が彼にはある。


 ララは研究に関しては詳しく知らなかったが、倍率の数字だけ計算してみた。少し上を見ながら考える姿さえ可愛いララは、ぱあっとにこやかに答えた。


「ええと、皆さんの国の一番小さな銀貨が、アイスタニア大陸くらい大きく見えるのと同じです!」


「はっ⋯⋯はあっ?」

「なんと⋯⋯」

「トビムシがどのようなカラダをしているのか見るのとはわけが違う!」

 学者たちから驚きの声が上がる。


「あとは、葉っぱの中の緑粒を見たことがあるかしら」

「緑の小部屋でしょうか?」

 一人だけ分かる人がいた。サーラン王国の博学者ナスリーは植物学も携わっている。


「部屋が大きく見えるから、その部屋に住んでいる緑粒が増えていくのが見えるのよ」


「ふ、増える?! 壊れてバラバラになるとかではなく?」


 ナスリーは震えてよろよろと後ずさり腰を抜かしたため、ララがさっと椅子を用意する。


「葉っぱの小部屋に住んでいる緑粒が増える⋯⋯」


「ごめんなさい、私もよく理解していないのに、驚かせてしまったわ」


 呼吸が荒くなっていたのでララが背中をさすった。しかしサーラン王国の人なので、異性であるララは途中で気づき、さするのをそっとやめた。


 ジェレミーはララの向こう肩に手を回し、小さくぽんぽんとしながら「気にすることなんてないよ。どうせこの先も驚くことばかりさ」と耳元で囁いた。


「ほらー、ララのほうが説明分かりやすいよぉ?」


 セルソがダニエルに肘でつんつんする。しかしセルソのそばにいた女性研究員三人はダニエルの味方をした。


「ダニエルにそんなこと言っちゃだめよ、セルソ。ダニエルはすごいんだから」

「そうよダニエルはすごいのよ」

「ダニエルをいじめたらだめよ」


 女性たちはダニエルのほうに移動し、腕を組んだり、肩を触って顔を近づけたり、手を握ったりと密着する。一体ダニエルの何がすごいのだろうか。それに女性にモテているのはてっきり色気のあるセルソのほうかと皆は勝手に思っていたが違うようだった。

 しかしそう考えるのは見学の大使と護衛たちくらいで、学者たちは顕微鏡が気になって仕方がない。


「私にその顕微鏡を覗かせてくれませんか!」

「私もお願いします!」

「私も覗きたいです!」


 顕微鏡に人がわらわら集まってきた。ジェレミーはララがニルラ共和国と接触しないように身体を盾代わりにする。


「進まない⋯⋯まだ入り口からちょっと入っただけだ。これでは全部回れないではないか」

 ニルラ大使のゲラシウスはぼやいている。この大きな建物の一部屋目で足止めだ。


 学者たちが少年のようにわいわい顕微鏡を覗いている間、研究員ダニエルはさらっと話を始める。


「研究中の水と土、これらを利用した事例ですが、この国の砂漠地帯に、水が流れ植物が育つオアシスの数を増やしているところです。生き物の住める土づくりや──」

「おい、水と土はもういいから次に行ってくれ。日が暮れてしまう」


 ハクラスカ大使ヨシフがずばっと言い切った。


 アイスタニア一番の研究がスルーされるのはなんとも口惜しいダニエルだったが、宰相のサルヴァドールは無理に開示することはないとダニエルに別の研究室を案内するように仕向ける。機密レベルの低い場所で彼らを長時間足止めできればそれが一番だ。


 顕微鏡に気を取られている者たちは残し、食品の研究室へ進むことにした。



「栄養粒に関してはグランタス帝国が健康のためにとたくさんの取引をしてくださっています。アイスタニア王国では体調を崩した時に薬と一緒にこの栄養粒が処方されます」


「グランタスも物好きだな。あれは全く美味くない。アイスタニアの民も見向きもしないと聞いたぞ」

 ハクラスカ大使ヨシフがちらとグランタスのほうを見る。


「我が国はあの栄養粒のおかげで領土が増えていますからね。疫病にかかるものも近隣国より少ないですし」

「おかげで領土が増えるとは、ずいぶんなおべんちゃらだな」

 ニルラ大使ゲラシウスの声が小さく響く。


 嫌味を言われようとグランタスの大使は肯定も否定もせず、どこ吹く風だ。ニルラ共和国の面々から目を逸らす。

 祖国の皇帝からはアイスタニアとの取引はこの栄養粒を優先するようにと言われている。大使自身もこの不味い栄養粒のどこがいいのかわからなかったが、グランタスが近年巨大化し、近隣国より疫病人が少なくなっているのも事実だ。逆にニルラ共和国は、グランタス帝国に国土を削り取られてしまっている。


 すかさずダニエルの補足が入る。


「栄養粒は、もう少し受け入れやすい味も試作中ですので、もうすぐ紹介できると思います。これを摂れば骨の成長もよくなり身長や筋肉によい影響がありますし、病気の悪化も減ることでしょ──」

「いや、説明はもういい」


 再びヨシフが切り捨てるように言う。横にいるハクラスカの学者オレークは残念そうな顔をしている。上役が門外漢だとこれだ。こういう時は自分を前に立たせてもらいたい、そんな気持ちは心に押し込めただ悲しそうな目で説明のダニエルをじっと見る。


「そうですか、栄養の働きのことはいかがでしょう。たとえば体の調子が崩れているとか、肌が荒れたり、風邪をひきやすいと感じられていませんか。国民で身体に痺れがあると訴えるかたなど⋯⋯」


 ダニエルは教える気持ちが強いのか、それとも外国の同業者に伝えたいのか、引くことを知らないようだった。


 そう、アイスタニア王国の君主ベンジャミンが人に誤解を与えるほどにぺらっぺらの薄い説明の人物ならば、このアイスタニア王国研究員ダニエルは──、


「分厚い⋯⋯! 説明が分厚いっ⋯⋯!」


 ニルラ大使ゲラシウスは早くも頭が疲れてきているのを隠せていない。知りたくても、未知の部分が多いと理解に時間がかかるというものだ。なぜか身体がかゆくなり、ぽりぽりとかき始めた。


 偶然目の合ったハクラスカの学者とニルラの研究者は、お互い残念な上司を持ったというように軽く頷いている。


「生粋の学者じゃないと頭がついていかないよね。僕はもう耳に入ることすら拒否しちゃってるよ」

 ララにべったりとくっついているジェレミーが口を挟む。


「私は聞きたいです」

 ジェレミーのすぐ横にいたグランタス大使エイモンは、アイスタニアの王子といえど子供の頭と一緒にされたくはないかのように、片手を上げてダニエルに知らせた。


 ジェレミーは、じとーとエイモンを軽く睨み、ララもエイモンのほうを向くと、グランタスの少年と目が合った。ララは花のように微笑んだので、少年はびっくりした顔で身体を強張らせる。


「では休憩時に個別に対応いたしましょう。現在試作中なのですが、髪の毛を増やしたり、夜に男性が元気になる栄養粒のこともお話しできますよ」


 ダニエルの言葉に参加者は一斉に驚いた。

 髪を増やす? 男性が元気? なぜそんな興味深いことをおまけのように言うのだ──!

 説明を断った大使ヨシフと愚痴を言ったゲラシウスは後悔しすぐに訂正し始めた。


「お、おい。勘違いするな。長くなるなら椅子とコーヒーを用意しろと遠回しに言ったんだ」


「そ、そうです、ちゃんとその栄養粒も用意してくださいね」


「そうでしたか申し訳ございません、それでは後ほどご案内いたしますので」


 ダニエルはセルソたちに試食の準備をお願いした。眼鏡のずれを直しながらすでに嬉しそうな顔をしている。これはかなり説明が長くなるのではないだろうか。


「あー寝ちゃいそうだな。今は説明だったけど、椅子とコーヒーを用意した場ならじっくりな解説が始まるよね。絶対眠りの呪文だよ。僕は粒だけ貰えればいいや」


 ジェレミーは美味しいところだけ味わうことをララにこっそり伝え、ララに頭をくっつけた。

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