1-19 待望の研究棟見学会
どれだけ待っただろう──アイスタニアの知恵が詰まったこの機密施設に入ることができ、各国の有識者たちは浮き足立っていた。
「ララに何かあるといけないからね。まあ僕よりララのほうが運動能力高いけど、あはは」
本日の四か国大使向け研究棟見学会は宣言通りジェレミーも参加だ。今はララの手をしっかり握っている。
「もう参加して大丈夫なのですか? もっと休ませてもいいのでは」
サーラン王国の大使ルクンがララを優しく見つめたあと、アイスタニアの宰相に声を掛けた。
他国の大使たちはこれ以上サーラン大使が食い下がらないよう見守っている。おとといのお披露目会では途中で退出してしまったララを身近で見られる機会だ。休ませることに同意するような仕草をしないよう無反応の直立だった。
「ご心配お掛けしました。でも本当に丈夫なんです」
ぎゅう──ララはルクンを自分から抱きしめに行った。サーラン王国では人前で異性が抱き合うことはないが、ルクンはアイスタニア駐在歴が長かった。自分からすることも拒否もせず、ララの背中に軽く手を回し二人はしばらく動かなかった。
すぐ側で見ているサルヴァドールがこれにやんわりと干渉する。
「これはアイスタニアの王族ハグというものです。性別の関係はなくお互いの身体の異変を確かめるために時間をかけて抱きしめ合います。ですがサーラン王国の文化とはかけ離れたものだと存じておりますのでララ、もうその辺でお止めなさい」
「⋯⋯はい」
腕を離したララがサーラン大使に微笑みを送る。この二人は身長が同じくらいだった。
ルクンは胸がいっぱいになったようで自然と顔が緩み、少し興奮した口調になる。
「不思議だ⋯⋯幸せな気分になったぞ、なんなんだこの満たされた感覚は」
「他の皆様は、おとといと同様に妃殿下の身体には触れずにお願いいたします」
サルヴァドールはすぐに釘を打ち、参加者全体を見渡した。
目の焦点が合っていないルクンは、ゆっくりとララを捉えサルヴァドールに視線を移す。三十代後半で妻も子供もいるのに初めての感覚を味わった。
「何か特別なものがあるのだろうか⋯⋯」
アイスタニアの宰相は首を傾げて口だけ微笑む。その光景を、入り口に立っている研究員が興味深そうに見ている。
今日は廊下を歩いての移動や限られたスペースなどもあるため、国ごとに移動の順番が決められていた。
これまでは国の歴史の古い順に、北の大国ハクラスカ、東のサーラン、中央南のニルラ、西のグランタスの順に案内されていたが、おとといのララお披露目会がきっかけで、案内される順番が変更になる。
ララを大切に扱うサーラン王国が始めとなり、居残り措置となったニルラ共和国が最後の扱いだ。しかもアイスタニアの護衛がニルラの前後に付いている。
研究棟は王の過ごす本邸と隣接しているが少しだけ離れた北側にあった。この建物の中には研究室のほか、病床が設けられ、工場も併設されている。
「さて、ここからは私がご案内します」
眼鏡の奥にはいつも優しい瞳が待機されている、人当たりのよい三十過ぎの男性が前に出て来た。研究員ダニエルは王国内を巡回している王族にスカウトされ、もうこの研究所で働き始めてから十年は経つ。
「この研究棟は名前の通り研究部門が集約され、水・土・植物など自然に関する部門、医療・栄養など人の命に関わるもの、そしてものづくりに関するエリアと大きく三つに分かれています」
とうとう始まった見学会に、場の空気が少し引き締まった。
「しかしどれも密接に関わっているため研究員は隔てない知識を持ち、各エリアを行ったり来たりしています」
「なんと理想的で贅沢な環境⋯⋯」
サーラン王国の博学者ナスリーが驚きの顔をしながら興奮じみた声を出す。彼は医学や植物の知識を特に多く持っている。今日は説明を一番近くで聞くことができ、さらに気分が上がっているようだった。
「天文学はあるのだろうか。今挙がっていなかった気がするが」
「まさしく! 天文学と医療の名前が最初でないのがアイスタニアらしいですな」
他国の学者は早くも湧き出る感想を喋らずにいられない。ただし褒めているわけでもない。
「聞こえません! もう一度お願いできますか!」
一番後ろになったニルラ共和国の研究者ガスパルが声を張り上げる。今日は各国護衛を入れ十名まで参加できることになり、全体がざわざわと騒がしい。
おとといのララお披露目会の後、ニルラ共和国は特命部による調査を受けることとなった。居残りメンバーに怪しい者は見つからなかったが国内外に協力者がいる可能性もあるため、アイスタニア王の威嚇と宰相の忠告がされた。
そしてニルラ共和国が解決への協力を約束をする代わりに、本日の見学会への参加を許可される。
戦争を起こすような国から見ると、アイスタニアは甘い、極甘だ。姫に毒を盛るなど極刑に値するだろうが、アイスタニアには極刑は存在しない。
そして当の本人も限りなく緩かった。
「私が間に入るわ」
ララが後方に向かって手を振った。ララは手を繋いだままのジェレミーを引っ張りながら、サーラン王国とハクラスカ帝国の参加者の横を通り抜ける。
「(ララ、ニルラに近づき過ぎるな)」
サルヴァドールのヒソヒソ声が耳に届き、ララは全体の真ん中、三番目のグランタス帝国グループの手前で止まる。ジェレミーはつんとした顔を一番後ろの国に送った。
手を少し動かし、ララは笑顔で後半の団体へ挨拶をする。
「グランタス帝国とニルラ共和国の皆さん、聞こえなかったら言ってくださいね。私が中次ぎをするわ」
ララの笑顔と共に優しい声が男性たちに届き、場もふわっと軽くなる。今日のララは備品に引っ掛からないように、リボンやフリルのないシンプルラインのワンピースだった。白寄りのラベンダーの生地には優美な刺繍が全体に施され、ララの輝きを引き立たせている。
グランタス帝国の比較的若い男性が両手を少し前に出して歓迎していた。あわよくばララにハグをしてもらえるかもと分かりやすい期待の顔をしていたが、ララは笑顔だけ送っておく。
前列にはララと同じくらいの年齢の男子も立っていた。アイスタニアの言葉がわからないのだろうか、傍の男性が通訳をしていたので、ララは皆にグランタスの言葉で話し掛ける。
『私はララよ。よろしくね』
グランタスの一行は笑顔で各々ララに挨拶をした。この国はアイスタニアに雰囲気が近いのかもしれない。敬いの態度はしっかりとしているが畏まり過ぎてはいない。基本の部分がフレンドリーだった。
『グランタスのソファは座り心地がとても良くて、木枠や布の装飾も素敵ね。皆気に入っているのよ』
自分の国の言葉で流暢に話しかけられた十六歳くらいの男子は目を丸くした。
驚きを隠そうと虚勢を張り、なんとか『そうですね、自慢の逸品です』とだけ返す。横にいる大使エイモンも満足そうに頷いている。
ララの腰に手を回したジェレミーは、密集した場所にララが移動したため感覚をフルに使って周りを警戒していた。やる時はやるジェレミー。もちろんララ自身も警戒はしている、ほんの少しは。
そんな中、研究室の奥から男性研究員が、女性研究員三人を後ろに引き連れてサルヴァドールの元へ寄って来た。四人は白衣のボタンを一つもつけず、中のシャツも胸元まで開いている。男盛りに突入し始めた二十代後半のこの研究員は、長髪をかき上げながら宰相の肩にもう片方の手を掛けた。
「ねえサーちゃん、コーラルンドの入荷が遅れるってどういうこと? 工場のライン待たせているんだけど! しっかりしてよー」
文句は言っているが、表情豊かにフェロモンをぷんぷんさせているため怒っているようには見えない。加えて顔が近い。キスをするのではないかと思うぐらいに。
「この国の宰相をサーちゃん呼ばわり⋯⋯しっかりしてだと? 一介の研究者が軽々しく話しかけてくるとは」
ハクラスカ大使のヨシフが驚いている。彼も口は大概悪いが、それは祖国で公爵だからなせる技だ。
「セルソ。検疫に引っかかったんだ、新種の微生物がついていたようでな。もうすぐこちらへ運ばれてくるだろう。それにしてもイベントリが無いのに現場を動かしてたのか」
「そっか、検疫がしっかりしていたのか。うん、検疫偉い。ていうか遅れる連絡の時、それもちゃんと伝えてよ。もうサーちゃんこういうところあるんだよな」
この研究員は自分に都合の悪いことは一切耳に入ってこないタイプのようだ。
そしてサーランの背の高い学者バーナが周りに聞こえるような声を出しながら紙にメモをする。
「コーラルンド、聞いたことのない名前です。まだ翻訳されていない言葉かもしれませんので後でまとめて質問することにしましょう」
女性研究員たちはセルソがサルヴァドールに軽口を叩くところをくすくす笑って見ているが、一人の女性だけセルソを肘でつつく。文句をやめろということではない、実はコーラルンドは秘匿性の高いものだった。セルソはっとした表情からすぐに流れを変えるように作り笑顔になる。
「うん? くんくん、あ、サーランの匂い。わーサーラン顔してるー! サーランの人ってほんと美形が多いよね。いつもスパイスとハーブを使わせてもらっているよ。特にローズウォーターは本当に質がいい。素晴らしいね!」
セルソは見学者のほうへ近寄り、サーランの中で一番豪華な服を着ているルクンの手を両手で握り、ぶんぶん振った。
「失礼の塊のような者が現れて申し訳ございません。この国には厳格な身分制度がございませんので、これからもこのような者が度々現れるかと存じます」
定期だ、定期的にアナウンスしないといけない。大使たちがいる間はセルソの顔に「失礼の見本」と大きく書いた紙をずっと貼っておきたい──サルヴァドールは四人を背後に隠すと、始まったばかりの説明が中断している研究員ダニエルに話を進めるよう合図をする。
見学の後ろのほうではララが勝手に補足をしていた。
「ふふ、セルソはサルヴァドールのいとこなの」




