1-18 インシデントレスポンス
ベッドの横にある、装飾や弾力のないアイスタニア製ソファに座った王は、訪問を静かに喜ぶ花の妖精に優しい声で尋ねた。
「どうかな、体調は」
お披露目会から一日経ち、検査結果に異常は認められなかった。
「あの時は少し大袈裟に表現しただけよ。ベッドで休んではいるけれど、身体におかしいところはないの」
ララは医療班の個室に入れられて少し気が沈んでいる。昔から狭い場所に閉じ込められるのが好きではなかった。定期的にこのような安静を指示される状況が訪れていたからかもしれない。
今までなら母リリアーナや姉ルナが、心配なのか叱っているのか区別のつかない会話で気を紛らわせてくれていた。
この部屋には大きな窓はあるが、固定されていて開くことはできない。といっても部屋の扉のほうは鍵が閉まっているわけではないので自由に出入りはできるのだが、せめて窓が開いて外の匂いと音を感じたかった。
自分がしたことが原因ではあるものの、周りの人が出す自分への無茶判定が厳しいといつも思う。
「毒を調べたけど、王族でない者が飲んでいたら致死量だったよ。口に含んだ判断は正しかったのかな?」
王ベンジャミンはララの行動を理解しようとしていた。
「匂いを嗅いで、大丈夫そうに感じたの。騒ぎを起こさずにあの人を捕まえるにはどうしたらいいのかと思って」
「あれ無味、無臭、無色と言われて、外国で暗殺に使われるものなんだよ」
「無味、無臭、無色? 私には全部分かったわ。癖のある味、嗅いだことのある匂い、水の中に落ちていくのも見えたもの」
「だよね。舐められてるよねぇ、うちの国」
ベンジャミンは三人掛けソファにもたれ、ララの顔とは逆に足を組んだ。ララの周りに花びらが一枚はらりと舞っているのが見える。それとも散っているのだろうか。
やはりララは自分と同じ身体を持っている。だから大丈夫だ、体内に入った毒素もしっかり分解し排出されるだろう──あの時ララのグラスに入れられた毒の微量な物質は、空気中を漂ってベンジャミンにも届いていた。ララが三回鳴らす合図をしたので大丈夫とは思ったのだが、彼女はわざと口に入れてしまった。
「この前の⋯⋯頭に掛けられたものと同じ匂いだったから、これなら大丈夫と思って。でも飲み込んではいないわ。口を手で隠した時に吐き出したの。シークも緊急に動くようなことはなかった」
「そうだね、ララならもうあの毒にも耐性がついていると思うよ。でも周りが驚いたよね、丈夫なララが不調を身体で表現したから。ベッドから出たら家令とホール係の皆に元気な顔を見せにいくんだよ」
ララはこくんと頷くと、またやってしまったとしゅんとした顔になる。でもララはレベルの高いことをやってのけただけで、周りは理解できずついていけない、それだけだ。
「それにしてもあの男は私から見える位置に立っているのに、ララのグラスに〝あれ〟を入れる際、自分のワイングラスで自然に隠して死角を作っていたんだ。人から見える視点をちゃんと把握して、奇術師のようだったな」
「ええ、〝あれ〟を入れる動作のとき、彼は呼吸がゆっくりになって集中していたわ。ニルラ共和国の人と合図をするようなことは始めからなかったの。単独で動いているようだった」
ララは自分にできる無茶はするが、ちゃんと状況を把握していた。
「もし、ジェレミーが同じ毒を盛られてたら、ララは止めたかな? 自分が大丈夫だと思う毒でも」
「毒が入っているわよって教えるわ」
「うん、ジェレミーはララほど気づかないし、比べると耐性も低い。もしも、もしもだよ、本来アイスタニアではそんなことはないんだが、ララが食べなかった手付かずの〝毒入り〟料理があった場合、使用人か誰か王族でないものが気づかず食べたら大変なことになる。ララは気づいた時にすぐに処分することはできるかな」
「ああ⋯⋯私一人の問題じゃないのね。私が守らないと⋯⋯」
顔の中心にじわっとしたものを感じたララは、髪を少し揺らしベッドの上掛けを自然と握った。
「王族は身体能力が人並み外れている。だからその特別な身体を、自然や人々の命のために使い倒さねばならない。睡眠を多く必要とせず、ろくに飲食しなくても動けるこの身体をね」
ベンジャミンは窓の外に目線をずらす。空は大半が雲で覆われて今日は気温が上がらなさそうだ。外で働く者は少し肌寒いかもしれない。昔はこんなことを考えもしなかった。
ララに言い過ぎてしまっただろうか。説教をしたいわけではなかった。
「まあリリアーナは仕事に夢中になり過ぎて、百年以上結婚し忘れていたけどね」
「⋯⋯伯父様、お母様に注意しなかったの? その、結婚しなさいとか」
「別のことで小言を言ったとき、その後五年間外国に行ってしまったことがあったからね。だから結婚しろと言う代わりに、ずっとリリアーナの護衛をしていたルークの背中を蹴飛ばしたよ。そしたらすぐにみごもってパレスに帰ってきた」
「帰国したらルークの〝加工〟能力がかなり上がっていたことが判明したんだ。長年リリアーナの無理難題に付き合わされていたせいでね。それからはみんなに必要とされてずっとものづくりだ。こき使われて、一緒に働いている者たちに『ルーク工場長、ルーク工場長』って頼りにされてたよ。国が誇る、流れるおまるの立役者だ。おかげで外国に先駆けてアイスタニアから疫病が去った」
「お父様も働き通しだったのね」
「王国民全員に行き渡る数を作ったからね」
王とララが笑う。舞っているララの花びらが少し増えたように見える。
そんな中、防音の廊下に新しい足音が聞こえてくる。よく知っている男性の歩きかただ。
扉を開けて入って来たのは護衛隊の練習を終えてきたノリスタンだった。
「初陣でベッド行きになったララ、具合はどうだ? 傷が塞がってからすぐのお披露目会だったからな。王は厳しいねー」
左のこめかみに三つ編みのある隊長は王に同意を求める視線を送り、ソファの横に立って腕を組んだ。王はふんと鼻を鳴らす。その前にララを護衛隊の訓練に参加させていたのは誰だろうか。
「グラスを落としてしまってごめんなさい。それにあのヘンリクスに、毒の入ってたお水を少し掛けてしまったけれど大丈夫だったかしら」
組んだばかりの腕をすぐに緩め口をぽかんと開けると、ソファに深く座った王にどういうことだという顔を向ける。すぐにベッドに片手を置き、ララに迫った。
「おいおい、毒男に毒の心配するとはお人好しが過ぎるぞ。命を狙われたことは分かっているのか」
ノリスタンは呆れているが、自分でなければ大変なことになるものを掛けてしまったのだから、ララは気にせずにはいられなかった。
「安心して、全部掃除しておいたから。ララは純粋だからね、私がさっき言ったことが引っかかっているんだろう? 何てことはない、受け取ったものが多すぎたから返したと思えばいいんだ。ああ、本人へのお裾分けだな、ズボンの裾だけに」
王のにこにこ顔が歪んでいてなんだか怖い。そして最後は笑うところだろうか、ちょっとララには分からなかった。
「ララは人よりも無理がきく。だから何かが起こっても反撃しないで受け取って流すこともあるだろう。ただし度を超えた献身はしてはいけないからね」
「夢中になりすぎるなということ?」
「犠牲だ。人のためになることはしても、手に負えなくなる大変なことが起きたら、一回そこから離れて皆と相談するんだ」
「ララが犠牲になるような事など国家レベルの状況だ。一人で判断しないことだな。ここらへんを学べるようにサポートできる護衛がいればいいんだが」
ベンジャミンの言葉にノリスタンが仕事目線でのせてくる。
護衛隊長なのに姫のグラスにまんまと毒を入れることを許してしまったが、アイスタニアでは失敗という言葉は滅多に使われない。実際にノリスタンは王や宰相から叱責を受けることはなかった。
ヘンリクスが何かをやらかし、そしてそのことにララが気づいていることも王、宰相、隊長は分かっていた。ララの爪の合図と王族ヒソヒソが最優先であり、無闇に邪魔をしてはいけない。
ノリスタンは護衛隊長として聞きたいことがあった。
「ところでララ、今回、コーレイの時と同じことや違ったことはあったか? ララの元へ似た災難が再びやって来たのは明らかにおかしい」
隊長はララの顔をじっと見る。
「そうね、毒は由来が同じだと思うの。前のときは口には含めなかったから微細な違いは言えないけれど。ヘンリクス自身は主役で舞台に立っているようなエネルギーを出していたわ。私よりも注目を浴びるように意識していた。コーレイは逆に意思を押さえ込まれた人形みたいだった。それを破って抗うようにしていたから。それと⋯⋯」
ララは通常身の危険を察知した際、恐怖の感情に占められることはない。研ぎ澄まされた感覚は状況を正確に把握することに使われた。凛々しい表情のララからは淡々と言葉が発せられた。
「ヘンリクスはグラスに入れて飲ませる〝任務〟みたいだった。私が隙を見せても、他の行動は起こさなかったの。コーレイのほうは〝仕留める〟行動だったわ。息の根を止めることが目的のように」
質問の答えを求めたノリスタンは、ララのすぐ傍へ近づくとララの頭と肩を包むように抱き寄せた。
そのままじっとしていると、遠くの廊下からどたどたと走ってくる音が聞こえてきた。鍛えられた足の使いかたとは違う、慌てた感じが際立っている。
「ララ、外部との交流が始まったら五感の鋭さはできるだけ気づかれないようにしなさい。よく聞こえる、よく見えるというのは知らぬ者にとっては恐怖を感じるものだ。そして警戒される。今回のお披露目会ではララの五感を少し見せないといけなかったが、細かいすり合わせをしなかったのが裏目に出た。参加者には〝約束〟をかけておいたから漏れることはないが、町への配達が始まったら気をつけてほしい」
「〝約束〟⋯⋯私、伯父様の能力を使わせてしまったのね。重大なトラブルに発展することを私はお披露目会で起こしてしまった⋯⋯」
聞いていたノリスタンは抱いたララの肩をゆっくりと撫でる。慰めと見せかけてかすかに揉んでいるので上肢帯の確認だとララは気づく。気落ちしながらはい構いませんどうぞ点検してくださいと、ララは身体を提供する。
「王族の子供は幼児のうちにその辺りを習うのだが、ララには才能を抑えてはいけない事象が多々発生していたからな。お披露目会の前にタバサにレクチャーしてもらえば良かったか」
「タバサか。疫病対策の防護服、大量生産に入る準備に入っているんだ。四か国会合の後から各所手一杯でね。ララのことは私が担当だ」
王はララの肩周囲を確認しているタバサの父親に返答した。
程なくジェレミーがバンッと扉を開けて病室に入って来た。
ベッドの手前で軽くスピードを落とすとそのままララのベッドに飛び込む。
「ララー! とうっ!」
王子の乱入を確認すると、ノリスタンは抱き寄せていたララがジェレミーとぶつからないよう、さっと膝の下に腕を入れ、ひょいとララの身体を抱き上げた。
飛び込んで来たジェレミーはララが消えたため勢いが止まらず、ベッドのヘッドボードに思い切りガツンと頭をぶつける。
「ぐっ!」
ジェレミーはララのベッドの上で、身体を曲げたシャクトリムシのようにお尻を高く突き上げて、受けた衝撃をじっくり味わっている──ように見える。
「⋯⋯ジェレミー、護衛隊の訓練にそろそろ参加したらどうだ? 鍛えれば俺くらい動けるはずなんだが⋯⋯んっ」
ノリスタンは絶対笑い声を出さないように注意しながら優しく声を発したが、最後にぐっと鼻にかかってしまった。これまで患者に向かってダイブはだめだと、体感で百回は言っている。
ララはすぐにベッドに下ろしてもらった。痛がっているジェレミーのおでこをやさしく撫でる。
ララの横へごろんと身体を投げ出したジェレミーはララの手を額に乗せたまま、ノリスタン以外に文句を言い始めた。
「もうー、ララは口に毒なんて入れちゃだめだよ! この前は頭に火傷したんでしょう? それに聞いたよお父様、外国からプリンスを呼ぶってどういうこと? まだルナだって見つかっていないのに、ララが注目されたら困るんだけど! 僕がフロ兄の仕事を手伝ってる時に何してくれちゃってるわけ?」
「プリンスって何のこと?」
ララがジェレミーとベンジャミンの顔を見渡す。
「これから話そうと思っていたんだが」
「とにかくララが外交をするときは僕も一緒にいるからね! 明日の研究棟見学も同伴だから!」
ジェレミーは父親と護衛隊長に決意の目を送りながら、ベッドの上に座っているララに抱きついた。




