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1-16 ミスディレクションとサトルティ

 宰相はホール係の女性に指示を出し、ララの傍にグラスを持っていかせた。


「アイスタニアでは王族、民衆関わらず飲酒の文化はございません。ですので、これからララ妃殿下にお渡しするこのグラスには、現在鋭意試作中であります王特製の水発生器から生まれた水が入っております」


「はっ、飲まない物を作るとは何ともったいない。奪う価値はありそうだな」

「ヨシフ様、奪うなどとは申さずに⋯⋯聞こえておりますので」

「冗談だ。それほどこのワインが美味いということだ。それよりも水だ」


 三杯目のワインを受け取ったハクラスカ大使が、水の入ったララのグラスを睨む。


「この水は無色ですが栄養が少々含まれております。妃殿下は身体の欲する栄養は大変美味しく感じますので、この水もほのかに美味しく感じられるかもしれません。二日後に予定の研究棟ご見学の際に、研究員より水発生器の説明がされることでしょう。本日こちらの水は心ばかりの品としてご用意しておりますので、お帰りの際にお受け取りください」


 ワインが土産じゃないのかと冷やかすものはいなかった。安全に飲める水は大変貴重だと、疫病の始まった各国の知識人たちは分かっている。ララは水のグラスを持ってただ微笑んでいた。


 窓から二つ目の集団、サーラン王国の博学者ナスリーがホール係の男性を呼び寄せ、控えめな声で質問をする。他の国に聞かれたくないのか、宰相を通さなかった。

「ルナ姫とララ姫は背格好や性格は似ているのかね」


「はい、年齢の差はあれど、並ばれると姉妹だとよく分かります。お二人ともお優しく、行動力がございます。ルナ姫は勉学のために町や研究開発中のエリアへ出掛けられ、ララ姫は自ら護衛隊の訓練に参加されております」


 サーラン大使ルクンが続けてホール係に話しかける。

「あんな可愛らしい姫が訓練に参加とはとても信じられぬ。ララ姫の側に椅子を用意してあげなさい。まだ無理をさせてはいけない」


 サーラン王国では女性と子供は特に守られる。

 女性のホール係にもルクンの声が届いたため、彼女は合図をすると椅子を取りにいった。


「ルクン様ありがとうございます」


 一旦離れたホール係の男性は、特別な二杯目を用意しすぐに戻ってきた。ワインの色は濃い黄色になり、グラスにも変化があった。

 ルクンが驚くほど透明なグラスは手に取ると全体が軽かった。飲み口がとても薄く作られ、ワインの香りがより強く感じる形になっている。


「なんと、アイスタニアでこのような芸術品に出会えるとは!」

 至高のグラスに満足顔のルクンが驚嘆の声をあげると、周りの国も何事かとサーラン大使へ視線を移す。


 ホール係の女性によってララの真後ろに椅子が置かれると、サーラン王国の客人のほうから防臭目的につけている香水が、空気のわずかな流れに乗ってきた。


「私、ネロリとラベンダーの香り、好きよ」


 離れて立っている姫に声をかけられたサーラン王国の博学者たちは、ワイングラスに気を取られ初めは自分たちのことだと気づかなかった。ワインの香りのことではないらしい。

 ララにずっと笑顔で見つめられているので大使に知らせ、お互いの香水の香りを確認する。ネロリとラベンダーは確かに香っているが体臭のツンとした匂いが混じっているため、すぐに吸うのをやめた。


 ララがサーラン大使のルクンとも目が合い微笑みを送ると、隣のグループから男性が近寄ってくる。


 ニルラ大使ゲラシウスの側近で、三日前の会合には同席していなかった者だ。


 貴族のような品と威厳がその歩きかたから滲み出ている。少しオレンジがかった長めの金髪は、丁寧に整えられていた。


「ヘンリクス?」

 ゲラシウスが声を掛ける。


「触れませんし、話し掛けません」

 ヘンリクスという二十代前半の男はゆっくりとララに歩み寄る。


 ララにほど近いサルヴァドールや護衛隊長のノリスタンがじっと男を見るが、必要以上に反応することはしない。ヘンリクスは少し上げた手を動かし、何もしないアピールを周囲にした。


 だがあと一歩近づけば触れられるほどの近さだ。ララに向かって立ち、ただじっと見つめた。


「ニルラへ花嫁として迎えたいのだろうか」

 目を細めたグランタス大使エイモンは隣に立つ学者コルムへ問いかける。


「たしかレーデドルプ州出身の、血筋は子爵の次男で⋯⋯」

 グランタスの学者は他国の情報も頭に入っていた。

「婚約者がいるはずです」


 ヘンリクスの口元は閉じたまま笑っているような形だが、ララへの眼光は鋭い。会話を禁止されているため身振りで訴えようと、上半身を後ろに捻った。

 大袈裟に腕を振り上げて、四か国要人のさらに向こう側、部屋の奥に生けてある花を指す。大きな花瓶に色とりどりの花は、白い壁を鮮やかに彩っていた。


 この国の窓ガラスは彩光効果が高く、他国では見られないほど丈夫で大きかったため、昼間の室内はとても明るい。

 しかしちょうど花の飾られているコンソールテーブルのあたりは影になっており、明るい自然光との対比で薄暗く感じられた。


 部屋の全員が花のほうを向き、何が始まるのか注視する。


 だが、皆がララから目を離した一瞬に、男は小さな行動を起こした。


「⋯⋯」


 背を向けた客人たちは気づかない。宰相サルヴァドールと護衛隊長ノリスタンからは、ちょうどララの向こう側に男が立っているため、小さな動きは見えなかった。


 ヘンリクスは姫を見つめる。


 ララは皆と同様に花のほうをを向いたまま、気にせずにショー(・・・)に参加する。カチカチカチ──爪を小さく鳴らした。


「中央のピンクの花の蜜腺(みつせん)にはアリが一匹、左側のオレンジ色の花にはアブラムシがついているわ」


 それを聞いた家令(かれい)は、体から血の気が引き、震えるのを我慢するのが精一杯だった。


 微々たる色や水分量の違いもはっきりと分かる。きっとララなら白も二百色以上見分けられるだろう。


「白い花、右下にある三輪は水の吸い上げが悪いみたい。明後日抜くといいかもしれないわ」


 慌てて花に近寄るホール係の女性にララは声を掛ける。


「ごめんなさい、今日は十分綺麗よ」


 各国の博学者や付き人が一人二人とぱらぱら花瓶に近寄っていき、ホール係には花に触らぬよう願い出た。虫や元気のなくなった花の確認をするためだ。

 会場の半分ほどの者たちは後ろの花瓶を見ながらざわざわ話している。


 一方ニルラ共和国の男性ヘンリクスはすでにララから一歩下がっており、姫が右手に持っているグラスの水を飲むように促した。自分が近寄り花の話をさせてしまったため、受け取ったグラスの水を姫はまだ飲まずにいたからだ。


 ララは水を一口、ごくんと飲み終えた──振りをした。


「あ⋯⋯」

 一瞬身体を硬直させ、持っていたグラスを手から離す。


 精密な花柄がたくさん織り込まれている絨毯に落とされたグラスは、割れこそしなかったが跳ねて男の足元にぶつかり、水が掛かってしまった──ように見えた。


 ララはコントロールが、上手い。


 一瞬声が出し辛く感じたが、ララの毒が効かない身体はすぐに正常になる。しかしわざと、大袈裟に反応することにした。

 眉間に皺を寄せると片手を口元に当て、下を向きゆっくりと一歩後ろに下がる。

 そしてララはこの部屋の王族にしか聞こえない声で囁く。


「(八日前と似た毒⋯⋯)」


 ニルラ共和国の男性は周りに微笑みながら、わざと大きな声で説明した。

「大丈夫ですよ、お水ですから。ズボンの裾が濡れただけです」


 この言葉で会場の要人は姫のほうに向き直る。確かに、グラスが床に転がり水をかけてしまったララが、ショックを受けているようにも見える。


 ララのほうには女性のホール係が近寄り、すぐ後ろの椅子に座ることを勧める。

「緊張されましたか、それともお疲れに?」


 ララは声を出さず、淑女らしからぬ勢いのついた座りかたをした。といっても体重の軽いララだ。すとんと座ると背もたれに寄り掛かり、半分閉じた目の焦点を合わせずにうつむいた。


 宰相のサルヴァドールは護衛隊長を目で呼び寄せ、座ったララの姿を隠すように正面に立った。

「申し訳ございません、妃殿下は具合が悪いようです。回復したと思いましたが、まだ早かったかもしれません」


 一方足元が濡れたヘンリクスは、ドアの近くに立っていたグレーの服の男性に控室へ案内されることになった。

 部屋を出る際に自国の大使へ離れる挨拶をすると、動きの止まったララをちらっと見つめ、最後の確認をする。効いたようだ──。



 舞台は何もかもが上手くいった。来賓の視線を見事にそらし、水を飲んだ姫や椅子を勧めたホール係は、偶然にも私が誤魔化しやすい動きをとってくれた──満足顔のヘンリクスはオレンジがかった金髪をかき上げながら、来たことのない長い廊下を歩き続ける。頭の中が達成感で満たされていたため気づくのが遅かった。


「控室は二階ではないのか?」


 目元を眼鏡のような板で隠し、金色のベンダントをつけた案内の男性は、振り向きながら笑顔で答えた。


「特別な部屋にご案内しますので、ゆっくりとお(くつろ)ぎください」

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