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1-13 思考制止とスケープゴート

 ソファの肘掛けからは二つの足先が飛び出している。

 上着はすでに床へ脱ぎ捨てられ、ズボンのベルトは緩まり、シャツのボタンは全て外されていた。寝転んでいる二十代半ばの青年は、生命エネルギーの放出が止まったような暗く恨みがましい目で、天井のその先を見ていた。


「もう覚えてない。もう忘れた」


 先ほどの各国大使との会合は、これまで進んでいなかった事業の話や新規の要望が続き、予定であった〝豆が柔らかく煮えるほどの時間(一時間半程)〟を優に超えてお開きとなった。


 各国の代表だけあり、大使や付き添いは碩学(せきがく)だった。


 会合の時は皆に伝わりやすい言葉を使って欲しいものだが、敵国が同席ならば、そこは代表が虚勢を張る場に変わる。あえて難解な言い回しをするのが定番だった。


 ベンジャミンは大きなクッションを枕代わりにし、グランタス製の大きなソファに横たわっていた。グランタスの皇帝が細かく指示をして作らせたと聞いている。弾力、肘置きの高さ、座面幅、どれをとってもこのソファは〝寝心地〟が良い。


 普段使わない小難しい専門用語が飛び交った後はいつもこうだった。王はソファで休憩し、宰相は記録の鬼となる。


「もう覚えてない。もう忘れた」

 大事なことなのか、二回目だ。


「安心しろ。全て書き留めた」

 サルヴァドールの机にはすでに書類が山となっている。


 ベンジャミンの頭は記憶することを拒否していたが、記憶能力に長けたサルヴァドールが会合の内容を時系列に簡潔にまとめてくれた紙を見れば、いつも思い出すことができた。


 サルヴァドールは会合中に一切メモをしない。だが言葉だけでなく、目でも部屋全体をしっかり記憶できていた。


『ハクラスカ大使付きの学者は、斜め向かいのグランタス大使を見る四回のうち一回は弱点を探すような質問をしていた』、『盗賊対策の話では、サーラン王国護衛がハクラスカとニルラの要人をじっと観察していた』など、サルヴァドールは各国の関係性を推し量り、いつも対応の最適解を導き出す。


「よし、次回から難しいことを言った国は条件を悪くしよう。割り当てを少なく、順番を後回しだ。あいつら専門用語を偉そうに言っててさ、『それどういう意味?』って聞きにくいんだよな」


 そんな愚痴を垂れる王自身は、説明がぺらっぺらに薄い人間だ。伝わらないどころか変な勘違いまでされる。人のことは言えない残念さだ。


「大丈夫だ。誰が読んでもわかるように注釈も補遺(ほい)もある」

 まとめた書類の端をとんとんと揃える。宰相は優しいので王に向かって勉強しろとは言わない。


 細く開いた窓から柔らかな気持ちのいい風が入ってくる。サルヴァドールは書類に重しを載せ椅子から立ち上がると、床から拾った王の上着をソファの背に掛け、窓を開けにいく。


 二人だけの時、サルヴァドールは王をお前呼ばわりだ。実年齢は王のほうが上なのだが、見た目年齢が逆転してから自然とこうなった。


「これから大きく動くな⋯⋯」


 フレメルデン大陸への医療と食糧の支援は、人手も時間も必要となる。

 そしてこれまで秘匿にしていた研究施設と自国の妃候補ララを他国に紹介することとなった。

 本来他国に見せる必要はなく、どちらも外国から守る存在だ。ララは消えた姉の役目を背負うことになる。


「いやあ、今日の各国のお偉いさんは、言うこと言ってたなぁ」


「ベンも人が悪い、彼らが首魁(しゅかい)とは限らないのにまたあの脅しか。まあ最初に嫌疑をかけたおかげか、各国の溜まっていた不満と疑念は吐き出せたが」


 ベンジャミンは初対面の外国の要人には、あの脅しのような圧を掛けるのが密かな楽しみとなっていた。戦争も喧嘩もしないアイスタニア王国。しかし国家レベルでなめられるのは好きではない。


「最後には『いつまで待たせる気だ!』ってキレてたな。施設公開と姫お披露目のご褒美で満足してくれればいいのだが」


「ご褒美⋯⋯。姫のほうはどれだけのことを公開するんだ」


「氷山の一角でも多いくらいだな」


「ああ、特命部の行動にも支障をきたす」


「とりあえず〝王族ヒソヒソ〟でその都度本人に注意喚起するか。これまで王国民との触れ合いが無かったのが裏目に出たな」


 ララは箱入り娘だ。パレスの使用人と護衛隊との関わりはあったが、王国民の「普通」が肌感覚で分かっていない。


「医療支援、食料のほうはマウラが担当か。外国に合わせると対処療法になるが、もしアイスタニアの特別な薬を所望されれば、船を出して海上での措置を。足りなければ検疫島と言いたいところだが、無尽蔵では無いからな」


「あちらの国は下水がないから治療しても(もと)木阿弥(もくあみ)だ」


「全てはそれだなぁ。環境対策にまで口出すと嫌がるじゃない、あの人たちって」


 王はだんだんといつもの調子に戻ってくる。


「こちらが資材と人手を出して見本を作ってみれば、理解しやすいかもしれないが。まあ細かいことは大臣がいるときに話そう。時間がかかるのは船だな。巡視船の一つを隣国と合うように着替えさせて医療船にするか。見た目が木なら少しは恐怖心を取り除けるだろう。ガワ屋が喜びそうだな」


 宰相が相槌を打つ。

「ああ。そして海の底の鉱床がある辺りで停泊すればいい」


「はっはっ! サルヴァドール、お前もなかなかだな」


「ジーン様に連絡しておく」



 王は外の音に気づくと身体をソファから起こし、ベルトを絞めながら窓際へ歩く。シャツのボタンを留めながら外を覗くと、ララが護衛隊たちと喋りながら訓練場から帰ってきたところだった。


「ララ」


 王は手を上げ、三階の部屋から声を掛ける。それに気づき、ララは笑顔で大きく手を振り返した。

 そして、ララは身体が温まっていたせいか──ついやってしまった。


 たたたたたた!


 ぴょーん!


 日々一緒に訓練を受けている護衛隊は王族との圧倒的な体力の差を身をもってわかっているが、久しぶりに口を大きく開けその光景に釘付けになる。


 ララは芝生を横切り大きな跳躍をすると、一階、二階を越え、王のいる三階の窓の下まで飛んだ。少々高さが足りなかったため手を窓枠にひっかけ、その細い腕のどこにそんな力があるのか分からないが、ぶら下がっている状態からぴょんと勢いよく部屋に入ってきた。


 ララは髪を一つに纏め、訓練服を着て部屋に立つ。


 ワイン染めでほんのりと色がついた白いシャツに、濃いワインレッドのパンツスタイル。シャツのスタンドカラーとズボンの両サイドには金糸の刺繍が入っている。タバサがデザインし、布と糸にはフロリアンがなにかしらの〝加工〟をしているそうだ。


「窓から入ってくるとは行儀が悪いと注意をするべきか、よくぞこの高さまでジャンプできるようになったと褒めるべきか」


 複雑な表情のサルヴァドールが声に出して迷っている。ベンジャミンは笑ってララの肩を抱いた。


「訓練服を着ているから、これは訓練の一部かな?」


「もちろん! フロリアンに私のジャンプがレオーネを超えているかもしれないって言われたの」


 王の厚意にどっぷり甘えることにしたララはアイスタニアの敬礼をする。

 武器を持たないという意思表示で右手を心臓に当て目を瞑り、自然に感謝するイメージをしながら空に円を描くように頭を一回りさせる。

 そう、アイスタニアの敬礼は王にではなく、自然への愛を表現するものだった。


 王はララがショートカットで到着してしまったため、身なりを整える時間がなかったが気にせずそのままだ。宰相は机の上の書類を片付けながら、ララにソファを促す。


「三十年以上は前だが、まさにこの窓からレオーネ様がぴょんと入ってきて注意したことがあったな」


 ララの飲み物を用意するためサルヴァドールは部屋の端の小さな丸テーブルへ移動した。ガラスのウォーターピッチャーには細かく菱形にカットされた模様がたくさん入っている。金の持ち手を握り、鳥と植物の彫刻がされたグラスへ水を注ぐ。ピッチャーはサーラン王国、グラスはハクラスカ帝国からの贈り物だ。


 王はララと同じソファに並んで座ると、ララ側の背もたれに片腕を置き、足を反対側へ組んだ。


「実は三日後にフレメルデン大陸の各国大使を呼んで、ルナを紹介する予定だったんだ。随分前から予定していたことでね。ララ、突然だけど代わりに出てもらいたいんだ」


 アイスタニア大陸の北、フレメルデン大陸に割拠(かっきょ)している四つの国のどれかに、ララの姉ルナは嫁ぐ予定だった。


 アイスタニア王国の始祖であるジーンには何百年もの間、女の子が生まれなかった。やっと生まれたのがリリアーナ、現アイスタニア王の妹だ。

 そしてリリアーナにもまた女の子が生まれる。ルナとララだった。血族の女性はやっと三人、そんな貴重な女性のうち二人が行方不明となってしまった。


「ええもちろん、大切な外交とお母様から聞いていたわ。でもそれって⋯⋯私が外国へお嫁に行くってことなの?」

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