乱声・七拍──因果(参)
今上は変に律儀な所があるので、逆賊との約束でも、守らなければ人の道に外れると考えていた。
六条太政大臣殿、子息の権大納言殿を召し出すと、
「賊の願いの四辻内府事、調査するぞ」
と言う。
新院の誤りか否かという問題でもある。微妙な事であるだけに、慎重になる必要がある。
「畏れながら、逆賊との間で交わされた前の約束事は、あくまで乱を鎮めんがための方便。左様なもの、守る必要はございますまい」
太政大臣殿はそう答えた。だが。
「いいや。朕もその内府の事件は気になっているのだ。聞けば、当時から陰謀との噂があったそうではないか。呪詛の事実はないと」
今上はそう言うのだ。
「あくまで噂にございますれば」
「そういう噂は確かにあったのだな?」
「ございましたが……」
「火のない所に煙は立たぬ。案外噂というのは真実をついていたりするものだ」
「……ですが、時期尚早では」
こういうことは、時が解決してくれるものだ。当事者が生きているうちに、着手するべきでない。あと数十年。待つべきではないのか。
しかし、今上は若い。新院との軋轢を恐れて、真実を突き止めないことこそ悪と信じている。
「朕がやると言ったら、やる」
「──御意……」
「それから、此度のことは、前中宮少進敏平には無関係だ。彼が賊軍と関わっていなかったことは明らか」
「おそれいります」
太政大臣父子は深々と額付いた。
長年、敏平を家司としていた太政大臣家である。敏平が今回の反乱に関わっていたとされれば、その主家である太政大臣家とて責任を問われよう。解官では済まないかもしれない。
今上の御意は太政大臣父子にとって有り難いことである。
「それから。かの呪詛事件の真相を探る間、前中宮少進は解放してやろう。呪詛が偽りであったならば、四辻内府は冤罪であり、その生き残りの前中宮少進に罪が生じる道理がない。だが、呪詛が事実であることが改めて判明した時は、改めて捕らえん。それまでの間は獄につないでおくべきでない。直ちに放免してやれ。だが、遠国に逃亡されると、後で罪があることがわかった時、追捕するのに難儀する。そこでだ。放免はしてやるが、棟成に後のことは任せる」
「ははっ」
太政大臣殿父子、ひれ伏した。
後でその旨、正式に勅下った。それで、敏平は一旦放免された。
敏平は楊梅宰相邸から解き放たれ、主家の六条太政大臣家預かりとなった。その監視下にあるため、六条西洞院邸に幽閉されたに等しい。だが、彼の保護者のもとに戻ってきたのだ。ほっとした。まるで、匿われているようで。
「よいか。無闇に出歩くなよ。邸内にいろ。そうすれば安全だから。欲しい物があったら、遠慮せずに言え。何でも持ってきてやる。だから、外には出るな」
太政大臣殿はそう諭すと同時に、
「大変だったの。少し休め」
と、敏平の背を撫でたのであった。
敏平には、一室が与えられた。
そこへ、讃岐が訪ねて来る。彼女は先に放免されていた。
「母上」
敏平は讃岐をなお母と呼んだ。
讃岐も、
「はい」
と、それに応じて、けれど、戸口の側に座った。円座もない床の上に。
「お疲れでございましょう?」
慇懃な態度である。
「そうでもありませぬ。楊梅殿は親切な方でしたから。不自由なく過ごさせて頂きました。それよりも、新院の御前で琴を弾かされた時の方が……」
「そうでしょう。御父の敵ですものね」
「何しろ、『広陵散』を弾かされましたから。まるで、聶政の図そのままだったので……」
聶政の父の敵も帝王。聶政はその敵の前で琴を披露した。そして、その隙をついて敵を刺殺したのだ。
「伺いました。琴は威神だったそうですね。御父が亡くなる直前まで弾いていらっしゃったのが、威神。それで敵の前で、『広陵散』を弾かなければならなかったとは。さぞかし、聶政の幻想が脳裏にちらつかれたことでしょう。それでもそれを実行せず、神妙でいらっしゃったのは、ご分別です。ようお堪えになりました」
「いえ……」
敏平は急に自信なさそうに、俯き加減になり、
「勝ったと思ったのですよ、あの時は。でも、私の勝利でも分別でもなかったような……。今はそんな気がして。ただ私が臆病なだけ、意気地がないだけなのではと……」
と、正直に言った。
「そんなことはありませんでしょう。大臣の御こと、皆のことをよくよく考えての大人の行動だったと思いますよ」
讃岐はそう言ったが、敏平は首を横に振った。
「……三位殿が亡くなる直前に弾いていた、威神の音色を聴いた人に会いましたよ、先日。その『広陵散』を聴いた人に。その人はそれを聴いて、そして!……それなのに、その人を前にしても、私は……」
「え?どういうことです?」
敏平は自嘲しながら、その面を上げた。
「新院の時と同じだった。どんなに敵を蔑み見下してみたところで、誇り高い者のように振る舞ったところで、まことは勇気がないだけなのだと、思い知りました」
「どういうことなのですか?まさか?」
「そうですよ!もう一人の敵です。三位殿を殺せと命じた人あれば、実行した人がある」
「夜盗に?お会いになった……と?いや、夜盗ではなく?」
「刺客です。夜盗のふりをした刺客。刺客本人がそう言うのですから、本当なのでしょう。三位殿は新院と亡き烏丸殿に嵌められ、烏丸殿の刺客に殺された!」
「いつ?いつですか!いつお会いになったのですか?」
讃岐は立ち上がった。さらに歩を進めて来る。
「先日です。楊梅殿を訪ねて、わざわざ私に告げに来た。私は彼を前にしても、やはり復讐できなかった。帝王でない、名もなきちっぽけな男であるのに、その男にさえ……何も……」
「誰です!?それは誰です?」
敏平の烏帽子の上から讃岐の声が降ってくる。
敏平はその顔を見上げた。自嘲はさらに強くなる。
「近すぎると見えないものです。世間が正義と信じる人には、その可能性を疑ったりしないものです。世間がその死をこぞって悲しむのに……そんな英雄に私怨を抱いて復讐を果たしたりなぞしては、こちらが悪者呼ばわりされるでしょう。善良な人が罪を犯さないとは限らない。味方が善良とは限らない。それなのに」
「誰ですっ!?」
「判官の弟とその友人ですよ」
「判官の弟?」
「貴姫君の夫君です……」
「まさか」
讃岐は思い出したように腰を下ろした。
「まさか、本当に信時朝臣がやったというのですか?」
「だって、その友がそう言っていましたよ。信時朝臣と一緒にやりました、と」
敏平は笑った。自嘲を通り越した。何だかおかしかった。
「その友が、誰だと思いますか?笑ってしまいますよ。おかし過ぎますよ。三位殿を害した報いで盲いたんですって。疱瘡になって。姫君が憎かったから、三位殿に嫉妬したから、やったんですって。懺悔するために山に入るんですって。あははははは……」
「……」
讃岐はくたっと肘から床に崩れた。敏平は笑いが止まらない。
その乾いた声が、床に響き渡っている。
その夜、讃岐は帰宅した権大納言頼周卿を訪ねた。
「如何、敏平の様子は?」
「はい……」
「今日はもう遅い故、明日にでも私も敏平を訪ねてみるが。どうかしたか?」
「それが……」
讃岐は包み隠さず話した。昼間敏平から聞いたことを。
権大納言殿は絶句したが、暫く後には眼を光らせて言った。静かな声ではあったが。
「音仏はまだ山に入らぬか?」
「確か、明後日入ると……」
「それはよい。殺せ」
「は……?」
「音仏ほどの敵がいようか、あれほどの悪が二人といようか。音仏に比べれば、烏丸殿などは菩薩。三位殿を直接殺しておきながら、妹のそばにずっとおったのだぞ。懺悔もせず。三位殿の死に苦しむ妹のそばで、何食わぬ顔をして微笑んでおったのだ。あの微笑みの下で、三位殿を恋う妹を嘲笑って。妹は三位殿の死を苦しむあまりに死んだ。音仏が三位殿を殺したせいで、妹は病みつき、遂に死んだ。妹は音仏に殺されたのだ。妹の敵だ。敵を討て」
決して声を荒げない。だが、その眼は青い焔に燃えている。
「殺せ、讃岐」
「……は……」
復讐だ。
音仏は何も知らない。
その日、山に向かって、従者に手を引かれて嵯峨の山中を歩いていた。六条西洞院に立ち寄ってから、山へ入ろうと思っていた。
とぼとぼと歩いていると、不意に隣で「うっ!」と呻き声がしたかと思うと、どさりと崩れ落ちたのが分かった。従者が倒れたのだ。
「如何したか?」
音仏が問いかけるが、返答はなく、俄かに周囲の空気が変わった。
「誰だっ!?」
音仏は声を張り上げた。
だが、返事はなく、傍らに寄ってきた。ぴったり寄り添う。音仏、もう一度、
「誰?」
と問う。
すると、いきなり音仏の胸に鋭い衝撃が突き抜けた。
「くっ!かっ!!」
音仏は見えない相手の袂か何かを掴んだ。平時では出ない怪力で。
しかし、相手が刺した小太刀を引き抜くのと同時に崩れ落ちた。びりりと相手の衣が破れて……
それを握りしめたまま、音仏は絶命した。
従者は気絶させられただけだった。
音仏はどこの誰か知らぬ相手に、突然わけもわからず殺された。
讃岐は音仏の手から破れた切れ端を奪うと、
「おぬしに似合いの死に様だ!」
と、その遺骸に言った。
何者かに、突然わけもわからず斬り殺された韶徳三位殿。その人を害した音仏にこそ相応しい死に様。
讃岐が名乗れば、刺す理由を言えば、音仏は納得するだろう。襲われた理由を知り、自分の死を受け入れざるを得なくなる。そんな死に方はこの悪人には必要ない。
害される理由も、害した相手も知らず、いや、それどころか、自分が死んだことすら気付くまい。
いつまでもさまよい歩くがいいと、讃岐は魄霊を嘲笑った。
讃岐から音仏殺害の報告を受けた権大納言殿は、
「因果だな。その死に方は」
と、笑いもしなかった。ただ、
「よくやった」
と、讃岐への労いは過分であった。




