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乱声・七拍──因果(弐)

 散位敏平は、楊梅宰相邸に留め置かれていたけれども、その家主の宰相殿は親切な人であった。


「不思議な縁です。昔、まろが父が存命でありし頃、件の事件が起きて、捕らえられた韶徳三位殿をお預かりしていたのは当家でした。弟は三位殿を尊敬していたから、毎朝毎晩、三位殿を訪ねて、何かと世話を焼いておりましたなあ。あの頃から弟は、まろや父に、三位殿は冤罪なりと訴えておりましたが……今にして思えば、まこと冤罪であられたのやもしれぬ。今、三位殿の遺されし和子(わこ)を、まろがお預かりしようとは……」


 そう言って、好意的に接してくれていた。それで、ある時、外と接触させぬようにとの御命であったにもかかわらず、楊梅殿は特別に、音仏との対面を許可した。


 盲人・音仏は、母の才外記の喪に服していたが、さらに親友の信時朝臣の討ち死にを聞いて悲しみ、もう一度、仏道に専念しようと思っていた。近々、山に入る予定である。


 その前に、敏平に会っておこうと考えたのである。


 わざわざ楊梅殿を訪ねてきたのを、楊梅殿は決まりだからと追い返すこともせず、面会を許したのであった。


 音仏、牢の前まで楊梅殿に手を引かれてやってきた。そして、座らされると、その辺の空気を探るような顔をして、


「敏平の君?」


と、呼び掛けた。


「音仏法師」


 敏平、その声に応えた。


「ああ、そのお声は。お元気そうでよかった」


 音仏、見えない眼を真っ正面に向けてくる。


「ご坊、山へお入りになるのですって?」


「そう。だから、御身に挨拶をと思って」


「でも。琵琶の御弟子の方々はどうなさるので?」


「ああ、心配ありません。師道朝臣ですが、主上の御師に師事することになりました。姉君の女御(棟子)の御前に出入りしている粟田口尼と意気投合遊ばして、それに曲を学ばれることになりました。御身と同門になりますな」


「粟田口尼に」


 あのひどくあでやかな尼。敏平の琵琶の師である。自作の瑞々しい曲を、敏平も聴かせてもらったことがある。花の綻ぶような調子の小品であった。あんな佳作を産み出す感性の持ち主であるのだから、師道朝臣が曲を習うに十分な器量であろう。


「後のことは一切問題ないようにしてあります。山に入れば、二度と戻りません。敏平の君、さらぬ別れと思し召せ」


 二度と会えなくなるのかと、この時、何も知らない敏平はとても悲しい気持ちになった。


「しかし──」


と、音仏は敏平の感情とは違うのか、改まった口調で溜め息混じりに言った。


「敏平の君が、かの三位殿の御子であったとは」


 その言い方に、何故か敏平は面目ない気持ちにさせられた。


「申し訳ありません」


「何故謝るのです?ずっとご存知なかったのでしょう?秘密にしていた亡き姫君を、憎いとは思わないのですか?」


「どうして姫君を憎むのです?」


「姫君は御身の秘密を知りながら、御身をお育てになった。そして、その秘密を内に隠したまま、御身に真実を告げぬままに亡くなられた。どうして教えて下さらなかったかとは思いませんか?」


「まあ。確かに。どうせ真実を知らされるなら、琴の師であった姫君の御口から明かされたかったとは思いますが、あの頃は時期尚早だったのかもしれませんし、姫君には姫君のお考えがあったのでしょうから」


「この音仏にも内緒にしておわした。讃岐めには御身を預けておきながら。ま、私にはわざと仰らなかったのでしょう。御身にも言えなかったのでしょうね」


 敏平は音仏の表情を注視した。


「どうして?」


「え?」


「ご坊は、姫君がどうしてご坊にご内密になさったと思いますか?」


「まあ、ね」


 音仏は恥も憶しもせず、寧ろやや笑顔で言った。


「私へは仰有ることができなかった。私への御情けというやつですよ」


「何ですか、それは?」


 敏平は目をぱちくりさせた。見えないだろうが、声からその顔の表情も読み取れたのだろう。音仏はふっふと笑った。


「私は御身がとても可愛かった。だから。可愛がる私を見て、姫君はどうしても言えなかったのでしょう。真実を知れば、私が御身を虐めるとでもお思いになったのか。それとも、三位殿の御子とも知らずに御身を可愛がる私を、哀れとお思いになったのか……」


 或いは三位殿の子である敏平を、姫君が大事に守り育てている理由を、音仏に勘ぐられたくなかったのか。


「敏平の君。どうして姫君が御身の素性を偽って、匿い続けていらっしゃったか、ご存知ですか?何故、琴を教え、後継者とし、灌頂をお授けになったのか。不思議に思ったことはありませんか?」


 そう。確かにそれは、敏平の長年の疑問ではあった。


 どうして姫君は他人の子を、しかも罪人の子に手を差し伸べたのか。琴の技まで伝授したのか。そこまで親切である理由がわからない。いくら七絃七賢の遺児だからとて、罪人なのに。それほどまでに、敏平には才能があったというのか。教えずにはいられないほどの。死なすのは惜しいという程の。


 自分にそこまでの才能があるとは信じられない敏平は、何度もこの疑問を持った。そして、その疑問の中から、彼が導き出した答え。それは。


 姫君が神のように心の美しい優しい人だということだった。だから、慈悲の心から、罪人の子として処分される運命にあった幼い彼を救ったのだろう。親を罪人に持ち、その親を失い、自らも殺害される運命にある幼子を憐れんで。心も姿そのままに、絶世の美の人であったのだ。


「この身は七絃七賢の韶徳三位殿の子です。故に、その管絃者としての家業を継がせるべきと、姫君はお考えになったのでは?違うのですか?」


 音仏は故人の恥を暴露しに来たのだ。包み隠さず言った。


「永遠の片恋というやつですよ。御身も私も。姫君も」


「姫君……も?」


「姫君は恋患いがもとで亡くなられたのですよ。とうに亡くなった人を、その思いが報われるわけがないのに思い続けて。故人を恋し、恋い渡り、報われぬ悲しさと苦しさから、ついに弱られ、亡くなられた。故人の形見を手に入れて、ほんのかすかな喜びとはなったでしょうが、やはり故人その人ではありませんから、少しの慰みにもならなかったのでしょうな」


「故人の形見って!」


 敏平はばっと立ち上がった。


 音仏は、


「あの神女の君も、女であったということですよ」


と言い澄ます。


 敏平、勢いよく突っ立ったためか、目眩を起こしてふらふらと柱に手をついた。青ざめる顔の色を、音仏は心眼で見て取った。


「私はね、御身が本当に可愛かったんです。でも、御身が三位殿の御子だと知り、可愛がった自分を呪った。滑稽ですよ。姫君が御身を可愛がる理由を知り、天は私達を嘲笑っているのだと思った。私は御身が三位殿の御子だと知っていたら、御身を可愛がることはなかった。何故なら!……姫君は私の過去をご存知なきままに亡くなった。貴姫君の夫の過去も知らぬままに友好を築いて……」


 音仏の心を次第に激情が支配して行く。


「姫君は姿ばかりでなく、心の中までもが天女のように澄んだ無垢な方だった。どろどろと渦巻く激情をお持ちではなく、きれいなものしかご存知ない方だった。その純真な方が、三位殿に恋い死に遊ばしたのです。三位殿により、女の自我に目覚められて……。御身を命懸けで育てられたのは、亡き恋人の形見だったからでしょう。私は御身の素性を知り、俄かに御身が憎くなり、こんな僻言を口にせずにはいられなくなった……身は法師となりながら、困った性です。一から出直して修行します。もしも、許されるなら……。疱瘡を病み、盲目となり、罪の報いは受けたと思っていたが……天はまだ許してくれぬらしい。三位殿の御子を可愛がるという滑稽を演じさせられ、姫君への思いを又掻き立てさせられ……天は御身に懺悔し、御身によって裁かれるべしとしているのでしょう。殺されても仕方ない。もし、お許し頂けるなら、再び山に入って、一からやり直しましょう。姫君を心より捨て、罪深き我が友の業が少しでも軽くなるよう祈り、日々懺悔して……二度と俗世には戻らずに」


 音仏の言っていることは、敏平には支離滅裂に聞こえた。


「……?どういうことかわかりませんが……?」


「つまり……」


 音仏はそこで周囲の気配を探った。楊梅殿やその従者は、音仏をここまで連れて来るとすぐに立ち去ったが、監視の者はいる。


 ただ、楊梅殿に言い含められているのか、牢から離れて、庭の向こうからこちらに目を光らせているようだ。音仏はそれと感じると、一段声を落として告白を続けた。


「三位殿に恋した姫君を見たくなかった私は、邸を飛び出した。行く宛もなくさ迷っていた時、私を拾ってくれた人がいました。それが我が友・信時朝臣。この度の戦で、兄の判官によって討ち死にさせられた……。あの伊賀守殿の姪・貴姫君の夫ですよ」


「はい……」


 貴姫君と敏平は親交がある。しかし、余計なことは言わずに相槌だけ打って、音仏の話をじっと聞いていた。


「私は信時朝臣とずっと一緒でした。一緒に上野に住んでいた。信時朝臣はあの烏丸殿に忠実な者ではありましたが、いい人だった。私の友でした」


 そして、一つ息をした音仏は、さらに意を決して続けた。


「私が関東で楽しく過ごしていた頃、都ではあの事件があったのです。三位殿は流罪になった。三位殿の家司だった信時朝臣の兄の前司と判官は、共に罪を問われた。烏丸殿は残虐な人です。三位殿を流罪にするだけでは満足しなかった。三位殿は夜盗に襲われて亡くなったのですが、あれの真実は……烏丸殿の密命です!」


 はっと敏平は音仏の口を見た。その話は初めて聞く。噂では、烏丸殿が刺客を遣わしたのではないかと言われていたが、あくまで噂だ。


「烏丸殿の密命が下りたのです。信時朝臣に」


 はっきりそう言った。音仏はそして、懐に手をやり、隠し持っていた小太刀を取り出す。そして、それを牢の中へ差し入れた。敏平の前に置いた。


 敏平がそれを恐る恐る見下ろすと、さらに声をひそめ。


「敏平の君。御身の父君を殺したのは、この私です」


「……」


「私が殺した!友と一緒に!烏丸殿が命じて、直接やったのは私だ。夜盗は私と判官の弟!」


 あの興奮が蘇る!三位殿を斬った感触が。あの時の手のひらの感覚が。あの時の感情が!


 あの時と同じ顔。嫉妬の対象を斬った!


 縦目阿闍梨を彷彿とさせる。頬はぱっと明るい……敏平の瞳にはそう映った。


 興奮した息のままに、


「さあ、その小太刀で私を刺しなさい。私は御身の父君の敵。復讐して下さって結構」


と、吼えた。


 挑発しているのか。敏平はつい拳を振り上げていたことに気づく。


 盲人は見える人以上に見える。


「さあ」


 その拳を嘲笑っているようであった。敏平はそう感じた。


 彼はぐっと堪えた。その拳を下ろして、盲人を見下ろし、


「……私はご坊と同類にはならない。憐れんで差し上げるばかりです」


 ふっと笑った。


 勝った。敏平は心の中で呟いた。哀れな虫螻よと。


 そして、彼は彼の心の中から清花の姫君を消した。

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