乱声・六拍──復讐(伍)
やがて来訪した勅使を、時憲、則顕らは丁重に迎えた。その礼儀正しさは、とても只人とは思えない。都のきちんとした家庭の育ちであるに違いなかった。
さすがはと勅使は頷いた。
この勅使の大蔵卿は、貴族には珍しく肝の据わった人である。賊軍の陣中に乗り込んだはいいが、害される可能性もあるのに、少しも恐れず、逆に尊大にさえ見える程だ。このふてぶてしさには、時憲も威圧される。
日頃都でも心猛き人と評判で、実は若い頃には宮中で暴力を振るい、名門であるにもかかわらず、十二年もの間、除籍されていたという経歴の持ち主でもある。父は六条太政大臣殿の父君の異母弟。つまり、この大蔵卿は太政大臣殿とは従兄弟である。
良家の問題児も今では立派な大人。普通の公卿とは様子の違った、強気で強靭な精神の人となった。
左様な大蔵卿であるので、逆賊両雄の気骨にはかえって好感さえ持っていた。勅使として、帝の御意を伝えた後、笑顔は見せずにこう言った。
「こなた等は賤しい者にあらず。田舎にて兵を挙げ、あちこちの田畑を破壊し、数え切れない程の人間を殺し、その血しぶきと埃にまみれても、その姿貌を損ないはせず。なお品があるのは、その生まれの良さの故だろう。数々の蛮行にも気概あり。その両眼に宿る強い意志の光は、都にあって贅の限りを尽くして遊んでいる公達輩のものよりも、遙に美しく見える。世の腐敗を糺さんとするその正義感、ゆかしくさえ思うぞ。ただ、それを武力に訴えるのだけは許されぬ」
時憲は深々と頭を下げた。
「それがしは、今でも四辻の大臣は無実と信じております。何か不正があって、罪人に仕立て上げられてしまったのです。それが真実。それを訴えんがため、挙兵致しました。世の人に、都の方々に、万乗の御方に、真実を伏せ、真実から眼を逸らし続けるそれ等全ての方々に対する抗議なのです。されど、帝がいま一度大臣の御事を調べ直し、無実を認めて下さるならば、それがし、もはやこれ以上兵を進める必要はなくなります。仰せに従い、撤兵致しましょう」
「いやいや、そればかりにあらず。飢饉で民は苦しんでおります。我等の兵がここまで膨れ上がったのは、民が怒っているからです」
と則顕。則顕が作りたかった軍。なりたかったもの。それは墨子か。
「世直し戦か。民の不満と呪詛事件の真実追求。されど……帝は事件を再調査遊ばすと仰せだが、調べた結果、やはり四辻殿の謀反が判明した時は、こなた、何とするぞ?」
と、大蔵卿は時憲に問う。
「それこそ、今の御代が前の御代と変わらず、不正が横行している証拠でございましょう。民衆が苦しみ、怒るのも当然でございます。そうとわかれば、改めて進軍せざるを得ません」
「いや、まことに四辻殿は罪を犯したのやもしれぬ」
「それだけは断じてないっ!!」
時憲は武者声を上げて凄んだ。
大蔵卿は多少鼻白まなかったわけでもないが、なお尊大な姿勢は崩さず、一段高い所から時憲の上気した顔を見下ろしている。
その時、勅使の警護として、それまでその傍らにじっと黙って付き従っていた侍大将長国が、初めて口を開いた。
「それがし、かつて領送使の人数に加わり、東国に下向したことがございます。四辻殿の御甥のお二人、羽林忠兼朝臣と韶徳三位殿を送らんがためにございます。ご両名は途中で夜盗に襲われ、亡くなってしまわれましたが、その時までそれがしは、常にご両名の御傍らに侍いておりました」
言い終わらぬうちから、時憲の顔には動揺が表れていた。長国は大蔵卿へ何か含むところあるような顔を向けた。大蔵卿は目配せする。長国、それで再び時憲を見やり。
「かの羽林、三位殿ご兄弟はお仲睦まじう穏やかにお過ごしでした。遠国に流されるというより、遊山に出掛けるようでした。殊にも三位殿は、野の花の蕾の色の深さに胸高鳴らし給いては、琴弾き朗詠遊ばし、月の夜にぼんやり白む野、霞める山の端、何れにも感じ入り給い、その度に琴の神業をご披露下さいました。いつもお美しく、物静かな君におわしました。ご自分の境遇を、少しも嘆いたり恨んだりなさるご様子もなくて」
長国は懐かしそうに、遠い目をした。そこに、亡き三位殿の姿が浮かぶようだ。
大蔵卿さえ聞き入った。
「今でも、昨日のことのように覚えております。三位殿の奏でられた琴の美しい響き。その一途なまでの御思い。奏でられる時の、実にお嬉しそうな、お幸せそうなお美しいお姿。あの方にとってこの世とは、琴を奏でるためだけにあるものだったのではないか。そう思いました。かの御方の生とは、まさしくそれのみ。野望などない。無心に琴だけ見つめておわす御方が、帝を呪詛など遊ばしただろうかと、何度か思ったこともあります。ええ、正直に申しましょう。それがし、落ち行く三位殿を間近に見て、呪詛などおよそ想像もつきませんでした。それがしでさえ、陰謀を疑いました。ただ填められただけなのではないかと、ふと上を疑うたことさえもございましたよ」
そこまでを一気に言いきってしまうと、長国は溜め息をついた。ついでにちらと時憲を見れば、何か必死に堪えているらしい様子である。
長国は口惜しげに続けた。
「三位殿は夜盗に害されてしまいました。その時でさえ静かに、まるでご自分の運命を悟っておられたように見えました。ご自分の死を受け入れておわしました。ただ、死んでしまったら、もう琴が弾けなくなってしまう。それだけがお心残りだったでしょう。我等も三位殿の御亡骸を前に、あの梵音を聴くこと叶わぬのかと口惜しくて、勿体無き御方をこの国は失ったと思いました。この国の御宝でございました。ですから、それがしは長年悔しうございました。叶うことなら、三位殿のお味方をしとうございました。今、追討軍に加わりながらも、実はお二人の挙兵には興味を引かれました。四辻殿の無実を訴えんがため、その事件の再調査を求めんがための挙兵、それがしは密かに期待さえ抱いていたのでございます。勅使の君の御前で申すも憚ることながら。帝がこの度、不承不承にもお二人の要求をお受け入れになり、事件を洗い直すと決定なさったことは、それがしにとっても朗報でございました。長年の喉のつかえがとれた思いです」
長国の雄弁には、大蔵卿さえも舌を巻いた。
時憲はついに耐えられなくなって、るると涙を流し始めている。一筋流れると止まらなくなり、堰を切ったようにどうと流れる。
あと一押しである。情に訴える作戦は成功するか?
「時憲判官、ここは帝の御意に従い、降伏なされよ。これ以上、無用の血を流して罪を重ねられますな。帝の御意に従えば、帝は必ず事件の真相を明かされます。それがしも真実を知りたい。が、そこもとが刃を収めて下さらねば、事件の真相は再び藪の中です」
時憲は嗚咽していたが、さすがにその手には乗らぬぞと気づいたようである。滂沱の顔の中の口が、こう告げた。
「四辻殿の無実が証明されることこそが、この挙兵の故にて、ただ調査して頂くというだけでは、撤兵も降伏もできませぬ」
なおそう言って粘るので、駄目かと大蔵卿は密かに嘆息した。
だが、長国は諦めない。
「昔、検非違使大尉時憲といいし熱血漢は、素晴らしく優秀な判官でしたな。京中の治安も彼のおかげで、とても安定していたものです。都の人々は彼に感謝していた。都の民の味方だったその彼が、まさか都を脅かす逆賊釈教とは、都の民が知ったら、どんなに悲しみ、怒るか。都の民への裏切りですぞ。都の民も皆、韶徳三位殿をお慕いしていた。その忠臣の熱血漢が、いくら正義のためにした無謀とはいえ、民はそこもとを怨みましょう。都に攻め入るというは、すなわち、かつてそこもとが守り愛した都の民を苦しめ、怖がらせ、死傷させることなのですぞ!」
みるみる時憲の顔が青ざめていく。
大蔵卿はしめたと思った。
「期限を三日与えよう。三日のうちに、降伏するか、なお愚かな戦を続けるか決めるがよい。三日間は両軍に休戦を命じる。三日過ぎても降伏せぬようならば、すぐにも追討軍は総攻撃をかけるであろう。正面には三河介、背後には搦め手の近世、横には南都、園城寺の僧兵どもが、手ぐすね引いて待ち構え、さらに房清の軍も間もなく大挙して押し寄せてくる。戦っても到底勝ち目はないぞ。覚悟しておけ」
にたと笑ってみせた。眼光鋭いままに。
長国も仕上げに言う。
「山門の迷いも、お二人のせいですな。新しい座主によって、山門はお二人の味方にはならぬと決しましたが……前座主の宮は、このままではお二人に連座したとして罰せられますぞ。戦が長引けば長引く程、宮のお立場も悪くなる。早く降伏して、宮の御為に弁解して差し上げなされ。お二人が宮の御乳母・周防局の甥であること、帝も院もご存知です。宮がお二人と密約なさって、謀反をお企み遊ばしたと、そう信じておわしますぞ。このままでは、宮はご謀反せしと捕らえられます。早く、宮の御為、宮はお二人とは無関係だと、お二人の口から奏上なされませ」
時憲も則顕も、ますます青ざめている。
大蔵卿は威圧的に胸を反らし、
「賢明なる返答を待っておる」
と言い残して、勅使一行は陣中より去って行ったのであった。




