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乱声・六拍──復讐(壱)

 上野殿は激怒し、そして泣き暮らしていた。毎日毎日。余りに弟が不憫でならず……


 もしも自分も出陣していたら、信時を死なせずに済んだのではないかとも思う。それで、全くおかしなことではあるのたが、逆賊時憲のことばかりでなく、上野殿の出陣を許可しなかった朝廷も、公卿達をも憎んでいた。


 もう全てが憎かった。この世の全てが許せなかった。朝廷ももう敵だ。


 だから、父は絶対許せない生き物だった。こいつがこの世を生きているから、時憲なんかが生み出されたのではないか。


 さすがの父も、上野殿を訪ねてくることはなかったのだったが、信時の死を知り、その葬儀にはのこのこやって来た。


 父は入道していた。まだ剃りたてなのか、頭が青い。少しの光りも見えない生々しい頭で、のっそりやって来た。


 上野殿は白い眼を向けた。


 上野殿は信時の亡骸の両手を胸に組ませ、それに血塗れた巻物を握らせて埋葬してやった。だが、あの水晶の数珠は副葬しなかった。


 信時が巻物を握りしめて果てていたというので、上野殿はその話を聞いて、また涙を滲ませた。


「ああ、本当におことは貴姫君が好きなんだなあ……」


 そう亡骸に話しかけて、自らの手でその巻物を抱かせてやったのだ。


 だが、あの水晶の数珠とは、一緒にあの世に送り出してやりたくない。数珠があの世にまで信時について行くのは、許せなかった。弟に、あんな汚い奴があの世までついて行くなんて!


 だから、埋葬せずに放り投げておいたのを、やって来た父は目敏く見つけて拾い上げた。父は手にとるなり、


「や!二つ足りない!」


と言った。


 上野殿は何も答えなかった。


 その傍らにいた俊幸翁が、嗚咽しながら言った。


「信時の殿は、それはご自分の命だと仰せられ、常に大切になさっていました。北ノ方が御産がもとでお弱くなられると、北ノ方が御子に御命を分けられた分、弱くなられたのだろうと、お労りになり……無くした分の御命は、ご自分のを分けてやると仰せられまして……。その数珠の玉を二つ、北ノ方へお渡しになったのでございます」


「なんと!この数珠を損じた故に……全き命を損じた故に、信時は死んでしまったのではないか……」


 そう泣く父のその言葉を聞き咎めて。


「出て行け!その数珠を持って、行け!」


 上野殿は立ち上がり、叫んでいた。


 信時の心を知らないくせに。信時と貴姫君の恋を何も知らないくせに。


 上野殿は悔しくて悔しくて、血が滲む程、唇を噛みしめ、涙をぼろぼろこぼした。


 常陸にも上野にも、信時の討ち死には伝えられた。


 上野の南殿にいた千手丸と妹姫は泣いた。妹姫はまるで幼子のようにわんわん泣いた。


「父上……母上……」


 ずっとずっと、父を、母を呼んで、探して泣いていた。


 ここには母の亡骸がある。


 あの泉の尼が見つけて、それが知人の貴姫君だと知り、届けてくれたのだ。


 貴姫君は、その後も数年に一度は泉の庵に尼を訪ねていたし、消息(しょうそこ)はよく書いていた。あの時世話になったことに、いつも感謝していた。あの時助けてくれた人が夫となったことも、尼に話していた。そして、その不思議な巡り合わせを、尼と感動的に語り合ったものだった。


 その尼が、この悲劇をどれ程悲しんだことか。


 しかし、尼は遺児達には、両親の出逢いとその運命としか言いようのない奇縁だけを語った。美しい物語として。


 常陸の時実も、やがて出羽の経実もやって来た。


 泣きじゃくる弟と妹を見て、時実は、信時が討ち死にしたのは自分のせいなのかもしれないと思った。弟妹のように、単純に悲しいばかりではない。敵も自分も呪った。


 経実もまた慚愧懺悔、いや、己の狡さに苦しんだ。


 経実は時実と信時を天秤にかけたのだ。


 長行の裏切りの可能性を初めから予感していた。その上で、長行を行かせることにしたのだ。


 もしも長行を、信時も経実もいない関東に留めておけば、長行は時実を襲撃するかもしれない。だが、追討軍に加えさせても、途中で寝返り、信時を討つかもしれないと、経実はそれも予測していたのだ。その上で信時に預けた。時実が討たれるか信時が討たれるか。そう考えた時に、大事な養子を討たれるわけにはいかなかった。経実は養子と義弟を天秤にかけ、義弟を切り捨てたのだ。


 時実が単純に、法化党も追討軍に加わりたい、水軍を用意したら重宝されるだろうと、長行を行かせようかと言い出した時、経実はだから、それに賛成したのだ。そんな自分が嫌だった。経実は。


 しかし、感傷的になるばかりでは困る。経実はそういう立場だ。あの大乘教理を自らの手で殺した時でさえ、あっさりしたものだった。


 経実は法化党棟梁。今回のことは、法化党の属下の者が起こした裏切り。法化党の不始末だ。


 長行はただ裏切ったばかりでなく、逆賊に走った。朝敵となったのだ。そのような者を出した法化党の責任は重い。いや、法化党そのものが朝敵と見なされることさえ有り得る。


 経実は朝廷に対して、二心なきことを示す必要があった。秋田城介を辞任し、誓紙を書いて、一万の兵を上野殿に献上した。そして、自分から蟄居謹慎、隠居した。


 以後、法化党棟梁は時実となる。


 朝廷も上野殿も、経実のその態度に疑うことはなく、法化党に対する処分は下されなかった。


 しかし、妹の貴姫君が死んだというのに、迅速に法化党棟梁として動いた自分の冷静さが、経実はつくづく嫌だった。


 北方は安定している。時実は常陸南部にある国府の近くに邸を構えていた。だが、北部に憂いはない。経実が隠居所を選ぶのに、北部である必要はなかった。


 経実は桜町館を選んだ。そこの桜の群だちの中で、もとの希姫君に還って、あの世の兄と妹と共に花見の杯を交わして過ごしたい。


 経実は家臣全てに十二安、そして侍女達まで残らず時実に譲った。中には貴姫君の乳母だった松枝なども含まれている。


 経実は吉祥や平五など、ごく近しい者だけを手元に残した。


 桜町館に向かう日、時実の背中を見て、溜め息をついた。


 時実は気丈に振る舞っている。強い。家臣達は誰もがそう思っている。だが、ふとした瞬間に、瞳が哀しみの色に染まることがあった。


 経実はそれに気付いていた。


 時実は長行を行かせたことを悔いている。己の誤りだと。そのせいで信時を死なせてしまったと。


 せめて、貴姫君だけでも生きていたら、こんなに落ち込むことはなかったのだろう。母親が側にいたら。


 経実はそんな時実の背中を見ているのが辛かった。


 母であることよりも、女であることを選んだ妹・貴姫君。どうして、この時実のために、生きていてやらなかったのか。経実は悲しく腹立たしかった。


「時実。自分を責めるな。責めるなら、このわしにしろ。わしはおことを守りたかった、長行から。この度のこと、予想の範囲内のことだったのだ。長行が南殿を討つ可能性。おことには考えも及ばなかったろうが、わしはな、想定もしていた。その上で、長行を行かせたのはわしだ。おことを守るために、南殿を……」


 最後は言葉が詰まった。時実が悪いのではない、自分だと、それが言いたかったのだが、それでも最後を言うのは辛かった。


「……怨め……わしを」


 それだけ言った。


 そして、経実は桜町館へ向かった。あれで時実が救われるわけがないが、少しは違うだろう。


 経実は桜の木々の前で、久しぶりに希姫君に戻った。香の焚き込まれた五衣にくるまれながら、先年、貴姫君が自害しようとした木を見つめる。


 貴姫君の面影がそこに浮かんでくる。


「馬鹿者」


 その面影をそう言って睨んだ。


「人生とは、ひたすら山を登ることだ。その果てなき頂に至る者もあれば、至らぬ者もあろう。だが、ひたすら登り続ければ、頂に至らずとも、生涯の最も高き所で死を迎えることになる。頂に至れるこそ、最高の人生。したが、頂の先は下るばかりじゃ。だから、頂の時に死ぬるこそ、最高の人生なれ。もし、その頂に至らば、たとえそれが天寿の時でなくとも、自らの人生に終止符を打つもよからん。しかし、そうでないのに、自ら命絶つとは何事か。努力を放棄したのだ。そんなに南殿の死に向き合うのは嫌か、辛いか?それに耐え抜いて、日々生き抜いてこそ、頂に近づけるというに。修行を放棄したのだ。いかなる理由であれ、私は貴姫君を許してなどやらぬ。我等と同じ悲しみを子供らに味わわせおって、この愚か者め!」


 その眼は愛染明王のようだった。そこから次々と涙が溢れ出ていた。


 最高に幸せな充足感の中ではなく、悲しみの中、自害して行った妹へ。そう毒づくことが、この姉の愛であった。

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