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乱声・五拍──恋の重荷(漆)

 都は平生そのままであったが、戦場はそうはいかない。


 信時朝臣は自身だけは関東に帰ることもなく、また都に引き上げることもなく、常に釈教と刃を交えていた。何度も戦っていたが、未だ勝敗は定まらない。


 則顕軍と房清軍も戦い続け、丹後や但馬の辺りを進んだり退いたりしている。


 そんな中で、俄かに戦局に変化が訪れようとしていた。


 信時朝臣の軍は幾つかに分かれていたが、総大将の信時は加賀にあり、副将の時光は越前にあった。釈教軍は能登にまで押し戻されていた。


 ある時、釈教は急に軍を二つに分け、一方は陸路を進み始めた。


 そして、釈教の本隊は密かに能登より船出して、海路を進み始める。船に乗れる限りは乗った。ぎりぎりまで。定員を遥かに超えて。


 そして、さらに軍を二分し、釈教ら主力は九頭竜川付近で上陸。そこからは陸路で越前を進む。


 一方、定員になった船は、さらに海路を行き、敦賀に至ってようやく上陸した。そして、敦賀よりは陸路で越前を北上し、やがて主力の釈教と越前国府辺りの敵を挟み撃ちにした。


 討たれたのは時光軍だ。時光は敗れた。


 完敗ではあったが、時光の命は無事で、どうにか逃げ切ることはできた。


 しかし、釈教軍は都を目指して進軍する動きを見せた。


 加賀の信時朝臣はそうはさせじと、後を追う。しかし、それは能登の敵に背後を脅かされることを意味していた。


 信時が釈教を追い始めると、やはり能登の軍勢もその後を追い掛けてきた。もしも、釈教が引き返してきたら、信時は敵に挟み撃ちに遭う。信時の危機であった。


 一方、山陰の則顕軍も房清に勝利し、丹波近くまで進軍していた。じりじりと都に近づいている。


 都はなお平穏そのものに見えたが、朝廷は実は常に喧々囂々、援軍を差し向けるか否か、議論が繰り返されていた。


「いかに思うか将軍?」


 鎮守府将軍の上野殿は意見を求められたが、彼は当然、


「それがしに援軍をお申し付け下さいませ。このままでは追討軍は敗れ、逆賊どもに都を攻められます。何卒」


と、答えた。


 弟・信時の危機。彼には一万余の兵がある。何としても弟を助け、賊を都から遠くへ追い払いたい。


「いや、将軍には都の守護をしてもらわねば。それに、将軍の兵は都の警護として……」


「比叡山があり申す!僧兵どもがあれば、都を脅かされる心配はござるまい。されば、都の心配よりも逆賊そのものを潰滅させることの方が大事!」


 上野殿はそう叫んだ。


「しかし、都は主上のおわします所。将軍の如き剛勇に御側にいてもらわねば困る」


「こは本末転倒な。それがしが都に留まれば、都が戦場と化す。都が戦場となれば、それがし、真っ先に主上を警護申し上げん。しかし、それがしが今、援軍として出陣すれば、都の外で逆賊を討ち滅ぼし、主上をお守りできるというに」


 しかし結局、上野殿の出陣は許されなかった。


 その代わり、武門出身の三河介が近江へと遣わされた。東海の自軍と上野殿の軍三千を加えた、およそ七千である。


 既に釈教は近江に至っていた。信時は追いついていなかった。


 実は、猛追する能登軍に、信時は襲いかかられたのだ。信時はこちらを相手しなければならなくなったのだった。


 しかし、賊軍の目的は信時を挟み撃つことではなかったらしい。釈教は引き返しては来ず、そのまま都を目指していた。


 能登軍は釈教の本隊を都に行かせるため、時間稼ぎに信時を襲った。信時は賊軍の作戦に従わざるを得ない状況に陥っていた。能登軍に攻撃されながらでは、釈教を追うことなどできないではないか。


「かくなる上は、一刻も早くこの能登の軍勢を撃ち破ることだ!」


 信時軍は獅子奮迅の戦いぶりを見せた。そして、その乱戦の最中に、三河介の軍が近江で釈教軍とぶつかったという知らせを受けた。


「やれ。どうにか一安心。さっさとこちらを片付けてしまおう」


 信時軍はさらに勢いづいた。


 近江の三河介は苦戦を強いられていた。何しろ、釈教の戦いぶりが非常識極まりないのだ。


 釈教とは、


「勝てば何でもよいのだ。勝たなければ、話にならん。勝つためならば、どんな手でも使う。世間の眼には卑怯だと映るかもしれぬ。だが、卑怯な手は、言い換えれば戦術ともいうのだ。卑怯な手を使って、世の謗りを被っても勝つ!」


という男だ。


 我が国の戦のやり方とはおよそ違う。盗賊ならではなのか。信時は慣れているが、三河介はこんな敵は初めてだ。


 名乗りもせず、そっと背後に回り、音もなく突然現れて、背中から攻めてくる。あろうことか馬を斬り、乗っている武者を振り落とす。


 三河介はこんなことをされて仰天した。


 そのようなわけで、釈教には楽勝な相手だったらしい。


 いつものように奇襲をしかけ、しかも事前に内応者を作り、これと呼応して内と外から同時に攻撃したのである。


 三河介は逃げ出した。敗走に敗走を重ねて、京へ逃げ帰ってしまったのである。


 朝廷は頭を抱え込んだ。このままでは本当に賊軍が京に攻めてくる。さらなる追討使を送らなければならない。


「いったい、彼奴等の望みは何なのか?」


 そもそも賊軍の挙兵の理由が不明だった。貧しい農民の一揆だともいうが、これまでに一度も、賊軍から朝廷に対して何かしらの要求をしてきたことがなかったのだ。


 初めは大相国の荘園を襲撃するなどしていたから、単純に大相国に恨みがあるのかと考えられた。あるいは本当にただの盗賊で、己が利益のために、他人のものを奪って我が物にしようとしているか。


 だが、ついに国府を襲い、受領を殺害し、民衆をすっかり味方につけて上洛を目指しているとなると、これは朝廷に対して何か不満か要求があるに違いなかった。


 さて、信時はとうとう近江の釈教に追いついた。背後に能登軍を残していたが、散々に討ち負かしたので、背後を脅かされるというほどの軍勢ではなくなっている。


 しかし、釈教軍は増加していて、勢いも増すばかりだった。先の三河介との戦いで、その置いていった軍をすっかり我が物にしていたのだ。


 三河介の軍は官軍の誇りも捨てて、釈教に従ってしまった。自分達を捨てて逃げ帰ってしまった総大将になぞ、もはや従う気も起きないだろう。三河介への不信感が、彼等を賊軍へと転換させたらしい。


 それだけでもあるまい。信時は思った。任女の話術。これを釈教も倣い、官軍の心を掴んでしまったのに違いなかった。


 新たな援軍が必要だ。その援軍到着までの間、どうにか時間稼ぎをしなくてはならない。どうやって敵をこちらに引きつけさせよう。どうにかして、敵が都に雪崩れ込むのを阻止しなければ。


 信時は考えた。一つの策を。


 噂を。噂が本当ならば、使えるか?


 噂によれば、件の任女を信仰する民衆は、


「人間は皆同じ人間なり。戦は罪。人間が人間を殺すのであるから。我等を追討しようとする朝廷は、戦という大罪を犯している」


と、叫んでいるとか。


 任女は、


「君は君らしく臣は臣らしく──に、あらず。君臣民の別なく、人間は皆同じく食べなければならぬ。高貴は民衆に米を与えよ」


と言って、民衆の感動を誘っているとか。


 賊軍の神通力の秘密はこれだろう。賊軍こそが民の正義。朝廷は悪。


 民を誑かす任女の言動。


 この任女の言動の噂。これが本当なら、信時の策は成功するかもしれない。


 つまり、噂通りなら、彼等は朝廷に言いたいことがある筈。


 話を聞いてやると言ってやるのだ。


 追討使信時朝臣が会って、話を、訴えを聞く。そして、その要求を朝廷に伝えてやる。


 信時は釈教に使者を遣った。


 対面したいと。主張を聞いてやると。そして、その訴えを朝廷に伝えてやると。


 信時には、相手が則顕ではなく釈教であるならば、この策は成功するような予感があった。


 果たして、間もなく戻ってきた使者は、釈教が対面を受け入れたことを伝えた。


「これで、どうにか援軍到着までの時間を引き延ばせる」


 信時はやや安堵の色を覗かせた。


 逃げて来た時光に、


「信時自ら釈教の陣へ行く。なるべく長く対面して引き延ばしているから、おことは援軍が早く到着するよう、急かしてくれ。留守の陣中、宜しく頼む」


と命じ、ゆっくり支度を始めた。


 郎党数名だけを伴い、平服で行く。郎党も皆、平服である。


 信時は狩衣に立烏帽子。懐奥には貴姫君からもらった巻物。そして、父の水晶の数珠。玉は二つ減っているが、その数珠を大事に胸に秘めて、翌日になってから、


「さて。ぼちぼち行こうか。あまり待たせても、怒らせてしまう。怒らせて、さらに進軍されては一大事」


と、出掛けて行った。

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