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乱声・五拍──恋の重荷(捌)

 ゆっくり進み、やがて釈教の陣に至る。遅いと思っていたか、釈教自ら出迎えた。


 その逆賊の長・釈教の姿たるや。信時はその容貌を見て息を呑んだ。


 ある程度予感はしていたものの、やはりという思いより、信じられないという気持ちの方が優った。彼の頭の中で作られる、夢か幻想であるように思えた。


 釈教は鎧姿だったが貴族的な物腰であり、顔は日焼けして黒くなっているが、気品があった。眼光は鋭いが、瞳は熱く、優しく……そう、優しいとしか表現しようのない眼差しで信時を見つめた。


「ようこそ、信時朝臣。逆賊釈教めです」


 声も優しく、優美な都の響きだった。


 信時は慇懃に頭を下げた。


 彼のその態度に、郎党達も敵の兵どもも驚いた。


「二人だけでお話ししたいが」


 とんでもないと、郎党達は彼の無謀を必死に止めた。しかし、信時は、


「大丈夫だ」


と、穏やかに言った。


 釈教も笑顔で頷く。


「御身達の豪胆な御主。平装で、側近数人だけを伴われて敵陣に乗り込まれるなど。それがし、尊敬致します。ここで斬ったりなぞ致しませぬ。斬り合いは戦場で」


 何となく、その物腰の柔らかさに納得させられてしまう。油断なるまじ、こういう態度で兵を増やしてきたのだ、とも思いはしたが、それだけに、闇討ちのような卑怯な真似はしないだろうとも思って、郎党達は黙ってしまった。


「あちらに酒も用意しています。それがしも、二人だけでゆっくりお話ししたく存じておりました。さ、どうぞ」


 釈教はそう言って、信時を案内した。


 陣幕の内に桟敷が設けてある。そこに、酒や膳が並んでいた。


 釈教はそこに信時だけを導き入れると、自分の兵どもに、


「用があれば呼ぶ。それまでは皆ここへは来るな。御客人の御郎従方をおもてなしせよ」


と命じて、人払いした。


 そして、信時と二人だけになると、改めて上座を勧めて、


「どうぞ」


と、導いた。


 信時は深々と頭を下げた。そして、示された席に座った。信時は朝廷よりの使い。これでよいのだろう。


 釈教は下座に座る。


 それを見ながら、信時は、


「やはり、あなたでしたか、兄上」


と、言った。


 釈教は笑顔を向ける。


「ほう。さすがは。お気付きでしたか。まあ、信時の君なら、お気付きだろうとは思いましたよ。対面を申し込まれた時、確信しました。いつから身共だとお気付きで?」


「賊将の名が、ときのりと聞いた時。一方の将は則顕でしたし。則顕と挙兵するなら、判官の兄上だろうと思いました。兄上の母君と則顕の母儀は姉妹でしたよね、確か。兄上がわざわざ、ときのりと名乗られたのは、都の人々に判官時憲の名を思い出させたかったからですか?」


 信時は微笑さえせず、そう言った。


 釈教──時憲は、瓶子を手に取った。


「さ。まずは一献」


 信時に杯を勧める。


 信時は黙って杯を手に持った。時憲は寄って、それに酒を注ぐ。


「都の人々は、ときのりと聞いて、判官時憲かもしれないと、誰か気付きましたか?」


 信時は酒を飲み干してから、


「いえ」


と答えた。そして、今度は時憲の杯に酒を注ぐ。


 時憲もそれを受け、飲み干した。


「気付きませんでしたか」


「ええ。気付かせたかったですか?朝廷に何か言いたいことがあるのでしょう。だから、わざわざときのりと名乗り、挙兵した」


 言われて時憲は笑った。


「まあ、そうです。朝廷に言いたいことはある」


「何故、則顕と挙兵したのですか?」


「則顕の挙兵した理由と身共のそれとは違う。しかし、兵の数が要る。則顕の主張、任御前の弁には民が従う。兵が欲しい身共には、則顕夫妻は魅力的でしたよ。身共は則顕を利用した」


 時憲はそう言うと、膳の飯を指差した。


「能登の米です。口になさってみて下さい。不味いですから。上野や常陸のような沃土の米を常に食べている御身には、不味い筈です」


 信時は思わず眉をしかめた。


 時憲は微笑する。


「身共はただ則顕やその民を利用しただけではありません。この米のできの悪さ、民の貧しさに触れ、その点に関しては則顕に同調できたから、共に挙兵した。身共も民と則顕と共に、朝廷に訴えましょう。貴族ばかりよい思いをするなと」


「年貢の引き下げ。それが兄上の訴えたいことですか?」


「我等共通の、ね」


「わかりました。そのように伝えましょう」


 しかし、時憲の挙兵の理由はそれだけではあるまい。復讐か何かだろう。則顕の理由とは、いったい何だ?


「則顕は何がしたいのですか?朝廷には、則顕の考えをどう伝えたらよいのでしょう」


「それは、朝廷には言わぬ方がよいでしょう」


 きっぱり言って、時憲は手酌で酒を飲んだ。


「どうしてですか?」


「御身の北ノ方なら、ご存知なのではありませんか?」


「は、私の妻が?」


 信時は首を傾げた。貴姫君が何を知っているというのか。


「聞いたことはありませんか?北ノ方から、御父君のこと。父君の羽林殿がなさろうとしていたこと。則顕の父は羽林殿の御弟。則顕は羽林殿の夢を引き継いでいるのですよ。御身が北ノ方から何も聞かされていないのならば、知る必要もないでしょう。則顕は狂っている。わざわざ朝廷に聞かせることもありますまい」


 簒奪。国を根幹から覆すのが則顕の目指すものだ。


「ま、身共も今上に退位願いたいということでは一致しています。朝廷にはただ、今上の退位だけを求めましょう」


「……」


「ま、不味いかもしれませんが、飯時です。腹も減ったでしょう。どうぞ膳のものも召し上がって下され」


 時憲はそう言って杯を置くと、箸を持って食べ始めた。


 信時も箸を動かした。蒸し鮑など、なかなかよい風味である。飯も不味いとは思わないが。


 そんな信時の口元を見て、時憲はまたゆったりと杯を口に運んだ。


「何年ぶりかな、信時の君に会うのは。そういえば、こうして膳を共にするのは初めてですね」


 何がおかしいのか、時憲はくっくと笑った。


「父は元気ですか?」


「さあ。私ももう長いこと会っていませんから……長兄(このかみ)が亡くなった年に会ったきり」


「これは驚いた。あの父のことだ、上洛した御身や時有の君を訪ねて行ったかと思いましたが」


 時憲はまだ笑っている。


「私は上洛して直ぐに出陣しました故。もしかしたら、今頃、都の兄を訪ねているかもしれませぬ……」


「時有の君はご立派になられたからなあ。間違いない、父は今頃、時有の君の邸に居座っているでしょうよ」


 信時は箸を置いた。まじまじと時憲の顔を、いや口元を見つめた。ねじ曲がるその口を。


「申し訳ありませぬ……」


 頭を下げた。


 時憲ははっと口を噤んだ。信時の頭を見やる。


「何で御身が謝るのですか?」


「我等、兄弟でありながら、敵味方に分かれて相争うております。子供の頃から会うこともなく、食事を共にすることもなく……」


 泣いているのか、下を向いたままなので顔は見えないが、信時の声は震えている。


 時憲は幼くして父に捨てられた。父は時憲と母を捨てて、信時の母の所へ行ってしまった。父はずっと信時の側にいた。信時を本当に可愛がってくれた。だが、時憲は父の温もりを知らない。


 信時が謝った理由は、時憲もわかっている。


「幼稚だと思うでしょう?身共は烏丸の大臣の一族なのに、その敵の四辻の大臣に仕え、韶徳三位殿に仕えた。ええ、そうですよ。よく考えてみたら、身共がこうなったのは、父への反発なのです。父が憎いから、こうなった。何と幼稚な。我ながら、笑えます。御身のことも妬ましかった、羨ましかったのだと思います。なれど、恨んではいない。父のことはなお好きになれないが、御身を恨む心は微塵もありません。こんなに可愛い弟なのに、何で一緒に食事できなかったのかと残念でならない。いくら腹違いの兄弟だからとて、もう少し親しくなれてもよかったろうに」


 だが、今更歩み寄れないことは、時憲にも信時にも分かっている。


 時憲は逆賊。信時は追討使。


 しかし。


「今、降伏なされば……」


「いや。そればかりはない!」


「……だと思いました」


 信時は顔を上げた。その拍子に、ぽろりと涙が落ちた。


「無理でしょうね。兄上の挙兵の理由は、復讐でしょうから」


「いや、違います。復讐などという単純なものではない。身共は、先の四辻の大臣の事件は、間違いであったと思っています。いや、間違いなのです。烏丸の大臣の陰謀なのです。四辻の大臣は冤罪。なのに、間違いのまま、亡くなってしまわれた!身共が訴えたいこと。それは烏丸の大臣の陰謀だったということ。それと知りながら、四辻の大臣を流罪にし、むざむざ死なせた今上の罪、誤りを認めて頂くこと。今上にはご退位頂き、あの事件をもう一度、調べ直して頂くこと。身共はそれを訴えるために、それを朝廷に認めさせるために、挙兵した。降伏など有り得ませぬ。朝廷が認めるまでは」


「わかりました。朝廷にそう伝えましょう」


 信時は涙を拭いて、頷きながらそう約束した。


「兄上。朝廷宛てに書簡をしたためられませ。訴えを書き連ねて。お届け致しましょう故」


 時憲と和睦することにはならないが、戦を早く終わらせる道ではあろう。


「お届け下さいますか」


「はい。私が口添え致します。必ず帝の御眼にも触れましょう」


「かたじけない」


 時憲は早速、朝廷に宛てて書簡をしたため始めた。


 その間、信時は黙って膳の前に座って待っていた。彼には言わねばならぬことがあった。それを頭の中で整理している。


 朝廷に出すものであるから、時間を要した。一時以上かかっている。


 援軍を待つ信時にとっては、悪いことではない。


 やがて、時憲が清書し終わった時には、とっぷり日も暮れていた。


「いや、これはお待たせしました」


「いえ、たいしたことではありませぬ」


 信時はそれを恭しく受け取る。


 時憲は再び席に戻り、


「飲み直しましょうか」


と、すっきりした顔で言った。


「は。でも、その前に、申し上げなければならないことがあります」


 信時は神妙な面持ちでそう言った。


「はて?」


「兄上もご存知かとは思いますが……兄上のご内室のことです。あの御方を殺したのは、この私ということになりましょう」


 真っ直ぐ時憲の瞳を見て言った。時憲の顔に俄かに動揺が浮かんだ。


「全て申し上げます……私は昔、都を騒がす盗賊の頭の子を捕らえたことがあります。その子は検非違使に引き渡しました。間もなくその子は処刑されました……それは烏丸の大臣の御命にて致したことです。盗賊の子ということになっておりますが、真は周雅卿の、韶徳三位殿の若君にて……大臣がなさったという噂にもなった四辻狩りは、真実ございました。私はそれに加担致しました。周雅卿の若君を捕らえたのは私です。つまり、若君を殺したに等しく……あの処刑の日……若君処刑の後、一人の女人がその場で後を追い、自害しました。若君の御乳母です。つまり、兄上のご内室……私は嫂上(あねうえ)を殺したも同然。兄上、申し訳ありませぬ」


「知っておりましたよ。御身が捕らえたことは」


「許して頂こうとは思っておりませぬ。お許し下さらなくて構いませぬ。ただ、お詫びだけ言わせて下さい。申し訳ありませんでした」


 深々と平伏した。


「……お気になさいますな。時代が悪い。大臣の命令には逆らえなかったのでしょう。済んだことです。御身を怨んだりはしていませんよ」


 時憲は震え声でそう言った。


 あれは、時憲の妻の自害は、信時のせいではない。時憲のせいなのだと思っている。


 あの若君は替え玉であって、若君その人ではなかった。時憲の子・毘沙王丸だった。時憲が若君を守るために、我が子を犠牲にしたのだ。


 そのことを妻は怨んだ。我が子の毘沙王丸が殺されて、辛くて悲しくて自害したのだ。あれは信時には無関係のことだ。


 しかし、時憲はそれは言わなかった。ただ気にするなとしか言えなかった。


 言えば、信時は余計辛いだろう。彼が捕らえた子は時憲の子だったのだと知れば。甥を殺してしまったのかと、苦悩するだろう。


 何とも重い空気が流れていた。


 信時は耐えられなくなった。だが、まだ言わねばならぬことがある。この空気を打破するように、思い切ってもう一つ告白した。


「兄上、いま一つ申し上げます。主家のために挙兵なさった兄上。その忠義の御心……嗚呼、私はどこまで罪深い人間だったのでしょう。兄上がそこまで忠義を尽くした周雅卿……その御方を……七絃七賢韶徳三位殿。この国の文化のためにも国をあげて守るべき御方を……私は……流罪になったあの御方と兄君は、配流地に赴く途中、夜盗に襲われ、亡くなりましたが……その夜盗はこの信時です!」


「何ですと!?」


 がたんと時憲は瓶子を蹴って膝を立てた。


「私は周雅卿とその若君を殺しました!」


「御身が、御身が?殿を?三位殿を?」


「この手で直接。この手があの御方を殺しました!」


 へなへなと崩れた。膝頭が、倒れた瓶子に当たる。


「大臣の命ですか……」


「はい。貴人には、せめて私位の身分の者が斬らねば、失礼だと思いました。だから郎党には任せず、私が自らの手で……兄上が挙兵なさった全ての元凶は、この信時に……」


「なんで!」


「私は地獄に行くでしょう。魔道をさ迷うことでしょう。これまで、数多の戦で数えきれない人の命を奪ってきました……覚悟しています。天が遣わした周雅卿を殺した私の行き先は無限地獄……」

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