乱声・五拍──恋の重荷(肆)
そうして、上野殿らが都に向かい始めた頃。
出雲では、再び賊軍が暴れ始めた。
すぐに都に伝えられたが、
「鎮守府将軍の到着はまだだ。どうしたものか」
と、朝廷は震えた。
朝廷から上洛の途上の上野殿に使者が来て、すぐに都へ来るよう告げられた。一大事と上野殿は急いだが、やはり間に合わなかった。
現在の出雲守は、国府にあってそれなりの政務をとっている者であった。
決して悪政ではない。ただ、先年の凶作が尾を引いて、民衆の暮らしは貧しかった。それで、出雲守に対する民の不満は、皆無というわけにはいかなかった。
出雲守は大相国(太政大臣)の子息の公有卿の縁者である。公有卿の北ノ方の庶兄であるのだ。よって、大相国家の縁に繋がる人として、国府内の役人達からは畏れられていた。
役人達にも民衆にも好かれていないが、憎まれる程の悪人ではない。その出雲守が政務を行っていた国庁が、賊軍に奇襲されたのだった。
「どういうことぞ。賊は能登やら伯耆にいるのではなかったのか?」
真夜中の突然の襲撃に、国府内は大混乱に陥った。
役人達は武人ではない。
賊徒どもの振り回す太刀や長刀の光を見ただけで怯え、腰も抜けて、逃げることさえできない。ただ、
「命だけは助け給え」
と、情けない声を出すしかできなかった。
役人の報告に、出雲守は飛び起きて、
「すわ、賊軍は韋駄天揃いか?」
と、何という速さかと、耳を疑った。
だが、府内を飛び交う武者声と、縮みあがる役人どもの悲鳴は、確かに聞こえる。
「この庁へ至る途中には、幾つもの荘園があろう。この辺りで一番の広さを誇る、六条の大臣の荘園も襲われてか?」
「いえ。賊軍はそれには目もくれず、この庁へ音もなくそっと忍び寄り、奇襲を仕掛けてきたようです」
「しかし、誰も気づかなんだとは。何故、途中の庄では賊徒の進軍に気づかなかったのだ?釈教め、五千もの兵をいったいどうやって移動させた?」
「いえ。奇襲を仕掛けてきたのは数百騎と思われます。主力は未だ伯耆や能登にあるものと存じます。船を使ったのでしょうか」
言っている間にも、猛々しい蛮声は近づいている。
「早うお逃げ下され」
「皆は?」
「殺されたり、生け捕られたり」
「馬鹿な。皆を見捨てて逃げよと言うのか」
「守の殿がみすみす殺されるわけには参りますまいが!落ち延びて、この大事を都にお伝え下され。都へ、さあ!駒を裏の木戸に繋げておきました故、いざ!」
「この不始末。都へ無事帰れても、我の責任は問われる。いや、逆に、皆を見捨てた人でなしと糾弾されようぞ」
言い争っているうちに、だんっと乱暴に戸が引きちぎられ、ざざっと強らしき荒武者どもが六人姿を現した。
「参議公有が義兄、出雲守だな?」
武者の一人が、耳がつんざけるような大音声で問うた。
「違う!」
「いかにも」
役人と出雲守がほぼ同時にそう答えた。思わず役人は出雲守をぎっと見やった。
出雲守は役人を無視し、
「いかにも、出雲守である」
と、胸を反らして武者どもへ言った。
武者ども、頬の下よりいやらしい笑みを浮かべて、
「とうとう見つけたぞ、出雲守、覚悟!」
と、がなった。
役人は。
「やめい!こちらは朝廷より遣わされし受領。ここは国の庁。出雲守殿を斬るということは、朝廷に刃を向けること。今までおぬしらがしてきた荘園を襲うのとは、勝手が違っ……」
言い終わらぬうちに、武者の一人の刃が、この役人の首を刎ね飛ばしていた。
「ふんっ、要らぬ舌先三寸よ。黙っていれば、死なずに済んだものを」
武者は役人の血が滴る太刀を、今度は出雲守に向けた。出雲守、観念したか、その場に座り込んで目を閉じた。武者の刃が出雲守の首目掛けて振り落とされた。
賊軍の奇襲は成功。
翌日、総大将の則顕から八千の兵を借りていた副将釈教は、残りの兵を率いて出雲国府に入ったという。
国府に確保されていた米俵全ては、出雲の民に配られたという。任女の号令によるものらしく、出雲の民は感激して、自ら賊軍兵に志願する者が後を絶たないとか。
この賊軍による出雲国府襲撃の報が、丁度上野殿が信濃を進んでいた時に、都にもたらされたのだった。
大相国も子息の宰相(参議公有卿)殿も、身内の出雲守が殺害されたことに、大いに怒った。今上が尋常ならざる怒りを見せたのも、当然である。
一方、六条の左大臣殿は、自分の荘園が襲われなかったことに、首を捻っていた。
「先年来の各地の大相国領。今度は大相国の縁者の出雲守。賊が大相国ばかりを狙うのは何故や?」
「出雲国府近くの、左大臣殿の荘園は無傷だったとか。賊は大相国に恨みがあるのだろうか?」
公卿達は賊に怯え、頭を悩ませながらも、そんな噂をし合った。大相国に変な眼を向ける者も多かったのである。
だが、そんなくだらない興味より、賊への恐怖の方が強い。連日、詮議が行われていた。
「鎮守府将軍には、急ぎ上洛をと伝えたが、もう出雲国府は賊の手に落ち、間に合わない。とにかく、将軍に国府を取り返してもらわねばならぬのだが」
「将軍の到着を待ってはいられぬ。左様悠長な場合ではない。将軍が上洛する前に、別の追討使を発進させるべし」
意見は一致した。だが、誰に追討使を命じるべきか。
北陸、瀬戸内、山陰の武士はあてにできない。これまでも、追討使のめざましい活躍はなかったし、それどころか、賊に降ってしまった者さえいたくらいだ。
左大臣殿は提案した。
「使える武門はない。そこで、瀬戸内の水軍に追討を命じてはいかが?」
「そんな海賊に頼れるものですか」
渋る声も多い。しかし、左大臣殿はなお言った。
「讃岐水軍はいかがで。先年、都を騒がせた盗賊を捕らえた、五条の刀自の縁者。朝廷から声をかけられれば、海賊と蔑まれてきた己も遂に認められたと、感激するのでは?官軍となれば、喜んで賊を討つのでは?」
海賊に声をかけることを、なお不服とする人もあったが、他に賊を制圧できる者もないので、朝廷は仕方なく讃岐水軍に追討を命じた。
直ちに、讃岐水軍は八千の軍勢で出雲を攻撃した。しかし、釈教はただ者ではない。また、水軍なのに、陸上戦では不慣れな讃岐水軍には不利だった。
やがて、朝廷には追討使敗戦の報が届いた。
「何たること!」
「やはり海賊など使えぬ!」
左大臣殿の面目は丸つぶれであった。
そして、その時、遂に上野殿・鎮守府将軍時有と信時朝臣の兄弟が、都に到着したのであった。
上野殿も信時朝臣も四位ではあるが、昇殿を許されてはいない。物の具解く暇さえ与えられず、早速大内に召し出されたが、あらぬ様のまま庭に控えさせられた。
だが、帝は出御し、
「大儀」
と、有り難くも一言直々に仰せ下さる。
末代までの名誉であると、上野殿は涙を流して感激した。
上洛を随分急がされた。昼夜兼行の強行軍だったし、上洛した途端、召し出されたのだ。余程緊迫した状況なのだろう。明日にでも出陣かと思われた。
しかし、これほど急がされたのに、二人は挨拶が済むと、特に御意を賜ることもなく帰された。
「これはどうしたことだ。賊討伐は一刻を争うというのに!戦に大事なるは勝機。これを逃して、勝てるものか」
五条東洞院にある古邸を与えられたが、そこに戻ってきて、上野殿は苛立ちを露わにした。
「皆も兄上と同じ気持ちでしょう。兵どもの苛立ち、焦燥感が爆発しないか心配です」
「いったい、公卿どもは何を考えておるのだ。何を暢気に構えておる!このままでは、逆賊どもに都に攻め込まれようぞ!」
先程までの感激も完全に吹き飛び、上野殿は信時朝臣に八つ当たりするように、体中の苛々を声にした。
本当に暴発しそうであった。六万近い大軍は、十日も何の沙汰もなく放置され、戦への焦りと朝廷への不満で、あわやという所まで行きかけた。
朝廷は優柔不断。日夜、鼎が沸くような議論が繰り返されたが、今後の方針はなかなか定まらなかった。
「いい加減にして下さい。これでは兵どもを纏められませぬ。どうにかなっても、保障できませんよ」
信時朝臣は大相国に直訴した。
大相国の妹君が聞いたら、無礼なと憤慨しそうだが、大相国といい、その父・亡き烏丸殿といい、何故だか信時に凝視されると弱い。
「わ、わかった……」
大相国はどう頑張ってくれたか、翌日にはようやく沙汰が決定したのであった。
上野殿は一万の軍を都の周囲に配備し、都の守護をすることに。
信時朝臣は追討使の総大将に任じられ、山陰・北陸に出陣することになった。
信時はすぐ出陣したが、信時の動きを察知すると、賊軍は迅速に兵を動かした。
釈教は船で能登に戻り、北陸・畿内の兵三万ばかりで上洛を目指す構え。一方、則顕軍も出雲国府を出て、都に向かって進み出した。
賊軍の動きに対応するため、信時は若狭で兵を二つに分けた。
「房清。讃岐水軍ら瀬戸内の兵どもらを率いて、則顕を討て」
信時は房清に関東の兵一万余と瀬戸内の兵三万を預けて、山陰に向かわせた。
信時は自身、関東の兵四万弱と畿内の兵を率いて、北陸へ向かう。
この軍には、法化党の長行の軍七千も含まれている。五千は経実から預かってきた兵だ。もとは大乘党だった者など、陸奥の人間が多い。
長行直属の水軍は難波に控えていた。そして、兵卒達は陸に上がって、慣れない陸上戦に同行しなければならない。それでも、千人ばかりは難波の水軍に留めておいた。
「釈教とやらには、僅かだが水軍があるらしい。また、瀬戸内の海賊にも仲間がいる。いつか水上戦にもなるだろう。その時のために、いつでも出撃できるよう、水軍の準備も整えておいてくれ」
信時がそう言うので。
賊軍と追討軍はぶつかった。
だが、何度戦っても勝敗はつかず、そうしているうちに雪の季節となった。
「さても不思議な逆賊よ」
信時朝臣はそう言った。
「まことに」
そう答えたのは副将を務める時光だ。
「どうも勝手が違う。賊というものは、雪路でも構わず進軍してくるものなのではないのか?」
信時は長年、大乘党と戦ってきた。大乘党は雪で足止めされた信時に、奇襲をしかけてきたではないか。
ところが、釈教軍は篭もったきりで、ちっとも動かない。
「動く気はないのか?それとも罠か?」
信時は悩む。
「南殿。試しに奇襲してみては如何で?」
時光はそう言った。
「奇襲はよいが、こちらが奇襲してくることを見越して、罠を仕掛けているとしたら?」
「ですから。法化党にやらせますので」
「なんだと?」
「長行に、大乘党残党だけで構成した軍を編成させるのです。奴らは雪の奇襲は得意。そして、仮に罠が仕掛けられていたとしても、奴らが討たれるならば……」
「馬鹿な!」
信時は怒った。
「今は大事なる城介殿からの預かりものぞ!」
そうは言ったが、確かに惹かれる策ではある。
信時は長行に命じて、大乘党残党で奇襲隊を構成させた。そして、自らの手勢も加えて、二千弱で早暁奇襲を仕掛けたのである。
これが面白い程うまく行った。
「なるほど、逆賊どもには裏はなかったのだ」
信時は以後、雪解けまでの間に数回、これを行った。だが、回を重ねる毎に敵も慣れてきて、次第に効果も薄れてきた。
このような小競り合いを続けているうちに、春になった。
そして、改めて、
「さても不思議な逆賊よ」
と、信時は頭を捻った。
実は都から使者が来て、
「暫く兵を解いて、帰還したらどうか。賊は田植えだ、攻めては来ぬぞ」
と、言ってきたのだ。
まさか、何を呑気なと信時は呆れた。公卿達には本当に驚かされる。
だが。
「今まで毎年そうなのだわ」
使者はそう言った。そして、本当にその通りだったのだ。
信時は賊軍が不思議でならなかった。
賊軍は皆農民なのだ。確か、任女は農民の母なのではなかったか。
釈教も自軍の兵どものために、この時期の進軍は避けているのだろう。いや、そうでなければ、この軍は成り立たない。
何しろこれは、飢饉で苦しむ農民達の、朝廷への反乱なのだから。任女が貧窮する彼等に、朝廷が農民を苦しめているのだと訴えたのだ。それで彼等を起ち上がらせたのに、農閑期以外に戦なんぞさせたら、農民達にそっぽを向かれる。
農民達からの支持あってこその軍なのである。
信時はそうとわかれば、
「今攻めて行ったら、我等の勝利だな。だが、賊は兵を解いている。攻めるべき敵が姿を消しているのに、どうやって攻めたらよい?」
と、あくまで攻撃するつもりである。
時光は、
「では、農村に行って、太刀を鍬に持ち替え、田畑を耕している賊兵達を皆殺しにしましょう。村は焼き払う。敵が武装していない今なら、勝利は容易いかと」
と、言う。
信時は眉を顰めた。
「どうせ彼奴等の作る米は年貢にはなるまい。年貢として差し出すのは拒否するだろう。米は皆賊軍の資金となる。そんな米は作らせるべきではない。だが、農村に帰って、田畑で精を出す無力な農民を攻撃するのは……気がひける……」
戦を早く終わらせるためには、非情さも必要だろう。時光の言う通りにするべきかもしれない。だが、この甘い男には無理なのだった。
「ところで、時光。我等の兵どもはどうしている?東国の留守居どもに、出陣している者の分の田畑までをも耕すよう、言ってはきたが……」
「はい。やはりそれでも気になっておるようですな」
「敵は攻めてこないな?」
「さあ、それは確証はありませぬ」
「わかった。畿内の兵は全て一旦帰らせよう。東国の兵も一部帰らせる。残る者は刈り入れ時に帰そう。代わりに、その時期、留守居の者をこちらに呼べ」
信時も自軍を半分にすることにした。
半分帰し、稲刈りの時には残り半分を帰す。その代わり、留守居の者を呼ぶ。そして、農閑期になったら、先に帰った半分の兵を呼び戻す。
三交替制にすることにした。




