表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/131

乱声・五拍──恋の重荷(参)

 地方の賊は益々活発になっている。


 朝廷は何度か追討使を発進させていたが、これまでに一度も、効果らしい効果は得られていなかった。


 相当強い賊だ。


 彼等を倒せる者。それはもはや、東国の鎮守府将軍・上野殿しかいなかった。


 そこで、朝廷は上野殿・信時朝臣兄弟に上洛を命じていた。


 上野殿は留守の東国を盤石にしなければならない。その為の準備、また、上洛して出陣するための戦支度など、色々やらなければならないことがあった。上洛するには、かなりの準備が要る。それなりに時間を要した。


 その準備がようやく整い、三日後、いよいよ出発となるところまでこぎ着けた。


 上野殿ばかりか信時朝臣まで上洛してしまう。そこで、東国の統治は秋田城介の経実に頼んだ。経実は秋田城から、東国一帯に眼を光らせることとなる。


 留守となる鎮守府は、家の子・俊茂に守らせる。俊茂は俊幸の甥である。


 上野の牧邸は東殿こと時高が守る。


 時高は上野殿の伯子。母は北ノ方。元服と同時に牧邸脇の東殿を貰った。


 東殿は、かつて春日の大上が作らせた邸。大上とともに、信時朝臣も住んでいたこともある。


 その後、牧邸の巽にある南殿を増築して、大上と信時は移った。信時は家臣達からは南殿と呼ばれている。


 南殿は大きい。牧邸とほぼ同じ広さを誇る。


 近年、上野殿は陸奥の鎮守府にいて、上野は留守にしていることが多かった。だから、上野を統治していたのは、留守居の信時朝臣であった。


 そのような理由で、最近は政治の中心は牧邸ではなく南殿であった。


 その南殿の信時朝臣までもが上洛し、上野を守るのは若過ぎる東殿時高ということになる。一抹の不安がある大上だった。


 その大上を南殿に、老翁俊幸が訪ねていた。


 俊幸は八十路も半ば過ぎ。とうに甥の俊茂に任せて、自分は気ままな隠居暮らしをしていた。だが、それはそれは暇なことだったらしい。ほぼ毎日、南殿に大上を訪ね、その話し相手を楽しんでいたのであった。


 今日もくだらん話をしにきたかと大上は思った。だが、意外にも老人は暇乞いに来たという。


「叔父御、それはどういうこと?まさか戦に出るつもりではないでしょうね?」


 大上は驚いた。


 だが、俊幸は相変わらず飄々として、


「なるほど。また戦場に行くのもよい刺激、よい暇つぶしかもしれませんなあ」


などと答えている。


「その口振りでは、戦に同行するわけではなさそうね」


「ええ。でも、将軍の御供を致すことには違いありませぬ。それがしも上洛致しますので」


「上洛?」


 瞬時に大上は、驚愕に心配を紛らせる表情をした。この歳で上洛なんかしたら、この老人は途中で力尽きて死ぬかもしれぬ。明らかに大上の顔はそう語っている。


 気付いたか、気付かないのか。俊幸はやはり暢気な様子で、


「はい。将軍にお誘い頂きました。共に上洛しないかと」


と、笑顔である。


「時有がそう言ったのですか?」


「はい」


「まあ。何でしょう。まさか叔父御に戦にも同行しろと言うのかしら」


「いやいや。それはござるまい。将軍は『都は懐かしかろう。都へ連れて行ってやる』と仰せ下さいましたが、戦に同行せよとは仰せられませなんだ。都見物でもせよとのことで。それがしも昔は都人という奴でしたからな。昔出掛けた寺や花の名所でも、巡って歩きたいと存じます」


「まあ。そうだったの」


「尤も南殿には、『そんな長旅はさせられぬ。年老いた体に障る』と反対されましたがの。『おおじ、長生きしてくれ』と。それがしが長旅の疲れで死んでしまうとお思いなのでしょうなあ」


 思わず、大上は苦笑した。信時と同じことを思ったので。


「お二方それぞれのお優しいお気遣い。どちらも有り難く、嬉しく存じましたが、将軍の仰せに従わせて頂くことにしました。やはり、それがしの故郷は都。最期は故郷に帰りたいものでございますからなあ」


「で、別れの挨拶に来たわけですか?」


「左様で」


 大上はかなり意外だった。こんな老人でも、最後は童の頃が懐かしいのか。童の頃過ごした、生まれた場所に帰りたいのか。こんな老人でも?いや、老人なればこそなのか?大上もこの叔父くらいの歳になったら、そうなるのだろうか。


「そういうわけで、ご挨拶に参りましたが」


と、俊幸はさらに意外なことを口にした。


「一応ご挨拶は申しましたが、もし何なら……大上もご一緒に如何ですか?」


「……?は?」


「ですから、大上もご一緒に都へ。勿論、戦にお連れ致すわけではありません」


「当たり前です」


 大上は苦笑した。受けない。


「あは、あは、はあ。はあ……それがし、真面目故、冗談が下手で……面白うないことを申しました。申し訳ありませぬ」


 俊幸は手を頭にやって、決まり悪そうにそう言った。大上、そこで失笑する。


 改めて、


「大上には、それがし同様、都見物をしてお過ごし頂きますので」


と、俊幸は言い直す。


「如何ですか?大上も都人。いや、都の雅しかご存知なかった御身が、かような田舎で今まで、さぞつまらなかったことでしょう。ようやく都にお戻り頂けるのです」


「いいえ。私は都には行きません。別に退屈していないし、私はここに骨を埋めるつもりでいます」


「ほえっ?」


 老人は間の抜けた声を出した。余りに意外過ぎることを大上が言ったので。いつもの通り、聞き間違いをしたのかと思った。


「私は都には、やはり行きません」


「……私は都の流行りは着ません?」


「叔父御……」


「私は都には、やはり行きません?そう聞こえましたが……」


「聞き間違いではありませんよ。私は確かに、都へは参りません」


「ええと……」


 呆け呆けとした顔で、


「それはどういうことですか?」


と、老人は問う。


 大上は眉をぴりりと動かした。やや口元を引きつらせ、


「だって、かの地には別れた夫がいるではありませんか」


と言った。冗談ではなく、本気でそう言っているらしい。


「ええと……?」


「都に行ったら、かの人に会ってしまうでしょう?会いたくありません」


「あの。大上は都の御方故、ご存知とは思いますが、都はかなり広いので。ご夫君に、そう鉢合わせはできぬものかと……」


「何言ってるの!あの人のことよ、会いに来るに決まっているでしょう。私を訪ねてくるに違いない。時有は鎮守府将軍なのよ。帝の御意で上洛するのよ。あの人の他のお子はどうなのよ。一人は解官されて亡くなり、もう一人は捕らえられたのに脱獄して、今なお逃亡中なのよ。だったら、あの人は時有と信時にすり寄ってくるに決まっているでしょう。今まで上野に姿を現さなかったのが、不思議なくらい。賭けてもいいです。あの人は、上洛した時有を訪ねて来ます。絶対!」


 そして、かの人は大上にも復縁を迫るだろう。


「時有も信時もあの人の子です。あの人が子に会いたいというなら、また、あの子達があの人に会いたいというなら、それは反対しません。でも、私はあの人とは他人。会いたくないし、会いに来られるのは絶対嫌。だから、都には行きません」


 大上は頑なだった。俊幸も無理には誘えなかった。


「では、そのように」


 そう言うしかない。


 時有も信時も、今回の上洛に家族を伴う予定はない。妻子は皆、上野に置いて行く。


 上洛は西国への出陣のため。或いは都の警固のため。洛内に邸は与えられるだろうが、そこに家族を住まわせ、のんびり構えるわけにはいかない。戦になる。どこで戦うかもわからぬ。どんな生活になるかわからないうちに、家族を都に呼ぶわけにはいかない。


 時有も信時も単身上洛し、追討使の役目も一段落して少し落ち着いたら、家族を呼ぶことにしていた。


 そういう状況だから、無理に大上が上洛する必要もない。時有も、母が強く上洛を希望していたら、連れて行ってもよいかと思っていた。


 大上は上洛を望まないので、他の女君達と共に上野に残ることになった。


 北ノ方も東殿も、皆残るのである。家臣でも、牧政氏、源四郎、百園入道は残る。


 ところで、常陸の法化党は今回上洛の命が下らなかったのだが、そのことを権介時実は残念に思っていた。


 経実はずっと秋田城にいて不在。常陸は若い時実が治めてきた。時実は法化党の人間だが、実の父は信時である。彼も信時と共に上洛したい。また、法化党としても上洛の栄誉を得たい。そんな気持ちがあった。


「自分も行きたい。無理とはわかっているが。しかし、同じ東国を統べる者として、法化党には上洛のお声がかからぬというのは、悲しい。共に追討使として戦いたいものを。追討使の人数に僅かでも加われたらと思う。我が無理なら、誰か一族郎党の中から軍を出すことはできないだろうか」


 時実のこの意見には、秋田城の経実も賛成だった。


「将軍には水軍がない。追討使に水軍が必要な時、長行がいたら便利では?」


 時実の考えに、経実は別な思いから賛成した。


 長行は時実が法化党の後継者であることを、心の底では反対している。上野殿のこともなお憎んでいる。


 経実は秋田城。上野殿も信時朝臣も京。こういう状況になった時、長行が危険な行動に出る可能性があった。つまり、謀反。時実を討つかもしれない。しかし、近くに経実はいない。今までなら、すぐに信時が飛んで来ることができたが、遥か遠い京に行ってしまったら無理だ。


 長行の謀反の可能性。経実は長行を時実の側に置く危険を考え、長行に上洛を命じた。


 あくまでも、


「法化党の名誉のために行ってきてくれ。この戦、上野殿に一人勝ちさせてはならぬ。我等法化党も追討使の一員として大いに活躍したことを、朝廷に見せつけてやるのだ。よいな、一番手柄は法化党の手に!」


と、長行に言った。


 こうして、法化党からも長行軍が上洛することになった。


 上洛二日前、時実は長行を伴って上野に向かった。長行を時有に預けると、彼は両親のいる南殿へ行く。


「父上の御上洛をお見送りに参りました」


 久しぶりに時実を囲んでの夕食となった。


 信時に貴姫君。千手丸と妹君。そこに時実が加わって、一家団欒は楽しい。すぐに信時とは別れなければならないのに、一家は今の幸せだけに浸っていた。


 食事の後は貴姫君の琴を聴いたり、会話を楽しんだりして過ごした。


 貴姫君は琴の達者ではない。しかし、拙いながらも日々上達しているのが見えて、時実も微笑ましく思った。子から見ても、この母は可愛いらしい。


 千手丸は見た目も繊細で、好学な少年である。文武両道な時実に対して、文人の風をすでに漂わせていた。この小文人は算術が得意で、最近琴の楽理にも興味があるらしい。時々、貴姫君の叔父・伊賀守為長の著書を引っ張り出していることもある。


 妹君は撫子の花のように可愛らしい姫である。口がとても小さいのは、信時譲りなのだろう。琴も嗜みにやっているが、まだまだ。


 一家はこの夜、夜更かしした。だが、あまり遅いのは体に障る。


 そろそろ寝ようということになり、時実は弟妹と三人で眠った。


 信時と貴姫君はいつもの寝所に入る。


「姫君」


 信時は今でもそう呼んでいた。


 信時の心は不思議なもの。今尚、貴姫君に出逢った頃の気持ちと変わりはない。どうしてこんなに彼女が好きなのか。自分にも呆れることさえある。


 だから、離れ難い。別れは辛い。


 貴姫君は相変わらず体が弱く、儚げだ。


 そんな彼女を気遣い、手に触れるのさえ、そっと壊さぬようにしていた。だが、この夜はそんなふうにはできなかった。


 そして姫も、息も絶え絶えになりながらも、それに応えて、熱病のように情けを交わし合った。


 そうやってもう一日を過ごし。


 遂に上洛の日を迎えた。


 信時は愛する家族に笑顔で見送られた。こういう時に涙は見せないものだ。淡々と。笑顔で。


 信時は母の大上に挨拶をし、子供達一人一人に言葉をかけた。時実には励ましを。千手丸には家の留守を頼み、娘には良い子にしているようにと。そして、最後に貴姫君に笑顔で、


「では、行ってきます。落ち着いたら、必ず迎えを遣ります。後から都へ来て下さい」


と言った。強い瞳で。


 貴姫君も笑顔で、


「楽しみにお待ち申し上げております。ご武運を」


と言った。


 白く儚い彼女も、日の下で笑えば、なお艶やかである。大輪の花のように。


 その花顔を目に焼き付けるように、しっかと見つめると、信時朝臣は牧邸に向かった。


 牧邸にはすでに重臣達が集結していた。皆、甲冑姿である。その中には、法化党の長行の姿もある。


 やがて刻限となり、上野殿は都へ向かって出発した。


 行列はまさしく、出陣の体。


 留守居の牧政氏や東殿らに見送られ、粛々と進む。町には庶民が見送りに出て、ごった返していた。その中には貴姫君達の姿も混ざっていた。


 副将・信時朝臣の勇姿は、殊更輝いていた。彼は道端に貴姫君の姿を見つけると、胸に拳をあてて強く頷いてみせた。そこに秘められているものは、二人が初めて出逢った時に姫が彼に贈ったもの。そして、姫も玲瓏たる二つの玉を手に握りしめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ