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乱声・四拍──希望(中)

 最近東国では、明星を盗むような不届きな武士はいたものの、盗賊は姿を見せなくなった。これは、大乘党の崩壊が大きな理由だろう。


 さらに、出羽には秋田城介経実、陸奥には鎮守府将軍時有、上野には信時朝臣がいて、それぞれに眼を光らせていることもある。武士間の争いもなく、東国の治安は安定していた。


 一方、畿内、瀬戸内、山陰、また北陸の一部は不安定であった。山賊、海賊の類が横行している。


 盗賊はしばしば都にさえ現れた。近年、飢饉続きであるのも原因だろう。


 賊徒らは略奪、破壊の限りを尽くし、検非違使の手を焼かせていた。弱者の被害も相当なものだが、公卿の邸さえ襲われることもある。評判の姫君を奪い、貴重な品々を盗み、家人を斬り殺して邸に火をかける始末。


 そのような中で、ある時、五条の刀自の大邸宅にも盗賊が侵入した。刀自は私的に宋と貿易しているから、普通眼にすることのできない珍しい舶来品が、所狭しと置いてある。


 賊どもは喉を鳴らして、これらを一つも取りこぼさじと、残さず奪った。


 ところが、刀自は表の顔は商人だが、裏の顔は大武力集団の長である。扱っている商船の水夫(かこ)どもは、実は皆水軍の屈強な兵ども。店で刀自に召し使われている男どもも、皆武人だった。


 で、賊徒どもは逆に刀自の家人どもに散々にやっつけられ、痛めつけられてしまった。全員生け捕られ、縄に括られて検非違使に突き出された。


 検非違使としては、面目丸つぶれであった。さりとて、仕方ない。


 刀自は感謝され、褒美を与えられた。


 このことがあってから、都には盗賊はあまり出没しなくなった。


 その代わり、地方が荒れるようになってしまった。


 但馬、若狭、それぞれに太政大臣俊久公の荘園があるが、それらが謎の武力集団によって踏み荒らされた。奥能登の盗賊であろうか。


 さらに、太政大臣家の山陰の荘園三ヶ所も、何者かに襲われた。賊は荘園の米を奪い、倉を焼き払い、水田の中に入って、早苗を踏み潰し引き抜いて、この年の耕作を完全に不可能な状態にしてしまった。


 大相国(太政大臣)は怒って、荘園周辺の息のかかった武士団に賊を捕らえるよう命じたが、何しろ賊は強力であるとかで、武士達は反対にうち負かされ、潰滅してしまったのだった。


「西国の奴らは使えん。時有、信時しか頼りにならんとは……」


 大相国は泣き寝入りするしかなかった。


 この年の五節定で、出雲守が舞姫献上を命じられた。出雲守は大相国の縁者である。しかし、出雲は凶作であった上に、やはり賊に国庫を襲撃されていたため、舞姫献上を免除して欲しいなどと望んだ。それでなくとも舞姫献上は、家を潰す程費用がかかるものなのに、元手がなければ献上しようがない。ひどい有り様である。


 この西国の飢饉と盗賊の横行。朝廷は頭が痛かった。


 追討使が計画された。しかし、飢饉のため実行できなかった。


 それで、盗賊の勢力はさらに増して行った。


 山陰で活躍する賊で、大相国の荘園ばかりを襲うのは、任女(とうじょ)とかいう者らしい。どうやら女のようだ。


 この任女の人望はかなりのもので、盗賊のくせに、農民達から圧倒的な支持を受けていた。


 賊なのか?


 いや、そもそも賊徒どもは農民集団であるらしい。


 農民の間から生まれた農民の正義の味方。農民の女王。それが任女だ。


 任女が束ねる盗賊団。それは、飢饉に疲弊した農民の集まり。日々の生活に不満を持つ者達の、貴族達への反抗。


 それが近年の西国の盗賊の正体だった。


 大相国の荘園が狙われるのは、そういう理由からである。


 そのような殺伐たる世の中にあって、何故か六条左大臣家の荘園は無事だった。どういうわけか、狙われるのは大相国ばかり。


 そして、ある日。邸も襲撃されたことのない左大臣殿の六条西洞院の邸宅に、ある一人の中年女房が訪ねてきた。


丹波(たんば)と申します」


 そう名乗った女房の顔は、左大臣殿もどこかで見たことがある気がするのである。


「はて」


と、首を傾げていると、丹波。


「わらわは静性法印(じょうしょうほういん)にお仕えしておりました故、大臣とも幾度かお目にかかったことがございます」


「おお、そうであったか法印の。それで、どこかで見た覚えがあったのだな」


 左大臣殿は大きく頷き、納得した。


 法印静性は左大臣殿の同母弟である。賢僧と名高い人だ。


「で、その法印の女房が、わしに何用か?」


「はい……」


 丹波はちょっと言い難そうに躊躇った。けれど、どうしても言わなくてはならないのだ。そのために来たのだから。


「……実は今、わらわは深草(ふかくさ)にお住まいの姫君をお守り申し上げておりまして。この姫君の母君が、最近、大弐(だいに)殿の北ノ方となられたのです。母君、姫君を置いて、大弐殿と共に下向遊ばしまして、姫君は深草にお一人でお暮らしなのでございます。後ろ盾のない姫君は、慎ましくお過ごしですが、頼りなく思し召して、いつも涙の玉を草の上に落とされまして……見ているこちらの方が辛うございます」


「貧窮しておらるるということかな?姫君の父君はどうしておわすのか?」


「実は父君の日陰の御子で、父君が我が子とお認めにならぬので……もはや大臣にお縋りするしかないと存じまして」


「かわいそうに。その無責任で無慈悲な父というのは誰だ?」


 丹波は実に気まずそうである。俯き、眼だけ動かした。


「……法印にございます」


「法印?どこの法印だ」


「……」


「まさか、弟か?」


 丹波、ただ首を一つ縦に振った。


 左大臣殿は絶句した。あの糞真面目な賢人法印が?


「真面目故、また、世に賢人と名高き御方なるが故、姫君の御身を捨ておかれたものと存じます」


 賢僧・静性法印に隠し妻と娘がいたというのは、確かによくない。


「法印は引き取らぬであろうな、姫君を」


「はい、恐らく。それ故、大臣を頼りました」


「ふうむ。で、幾つだ、その姫君は?」


「はい。戊子の年にお生まれになりました故……」


「戊子。我が娘の死んだ年だの。清花の姫君の」


「実は、その同じ日にお生まれになったのです。驚くべきことに」


「は?」


「奇しくも、清花の姫君が亡くなられた丁度同じ日、その午後に」


 左大臣殿は絶句した。


 清花の姫君が亡くなった日の午後に生まれた人とは。姫君が亡くなったのも午後。夕刻少し前のことだ。その法印の隠し子は、ほぼ同時刻に生まれたことになる。


 姫君と余程特別な縁で結ばれているに違いない。しかし、そのような人をどうして今日まで法印は捨て置いて、平気でいられるのだろう。


 左大臣殿は法印を恨めしく思った。


 その隠し子、とても他人とは思えぬ。


「もしかしたら、我が最愛の娘が天に昇る時に、その姫の中に魂を移していったやもしれぬ」


 譫言のようにそう言った。


 そうだ。もうその人が、清花の姫君その人に思えてくる。居ても立ってもいられない。すぐにも手に入れなければ。


「しばし。ここで待っていよ」


 左大臣殿は丹波をそのままそこに留めておき、北の対へと急いだ。


 北の対の主・二位殿は清花の姫君の母である。


 左大臣殿は北ノ方の二位殿へ件の娘の話を聞かせた。


 二位殿、驚愕したのは勿論だが、同時にひどく興奮し、


「それは私の子に違いありませぬ!私の姫君が転生したのです。どうして引き取らないでいられましょう。すぐに行って、その子を連れて来て下さい。その子は清花の姫君です。殿と私の子。二人で育てましょう!」


と、顔を紅潮させる。


 左大臣殿も同じ心である。


「では、早速深草に迎えをやって、我等夫婦の子として引き取り、清花の姫君として育てよう」


「当然です。昔のように、才外記をその子の乳母に定めましょう。讃岐は今日からその子に仕えさせ、中務、四条、衛門、小外記等、もとは姫君の女房だった者達は皆、その子に仕えさせるのです」


 二位殿、狂喜乱舞して、もう調度のこととか衣装とか、学問は何をさせようとか、すっかり妄想してしまっている。


 こんなにうきうきと楽しそうな二位殿は久し振りだ。姫君が亡くなってからは、心の底から笑ったことがなかった。何を見ても感動せず、何があっても喜ばなかったから。


 左大臣殿はその笑顔を見て嬉しくなった。可愛らしいし、いじらしくさえ思える程だ。


 左大臣殿は喜び勇んで廊を飛び回り、その床板を高々踏み鳴らしながら寝殿に戻ってきた。待たせていた丹波へ、大声でどなる。


「すぐに深草に迎えをやって、姫君をこちらに引き取ろう。姫君は我が養女にする。わしと北ノ方の娘として育てる。頼周の妹としての!」


「畏れ入ります」


 丹波はほっと胸撫で下ろした。

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