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乱声・四拍──希望(下)

 それから俄かに邸内は忙しくなった。あっちでもこっちでも、姫君を迎える準備に追われている。


 西の対には姫君の室が設えられる。調度は全て新しいもの。宋より伝来した珍しい舶来品も、五条の刀自のもとより届けられ、室内を華やかに賑わせる。


 女房どもも数多く西の対へ割り振られ、昔の活気が戻った。


 男どもには庭の手入れ、女どもには香を焚かせ、裁縫させて、二位殿自らが陣頭に立って、一つ一つ細かい所にまで命を下し、忙し気にしていた。


 夜を徹して行われ、翌日の昼に至ってようやく二位殿を満足させる仕上がりにまでこぎ着けた。


 そこで敏平が呼ばれた。


「これより深草の姫君を迎えに罷る。供をせよ」


 深草の姫君の兄君となるべき人・右大将殿が言った。


 深草に姫君を迎えに行くのは、右大将殿なのである。敏平はその供の人数に加えられた。


 その右大将殿の顔色は冴えない。


 右大将殿は亡き妹君をことのほか愛していた。両親さえ知らないことまでをも察し、妹君を心底かわいそうにと思っていたのだ。童の頃の敏平への愛も、単純なものではないことを、兄君だけは察している。


 その最愛の妹君と、特別な縁で繋がっている従姉妹の姫。右大将殿とて大事にしたいとは思っている。


 しかし、彼には不安があった。両親だ。両親がその姫君を、我が娘の身代わりにしようとしているのではないか。それを危惧しているのだ。


 深草へ赴くのも、半分は心弾み、半分は心暗い。両親の思い違いが、新たに妹となる姫君を傷付けはすまいか。また、両親も傷付くのではないか。


 同じ危惧を、彼は敏平に対しても抱いていた。


 牛車ではなく、空輿を用意した。


 右大将殿自身も牛車ではなく駒である。供も皆駒か徒歩。


 それで出発した。


 供の者達に先駈けさせる。右大将殿は敏平と駒を並べて、列の後方をゆっくり進んだ。


 隣を行く敏平の顔を見るが、その心の内を読むことはできない。しかし右大将殿は、敏平もこれからその輿に乗せる姫君を、亡師の姫君と重ねて考えるに違いないと思った。


 清花の姫君は敏平の恩師であるばかりか、里親のような人でもある。謀反人の子の敏平のその人生を、全て受け入れ引き受けた人だ。そして、琴道に於いては、敏平は正しく姫君の後継者である。


「敏平。今から迎える人は亡き妹と縁ある人だが、妹とは全く別人だ。我が父、母は変に期待しておわすが……。敏平も心せよ。姫と妹とは別人ぞ。姿も違えば声も違う。人柄も違うし、ものの考えも違う」


「わかっているつもりです」


 敏平はそう答えた。


 だが、右大将殿の指摘した通り、それでも清花の姫君の化身か何かなのではないかと思ってしまう。琴道を継いでくれる、その道の才能ある人なのではないかと。ほのかには期待してしまう。


「亡き妹と比べて、妹はこうだったのにこの人は違うなぞと、思ってくれるなよ。姫は妹とは別の人格を持った一個の人間だ。妹と重ねて妹と比べることは、その姫そのものの存在を否定することだ」


「はい」


「もしも父君に、亡き妹と同じように育てるために琴を学ばせるから指導せよと言われても、引き受けるなよ。父君は今、正しき判断がおできにはならぬのだ」


「琴をお教えしてはならぬのですか?」


「そうだ。姫が傷付くだけだ」


「畏まりました」


 そう言っている間に、深草の里に到着した。


 本当にひどく田舎である。


 こんな侘びしい処に、天下の六条左大臣殿の姪ともあろう人が隠れ住んでいようとは。秋の景色は素晴らしい所だが、その深草の寂しさに姫の境遇を思って、右大将殿は涙ぐんだ。


 一行の到着に、襤褸邸の中から幾人かの女房らしきが出てきた。その中に、件の丹波の姿もある。


「皆、ここで待て」


 右大将殿は供の人々を草の上に待たせ、自身のみ進んで、丹波に導かれて中へ入った。


 それから半刻ほど経って、右大将殿が出てきた。


「輿を寄せろ」


 姫君をいよいよ連れ出すらしい。言われて従者(ずさ)ども、輿を(きざはし)のすぐ前まで寄せた。


 敏平はその戸を開いて待つ。


 右大将殿は再び中へ入り、やがて姫君の手を引いて出てきた。


 その姫君は萌黄色の細長を着ていた。顔は袖に隠れ、周囲を女房どもが囲んでいるので、その容貌を知ることはできない。


 姫君はそのまましずしずと階を下りた。


 敏平はじっと輿の戸の前に控えて待つ。


 右大将殿に片手を引かれて、姫君は輿に片足を掛けた。右大将殿、手を離す。


 その時だった。


 僅かに戸口の前の敏平の眼に、その姫君の顔が見えた、気がした。


 確かに見えたのか、見えなかったのか。けれど、敏平は見たと思った。


 姫君が完全に輿に乗り込んでしまったので、その戸を閉めたが、彼は、清花の姫君の幼き姿を見たのだと思った。


 敏平の闇の心に、この時何かが生まれた。


 すぐに出立して、六条西洞院に戻る。


 邸では今か今かと左大臣殿と二位殿が首を長くしていた。


 到着した姫君を、すぐに西の対に迎え入れ、


「寂しい思いをなさっていたの。よく一人で堪えておわしたの。今日からは一人ではない。わしが父よ。北ノ方が母よ。この邸は賑やか故、もう淋しいことはないぞ。今日からは楽しく、家族仲良う暮らそうの」


と労った。


「宜しくお願い致します」


 姫君は素直に頭を下げた。


 利発そうで、それでいて素直そうなよい子であると、二位殿もほっとした。


 あまり清花の姫君には似ていないと、二人とも感じた。でも、かの姫君の亡くなった時に生まれた人であるのだから。落胆はしない。この魄にかの人の魂が宿っているのだから。


 左大臣殿と二位殿は、この人の両親となって、この人を、長生きできなかった清花の姫君の生まれ変わりとして、大事に育てる決意をしたのである。


 敏平もまた、明星を失った彼のために、清花の姫君がこの人を授けてくれたのだと思った。


 琴の天才なのだ。きっと。





 時に、地方は相変わらず荒れていた。


 殊にも任女の軍団は凄まじい。


 朝廷は、西国の武士達にこれを討つよう命じた。だが、何れもこれには敵わぬと、戦う前から戦意喪失していた。いや、戦うどころか、開戦前に降伏してしまう者が続出した。いったいどんな巧い手を使ったものか。そこら辺の武士どもは、気がつけば皆、任女の軍門に下ってしまった。


 次第に賊の情報が都にも伝わってくるようになる。


 賊は平民、農民が中心であること。任女が民から母と慕われ、圧倒的な支持を得ていること。兵を動かしているのは、任女の夫であること。


「それが、則顕というらしい」


「則顕!?」


 連日公卿達は殿上で頭を悩ませ合っていたが、その則顕という名に仰天した。


「それや、鎮守府将軍に討ち負かされて逃亡した陸奥の逆賊ではないのか?」


「将軍が討ちもらした陸奥在庁か?」


 だとしたら、ただの農民の一揆ではない。ただごとならじと、公卿達は震えた。


 そして、北陸の盗賊とどうやら連動しているらしいのである。そういえば、陸奥在庁の則顕は確か、奥能登の盗賊と同盟していなかったか。


 公卿達が手を拱いている間にも、則顕を総大将とする軍は、次第次第に兵の数を増やしている。着々と強化されていた。


 ただ武力に訴えるばかりではない。なかなかの知恵者揃いのようだ。任女が何か巧いことを言って、信じ込ませるのだろう。


 任女ばかりでない。軍そのものの動きも、実に効率的。戦う前に降伏する者が多いのは、戦略面に優れているからだろう。実戦でも圧倒的に強いのは、戦術面にも長けているからに違いない。


 この則顕の軍を見ていると、さらにもう一人の知将の存在が浮かび上がってきた。それは副将である。能登の盗賊と巧みな連携がとれる理由は、この副将にあった。


 副将こそが、能登の盗賊を指揮する者であったのだ。


 神出鬼没なこの副将。ある時は則顕の軍勢にいて、次の日には能登の自軍を指揮していたりする。


 どうも僅かながら、軍船を隠し持っているらしい。それに乗って、北陸と山陰、さらには瀬戸内までと、自由自在に行き来しているらしいのだ。


 九州にも瀬戸内にも、強い水軍や海賊がいるのだが、どう誑し込んだのか、彼が通っても咎め阻む者がいない。


 この副将──奥能登の盗賊の頭が、総大将則顕にいろいろ知恵をつけているらしいということが、次第に都にも伝わってきた。


「何者や?」


 公卿達の恐怖は止まらない。まさか、逆賊どもは都に攻め入ってくるのではあるまいな。


「釈教とか名乗っておるらしい」


「なに、釈教?ふざけおって」


「盗賊か農民か武士かと思うたら、僧兵集団か?」


「いや、それ。ときのりと言うらしい。ただの盗賊よ」


 任女、則顕に加え、釈教(ときのり)という名も都ですっかり有名になった。


「山門や南都の僧兵どもは、仲間にはならぬよな?」


「彼等は朝廷の味方」


「都へ呼んで、警護させては?」


「それくらいで防ぎきれるか?それに、都で戦は避けねば。地方で賊は潰すべきよ」


「賊の目的は何か?」


「何やろ?」


「頼りになる武士がおらん!」


「なんと、我等皆死ぬのか?」


「東国は安泰。将軍か城介がおれば、問題なかろう。誰か東国の武士に追討させては?」

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