え
刀間は森の中に立っていた。
見つめる先には真っ直ぐに空へと向かっているべきだった杉の木が一対、捻れて絡まり合っている。
「やはり、また歪みが生まれておったか」
刀間が手の平を下へと向けるとそこには大気が集まり透明な剣となる。
人と神霊との関わりは絶えず小さな歪みを生んでいる。人が神霊の祭殿へと参拝をする際などにも微小な歪みが生まれている。
土地の歪みの全てはその長たる土地神の元へと集まり、浄化を待つ物だった。
祭殿へと人が訪れた事等による通常の歪みならば、刀間の力を以って何事もなく浄化をする事ができた。
しかし、ここ最近一人の男が交わりと呼べるほどに神霊と深い関わりを持ってしまっていた。
貴行だ。
貴行と神霊との交わりは大きな歪みを生んでいた。
森は刀間の身そのもの。本体である。
森が多くの歪みを孕み、異界と化してしまえば刀間の心もそれを写す。
歪んだ心にまともな感情を保っている事はできない。
荒ぶる異神となってしまえば、貴行を見守る所か氏子の全てを捻り殺してもおかしくはない。
大きな歪みは貴行と鈴との交わりによって生じた物ではない。
鈴は神の御霊の一部から生まれた存在。
そんな鈴と貴行との交わりから生まれる歪み程度等は、神である刀間からすれば通常の歪みと大差はなかった。
では何がそれほど大きな歪みを生んでいるのか。
それは刀間自身と、貴行との交わりだった。
刀間という大きな存在と貴行という小さな人間が交わる事によって大きな歪みが生み出されていた。
その歪みは刀間の力の大きさと比例した大きさと強度を持ち、刀間自身でも浄化し切れないほどの狂いを孕んでいた。
右手で握った剣を左上へと振り上げ、捻れ合った杉の前の空間を右下へと切り払う。
その動作が終わると一対の杉の木は輪郭を失い、木の粉の山となる。
刀間は浄化しきれない大きな歪みをこれまでにも幾度となく間引いて来た。
剣を持ったままの手を力なく垂らして、小さな体で大きな木の粉の山を見つめていた。
「と、刀間? どうしたの? 刀間!?」
貴行が神社へとお参りに来ると刀間は石畳の上に倒れていた。
「た、貴行、か……」
力の入らない体のまま薄らと目を開く。
「お、俺だよ、どうしたの?」
刀間は貴行に抱かれながら空を眺める。
曇る夏空をその瞳へと映した。
「の、貴行」
「な、何、どうしたの?」
貴行は焦れ、もどかしげな声を出す。
「私が、お主と共に居られなくなると申せば、お主は、惜しんでくれるか」
「お、惜しむよ!」
即答する貴行に力の無い笑みを浮かべる。
「そうか」
「何があったのか言ってよ!」
「貴行、よく、聞いてくれ」
「うん」
「もう私の所へ来るのはやめろ、私との関係を絶つのじゃ」
「な、なんで?」
「歪みじゃ、神霊と人間、貴行と私との交わりが大きな歪みを生んでいる」
「ゆ、歪みが生まれると刀間が今みたいに弱るって事?」
刀間はゆっくりと首を振る。
「違う、これは私が自らやった事じゃ」
貴行には益々意味が分からなかった。
「これは私が自ら、己の歪みを間引いて行った結果なんじゃ」
刀間は横を向き森を見つめる。
「貴行、前にも言ったな、森が私自身なのじゃ、お主が今抱いているこの体は入れ物じゃ、私の森が顕現した姿に過ぎない」
「そ、それとこれと、どういう関係があるの?」
「土地の歪みは私の森へと集められる、通常はそれを浄化するんじゃが、大きすぎる歪みは間引くしかない、そしてそれは私の体なのじゃ」
「それって自分で自分の体のダメな部分を切り落としてるとか、そういう事なの?」
「そうじゃ、よくできたの」
刀間は微笑みながら貴行の服を弱々しく掴んだ。
「それで、俺と会わなければそれは解決するの?」
「そうじゃ」
刀間は精一杯の優しい笑みを作る。
刀間にとってそれは苦渋の決断だった。
貴行と一緒に居るままに間引きもしなければ、歪みは増長してやがて自分は異神となり災厄を撒く存在となって貴行へも危害が及ぶ。
貴行と一緒に居る為に間引きを続ければ、自分の身は削れて行き、やがてこの世に存在しない者となる。
そして刀間が選んだ道は、貴行と同じ世界へと自分のままで留まる為に貴行との関係を絶つという物だった。
大きな歪みの原因は刀間と貴行との交わり。
それを絶ってしまえば、大きな歪みが生まれる事も間引きをする事もなくなり、以前と同じように、貴行と同じ世界で陰から貴行の事を見守る事ができる。
無理に作った刀間の笑顔はすぐに崩れた。
「せ、せめて……私は、」
口を引き結び、唇を震わせて目に涙を溜める。
「た、貴行と……同じ、世に……在りたい……」
貴行の服の胸を引っ張るように顔を近づけて咽び泣いた。
貴行はその刀間の様子の裏にどうしようもない大きな物がある事を感じ取っていた。
優しい手付きで刀間の髪を撫でる。
「ねぇ、刀間」
刀間は答えず貴行の胸に顔を埋めたままでいる。
「俺、さっきの話を聞いてて思ったんだけど、その歪みって刀間が自分で作ってる事なんじゃないかな」
貴行の胸から顔を離し泣き腫らした顔を驚かせる。
「な、何を言っておる」
「全部、刀間が自分で決めてるんじゃないの? 人との交わりはいけない事でそれをすると歪みが生まれるって」
「……そんな事は、ない」
刀間の手は震えていた。
「実際誰が決めた事でも無いんでしょ?」
「こ、これは私が生まれた、1500年も前から決まっていた事じゃ、高だか二十数年生きただけのお主にはわからぬ」
「でも、俺は試してほしいんだ、そんなに言い返すって事は少なくとも重要な事ではあるんでしょ?」
力を持った真っ直ぐな瞳で刀間の深い黒の瞳の奥を見据える。
「た、確かに、神の一存は重大な事じゃ、しかし、それで理を変えてしまうと言う事が本当にできるかどうか、私にもわからぬのじゃ」
戸惑いを浮かべる刀間に貴行は最後の一押しを加えた。
「俺、刀間と一緒に居たい、ずっと、仲良く」
その言葉を聞いた刀間の瞳は大きく見開かれる。
涙で潤み、目尻に綺麗な雫が煌く。
「やってみよう」
刀間がその言葉を発すると同時に後ろの森の様子が急変した。
小さな草が見るそばから絡まり、次第に木も捻れて対となって行く。
それを見た貴行は直感する。
「あれが歪み?」
「そ、そうじゃ、私と貴行が今、こんなに交わっているからじゃ」
少し頬を染めながら真剣な表情を見せる。
「俺が時間を稼ぐから、刀間は早く考えを改めて!!」
「ま、待て! 行くな! お主が死んでしまう!」
刀間の制止の言葉を聞かず貴行は歪む森へと飛び込んだ。
森の中へと入った貴行は歪み絡まる草を引き離して踏みつけ再度絡まる事の無いようにする。
今にも密着しそうな木と木の間に自分の体を滑り込ませ、足と背中で押して距離を離そうとする。
しかし木の絡まる力は強靭だった。
貴行の足腰は悲鳴を上げる。
「んぐっ……く、くあ……」
なんとか木の間から抜け出した貴行は辺りを見回す。
幼い頃に見た美しく気高く空へ向かう木々や、優しげな草花は姿を残していなかった。
天への柱のようだった杉は不気味に折れ曲がって絡まり合っている。
まだ若く背の低い木も歪みを露にして草や他の木と捻り合い、時には放って置いても軋む音を響かせながら折れて行く。
貴行は埒が明かないと、森の根幹を成すような巨木の姿を探し始める。
しかしそれはどこにも見つからず、歪む森の奥へ奥へと入っていった。
突然、木の蔓に足を取られて転び、そして木の根に頭を打つ。
頭を打った木が今、他の木と絡まり始め、貴行に圧迫感と死の恐怖が訪れる。
頭を挟み込まれてしまい、抜け出そうとしても抜け出す事ができない。
貴行の脳裏に鈴の優しげな笑顔が浮かんだ。
「ご主人様!!」
暗い森の中に一筋の光のような声が響く。
「す、鈴」
貴行は目だけを動かしてなんとか鈴の方を見た。
「い、今助けます!!」
鈴は貴行へと加勢する。
「大神に仕えし神の御遣いにして鈴の番犬が寄り代、神の御名に置いてここに請うは風雷扇」
鈴が素早く、そして心より読み上げると黒い骨に白の扇面の扇が微風と静かな電気を纏い出現した。
息を込めてそれを貴行の方へ向けて扇ぐ。
すると貴行を万力のように締め上げていた木と木は段階的に引き離されて行き、最後は地に付すように互いに反対方向へと倒れ込んだ。
貴行は透かさず木の間から頭を引き抜いた。
「無茶しすぎですよ、ご主人様は人なんですよ」
目に涙を溜めて貴行の先走った行動を咎める。
「ごめん、でもどうしてここにいるの?」
「不穏な空気を感じて、しかもご主人様が不在だったからです、神霊は人よりも勘が鋭いんですよ、あと京子さんも来てます」
「きょ、京子が?」
「はい、京子さんは刀間様の所に居ます、私は刀間様に聞いてここへと入ってきました、詳細な場所までは勘じゃわかりませんので」
貴行と鈴とが会話をしている内にも草と草、木と木、草と木が捻れ絡まり、異様な状態となって行く。
その様子を見た鈴は三連続で扇を振るう。
初め左下から右上に、その動きのまま次に右上から左下へ、そして右から左へと水平に扇を薙いだ。
視界に映るほぼ全ての歪みは引き離される。
しかしすぐにまた再生するように歪みは生じて行く。
「と、刀間、まだなのかな……」
貴行は焦る声を出した。
「刀間様、頑張って」
刀間は京子に見守られながら思考の最後の問題へと辿り着いていた。
それは人と神霊との交わりを認めてしまえば貴行との距離が一番近くなるのは鈴だという事だった。
刀間は心のどこかに人と神霊が相容れないという事を拠り所としている節があった。
人と神霊は最後の所で相容れない。その考えがあったから貴行と鈴との暮らしを黙認する事ができていた。
それは刀間自身と貴行との関係にも当てはまる。
刀間が貴行へと言い寄っている事も本心から一緒になれると思っての行動ではなかった。
胸のどこかに最後は何かが上手く行かなくなるという漠然とした空虚さを抱いた上で、例え嘘の日々であったとしても、それでも貴行との今ある日を、後悔の無いように、精一杯過ごしたいという気持ちから、大好きな貴行へと想いを伝える日々を送っていたのだ。
刀間は今、貴行を自分の心の葛藤に巻き込んでいる。
早く決めなければ貴行と言う小さな人の子はあっと言う間に押しつぶされてしまう事だろう。
「貴行……」
刀間の瞳から一雫の涙が頬を伝い、地へと落ちた。
自分の想い等よりも、貴行の命の方がとても大切だ。
一つの答えが、刀間の心の靄を晴らして行く。
辺りに静けさが訪れた。
黒かった雲は徐々に薄くなり日を覗かせる。
貴行と鈴が森の奥で見た神々しさを湛える巨木は、雲の間に揺らめく光の梯子へと真っ直ぐに向かっていた。




