ふ
「ご主人様」
鈴が貴行へと申し訳なさそうに話しかける。
「ん?」
貴行はちゃぶ台についてお茶を啜っていた。
「今月分の生活日が、もう、箪笥にありません……」
耳を萎めて項垂れる。
「あ、あぁ……」
貴行には心当たりがあった。
ついこないだ大量のエロ本を衝動買いしてしまっていたのだ。
アダルトゲームやアダルトDVDの場合、パソコンかテレビで見なければならず、実質使用は不可能に近かった。
しかしある時貴行は気が付いた。
本ならば天井裏に隠し、トイレへと持ち込んで読めば実質使用も可能だ、と。
気が付くと貴行は仕送りの生活費をエロ本へと注ぎ込んでいた。
次の仕送りまでは5日ある。残金は200円弱。
もちろん貯金などは一切していない。
仕送りは振り込まれた日に全額下ろして箪笥へとしまっていた。
鈴には箪笥に生活費が入っていると伝えて、必要な時に必要な分だけ使うように言ってある。
貴行は鈴の事を信用していたが、それ以上に鈴は倹約が巧く、いつもかなりの余裕が残されていた。
しかし貴行はその余裕も、5日分の生活費も、全てエロ本へと注ぎ込んでしまっていた。
貴行自身も失敗したという気持ちがあった。
「も、申し訳、ありません……」
鈴は目を潤ませて涙を流しそうになる。
その様子を見た貴行も申し訳ないという気持ちになる。
「い、いや、実は俺が多く使い込んじゃったんだよ」
貴行は使った先がエロ本だという事は隠して鈴へと真実を伝える。
「そ、そうなんですか?」
鈴は潤んだ瞳を少し落ち着かせた。
「そ、そうなんだよ」
「でも、それじゃあ、今月はあと、5日……どうしましょう……」
暦を見て言った後、鈴は仕切りに辺りを見回して必死に考えを巡らせている。
「わ、私は食べなくても平気ですけど、ご主人様は人ですし……」
「俺、京子にお金貸してくれないか聞いてくる」
貴行は立ち上がった。
「か、貸していただけるでしょうか」
「大丈夫、任せておいて」
貴行は不安げな鈴に無責任な言葉を掛けてから部屋を出た。
京子の部屋のチャイムを鳴らして少しするとドアが開いて京子が顔を覗かせる。
「何?」
京子の顔は心なしか不機嫌そうに見えて、貴行は少しの不安感を抱いた。
「あの、実は今月の生活費がなくなってしまいまして、少し貸していただけないでしょうか」
改まった口調で京子へとお願いをする。
「何に使ったの?」
京子の鋭い視線が貴行を射抜く。
「い、いやぁ……はは……」
「私、知ってるのよね、押入れの天井裏」
貴行は京子の言葉に驚いて表情を失った。
「こないだまでは3冊位しか無かったのに、突然大量に、貴行好みの本が増えてた」
貴行の背中が凍りつき、冷や汗が噴出す。
「あ、あれは……そのぉ……あれだよ、あれ」
京子は言い淀む貴行の言葉を聞き眉間に皺を寄せた。
「何?」
その京子の迫力に貴行の言葉は詰まる。
「な、何でも無いです」
「あ、そう、で、用は終り?」
京子の言葉に少しの希望の余地を見出した貴行はせめてものお願いをする。
「あ、あの、食べ物を恵んでいただけないでしょうか」
「嫌」
一言のあとドアが閉じられた。
辺りにはセミの声が響き、高い気温がより貴行の悲壮感を引き立てていた。
部屋へ戻ると鈴が期待を込めた眼差しを向けてくる。
「どうでしたか?」
貴行は正直に結果を報告する。
「ダメだったよ」
「そ、そうですか」
鈴は肩を落として頭を垂れる。
そんな鈴の様子を見て貴行は必死に考え始める。
何か打開策は無いのかという事を。
貴行の頭に一つの策が思い浮かんだ。
「ザリガニ、ザリガニとか、取って来たら食べられる?」
「ざ、ザリガニですか? た、たぶん食べられると思いますけど……」
鈴は不安げな表情で貴行の突然の問いに答えた。
「じゃあ俺、ザリガニ取ってくるよ」
貴行の提案に不安を隠せない鈴だったが、他に良い方法は思いつかない。
「は、はい、私もできる限り、頑張ります」
立ち上がる貴行を見て鈴も立ち上がった。
「あ、私も一緒に行きます」
貴行と鈴は冷蔵庫にあった賞味期限切れのメンマと、バケツとタコ糸を持ち、道で拾った長い木の棒を携えてザリガニ釣りへと向かった。
アパートの近くにある溜池へと来た貴行は大雨が降った時等に水を排出する浸透管の付近へと餌を垂らしていた。
釣りの仕掛けはとても簡素で木の棒の先にタコ糸を縛って垂らし、そして反対側の末端に餌を縛り付けるという物だった。
ザリガニは浸透管等の中に潜んでいる。貴行が昔したザリガニ釣りからの経験則だった。
鈴が見守る中、貴行が真剣に餌の動きを見ていると、浸透管の中へと餌が引き込まれた。
貴行は透かさずに、それでいてゆっくりと慎重に竿を上げた。
タコ糸の先にはしっかりと餌のメンマを掴んだ大振りなザリガニがぶら下がっていた。
鈴は歓声を上げる。
「す、すごいです! 釣れました!」
その純粋な眼差しに貴行は少し照れながら答える。
「そうでもないよ、誰でもできるよ」
「そ、そうなんですか?」
鈴は輝く瞳で貴行を見る。
鈴は自分もやってみたいという気持ちを隠さずに出していた。
「鈴もやってみる?」
「はい!」
貴行はハサミに挟まれないように慎重に餌からザリガニを外してバケツの中へと入れた。
それを見守っていた鈴に竿を差し出すと笑顔で受け取る。
餌を落とす場所を慎重に吟味してから、貴行が落とした所とは別の浸透管へと餌を落とした。
貴行は餌の行方を見守っている。
少しするとまた餌は浸透管内部へと引き込まれる。
それをしっかりと見た鈴はゆっくりと竿を上げてザリガニを釣り上げた。
「ご、ご主人様! 釣れました!」
鈴は輝く笑顔を見せながら貴行の方へと竿を向ける。
すると宙を舞うザリガニも貴行の方へと向かう事となり、貴行の顔へとザリガニがぶつかった。
そして餌を掴んでいない空いている方のハサミで貴行の鼻を挟んだ。
「いてっいてっいてててて!!」
自らの失敗にすぐに気付いた鈴は貴行へと駆け寄り、ザリガニを引き離そうとする。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、大丈夫だから、あんまり引っ張らないで」
貴行は慌てつつも鈴を宥めて、一瞬ハサミの力が緩んだ隙にザリガニを引き離した。
「ご、ごめんなさい」
引き離したザリガニをバケツへと移す貴行に鈴は謝る。
「大丈夫だよ」
貴行は優しい笑みを浮かべた。
その笑顔に鈴は大きな瞳を潤ませながら抱き付いた。
「ご主人様」
突然抱きつかれた貴行は戸惑いを浮かべる。
「ご主人様は優しいです、もう少し、厳しくても良いんですよ」
抱きつきながら弱々しい声色で言う鈴の言葉に貴行は少し頬を紅潮させていた。
20数匹のザリガニが蠢くバケツを持って貴行と鈴は部屋へと戻って来た。
「料理、できそう?」
「背綿を取れば、たぶん大丈夫だと思います」
「俺お腹減っちゃったから早速だけど作ってくれない?」
「はい」
鈴は襷掛けをする。
バケツを持ち上げて流しに置き、水を入れて軽く洗うと溝臭さが部屋に立ち込める。
貴行は少し不安になった。
すぐに鈴によって換気扇が付けられて窓も開けられ、臭いは軽減された。
「どうぞ」
鈴は一仕事終えたという顔で小振りなエビフライがいっぱいに盛られた皿をちゃぶ台の上へと置く。
どうやら鈴にとって納得の行く物ができたようだった。
「美味しそう」
貴行は率直な感想を漏らす。しかし美味しそうなエビフライに見えるこれはザリガニだ。
一つ箸で取り、恐る恐る口へと入れる。
泥臭さは無く、美味しいエビフライの味がした。
見た目は本物と比べるとかなり小振りだったが味は遜色が無かった。
箸を進める貴行を見た鈴は笑顔になる。
「臭み抜きを頑張りました」
「美味しい、これ美味しいよ」
貴行は鈴を褒め湛える言葉を漏らしながら勢い良くザリガニフライを食べ続ける。
「えへへ、良かったです」
鈴はとても嬉しそうな表情を浮かべて貴行のその姿を眺めていた。




