第1話 ビッグシューター
高校二年の夏だった。
俺は停学になっていた。
理由は、今となっては大したことではない。いや、当時から大したことではなかったのかもしれない。ただ、学校という場所は、一度目をつけられると、こちらの言い分など関係なく話が進んでいく。
数日間、学校に行かなくていい。
最初は、少し得をしたような気分だった。
朝、制服を着なくていい。決まった時間に起きなくていい。先生の話を聞かなくていい。昼まで寝ていても、誰にも文句を言われない。
だが、そんな生活はすぐに飽きた。
友達は学校に行っている。
家にいても、やることはない。
テレビを見て、漫画を読んで、またテレビを見る。
昼飯を食べると、午後が長かった。
そんなある日、同級生の男が家に来た。
そいつも学校には行っていなかった。
理由は知らない。というより、聞かなかった。俺も停学中だったし、相手も無職のような生活をしていた。お互い、細かいことを説明する必要はなかった。
「パチンコ行かないか」
そいつは、いきなりそう言った。
当時の俺は、パチンコを打ったことがなかった。
店の前を通ったことはある。ガラス越しに、台がずらりと並んでいるのを見たこともある。
だが、自分で打つという発想はなかった。
パチンコは大人の遊びだと思っていた。
それに、金がかかる。
俺の財布に入っていたのは、数百円だった。
「金ないぞ」
そう言うと、そいつは笑った。
「300円あれば打てる」
本当かどうかは分からなかった。
だが、ほかにやることもなかった。
俺たちは近所のパチンコ屋へ向かった。
店の前に立つと、入口の向こうから大きな音が聞こえてきた。
玉の音。
機械の音。
店内放送。
タバコの煙。
今まで入ったことのない場所だった。
少しだけ緊張した。
中に入ると、台が何列も並んでいた。
客は黙って台に向かっている。
誰もしゃべらない。
ただ、玉の音だけが店内に響いていた。
友達は慣れた様子で歩いていった。
「これ打て」
そう言って、ある台の前で止まった。
台の名前は、ビッグシューター。
今でも覚えている。
大きな役物が中央にあり、玉が入ると、台の中で何かが動く。見ているだけでも、ほかの台とは違う感じがした。
友達が台の下を指差した。
「ここに金入れる」
俺は財布から300円を出した。
紙幣を入れるような場所はなかった。
硬貨を入れると、台の中に玉が出てきた。
銀色の玉が、受け皿に転がってくる。
それを右手でつまみ、台に入れる。
ハンドルを回す。
玉が一発ずつ、上へ飛んでいく。
最初は、何をしているのかよく分からなかった。
玉は釘に当たり、跳ね返り、また別の釘に当たる。
そのまま下へ落ちていく玉もあれば、中央の役物に入る玉もある。
ただ、それを見ていた。
玉が入るたびに、少しだけ期待する。
もう一発入るかもしれない。
今度は当たるかもしれない。
そんなことを考えながら、ハンドルを回し続けた。
300円分の玉は、あっという間になくなった。
何かが起きたわけではない。
大当たりしたわけでもない。
ただ、玉が出てきて、台の中を転がり、消えていった。
「終わったな」
友達が言った。
俺は台を見たまま、しばらく動かなかった。
負けたという感覚は、あまりなかった。
300円しか使っていないからだ。
それよりも、妙な感覚が残っていた。
玉が釘に当たる音。
役物に入る瞬間。
次の一発に期待する感じ。
何も起きなかったのに、もう一度やってみたいと思った。
店を出ると、外はまだ明るかった。
「どうだった」
友達に聞かれた。
「よく分からない」
正直に答えた。
すると、そいつは笑った。
「最初はそんなもんだ」
俺も笑った。
その日は、それで終わった。
だが、家に帰ってからも、ビッグシューターのことが頭から離れなかった。
あの台で、もし玉が入っていたら。
もし大当たりしていたら。
もし、もう少し金を持っていたら。
そんなことを考えていた。
翌日、俺はまたパチンコ屋へ向かった。
今度は一人だった。
財布の中には、前の日より少し多く金が入っていた。
親からもらった小遣いだったのか、家にあった金を持ち出したのか、もう覚えていない。
ただ、昨日より長く打てると思った。
ビッグシューターの前に座った。
昨日と同じ台だった。
ハンドルを握る。
玉を入れる。
一発ずつ、台の中へ送り込む。
しばらくすると、玉が役物の中に入った。
何かが動いた。
玉が落ちる。
また入る。
今度は、昨日とは違う場所に玉が入った。
その瞬間、台の動きが変わった。
音が鳴った。
ランプが点いた。
何が起きたのか分からなかった。
だが、友達から聞いていた。
「それ、当たりだ」
玉が出てきた。
さっきまでとは比べものにならない量だった。
受け皿から玉があふれそうになる。
俺は慌てて箱を探した。
店員が来て、下に箱を置いてくれた。
玉がどんどん増えていく。
その光景を見ているだけで、胸が高鳴った。
300円で始めたのに、玉が増えている。
もしかしたら、金になるかもしれない。
そう思った。
その時、初めて「勝つ」という感覚を知った。
もちろん、実際には大した勝ちではなかった。
換金しても、数千円だったと思う。
だが、俺にとっては十分だった。
使った金より、戻ってきた金のほうが多い。
それだけで、世界が少し違って見えた。
パチンコは、ただ玉を打つだけの遊びではなかった。
金を入れる。
台を選ぶ。
玉を打つ。
当たれば増える。
増えた玉は、最後に金になる。
その仕組みが、俺には強烈だった。
学校に行かなくてもいい。
勉強をしなくてもいい。
何か特別な才能がなくてもいい。
ただ、台の前に座って、玉を打つ。
それで金が増えることがある。
もちろん、毎回勝てるわけではない。
だが、勝てる可能性がある。
その可能性が、俺を引きつけた。
停学が終わって学校に戻ってからも、俺はパチンコのことを考えていた。
授業中、黒板を見ながら、次にどの台を打つか考えていた。
放課後になると、友達と店へ向かった。
最初は300円だった。
次は500円。
その次は1000円。
使う金は、少しずつ増えていった。
勝った日は、また打ちたくなった。
負けた日は、取り返したくなった。
その頃の俺は、まだ知らなかった。
勝った金を使って、さらに勝負すること。
負けた金を取り返そうとして、さらに金を入れること。
それが、ギャンブルから抜けられなくなる最初の形だということを。
ビッグシューターで使った300円は、金額だけなら小さかった。
だが、俺の中では、あの日から何かが始まった。
それから40年以上。
俺は、パチンコだけでなく、麻雀、競馬、野球、ポーカーと、いろいろな勝負に手を出していくことになる。
最初は、ただの暇つぶしだった。
次第に、楽しみになった。
やがて、生活の一部になった。
そして気がついた時には、勝ち負けが、俺の人生そのものになっていた。




