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怪異17.美女と野獣

 これから、とある男性の話をしようと思う。これは半ば私の手記に近い。


 二〇二五年の総務省労働力調査によると役員などを除く雇用者約六千万人のうち、四割程度にあたる二千百万人ほどが非正規雇用らしい。


 皆さんの周りにも派遣社員、契約社員といった雇用体系、もしくはご自身もそうした労働形態を選んでいる方もいるだろう。

 私の会社でも派遣、契約といった方はもちろんいる。あらかじめ断っておきたい点としては、いかような働き方であってもそれを否定するつもりもないし、それは個人の自由だ。


 しかし、かつて私が若手だった頃にいた派遣社員の一人はなかなかどうして一癖も二癖もある人物だった――


 重たいジュラルミンのカバンを持ち炎天下を私、久坂部(くさかべ)と派遣の男性社員、丸中(まるなか)(仮称)は事務所へと戻る途中だった。

 丸中は当時、四十代前半であり私とは二十歳ほど離れていたと記憶している。

 彼は丸メガネに体型がいわゆる肥えている体型であり、その姿はいつ見ても暑そうだった。

 仕事に関しては一定の技術力があり、私自身も若手だったためによくフォローしてもらった記憶がある。

 そんな彼は所帯持ちであった。そして、その奥さんが相当な美人で、私たちの上長だった川鍋(かわなべ)課長からは「美女と野獣や」とまでいわれるほどであった。

 おもむろに丸中が口を開く。

「なあ、日下部。自分、来週の木曜暇?」

 暑いせいもあってかしゃべり方がどこか舌足らずな感じだ。いや、恰幅のある人はなぜかこうしたしゃべり方をする人が多い気がする。気のせいか?

「え? 確かその日は研修なんで定時には終わりますね」

「ほな、みんなで晩メシでも行こか」

「はあ。まあ、いいっすよ」

 こうして丸中は何人かの若手に声をかけて飲みに行くことがしょっちゅうある。

 当時まだ若い私は年の離れたおじさんたちとご飯に行くくらいの感覚でしかなかった。

 

 約束の木曜日、私は研修のためスーツで会社に来ていた。同期の橋下(はしした)が相変わらず甘そうな飲み物を飲んでいる。糖尿病まっしぐらだ。

「おはようさん、あれ? 今日丸中さんは? って、休みなん?」

 行動予定のホワイトボードに「お休み」とピンク色のマグネットが貼られていた。

「ああ、丸中さん今日は病欠らしいわ」

 同期の橋下(はしした)が炭酸ジュースを飲みながら言う。

「マジか。今日確か丸中さん現場予定やったよな?」

「そうやねん。丸中さんがおらんから、急遽現場やねん。ま、ぼちぼち行ってくるわ。あーメシどーするかなあ?」

「わかった、こっちも研修終わり次第フォローするわ。よろしく頼む……って、確かにメシ、母さんに今日はいらんって言うてもたな……」


 その日の研修はエクセルのマクロを組むための内容で、私は分かった振りをしてペンをくるくる回していた。もちろん、理解などしていない。

 その席の隣になったのが私の数学年上の仲山(なかやま)だ。当時、彼もまだW営業所に異動になる前の話であり、ちょくちょく話す間柄であった。

「あー……今日、晩ご飯どうしよかなあ」

 研修の十分ほどの休憩時間に私は独り言のように声を出してしまっており、缶コーヒーを買って戻ってきた仲山に偶然聞かれていた。

「どないしたん? メシないん?」

「まあ、そんなところです。ってのが、丸中さんと橋下と、あと森谷(もりたに)と私の四人で晩ご飯行く予定やったんですけど、丸中さんが今日病欠みたいで」

 その名前を聞いて仲山はピンときたかのように、パイプ椅子に腰をかける。

「森谷……新入社員の女子のこと?」

「あぁ、そうです。若い……年上の後輩ってやつですね」

 森谷はその年度に入社した新入社員のことだ。この年は珍しく女性社員が二名配属され、一人は事務、もう一人は技術部門に所属された。そのうちの技術部門にあたったのが森谷で、私や橋下の直属の後輩にあたる。

「それ、多分丸中さん断られたからちゃうか?」

 断られた?何をだろうか?

「何をですか?」

 研修が再開するまで残り五分。仲山は少し周囲の目を気にしながら、私に耳打つ。

「丸中さん、女子社員にメシ誘って断られたら翌日絶対休みよるねん」

 はあ?そんなアホな。そんな理由で休む奴いるわけないだろう。それにそもそもあの人は所帯持ちだ。そんな下らない理由で休むのか?

「ちょ、そんなことあります?」

「いや、俺も最初は半信半疑やったけど、ホンマやで」

 休み時間残り三分になり、仲山はそのことを事細かに私に説明してくれた。


 仲山が言うにはたまたま別の女子社員と会話した時にそれを知ったそうだ。

 彼も最初は冗談半分で受け止めていたが、丸中がある女子社員にアタックしたところに居合わせ、さらに断られるところまで聞いた翌日、本当に休んだことを目撃していた。


 私は残り半日となった研修の時間をそのことを考え続けた。「四十過ぎの既婚者が若い女子にメシ断られて会社を休むのか?」

 そのせいもあってか、午後最後に出題されたマクロの課題は終わることがなかった。

 そして、二十年近く経った今もその答えとマクロの課題は出せていない――

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