第5話 ステータスって何?
エミリアから、おばちゃんの名前を聞き出した。
「マルタ、ですよ」
通いでこの家の食事を取り仕切っているらしい。
屋敷の胃袋を握る女。名前がわかれば十分だ。
いざ、厨房突撃である。
一歳半児の特権――無警戒にうろついても怒られにくい――を最大限活用する。
よちよちと廊下を進み、使用人通路を抜け、匂いを辿る。
肉。香草。ほんのり焦げたパン。
うん、たどり着いた。厨房だ。
……のはいいのだが。
ドアを抜けた先に、立っていた。
俺より少し小さいくらいの女の子。
髪は淡い栗色。目は大きい。服は質素だが清潔。年齢は、たぶん一歳前後。
そして一言。
「だれ?」
いや、そっちこそ誰じゃ。
完全に厨房の門番ポジションである。
俺は一瞬、固まった。
こちらの作戦は単純だった。
マルタに近づく。抱っこされる。火魔法観察への足がかりを作る。以上。
そこに“同年代の関係者”がいる想定はなかった。
すると奥から、マルタの声がした。
「あらあら、リュカおぼっちゃん、どうしました」
大鍋をかき混ぜながらいう。
エプロン姿でも迫力がある。さすが厨房の支配者だ。
だが想定外の事態に、俺の口は開かない。
「だっこ」と言うタイミングを完全に逸した。
次の一手を考えている間に――
女の子の顔が、ぐしゃりと歪んだ。
「うぇ……うぇぇぇぇぇ!」
泣き始めた。
いや、どこに泣く要素があった?
俺、ただ立っていただけなんだが?
「あらあら、どうしたの」
マルタは、当たり前のように女の子を抱き上げた。
手慣れた動きである。泣き声は厨房にとって日常音らしい。
「ほらほら、知らない顔が来たからびっくりしたのね、ミア」
名前はミアらしい。
マルタはミアの背をぽんぽんと叩く。
数秒もしないうちに、泣き声はぐずりへ変わり、やがて静かになった。
人の顔を見て泣くとは失礼な。
いやまあ、俺も知らない幼児を前にしたらちょっと困るが。
マルタはミアを厨房の奥へ連れていく。
壁際にはゴザが敷かれ、その上に木でできた素朴なおもちゃがいくつか置かれていた。動物の形をしたもの、車輪つきの棒切れ、丸い積み木。
完全に子供スペースである。
「リュカおぼっちゃんも、こっちで遊びな」
呼ばれた。
マルタは俺にも何かを渡してきた。
細い草のようなものだ。ミアがそれを齧っている。
真似して、俺も齧る。
少し甘い。
ほんのり優しい甘みがあって、噛むと繊維がほぐれる。若干苦みもあるが、まあ普通に食べられる。
どうやら幼児用のおやつらしい。
マルタは満足そうにうなずくと、再び鍋へ戻っていった。
火がぱちりと跳ねる。竈の熱気が厨房を満たす。
外はだんだん寒くなってきている。冬の始まりだ。
そのぶん厨房は暖かい。というか暑い。だがこの時期にはありがたい。
仕方なく、俺はミアと向き合う。
木のおもちゃを持ち上げ、軽く叩く。
ミアが真似する。
俺が転がす。
ミアが笑う。
単純だが、悪くない。
しばらくすると、ミアは完全に警戒を解いた。
おもちゃを俺に押しつけ、袖を引っ張り、意味不明な言葉を並べる。
どうやら、なつかれたらしい。
一歳半児外交、成功である。
時間がゆるやかに流れる。
鍋の音。
包丁の音。
薪の爆ぜる音。
生活の音の中で、俺は積み木を積み上げ、崩し、ミアが笑うのを眺める。
……悪くない時間だ。目的を忘れそうになるくらいには。
やがて鍋の音が減った。
マルタが手を拭き、厨房の入口へ声をかける。
「持っていっておくれ」
エミリアが皿や鍋を受け取っていく。
どうやら食事の時間らしい。
そして、マルタは俺をひょいと抱き上げた。
大きな腕。
火と香草の匂い。
「リュカおぼっちゃんも、戻ろうか」
食堂へ向かう。
ミアはゴザの上で手を振っている。
……とりあえず、抱っこまでは進めたようだ。
◇
別に、火魔法を今すぐ覚えなければ死ぬわけではない。
マルタとの親密度を上げつつ、まずはクラリッサから水魔法。
順番としてはそちらが自然だ。
アルドリック兄から聞いた話では、魔法使いの職に就けば、適性のある魔法は自然と扱えるようになるらしい。
だが今、俺が見ているのは“生活魔法”だ。
職に就かなくても使える簡易魔法。
水出し。風回し。火起こし。
それだけでも十分に重宝されるらしい。
「生活魔法が安定して使えれば、就職には困らないくらいにはな」
と、アルドリック兄は笑っていた。
なるほど。
異世界にも資格職っぽい世界観はあるが、実務スキル持ちはやはり強いらしい。世知辛いようで安心感もある。
そんな日々を過ごしていたある朝、父が戻ってきた。
一番はしゃいでいるのは、もちろんレオン兄だ。
理由はひとつ。レベル上げである。
「レオン、まずはお前の剣と防具だ」
父は王都から持ち帰った荷物の中から、大きな包みと一本の剣を取り出した。
「森に出る前に、まずはこの剣に慣れておけ。あと、ステータスは今どんな感じだ?」
――え?
今、ステータスって言った?
レオン兄は真顔で答える。
「力:22、速さ:24、体力:32……」
ちょっと待て。
俺の脳が追いつかない。
隣にいたユリウス兄に小声で聞く。
「すてーたす、なに?」
ユリウス兄は肩をすくめた。
「職業に就くとわかるようになるらしいよ」
らしいよ、じゃない。
そこ重要情報だろう。
だがここで、さらに別方向から重要イベントが飛んできた。
「あと、エレノア。次はお前も一緒に王都に行くぞ」
父の声に、部屋の空気が少し変わる。
セシリア母が穏やかに尋ねた。
「あら、決まったの?」
「ああ。本決まりではないが、ヴァルテンブルク伯爵家から良い感触があった。次は顔合わせだ」
……え?
エレノア姉ちゃん、もう結婚なの?
まだ十四歳じゃなかったか?
エレノアは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに微笑みを作った。
きれいな、貴族の娘の顔だった。
その横で、俺は固まる。
十四歳。
前世基準だとまだ中二だ。いや、早くない? 早いだろ。
俺、まだステータスの出し方すら知らないんだけど。
◇
レオン兄は剣を受け取るや否や、裏庭へ全力疾走した。
防具にも慣れておけ、という父の言葉はたぶん聞いていない。
「おい、防具も――」
という父の声は途中で途切れた。
もういない。
新しい剣を持った少年の機動力は高い。
残された家族は苦笑し、話題は自然にエレノアの縁談へ移る。
すぐに嫁入り、というわけではないらしい。
王都での行儀見習い、社交の練習、家同士の相性確認。いわば仮配属期間のようなものだ。
ヴァルテンブルク伯爵家。
古い武家で、格式は高いという。武門の家でありながら、王都にも強い影響力を持つらしい。
「堅い家風らしいわよ」
とセシリア母。
「規律を重んじる家だ」
と父。
だがエレノアが気にしているのは、そこではなかった。
「背は高いの?」
「顔立ちは?」
「怖い人じゃない?」
完全に十四歳の少女である。
フリーデガルト母は無言でお茶を飲んでいた。
武家の娘は度胸が大事、という空気なのだろうか。さすがにそのへんの感覚が強い。
俺はその様子を眺めながら思う。
……なんか急に人生イベントが重い。
戦士だのレベル上げだの言っていた直後に、今度は縁談である。
異世界、子供の進路が決まるのが早い。
夕方も遅くなり、ようやくエレノアと二人きりになる時間ができた。
「ステータス、どうやって見るの?」
小声で聞いてみると、エレノアは微笑んだ。
「強く念じるの。心の中で『ステータス』って」
簡単すぎる。
「でも、職を得てないと使えないわよ」
……なるほど。
だから皆、今まで話題にしなかったのか。職持ちにしか見えないものを、無職の幼児に説明しても仕方がない。
いや、待て。
俺、巫女なんだった。
◇
夜。
全員が寝静まったあと。
俺は布団の中で目を閉じ、心を集中させる。
(ステータス)
強く念じる。
――すると。
視界の内側に、半透明の板のようなものが浮かび上がった。
文字。数値。明らかにUI。
心臓が跳ねる。
【ステータス】
名前:リュカ・フォン・ヴァルクレイン
年齢:1
職業:巫女
レベル:4
力:3
速さ:8
体力:5
魔法力:38
神聖力:66
闘気力:1
知性:88
スキル:
・祈り
・老化軽減 0%
スキルポイント:5
……え?
いや、出た。
本当に出た。
比較対象がないと細かい評価はわからない。
だが、ひとつだけはっきりしていることがある。
職業:巫女。
やっぱり本当に巫女じゃないか。
しかもスキルポイントが五もある。
いつの間に貯まった。レベルアップのたびに入るのか? 自動取得スキル以外はポイント制という話だったし、たぶんそうだろう。
だが問題はそこではない。
男なのに巫女。
この一点が重すぎる。
それに――
知性:88。
高いのか?
低いのか?
いや前世持ち補正を考えると、もうちょっと盛ってくれてもよくないか?
逆に神聖力66は高そうな気がする。
闘気力1は、まあうん、知ってた。
えっと。
これ、レオン兄のステータス、ちゃんと聞いておけばよかったな?




