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第6話 四男カスパルという生き物

この家にはもう一人、四男がいる。


名はカスパル。四歳。

フリーデガルト母の子。つまり武闘派ラインである。


そして――俺は、彼が苦手だ。


前世の幼稚園にもいた。

「すぐ手が出る子」タイプ。


言葉で言おうとして、うまく言えない。

悔しい。

伝わらない。

結果、拳。


子供あるあるの心理状態ではある。

だが、殴られる側からすれば普通に痛い。


カスパルは、たぶん悪い子ではない。

だが感情の処理がまだ荒い。


俺が彼のおもちゃを“たまたま”踏んだとき。

俺がレオン兄に抱き上げられていたとき。

俺が意味不明な笑い声を出したとき。


理由はさまざまだが、結果はだいたい同じだ。


ぽかっ。


四歳児のパンチは侮れない。

武門の血を引く四歳児なら、なおさらである。


カスパルはまだ“加減”を知らない。

一方の俺は一歳半。物理防御力が低い。


彼に悪意はない。

むしろ、たぶん遊んでいるつもりなのだ。


だが、距離感が近い。

そして、その距離感が危険すぎる。


最近では、俺はカスパルの足音を覚えた。

廊下の向こうから、どたどたと走る音。それが聞こえたら静かにルート変更する。


戦略的撤退である。


だが、子供部屋という閉鎖空間では、回避が難しいこともある。


そして、その日は回避に失敗した。


理由は特にない。

本当に、なかった。


子供部屋で、俺は積み木を並べていた。

カスパルは少し離れた場所で木の棒を振っている。

レオン兄はいない。

ユリウス兄は本を読んでいる。


平和だった。


そして――


どん。


強い衝撃。


カスパルに突き飛ばされた。


一歳半の体は軽い。抵抗もできない。

後ろへ倒れ、体を捻ったあげく後頭部ではなく、運悪く額から床へぶつかった。


鈍い音。

一拍遅れて熱。

そして、じわりと何かが流れる感触。


視界の端が赤い。


(あ、これやばい)


遅れて痛みが来た。


「う、うぇぇぇぇぇ!」


本気の泣き声が出る。カスパルは固まっていた。自分が何をしたのか、まだ理解しきれていない顔だ。


「リュカ!」


エレノアに抱き上げられる。

額からそこそこ血が出ているらしい。視界に赤が垂れる。


エレノアは慌てていない。

顔は青いが、手は震えていなかった。


「大丈夫。すぐ治すから」


俺の額に、そっと手を当てる。

目を閉じる。

小さく、祈るように呟く。


そして、光が生まれた。


風のような流れではない。

水のような満ち方でもない。

火のような跳ね方でもない。


もっと柔らかく、静かな光だった。


それが傷口に触れた、その瞬間。


俺は集中した。

何か感じ取れないかと、必死に意識を向ける。


だが、俺の知っている“魔法力”とは違った。


代わりにあったのは、包まれる感覚。

暖かい。

だが熱ではない。


何かが“繋がる”ような。

内側から整っていくような。


傷口の痛みが、すっと引いていく。

血の感触が止まる。

視界の赤が消える。


エレノアがゆっくり目を開いた。


「……うん、もう大丈夫」


額を触る。

さっきまであったはずの裂け目が、ない。


うっすら赤みは残っているが、傷はきれいに閉じていた。


これが僧侶の力。


魔法ではない。

少なくとも、俺が感じ取っている“魔法力”とは別系統の力だ。


これは――神聖力。


そう呼ぶべきものなのだろう。


     ◇


額の怪我事件のあと。


――神聖力の修行だ!


とは、ならなかった。


翌日から、レオン兄は父ギルベルトとともに森へ向かった。

ついにレベル上げ解禁である。


そしてなぜか、エレノアも同行。

どうやらレオン兄の怪我対策らしい。


なるほど。僧侶は便利だ。


だがその結果、家の中で神聖力を観察する機会はほぼ消えた。

エレノアが屋敷にいる間、治癒魔法が必要になるような怪我はそうそうない。わざと怪我をするわけにもいかない。


……いや、カスパルがいるのでゼロとは言い切れないが、そこに期待するのもなんか違う。


つまり、俺は今日も屋敷待機である。


火魔法の習得も、まだ進んでいない。


マルタに抱っこされる機会は増えた。

だが、抱っこ=火魔法発動、ではない。


火魔法を使うタイミングは限られている。

竈に火を入れるとき。

火力を強めるとき。

薪が湿っているとき。


つまり、こちらが抱っこのタイミングを合わせる必要があるわけだ。


水魔法の習得も、少し壁にぶつかっていた。


クラリッサは一日二回が限界。

一歳半・笑顔おねだり作戦も、そこまで万能ではない。


「今日はもう無理ですよ、リュカ様」


限界は限界である。


習得効率、三分の二。


一方、「祈り」には小さな発見があった。


風魔法を使って、魔法力が減っている状態だと――

祈りが発動しない。


ほんの少し減っているだけでも駄目。

ほぼ満タンでも駄目。


どうやら「祈り」は、魔法力MAX時のみ発動可能。

そして発動と同時に、魔法力がゼロになる。


なんだその燃費の悪さ。


これにより、一日のルーティーンが変わった。


午前中――風魔法練習。

昼寝。

午後――風魔法は使わない。

昼寝前に祈り。

夜、就寝前に祈り。

真夜中、おむつ交換時に祈り。


祈り三回。

レベル上げ効率、四分の三である。


そして風魔法。


これは本当に、風を吹かせるだけだ。

強弱はある程度調整できる。頑張ればかなりの強風も出せる。


だが、どうやっても切断力が出ない。


風を“鋭く”しようと努力はしてみた。

圧縮をイメージしたり、指先に集中させたりもした。


だが結果は、ただの強風である。


ウインドカッターに憧れていたが、こちらの現実は扇風機強化版だった。

夢がない。いや、夏場にはかなり便利そうだが。


そんなこんなで、もうすぐ二歳。

レベルは九まで上がった。


レオン兄のほうは、すでにレベル十を超えたらしい。

そして新しいスキル「体力強化」を習得していた。


選択肢には他に「ハイジャンプ」と「気配察知」が出ていたそうだが、父曰く「ハイジャンプ」は着地時の隙が大きく、「気配察知」は努力でも取得可能らしい。


……え?


努力で取得できるスキルもあるの?


これはかなり重要情報では?


戦士と武闘家は、特に取得可能スキルの種類が多いらしい。

まあ、前衛職のほうが、育成幅が広いのはゲームでもありがちだ。


なんとか水魔法の習得にも至った。


火魔法は、何度か観察に成功している。

マルタに抱っこされた状態で、竈に火を入れる瞬間を間近で見た。


火は、やはり跳ねる。

魔法力の動きは一瞬で、鋭い。


だが問題は別にあった。


抱っこの回数が、減ってきたのだ。


二歳を超えた。

歩ける。

走れる。

意思表示もはっきりしてきた。


つまり――


「抱っこ」という最強ポジションが、徐々に剥奪されつつある。


これは由々しき事態である。


     ◇


そんな日常を過ごしていると、再び祖父が現れた。


「レオン、励んでいるか? レベル上げは?」


声は低く、よく通る。

レオン兄は胸を張り、レベル十二になったことを告げた。


ルドルフは満足げにうなずく。


「よくやった。まずはレベル二十を目指せ」


レオン兄は今、中級職の取得を目指しているらしい。

まずは戦士職のレベル四十到達。その先に、さらに別の初級職を経て中級職がある、という流れらしい。


詳しいことはまだよくわからない。

ただ、以前レオン兄が「戦鬼になるんだ!」と言っていたので、たぶんそれが中級職の一つなのだろう。


さて、今回のルドルフ来訪の本命は別にあった。


明日、アルドリック兄とエレノアの儀式があるのだ。


食後、祖父は父に言った。


「わかっているな。最低でも武闘家かモンクだ」


空気が少し重くなる。


昨晩、マルタのところでミアと遊んでいたとき、メイドたちのおしゃべりから偶然事情を知った。


ルドルフは、もともとセシリアとの結婚に大反対だったらしい。


戦場で命を救われたギルベルトが、癒やし手だったセシリアに惚れ込み、半ば強引に娶った。

ちなみにメイドたちは、このへんで妙に盛り上がっていた。恋愛話としてはわかりやすく強い。


だが、ルドルフの理屈は明快だ。


才能の継承。


闘気力が強い男は、闘気力の強い子を得るために、闘気力が強い女と結婚すべきだ。

セシリアは、神聖力は高いが闘気力はほとんどない。


寄り親が寄り子の婚姻に口を出すのは普通のこと。

だからルドルフは、アルドリック兄が闘気力も神聖力も中途半端だと知るや、すぐに三女フリーデガルトとの婚姻を命じた。


武の血を残すために。


その結果、レオン兄、カスパル、マリベルは武闘寄り。

アルドリック兄は中途半端。

闘気力も神聖力も、飛び抜けてはいない。


たぶん、セシリアの子であるユリウス兄も、そして俺もそうなのだろう。


……嫌な話である。


この家の子供たちは、家族である前に、まず適性で見られている部分がある。

少なくとも祖父にとってはそうだ。


     ◇


翌朝、前回とは別の神官が現れた。


年配で、白い法衣。

動きに無駄がない。前回よりも格式が高い気がする。


屋敷の空気は張り詰めていた。


レオン兄は腕を組み、静かに見守る。

ユリウス兄は落ち着かない様子。

カスパルは状況をよくわかっていない。

そしてマリベルは、目を輝かせている。


……君、また乱入する気だね?


儀式が始まる。


神官の詠唱。

光。

前回と同じように、柱のような輝きがアルドリック兄を包む。


静寂。


光が消えた。


アルドリック兄は、ほんの一瞬だけ悔しそうな表情を見せた。

そして、小さく呟く。


「……魔法使い」


静かな声。

だが、確定の宣言だった。


魔法使い。


武闘家でも、モンクでもない。


その瞬間、ルドルフはアルドリック兄から視線を外した。


何も言わない。

表情も変えない。


そして、まるでそこにアルドリック兄がいないかのように、レオン兄へ向き直る。


「午後、剣術の練習を見てやろう」


冷たい。


アルドリック兄は背筋を伸ばしたまま、動かない。

セシリア母の手が、わずかに握られる。


その横で、マリベルが前に出ようとした。


だが突撃は未遂に終わる。

フリーデガルト母が無言で抱え上げ、後方へ下げた。


君、この空気の中でよくその行動力を発揮できるね。すごいよ。


アルドリック兄は静かに続ける。


「……ファイヤーボールを取得しました」


だがルドルフには届いていないようだった。

祖父の視線は、すでにエレノアへ向いている。


続いて、エレノアの儀式。


「僧侶となりました」


これは既定路線だったらしい。

皆、普通にうなずいている。


今回は父が金貨を渡していた。

祖父からの援助は無しか。そこは線引きが露骨である。


孫差別は嫌われるよ。


     ◇


昼食のテーブルは、ひどく重かった。


その席で祖父は言った。


「エミリアとクラリッサは引き上げる」


午後には、神官とともに、二人のメイドも去っていった。


……え?


エミリアとクラリッサ、派遣さんだったの?


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