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第21話 無言の帰領

ひと月ほどして、援軍要請予告が解除された。

そしてさらに二週間後、部隊帰還の知らせが届いた。


最初に見えたのは旗だった。


ヴァルクレイン家の紋章。

だが、いつものように高く翻ってはいない。槍に結ばれた旗は、半ば垂れ下がるように揺れていた。


やがて、隊列が見えてくる。


兵士たちは黙っていた。

馬も、足並みを揃えながらもどこか疲れ切っている。鎧には泥がこびりつき、ところどころに黒く乾いた血が残っていた。


今回、出陣したのは千七百。

領主軍としては最大規模の出兵だった。


戻ってきた列は、その三分の二ほどしかない。


門の前に集まった領民たちも、誰一人として歓声を上げなかった。


勝った軍の帰還ではない。

それは誰の目にも明らかだった。


門の内側で待っていた父――ギルベルトが、静かに前へ出る。

兵たちの先頭にいた副将コンラートが馬を降り、膝をついた。


「……東部戦線は敗北しました」


声はかすれていた。


「魔物の軍勢の突破を許し、グライフェンベルクは壊滅。各領軍は撤退を余儀なくされました」


沈黙が落ちる。


副将は続けた。


「ヴァルクレイン領兵、出兵千七百のうち……」


一度、言葉が止まる。


「……五百六十余、戦死」


領民の間で、低いざわめきが広がった。


三分の一。

それはこの領にとって、決して軽くない数字だった。


そのとき、隊列の後ろから一台の馬車が進み出た。


黒布に覆われた荷台。

棺が載せられている。


父はそれを見た瞬間、動かなかった。


副将が静かに言う。


「……セシリア様です」


空気が凍りついた。


領民の間から、小さく息を呑む音が漏れる。

フリーデガルトが一歩前に出た。


普段なら怒鳴り声を上げる彼女が、何も言わない。

ただ棺を見つめている。


父はゆっくりと歩み寄った。

棺に手を置く。


しばらく、何も言わなかった。


やがて――


膝をつき、慟哭した。


     ◇


それを見ながら、俺は唖然としていた。


この光景を知っている。

覚えている。


もう忘れかけていた、いつか見た夢。


まったく同じ光景だった。


巫女のスキル――予知。


何も起きない、無駄スキルだと思っていた。


あれが予知だと知っていたら、未来は変えられたのか。

セシリア母の出兵を止めていたら。


そもそも、あの夢以外に鮮明な夢を見た記憶はあったか?

これからは夢を書き留めておかなければ――


いや、もう予知のスキルはない。


今までになく混乱していた。


     ◇


その三日後。


ヴァルクレイン領の教会で、葬儀が執り行われた。


空は曇っていた。

春の終わりだというのに、風は冷たく、重い雲が低く垂れ込めている。


教会前の広場には棺が並べられていた。

中央に置かれた一つだけが、少しだけ装飾が違う。黒い布と、ヴァルクレイン家の紋章旗。


セシリア母の棺だった。


領兵たちが整列している。

鎧を磨く余裕などなかったのだろう。傷や凹みがそのまま残っている。


それでも、誰一人として姿勢を崩してはいない。


領民も集まっていた。

農民、商人、職人、子供。広場を埋めるほどの人が、静かに立っている。


誰も声を上げない。

ただ、鐘の音だけが鳴っていた。


神官の祈りが始まる。


父――ギルベルトは棺の前に立っていた。


神官が祈りを終える。

そして父が、一歩前に出た。


「……よく戦った」


それだけだった。


     ◇


父は書斎に籠る日が多くなった。


セシリア母戦死の報が、事前には何もなかった。

これは普通ではありえない。つまり、どこかで隠されていたということだ。


さらに戦後、王国から一切の連絡がない。

これもおかしい。


父は今、王国に対して深い疑念を抱いていた。


いや、父だけではない。


エーベルシュタイン領からは三千が出て、戻ってきたのは千三百。

東部戦線に、西部からここまで大規模な軍を出すこと自体が前例のないことだった。


しかも大敗。

総指揮官は第一王子だったという。


きな臭い。

ひどく、きな臭い。


     ◇


「冒険者から無手の戦いを習っていると、マリベルから聞いた。それは将来、武闘家を目指してのことか?」


いきなりフリーデガルト母から呼び出され、これである。


いや、特に武闘家を目指しているわけではない。後衛なのにマリベルに付き合わされて魔物と戦わされるし、武器は重いし、仕方なくです――とは、なんとなく言いにくい。


「はい」


「何故だ」


やべえ。


適当に「はい」と答えたら、当然のように次の質問が来た。


そういえば、以前リーゼが何か言っていたな。


「将来、家を出たときに、武器や防具を使う戦士では購入や維持にお金がかかります」


「ふむ」


納得してくれたらしい。

サンキュー、リーゼ。


「明日、一番の鐘で裏庭に来い」


スケバンに呼び出されたでござる。


     ◇


朝。裏庭へ行くと、マリベルがいた。

彼女もフリーデガルト母に呼び出されたらしい。


さらにレオン兄とカスパルまでいる。

カスパル君、久しぶりだね。


「武闘家の戦いを教える」


必死に昨日の会話の流れを思い出すが、この訓練を逃れる道はなさそうである。


「まずは型だ」


あのあと、ひたすら型をやらされた。


これはこれでありがたい。

リーゼとは組手ばかりだが、フリーデガルト母やレオン兄と本気の組手なんかしたら死んでしまう。マリベルやリーゼはちゃんと手を抜いてくれるが、あの二人は怪しい。

型だけなら痛くない。


二時間ほど、延々と型をやらされた。


「では、まずはリュカ」


……来た。


フリーデガルト母と組手だ。


お、ちゃんと手加減してくれている。

祈祷師になったばかりの低ステータスだが、なんとかついていけている。


フリーデガルト母の動きも、リーゼのそれと根本は大きく違わない。滑らかさは増しているし、知らない動きもあるが、対応できそうだ――


そう思った瞬間。


フリーデガルト母の姿が、急にぶれた。


「うごぁっ」


吹っ飛ばされる。


両手を突き出したフリーデガルト母の姿が遠ざかっていく。

同時に、体内を巡る気持ちの悪い流れ。


襲ってくる吐き気。


朝食を食べていないのに、胃液を吐き出しながら転げ回る。


い、癒しの手……!


発動できない。

魔力がぐにゃぐちゃにかき回されている。痛みで集中できず、神聖力も動かせない。


これは、以前カスパルをしばいた仕返しか?

やっぱり、自分の息子は可愛いのかな。


そんなことを思って、涙目でフリーデガルト母を見上げる。


「次はカスパルだ」


カスパルは足がぷるぷる震えている。

組手になっていない。


すると、フリーデガルト母が高速で動き、かめ○め波みたいな動きでみぞおちを打った。


吹っ飛ぶカスパル。

彼もまた、吐きながら転げ回る。


「明日も同じ時間だ」


フリーデガルト母は、そのまま去っていった。


……あれ?


レオン兄とマリベルは吹っ飛ばさないの?


     ◇


半刻ほどして、ようやく動けるようになり、ベッドへ倒れ込む。


とにかく気持ち悪い。

痛い。

気持ち悪すぎて、眠ることさえできない。


そうだ。

こんなときは――祈祷。


俺は意識を手放した。


     ◇


起きたときには、もう夕方だった。


とりあえずマルタに頼んでスープをもらう。

何もやる気が起きない。こういう日はミアとでも喋っていよう。


腹が少し落ち着いたあと、具の少し入った粥も作ってもらった。


ものを考えることですら面倒に感じる。ここ数日、セシリア母の死を考えることばかりだったが、もうそんな余裕すらない。


……今日はもう、何もしない。



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