第98話 部屋を借りる
「月二千五百ギルで寝室が二部屋。あとは台所ね」
俺は王都の相場を知らないぞ。
「それって安いの?」
「王都では格安よ。ただ、かなり古いけどね。アタシの家の近くよ」
ジェニファーの家も格安なのかな?
「じゃあ、契約しようと思う。話を進めておいてくれるかな」
「もちろんよ。水魔法のこととか、石鹸のこととか、いろいろ世話になってるしね。これくらい、お茶の子さいさいよ」
ジェニファーは研究室でアロマを作っている。
前回とは違う香りだ。
「柑橘系がいいかなって思って。どうかな?」
「いいと思うよ。今週末、これも試してみようか?」
「うん、頑張る」
とにかく冷却が重労働だからな。
頑張ってくれ。
◇
そろそろ前期の中間試験だ。学院は前期と後期の二学期制で、それぞれ中間と期末試験がある。俺は特に良い成績を目指しているわけではないが、留年は避けなければならない。ギルベルトは三年分しか学費を出さないだろうからな。
数学や理科は大丈夫だ。歴史も、幼いころからいろいろ学んできただけあって問題ない。神学は興味を持って聞いていたし、大丈夫だと思うんだが。
一番困っているのは外国語だ。
発音が難しい。
「誰か、リヒトシュタイン語が得意な人、いないかな?」
「あんな人気のない科目、取るから」
辛辣だな、スティーブ。
「スティーブは中間試験、大丈夫なの?」
突然暗くなるスティーブ。
「数学がわからなくて」
仕方がない。
同室のよしみだ。教えてあげよう。
◇
そして、神学の授業。しっかり聞いておかないとな。
前世では、いい先生は“ここ、覚えておくように”とか言って、テストに出す重要項目を教えてくれたりしてたんだけど、この世界ではどうだろう?
「女神様のお言葉で今なお議論が盛んなのは、“レベル百を目指せ、さすれば呪いから放たれん”ですね。知っての通り、初級職はレベル40まで、中級職はレベル30まで、そして上級職はレベル20までです」
これはテストに出なそうだ。
「40と30と20を足しても、レベルは90で足りません。一方、中級職に上がるために必要な初級職二つ、40と40を足すと80、中級職のレベル二十で百に達してしまいます」
その足し方だったら、上級職最上レベルで260になってしまうぞ。
「中級職のレベル20で解放されるスキルには有用なものが多いため、ここを目指せという意味ではないかと言われていますが、一方、上級職の上に別の職があるという学説もあります。これに関しては勇者伝説とも関わっているので、後ほど習います」
結局、テストのヒントは出なかった。
この先生は厳しいって有名だしな。
◇
試験前は自習が多くなる。
そして、試験前は研究室で好きにさせてもらえる。もっぱら皆、勉強しているが、俺は相変わらずカビの相手をしていた。現在、四回目の継代で、ここ二回は他の菌の混入はなしだ。
これならいけるかな。
純粋になったと思われるアオカビを小さめの瓶に入れ、培地で培養を始める。現状では、アオカビ培養はやることがさほど多くない。
ささっとやるべき工程を終わらせ、勉強する。
「ちょっとリュカ、手伝ってよ」
アロマ精製はテスト前にやることじゃないでしょ。
「水は出したでしょ」
「もぉー」
頑張れ、ジェニファー。
◇
さて、週末だ。
本当は勉強に集中したいが、やるべきことが多い。まずはジェニファーの家だな。
「あ、リュカ。大家さんもいま着いたとこ」
まずは部屋の契約だ。
部屋を見せてもらう。部屋は掃除してあるが、壁や天井から古さが感じられる。寝室には一部屋だけ大きなベッドがあった。
家具はあとで買えばいいか。
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
契約成立。敷金や礼金なんてものはない。ただ、家賃は一か月分前払いだ。
「はい、まいど」
二千五百ギルを払い、部屋の鍵をもらう。次はジェニファーの家に行き、石鹸づくりだ。本当はテスト後にしたいところだが、ジェニファーが頑張っていたことを知っている身としてはそうも言えない。
「じゃあ、少しずつ入れる香料の量を増やしていって、ちゃんと固まるか見てみようか」
香り二種類、濃度五種類の十個の石鹸液を作り、型に流し込む。
「今まで作った失敗作はどうしたの?」
さすがに兄弟と両親だけでは使い切れまい。
「近所の人にあげたわ。獣油の方も意外と人気よ」
そうなんだ。
◇
次はスラム巡りだ。
南西、南東とスラムを回る。今回もジェニファーがついてきてくれたが、もう俺一人でも大丈夫だ。
「そう? でも、もう何年もやってきてたから。皆の顔を週に一回でも見るのは大切よ。南東のスラムには愛着はないけどね。中級職に上がったら、リュカ君がやってくれている治療は私が引き継ぐわ。そのときのためにも、ね」
確かに、俺は卒業したらスラムでの治療はやらなそうだしな。
「レベルは順調に上がってる?」
「実は、まだレベル1なの」
やはり魔物を倒さないとレベルは上がらないらしい。
「ダンジョンに潜ろうと思ったんだけどね」
学院の生徒だとわかると、冒険者ギルド登録は断られたそうだ。
「別の街に行って登録する時間もお金もないしね」
お金がないなら入ダン許可も厳しいぞ。入ダン許可の申請に二万ギル、発行に三万ギル。からくりダンと森ダンの両方だと、合計十万ギルかかることを教えてあげる。
「俺は森ダンだけでも良かったかなって。でも、経験値稼ぎならからくりダンの方が効率良いかも」
「ダンジョンでの経験値稼ぎは諦めるわ」
「夏休み、俺の実家に遊びにくる?」
ヴァルクレイン領なら、少し足を伸ばせば魔物狩り放題だ。
「行く。行くわ」
「でも、やっぱり前衛が欲しいよね」
マリベルは嫁いでしまったし、レオンはさすがに忙しいだろう。
「スティーブを誘ったら? 彼、一応、戦士か武闘家狙いでしょ」
でも、今は無職だ。ちと弱くないか?
一角ウサギやゴブリン程度なら大丈夫か。
「わかった。誘ってみるよ」
そういえば、夏休みはヴァルムクヴェル領に行く約束もしてたな。
前後に分けて両方行くか。
◇
さて、面倒なことは今日中に済ませてしまいたい。明日はダンジョンに潜りたいからだ。
勉強?
今のままでも、良い成績は無理かもしれないが、赤点は避けられるだろう。
まずはワンダーに行く。扉を開けてもらうと、ベネットが飛びついてきた。
「リュカ君、リュカ君、リュカ君」
頭を俺の胸にグリグリと押し付けてくる。
「来てくれるか、すっごく不安だった。考えれば考えるほど、やっぱり来てくれないんじゃないかって思って」
「大丈夫。約束は守るよ。部屋を借りたんだ。荷物をまとめて」
「荷物なんてないよ。服も共有だし」
「その服は持っていってかまわないよ。アタシからの餞別だ」
イエヴァが言う。個人の持ち物ってないんだ。
「娼館で女の子を身請けしたら、大金をいただけるものだけどね。でも、ここは娼館じゃないし、その子はインキュバスの嫁だ。とっとと出ておいき」
梅毒にかかったベネットは邪魔なんだろう。
「行こ」
ベネットに手を引かれ、ワンダーを出る。
イエヴァはそれを冷たい目で見ていた。
◇
「いらっしゃい。チェリー、リュカさんが来てくれたよ」
アジェーダで俺たちを迎えてくれたのはミュシャさんだった。
「ねぇ、本当にいいの?」
「もちろん。部屋を借りたんだ。一緒に行こう」
チェリーは自信なさげだ。この子、短い期間に二回も切られてるんだよな。しかも、どっちも重症。俺が治療したとはいえ、よく生きてたもんだ。即死でもおかしくない傷だったからな。
「アタシを買っても何もいいことないのよ?リュカ、あたしと何もできないのよ?何年かしたら、耳と鼻が腐り落ちて体中から血を流して死んじゃうのよ? そんな女の子にお金を使うくらいなら、もっとカワイイ健康な子にお金を使った方が良くない?それとも、同情のつもり?ベネットのおまけ?」
同情、なのかな。
憐みとも違うな。
「ベネットのおまけなんかじゃないよ。同情なのかな? たぶん、同情なんだと思う。せっかくチェリーと仲良くなれたんだし。同情しちゃ駄目なのかな?」
数年で死んじゃうんなら、確かにお金の無駄だと思う。
「いいから行っておいで。今から数年でも心穏やかに暮らせるなら儲けものじゃないか」
チェリーはミュシャさんの言葉に頷く。
「チェリー、荷物は?」
「別に何もいらない」
「遠慮しなくてもいいんだ。必要なものがあったら持っていきな。この毛布、お気に入りだろう」
ミュシャさんは毛布をチェリーに渡す。チェリーはそれを見て、ミュシャさんに抱きつく。
「行っておいで。いつでも帰ってきていいからね。あたしがなんとかするからさ」
「チェリー、ごめんね。あたし、ずっとチェリーに嫉妬してたんだ。私もインキュバスに愛されたわけだけど、こうなったのはチェリーが悪いわけじゃない。この仕事をしてたら、遅かれ早かれね」
サーラさんだ。今日はナイフを持ってないようだ。
「うん、仲直り、だね」
チェリーはサーラさんとも抱き合う。
「じゃあ、行こうか」
俺たちは新しく借りた部屋へと向かった。




