第97話 インキュバスの嫁
ジェニファーの家から、今度は娼館に向かう。毎週顔を出すって約束しちゃったからな。もう遅い時間だが、いざとなったら娼館に泊まればいい。
ワンダーに着くと、中は騒然としていた。何があったんだ?
「リュカ! 来てくれて良かった。アジェーダに行っておくれ」
イエヴァに言われ、アジェーダに急ぐ。走って一分だ。
「リュカ、チェリーが、チェリーが」
アジェーダに行くと、服が血だらけのベネットが出てきた。中に入ると、腹から血を出し横たわるチェリーの前に、ナイフを持った女性が立っていた。よく見ると、チェリーの肌は赤い斑点に覆われている。
「もう、いいの。どうせ長くないわ」
チェリーが弱々しく言う。だからといって、腹の傷を放置して、チェリーが死んでいくのを見守るのも嫌である。癒しの手で傷を塞ぐ。
カラン
後ろでナイフが落ちる音がする。
「サーラ!」
サーラと呼ばれた、ナイフを持っていた子は、アジェーダを走って出ていった。チェリーはそのまま眠りについたようだ。ベッドを見る限り、かなり血を流している。
「一度、ワンダーに戻ろ」
ベネットが手を繋いでくる。そのまま、ベネットに引かれてワンダーに戻る。
◇
「見て」
ワンダーに着くと、ベネットはワンピースを腹の上までまくり上げた。
ベネットの肌も赤い斑点で覆われていた。
「その斑点はいずれ消える。けど、その印が出たってことは、その子はインキュバスの嫁になっちまったってことさ」
イエヴァがそう言う。
梅毒確定か。
「一週間以内にここを出ていっておくれ。インキュバスの嫁を置いておくわけにはいかないんだ」
「どういうこと?」
「それがウチらの決まりさ。インキュバスの嫁はこの界隈から出ていく。わかるだろ。あれは広がるんだ」
客が感染し、その客が別の子に広める。
江戸時代の花街だ。
「ここを出ていった子はどうなる?」
「いろいろさ。別の通りに行く子もいるね。身投げする子もいる」
「リュカ君、いままでありがとうね」
ベネットが泣きながら言う。そして、大泣きが始まった。
◇
しばらくして落ち着いたベネットが、事のあらましを話してくれた。
先ほどナイフを持っていた子、サーラが女の子の日で休んでいた時、彼女のお得意様が遊びに来て、サーラの代わりにチェリーを選んだ。
これは別に、褒められたことではないが、掟破りってほどのことではないらしい。サーラが休み明け、その客と遊ぶ。
ちなみに、その客がチェリーと遊んだことは、ここで本人から聞いたらしい。チェリーはどうだった、みたいな話が出たんだと。これは客として最低な行為らしい。
ここまでが二、三週間前。
そして今日、サーラの局部にしこりができた。それと同時に、チェリーの全身に赤斑が出ているのが発覚。全てを悟ったサーラは激怒し、チェリーをナイフで刺したらしい。
「あそこにしこりができただけなら、別の病気かもって思えるけどね。サーラも死を宣告されたようなものだから」
それは、怒りたくもなるか。
「あたしも一昨日からこんな感じだしね」
ベネットは腕の赤斑を見せる。
「ここを追い出されるとね、客を取るためにはもっと南で立たないといけないの。日々の食事のためにね、明らかに病気持ちの客とか、何か月も体を清めてないような客とか、乱暴な客とかを相手にするの」
アンジェが以前、言ってたな。貧民街を出た女の子は、いずれ病気になって死んでいく。
「もう、嫌だよぉ。神様、一生のお願いだよ。助けてよぉ。死にたくないよ。でも、あんなことしてまで生きていきたくないよ。どうしたらいいの?」
俺もベネットにそんな目に遭ってほしくない。ペニシリンの作成はまだ入り口にも立っていない。前回の培養は白カビが混じって失敗した。いつ成功するか、本当に成功するかなんてわからない。でも、ベネットとチェリーは助けたい。
「ベネットとチェリーが住むところと食事は俺がなんとかする。だから、もう通りに立たないでほしい」
ベネットはきょとんとした顔でこちらを見る。
「その病も治せるよう、頑張る」
「ホント? 信じていいの?」
「あぁ、任せろ」
来週、ベネットとチェリーを引き取ることをイエヴァとミュシャに伝える。
「ホントにいいのかい? インキュバスの嫁を身請けする男なんて初めて見たよ。彼女たちと深い仲になれば、あんたまで死ぬかもしれないんだよ? いいのかい?」
「もう決めたことだから」
ミュシャはチェリーをどうするか悩んでいたらしい。今のまま客を取らせるわけにはいかない。かといって、追い出したらどうなるかは彼女もわかっている。
「私が言えたもんじゃないけど、チェリーをよろしくね」
◇
翌朝、学院に戻ると、休み時間にジェニファーと話す。
「安く部屋を借りたい? 確かに、あたしが住んでいるあたりは安いけど、なんか急ね。何があったの?」
性病にかかって死を待つだけの娼婦二人を身請けすることを話すと、さすがに呆れられた。
「ホントにリュカはその子たちと関係を持ったことはないのね」
おいら、まだ童貞だよ。
「その子たちを身請けしたって、リュカになんの得もないじゃない。まぁ、エロ目的だったら絶対に協力なんてしないけど。いいわ、お父さんに聞いてみる」
◇
パンは継続的にカビさせている。そこからアオカビを拾い、培養液に放り込む。だが、数日後には培養液には白いカビや黒いカビが生えている。赤いのもあったな。やはりプレ培養しないと駄目か。
以前、軍時代に作った培養プレートを再び作り、アオカビを薄く塗る。翌日見ると、やはりアオカビ以外のカビも生えていた。そこから、さらにアオカビ部分を拾い、別のプレートに植え継ぐ。
地道だが、アオカビだけになるまでこれを続けるしかないだろう。
◇
「ねぇ、リュカ。リュカはいったい何をやっているの?」
俺は今、寮の部屋で体内に二つの魔力線を作る練習をしている。人差し指と親指からの魔力線は、今は手首あたりで合流している。
「魔力線二つを体内で捻じる練習だ」
スティーブは呆れた顔をしてこちらを見る。
「リュカが変なことをしてるのはいつものことだけど、そっちじゃないんだ。ジェニファーから聞いたけど、売春婦のために部屋を借りるとかって」
ジェニファーのおしゃべりめ。
「言っておくが、彼女たちと肉体的な関係は一切ないぞ」
いや、本当はベネットに際どいことをされた覚えはある。あれはこちらの同意なしだったし、不可抗力ということで無効だ。
「いや、知ってるよ。リュカは彼女たちに同情したんでしょ。でも、彼女たちは自分で選んだ道を進んで、そういう状況に陥った。それを外部の人があえて助けてあげる意味って何かな、って思って」
「う~ん、そうなんだよな。でも、彼女たちも選んで娼婦になったわけじゃないと思う。仕方なくっていうか、それしか道がなかったというか。でも、それはいいんだ。俺が知らない娼婦がどこかで同じような目に遭っても、俺は助けないと思う」
「その売春婦たちがリュカにとって特別ってこと?」
「知り合ってしまったからね。確かに、こちらが一方的に助けてきた関係だけど、それ以外では普通に話してたし、友人だったんだと思う」
それに、助けてきたっていうけど、その代わりにこちらは治療の経験値をもらっていた。
俺は無職ってことにしてあるから、あえて言わないけど。
「部屋を借りてあげるんでしょ。で、リュカのことだから、どうせ食事もなんとかするんでしょ。やりすぎじゃない?」
「いつか返してもらうさ」
返してもらえる日ってくるのかな?
いや、返してもらう必要もないけど。
ただ、死んでほしくないだけなんだ。




