アスカ 前編 1『ディランの海岸』
地底湖から地上まで2時間の道のりが掛かった。
ごつごつした岩の片隅にある隙間が出口。地下から這い出た先は、鬱蒼とした森の中で。更にそこから2時間歩いた先に、目的地の街がある。
さほど大きな町ではない。人口500人ほどの海辺の小さな町だ。
現在の時間は太陽の位置からして、6時過ぎ。
まだ朝も早い時間に、フードを深く被ったシアーナは、アスカと共にこの町を歩いていた。
人はまだ少ない。いや、漁師で栄えている町だからか、働く人間はもう海へと出かけてしまっている為、人が居ないと言った方が正しいか。
その人道理の少ない町を進んでいく。
シアーナは、後ろを興味深そうにキョロキョロあたりを見渡すアスカに声を掛ける。
「……アスカさん、疲れていませんか?」
「ん?大丈夫!こんなぐらいで疲れないって!」
シアーナの問いにアスカは笑顔を向けた。
そう笑顔であるモノの、彼女の顔には僅かに疲れが見えている。
なにせ隠れ家である地底湖、あの場所から出てきて大よそ4時間歩きっぱなしだ。
むしろ朝を迎える事もせずに、夜中の2時に起き、そのまま食事も真面に取れないまま出立したので疲れていないと言う方が可笑しい。
本当は、もう少し休ませてあげたかったのが、致し方が無い。
“死”であるシアーナは大見えを切って町を歩くわけには行かないのだ。
そんな事をすれば、自分処かアスカにまで危害を被る。
だから、まだ人が本格的に活動する前に、漁師達が帰って来る前に目的に辿り着かなくてはいけない。
目的地はもう目の前だ。アスカには我慢してもらうしかない。
シアーナは切羽詰まったように速足で進み、あたりを何度も見渡して前へと進んだ。
そんな様子をオレンジの瞳が、見つめている訳だが、其れにも気づかず。
――少しして、アスカが口を開く。
「ところでシアーナちゃん。何処へ行くの?」
「!アスカさん、大声は――」
その声は疲れを隠す様に無邪気だ。だが、響く様に大きい。
慌てたようにシアーナがチラリと振り向けば、目に映ったアスカは5mばかし後ろ。
シアーナは漸く気が付いた。どうやら急ぎ過ぎて、彼女のペースを考えていなかったと。
歩んでいた足を止めて、肩で息をしながら走り寄ってくるアスカを待つ。
アスカが側迄やって来て、息が落ち着きを取り戻すまで待つと、おずおずと口を開いた。
「………協力者の所です。流石に女二人旅は危険ですから……」
「え?協力してくれる人がいるの?」
その問いには「多分」としか答えられない。
アスカの様子を確認してから、シアーナは再び歩みを再開する。
もう目的地も近いのだ、今度は落ち着いて、ゆっくりとアスカのペースに合わせて。
後ろからはアスカの視線。彼女が着いてくるのが分かる。
何も言わないシアーナにアスカは何を考えているだろうか。ソレは分からない。
だが、色々と疑問を感じているのは確かであろう。もしかしたら不信感も感じている可能性だってある。
ただ、それ以上彼女が何かを問いただしてくる様子は無かった。
どうして町の中で顔を隠しているのか?とか、どうしてこんな朝早くにこそこそと移動しているの?協力者ってどんな人?とか、何も問いただしてくることはせず。だまって着いて来てくれている。――それは感謝の一言しか無かった。
◇
それから3分ほど歩いたか。シアーナはある家の前で止まった。
目に映るのはボロボロの、一ヶ月前までは空き家であった家。
今は人がなんとか住めるぐらいまでには修復されているが、目的の人物は此処に居る。
事情を話せば、おそらく協力してくれる。
“死”に対してでも敵意を見せない人物が、此処に。
目的に着いたのだ。後は簡単。
扉を叩けばよい。
シアーナは扉の前で、大きく深呼吸をする。
扉を叩こうと手を伸ばし、しかし止まる。どうしようもなく手は震えていた。
怖いのだ。この家に居る人物が。
彼なら協力してくれると思おうが、どうしようもなく、怖くてたまらないのだ。
それでも、彼には会わなければならない。
ごくりと生唾を呑む。荒くなる呼吸を落ち着かせて、シアーナはゆっくりと扉に手を伸ばす。
「……………。えい!」
そんなシアーナを追い越して、身を乗り出す勢いで手を伸ばしたのはアスカ。
彼女は震えるシアーナに変わって、遠慮も無しに扉を「どんどん」と叩いた。
「すみませーん!」
しかも、結構大きな声をプラスして。
「あ、アスカさん?」
驚くシアーナに無縁量。
気にすることも無く、どんどん、どんどん、戸を叩く。
どれほど遠慮なく扉を叩いたか、家の中から近づいて来る足音。
朝早くだからか、酷くイラだった様子。
シアーナが思わず、アスカの後ろに隠れたと同時。
「いい加減にしろ!」
目の前の扉は勢いよく開かれた。
「おい!今何時だと思っているんだ…よ…?」
怒りの含んだ声で出て来たのは一人の男。
後ろで1つに縛り上げた、肩ぐらいまでの黒い髪に。筋肉質な年の頃は20代の、中々の美男子だ。
そんな整った顔に、切れ長の紫の瞳に怒りをにじませていたが。ひどく驚いたように。男はシアーナを見つめ、言葉を途切れさせた。
◇
「おま……」
扉の向こうで、男は紫の瞳に驚愕の色だけを映している。
「――タナトス!」
ただ、男の驚きは、ほんの僅かな間であった。
彼は一気に眉を顰める。眉を顰めてアスカの後ろに隠れるシアーナを見て叫ぶ。
まるで「タナトスとは?」と言わんばかりに首を傾げたアスカ。
少しの間、びくりと震えていた黒い影は紫の視線に耐え切れなくなって。おずおずとアスカの後ろから顔を出して引き攣った笑みを浮かべて男を見上げるのだ。
「……こんにちは。お久しぶりですね。――エイデさん」
完全に拒絶の混ざった口調で挨拶をしながら。
シアーナは、挨拶が終わればすぐ様に再びアスカの後ろに隠れた。
もう十分会話は終わったと言わんばかりに。
気のせいだろうか?
シアーナが身を隠したその刹那。アスカが庇う様にシアーナの姿を隠そうと自ら動いたのは。
しかし「エイデ」と呼ばれた男は止まらなかった。
ずかずかと男はアスカとシアーナに近づいて、2人の前で立ち止まると腕を組む。
縮こまるシアーナの前で、眉を吊り上げて彼を睨み上げるアスカの目の前で。
男は心底イラだった様子で、呆れた様子で、眉を顰めて。
アスカの肩を押しのけると。隠れたシアーナに顔を近づけて。
「探したんだぞ、お前!!一方的に出てきては姿を消して!どこを探しても見つからないし、今までどこにいたんだ!このちび助!」
そんな声と共に。大きな手の太い手で、シアーナの頬をつまみ上げたのである。
ああ、この男は変わらない。心の底からシアーナは思う。
頬をつままれながら、プイっと視線を逸らす視線。
「……しりまへん…」
不機嫌そうな声を男に飛ばす。
「何が知りません……だ!心配したこっちの身にもなってみろ!」
目を逸らすシアーナに対し、男は反対にまるで親が子を叱る様な口調。
今までの漂っていた、緊張していた空気が一瞬にして壊れた音がする。
アスカは改めて男を見上げる。
彼の、その紫の瞳は確かに怒りに染まっていた。口調にも怒りがにじみ出ていた。
しかしだ、エイデ……そう呼ばれた彼の様子を、まじまじと見れば直ぐに気が付く。
彼から敵意と言うものは一切感じられない、と。
むしろ真逆。
つい先程の彼の言葉の端々から。怒りの混ざった瞳からは。
――「安堵」
それに近い感情が、色濃く見えていたのだ。そしてソレが向けられているのは、間違いなく、“シアーナ”と言う少女に対して。
それに気が付いたアスカは胸を撫で下ろし、同時に察する。
そうか、彼が、シアーナが協力を頼もうとしていた人物なのか――と。
「で、このお嬢ちゃんは誰なんだ?」
シアーナの頬を摘まみ上げながら、男は漸くアスカに視線を移したのはその時だ。
怪訝な表情をする彼にアスカは笑みを浮かべる。
「初めまして、シアーナちゃんのお友達ですね!」
「は?しあーな……?友達……?」
「……ともらひれはありまへん、、あふかはん。見てくらはい、ぎゃふらいにぇふ…」
「――おい、コレのどこが虐待だ?これはちょっとしたお仕置きだ、お仕置き!」
友達発言にシアーナは不服そうである。エイデも、そんなシアーナに呆れ顔。
確かに友達ではなさそうだ。仲良くはなさそう。ただ、仲が悪いという訳でもない。いや、シアーナが一方的に彼を嫌い、彼はそんなシアーナを何処か案じている。
何でもよい、少なくとも「エイデ」と言う人物は、信頼すべき人物であるとアスカは感じ取った。
そうとなれば、彼女がすべき行動は、たった一つである。
「単刀直入でお願いがあります!」
高らかに声を上げる。
「あ?」
不思議そうに、アスカに視線を送るエイデ。
紫の瞳に、自分自身が映ったと同時。
そんな彼の前で、彼女は勢いよく頭を下げるのだ。
「――私達と一緒に旅をしてください!」
「………はい?」「………はひ?」
真面目な顔で、あまりに直球な「お願い」
いや、単刀直入すぎるのである。これにはシアーナですら驚きの一言でしかない。
確かにシアーナは。この男、エイデに協力を申し入れるつもりであったが。まさか彼女が自分の口から、こうも簡単に見知らぬ相手に助けを求めるとか、考えもしなかった。
エイデを見れば、彼は突然の事に呆然としていて。その隙にシアーナは漸く我に返った様子で彼の手を振り払う。
どうしてアスカが急に頭を下げたかは分からない。しかし。
こうなれば仕方が無い。シアーナは目を逸らしながらもアスカと同じように口を開いた。
「……エイデさん。……こちらは貴方と同じ『異世界人』です。……彼女を元の世界に返すお手伝いを、して頂けませんか…?」
「え?」「ええ?」
ひどく、かなり、口籠りながら。それでもはっきりと、事実を口にするのである。
余りに唐突な『事実』に、今度はアスカが目に見えて驚く表情を浮かべた。
それは勿論、目の前のエイデも同じ。
二人はひどく驚いたように目を見開き、シアーナと『お互い』を交互に視線を移す。
2人とも、理解が追い付いていないのは確かであろう。特にエイデは困惑の色を見せている。
「う、うーん。すこしまて」
しかし、先に我に返ったのは、そのエイデであった。
彼が頭を抱え、小さく息を吸うのが分かる。
「事情有りってやつか……?」
ポツリと一言。
続けて、家の外を見まわして、彼は踵を返す。
そのまま彼は、自身が住む家の扉を開き、手招きを一つ。
「――ま、取り敢えず、家の中に入りな。そろそろ人も出てくるからな」
そう、快く。家の中に招いてくれたのである。
どうやら家の中で詳しく事情を聴く、そういう事にしたらしい。
エイデの表情には微塵も悪意と言うものは感じ取れなかった。
「親切心」ただそれだけなのだろう。
――しかしシアーナは目を伏せる。入りたくない。でも外にもいたくない。
そんな複雑な感情が頭の中を渦巻く。
「――私は」
悩んだ結果。自分は外で隠れ待つ、そう答えを口に出そうとした時であった。
白い手が、シアーナの青白い手を取ったのは。
「よし、いこうかシアーナちゃん!」
アスカはシアーナの手をきつく握りしめると。
満面の笑みを浮かべ、もう一度エイデに、今度は小さくお辞儀をして。
「おじゃましまーす!」
と明るく、エイデの家の中に入っていくのであった――。




