アスカ 序章2
一瞬思考が停止する。
いや。別に人さらいもしていないのだが。更におかしな方向にアスカは勘違いし始めたようだ。
……いや、人さらいと変わりないのも確かであるが。でも、犯人はシアーナじゃない。
エルシューの悪事が自分の責任にされるのは酷く腹立たしい。
「………違います。私は犯人ではありません。犯人はエルシューという男です」
「え、ええ!?私本当に攫われちゃったの!?誰その男!」
取り敢えず否定しておく。
アスカからすれば驚愕の事実で間違いないが。
実際の所、アスカからすれば冗談のつもりで、否定を待っていたのに。
送られたのは、まさかの肯定。
愛らしい顔を顰めに顰めて「変態だ」だとかと震え始める。
そんなアスカの表情を見てシアーナも判断。
うん、これは本当に覚えていないようだなと。
そうなれば問題は次にある。
彼女にどうやって、この状況を説明するかだ。
「……アスカさん、最後に覚えているのはテントで眠った事だけなのですね」
「どうしよう人さらいとか……エミリアになんて説明を――!と言うかどうやって戻れば?ここ何処?」
もう一度確認するがアスカには、あまり聞こえていないようだ。
シアーナも流石に悩む。
目の前の赤髪の少女は現状を理解できていない様子で、酷く悩んでいる。
ここまで悩んでいるようであるなら、率直に答えてしまっても問題ないかな……なんて。決断。
「……率直に言いますね。……ここは貴女にとって“異世界”です。貴女はエルシューと言う男によって連れて来られた犠牲者です」
「――――なん……だと?」
あ、ダメだったようだ。以外にも冷静だったようだ。
アスカはシアーナの唐突で率直な答えに、いつも何処かで聞くセリフと共に固まってしまった。
オレンジ色の瞳が、まん丸と見開かれる。
思えばいきなり「異世界です」とか混乱するに決まっている。間違えた。
シアーナが何とか取り繕って言い訳しようかと考え始めた直後であった。
アスカがそれは見事に、勢い良く頭を抱えたのは。
「異世界に召喚だと!?それどんな『奇跡』!?高度過ぎて『奇跡』とも呼べないのですが!!魔法かな!?神様の魔法かな!」
「……………魔法ではありませんよ。貴女を此処に連れて来た存在は神の力と鼻を伸ばしています」
「シアーナちゃん!否定できないならちょっと黙っていようか!!――え?何?神の力?神様の力…?」
シャラップ要求。
アスカは更に困惑した様であった。
嫌、当たり前なのだが。シアーナが急ぎ過ぎたのだ。
むしろこれで「はいそうですか」と受け入れられる方がおかしい。
でも黙っている様にと言われたなら、仕方がない。シアーナは黙っていることにした。
…10秒。…30秒。…1分。アスカは頭を抱え続ける。
アスカが顔を上げたのは、時間にして大よそ5分経った頃。
ただ「じぃ」とアスカを見つめていたシアーナの前でアスカは勢いよく顔を上げた。
「ここは異世界。私の世界じゃない!だったらお家に帰ります!!!」
うん。見事な状況判断と、もっともな判断だ。微塵も迷いはなかった。
むしろすんなり「ここは異世界」と言う事実を簡単に飲み込み過ぎて驚いたほどだ。
アスカの様子に一瞬びくりと肩を震わしたシアーナだが、少ししておずおずと口を開く。
「………それは、どうして……?」
“異世界”と判断したうえで、彼女はどうして迷いもなく元の世界に帰りたいと決めたのか。決めることが出来たのか、疑問のままに問いかけていた。
その問いに、アスカは眉をキリっと上げたままシアーナを見る。彼女を見て大きく頷く。
思わずシアーナもつられて小さく頷く。
「私が元の世界に帰りたいのは当然です!『私の世界』ですから!」
そして、その勢いのままにアスカの口から出たのは、やはり良く分からない理由。答えにすらなっていない気がする。
いや、彼女が元の世界に帰りたがるのは当然だから答えとしてはあっているのか……?
ただシアーナが求めていた答えと違って、あまりに大雑把だったから。理解できなかっただけ?
それに、先程と同じでアスカの宣言にも近い発言には、迷いが無さすぎる。
シアーナは小さく首を傾げた。
「えと……。折角の異世界だー。冒険しよー……とか思わないのですか?」
「…………ないよ!」
――間があった。
「あ!いや」
とアスカはシアーナの表情に思わず目を逸らしてコホン。
「この……“異世界”?この“世界”に興味ないって訳じゃないよ。暇があれば、ちょっと遊んでみたい」
「……正直ですね」
「えへへ……」
アスカが少し照れたように頬を掻く。褒めたつもりは無いが。その様子は普通の少女そのものだ。
ただ、それはほんの僅かの表情。照れくさそうに笑っていた、少女は、真っすぐとシアーナを見据えた。
「――でも、帰りたいと思うのは別。私は元の世界に帰って確認したいことがあるの。それだけはちゃんと覚えている」
オレンジ色の瞳は迷いなく真っすぐに、此方を見据えて言い放つ。
その言葉に、微塵も偽りはない。決意が籠った瞳をしていた。
「元の世界に帰って確認したいことがある」
どうやら、これが、アスカが元の世界に帰りたいと願う理由のようだ。
――それは見たことのない瞳。あまりに強い瞳。
シアーナはそんな瞳から、目を逸らす事が出来なかった。
「……どうして、ですか?」
絞り出すようにシアーナの口から問いが出る。
何故彼女が此処まで元の世界に拘るのかが分からない。
どうして、そんなに迷いなく答える事が出来るのかが分からない。
そんなシアーナの瞳を、アスカは真っすぐに、僅かにも目を逸らすことなく。力強い決意が籠った瞳で発する。
「――私達が勝ち取った未来だから!」
満面の笑みで、キラキラと輝いていて。
その笑顔に、
決意に、
突き刺さる様なオレンジの瞳に、
シアーナと言う“死”は、ただ頭が白くなる。
理解が追い付かず、「困惑」。
その言葉だけが頭を駆け巡る。
「……そう、ですか」
ただ、どうしても、その瞳から目を逸らすことが出来なかったのだ。
アスカと言う少女のあまりに力強い瞳に。
ただ、あまりに悲しく思えて、どこか羨ましく思えて、放って置けなくなったのだ――。
「だったら私も手伝います。……微力でありますが、貴女が元の世界に戻れるように。お手伝いします」
だから、シアーナは自分でも気付かないうちに、言葉を紡いでいた。
「………え!?」
アスカが驚きの声を上げる。シアーナはアスカの目を真っすぐ見て、続ける。
「――この“世界”の案内ぐらいしか出来ませんが……。もしかしたら元の世界に帰れる手段があるかもしれません。お手伝い……させてください……」
「おお、まじか……。うん、じゃあ、任せた!」
シアーナの言葉に、目に見えてアスカは驚いていたが。
ただ、次の瞬間には、目に見えて分かるほどに大きく喜び、青白い手を取る。
手からアスカの温もりが伝わり、シアーナは思わず肩を震わす。
彼女の「任せた」という言葉には迷いは無かった。
ただ、百面相なのか。次には渋い顔。
「うーん、違うな……。うん、これだ。お願いします!シアーナちゃん!」
そして、今度は「お願いします」と、アスカと言う少女はもう一度満面の笑みを浮かべるのだ。
コロコロと表情が変わる少女の前でシアーナは、やはり呆然とするしか出来なかった。
どうして彼女に、協力するなんて、自分から協力を申し出たのか、自分の事なのに分からない。
口が勝手に開いていた、としか言えない。
――それも、飛び切りの大嘘を。意味も無い協力を。
ただ、それでも――。
何故だろうか。
シアーナの中で、温かな気持ちが溢れてくる。
なんだか酷く照れくさくて、
誰かの役に立てると言う事が久しぶりに嬉しくて。
“彼女”は僅かに、はにかむ様な笑みを浮かべるのだ。
「あ、笑った!…ふふ、可愛い」
「――!」
アスカは、そんなシアーナの僅かな表情の変化に目ざとく気が付いた。
のぞき込んでくるアスカから逃れる様にシアーナはフードを深く被る。
何故か、本当に彼女の表情にも言葉にも嘘が全く感じられないから。
シアーナは無言のままに、気恥ずかしさから、慌てたようにそっぽを向くのであった。




